(現在 過去ログ1 を表示中)

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 親記事をトピックトップへ ]

このトピックに書きこむ

レス数の限度を超えたのでレスできません。

(レス数限度:100 現在のレス数:100) → [トピックの新規作成]
■7328 / inTopicNo.1)  Re[64]: Echoes
  
□投稿者/ パニチェ -(2020/10/04(Sun) 07:34:09)
    おはようございます、minoriさん。レスありがとうございます。

    No7326に返信(minoriさんの記事)
    > パニチェさん、おはようございます。
    > ご投稿ありがとうございます。

    > >>私が、自然を感じるクラシック。
    > >>シベリウスの「樅の木 (もみの木)」。

    > >>https://www.youtube.com/watch?v=eqaK-Iwbmuk
    >>
    >>オーロラが浮かんできましたね。^^

    > あ〜、それ気づきませんでした。 シベリウスは、フィンランドの作曲家ですし、冬のフィンランドの夜の光景にオーロラを意識していても不思議ではないです。
    > もみの木が、吹きつける風の強弱の中で凛としているようなイメージを私は持っていたのですが、そこにオーロラも加わればさらにいいですね。^^

    ジャケットのタイトルとデザインが刷り込み効果になった可能性もあります。^^

    >>思春期の頃より、今もなお心が落ち着く一曲です。
    >>
    >>https://www.youtube.com/watch?v=53N99Nim6WE
    >>
    >>14:35あたりからは暗闇に天から光が差し込んでくるイメージが浮かび、最終的には空高く舞い上がっていく映像が浮かびます。

    > 拝聴しました。 PinK Floid の Echoesという曲なのですね。
    > PinK Floidの名前は存じてましたが、曲は初めて聴いたと思います。

    > 全体を通して、私にとっては幻想的でどこかに吸い込まれていきそうな感覚も感じました。
    > 聴く瞑想という言葉が浮かんでもきましたよ。^^
    > 不思議な曲というイメージが初めて聴いた私にはありました。

    ありがとうございます。
    長い曲なのに聴いていただけたんですね。
    これ独断ですが、あの和音とか旋律、曲の構成などはサイケデリックで、とてもシラフでつくれる曲ではないと思います(笑)。
引用返信/返信 削除キー/
■7326 / inTopicNo.2)  Re[63]: Echoes
□投稿者/ minori -(2020/10/04(Sun) 07:18:45)
    パニチェさん、おはようございます。
    ご投稿ありがとうございます。

    >>私が、自然を感じるクラシック。
    >>シベリウスの「樅の木 (もみの木)」。
    >
    >>https://www.youtube.com/watch?v=eqaK-Iwbmuk
    >
    > オーロラが浮かんできましたね。^^

    あ〜、それ気づきませんでした。 シベリウスは、フィンランドの作曲家ですし、冬のフィンランドの夜の光景にオーロラを意識していても不思議ではないです。
    もみの木が、吹きつける風の強弱の中で凛としているようなイメージを私は持っていたのですが、そこにオーロラも加わればさらにいいですね。^^


    > 思春期の頃より、今もなお心が落ち着く一曲です。
    >
    > https://www.youtube.com/watch?v=53N99Nim6WE
    >
    > 14:35あたりからは暗闇に天から光が差し込んでくるイメージが浮かび、最終的には空高く舞い上がっていく映像が浮かびます。


    拝聴しました。 PinK Floid の Echoesという曲なのですね。
    PinK Floidの名前は存じてましたが、曲は初めて聴いたと思います。

    全体を通して、私にとっては幻想的でどこかに吸い込まれていきそうな感覚も感じました。
    聴く瞑想という言葉が浮かんでもきましたよ。^^
    不思議な曲というイメージが初めて聴いた私にはありました。

引用返信/返信 削除キー/
■7322 / inTopicNo.3)  Echoes
□投稿者/ パニチェ -(2020/10/03(Sat) 21:57:31)
    2020/10/03(Sat) 22:03:05 編集(投稿者)

    No7317に返信(minoriさんの記事)
    > 私が、自然を感じるクラシック。
    > シベリウスの「樅の木 (もみの木)」。

    > https://www.youtube.com/watch?v=eqaK-Iwbmuk

    オーロラが浮かんできましたね。^^


    思春期の頃より、今もなお心が落ち着く一曲です。

    https://www.youtube.com/watch?v=53N99Nim6WE

    14:35あたりからは暗闇に天から光が差し込んでくるイメージが浮かび、最終的には空高く舞い上がっていく映像が浮かびます。


引用返信/返信 削除キー/
■7317 / inTopicNo.4)  樅ノ木
□投稿者/ minori -(2020/10/03(Sat) 20:52:09)
引用返信/返信 削除キー/
■7316 / inTopicNo.5)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ minori -(2020/10/03(Sat) 20:46:47)
    悪魔ちゃん、こちらにレスしましたよ〜。

    >雑談だよ。

    >座禅してるときって、じっとしてるだけじゃなに?
    なんかしてるの?

    ただ座る、坐禅が好きな人にとっては、それが安楽で落ち着くみたいよ。
    無心ということでもあるのでしょう。
    一回一回の呼吸から、ナマの命を感じたりなんだと思います。

    >たとえば家の掃除してたり、今日の食事考えたり、買い物に行ったりしてる。
    >わたしのばあい、これが「ナマ」。

    命に直結する行為だから、という意味でなのかな?^^
    大切な行為だよね。

引用返信/返信 削除キー/
■7194 / inTopicNo.6)  Re[66]: 遍計所執性
□投稿者/ パニチェ -(2020/09/29(Tue) 20:15:35)
    こんばんは、minoriさん。レスありがとうございます。

    No7189に返信(minoriさんの記事)

    > 仏教、その他での探究をされている方はご存じのことで、パニチェさんももちんご存じだと思うのですが。
    > 思考(言語)は、本体ともいえる「青空(意識)」に現れては消えていくものなんですね。
    > 感情、感覚もそうです。 物質と分類される様々なものもそうです。
    > もともと「在る」のは、本体としての意識。
    > このことを実感とするのはなかなか大変なのですが、そうなるとかなりラクになりますね。
    > そして、その後。言葉や思考、感情、物質に使われるのでなく、それらはあくまで使役するもの、というふうに変化していくのですが、ここもなかなか大変ではあると思います。

    ほんとその通りですね。理屈では分かっても、やっぱインパクトのある体験(見性体験)が必要なんでしょうね。

    > 覚者といわれる人でもそうである、というのは、ある意味では励み(?)にはなりますね。
    > 「ほら、覚者だってそんなもんなんだよ。」という意味ではなく、それぐらい日々、謙虚に取り組まないといけないものなのだ、という意味において。

    同感です。

    > 慧能でしたっけ、「鏡にはチリはつかない」というので、秀才の詩より良いものとされたのですよね。(すごいうろ覚え書いてすみません。)
    > 青空本体(意識)それそのものは汚れず、そこに流れてくるもの、無意識から溢れてくるものによって汚されているだけなのだ、という意味だと思うんですね。
    > 覚者といわれる人たちというのは、鏡にチリがついてもそんなに苦労せずに自然に落ちていくのだろうと想像します。
    > 全くつかないではないけれど、取れやすい、なので溜まらない。

    中国禅宗の僧、神秀の「心は本来綺麗な鏡のようなものだから常々に心がけて払い清めてチリがつかないようにする努力が大切」に対して、慧能は「本来、心は鏡のようなものでなく無一物だ。ゆえにチリなどつかないから払ったり拭ったりするものではない。」と返したようですね。青空も然りです。
    悟りによって体得する仏智が大円鏡智と言わる所以ですね。

引用返信/返信 削除キー/
■7189 / inTopicNo.7)  Re[65]: 遍計所執性
□投稿者/ minori -(2020/09/29(Tue) 07:54:57)
    パニチェさん、レスありがとうございます。

    >>まさに、時間・空間の枠とカテゴリー分けされた世界を認識することを義務づけられた人間の「苦」の部分ですね。
    >>もちろん、その人間独自の認識形態による恩恵というのもたくさんあるのですが。
    >
    > 同感です。言語も認識形態も多大な恩恵がある反面、暗黒面も多いということでしょうね。

    仏教、その他での探究をされている方はご存じのことで、パニチェさんももちんご存じだと思うのですが。
    思考(言語)は、本体ともいえる「青空(意識)」に現れては消えていくものなんですね。
    感情、感覚もそうです。 物質と分類される様々なものもそうです。
    もともと「在る」のは、本体としての意識。
    このことを実感とするのはなかなか大変なのですが、そうなるとかなりラクになりますね。

    そして、その後。言葉や思考、感情、物質に使われるのでなく、それらはあくまで使役するもの、というふうに変化していくのですが、ここもなかなか大変ではあると思います。

    >>「私」に実体がない(無自性)という理解はさほど難しくはないと思うのですが、それを落とし込んでいく、実際に実感としていき、日常で普通のこととしていくのが骨が折れるのだと思います。
    >
    > 私の知る覚者も悟ってからの修行の方が大変だと言ってます。
    > 日常ではどうしても自己を立てて思考を巡らす。巡らせば巡らすほど煩悩の汚れに塗れるようです。
    > 分かっている(無自性を体得している)のにそうなってしまう自己に猛省する日々みたいです。

    覚者といわれる人でもそうである、というのは、ある意味では励み(?)にはなりますね。
    「ほら、覚者だってそんなもんなんだよ。」という意味ではなく、それぐらい日々、謙虚に取り組まないといけないものなのだ、という意味において。

    慧能でしたっけ、「鏡にはチリはつかない」というので、秀才の詩より良いものとされたのですよね。(すごいうろ覚え書いてすみません。)
    青空本体(意識)それそのものは汚れず、そこに流れてくるもの、無意識から溢れてくるものによって汚されているだけなのだ、という意味だと思うんですね。
    覚者といわれる人たちというのは、鏡にチリがついてもそんなに苦労せずに自然に落ちていくのだろうと想像します。
    全くつかないではないけれど、取れやすい、なので溜まらない。

    > PS. もしよかったら「哲学のドアをノックする 3」作っときましょうか?^^

    ふと見たら、いつの間にか90超えてたんですね。( ゚Д゚)
    はい、依頼します。 よろしくお願いします。^^
引用返信/返信 削除キー/
■7178 / inTopicNo.8)  Re[64]: 遍計所執性
□投稿者/ パニチェ -(2020/09/28(Mon) 20:07:26)
    2020/09/28(Mon) 20:12:34 編集(投稿者)

    こんばんは、minoriさん。レスありがとうございます。

    No7161に返信(minoriさんの記事)

    > まさに、時間・空間の枠とカテゴリー分けされた世界を認識することを義務づけられた人間の「苦」の部分ですね。
    > もちろん、その人間独自の認識形態による恩恵というのもたくさんあるのですが。

    同感です。言語も認識形態も多大な恩恵がある反面、暗黒面も多いということでしょうね。

    > 言語によって立ち上がった「私」というのを端的に表現するものとして、「思い煩い癖」というのがあるかもしれません。
    > 「私」について思い煩うためには言語が必要です。
    > 例えば、あまり良いとはいえないような同じ環境にいる人であっても、思い煩い癖のない人は苦しまなかったりします。

    なるほど!その通りですね。

    > 「私」に実体がない(無自性)という理解はさほど難しくはないと思うのですが、それを落とし込んでいく、実際に実感としていき、日常で普通のこととしていくのが骨が折れるのだと思います。

    私の知る覚者も悟ってからの修行の方が大変だと言ってます。
    日常ではどうしても自己を立てて思考を巡らす。巡らせば巡らすほど煩悩の汚れに塗れるようです。
    分かっている(無自性を体得している)のにそうなってしまう自己に猛省する日々みたいです。

    PS. もしよかったら「哲学のドアをノックする 3」作っときましょうか?^^

引用返信/返信 削除キー/
■7162 / inTopicNo.9)  Re[59]: :分類の仕方
□投稿者/ flora -(2020/09/27(Sun) 22:13:58)
    悪魔ちゃん、こんにちは

    > ねえ、ところで、floraさんには「感情」ってないの?
    > わたし感情むき出しでここで書いてるんだけど。

    私たちは面白い話題に関して、意見を交換していますよね?
    感情的になる理由が私にはないので・・・

引用返信/返信 削除キー/
■7161 / inTopicNo.10)  Re[63]: 遍計所執性
□投稿者/ minori -(2020/09/27(Sun) 22:11:18)
    パニチェさん、ありがとうございます。

    >>そうですね。
    >>思考が記憶となり「私」(自我意識)を持つようになり、年齢を重ねるにつれ堅牢になっていくのだと思います。
    >
    > 確かに。^^
    > そう言えば雪担老師の「仏はほどけ。自縄自縛の縄をほどけばもと仏」の名言が思い出されます。

    はい。その言葉、とりさんのトピに出ていましたね。

    >>なるほど。 言語によって形成されるのが無我の対象となる「私」。
    >>というようにパニチェさんは、考えられているのですね。
    >
    >>無我の対象となる「私」というところの意味合いが分かりかねるのですが・・・。
    >> (スルーしていただいても大丈夫です。)
    >
    > 言語によって自他の境界認識が形成されると同時に「私」が立ち上がる。空間的に分断化することから「私」の苦が生じる。言語によって時間も過去・現在・未来と分断化されることで、今過去への後悔や未来への憂いなど、時間的な分断化によって「私」の苦が生じる。

    なるほどですね。 ありがとうございます。

    まさに、時間・空間の枠とカテゴリー分けされた世界を認識することを義務づけられた人間の「苦」の部分ですね。
    もちろん、その人間独自の認識形態による恩恵というのもたくさんあるのですが。


    > 仏教の目的は生に伴う苦の滅却ですから、言語によって立ち上がった「私」に実体がない(無自性)ことを体得すれば「私」の苦は「私」とともに滅却される。
    > そういう意味で三法印の諸法無我の我とは苦の因となる「私」だと思っています。
    >
    > 虚妄分別(遍計所執性)から無分別智(仏智)へ。

    言語によって立ち上がった「私」というのを端的に表現するものとして、「思い煩い癖」というのがあるかもしれません。
    「私」について思い煩うためには言語が必要です。
    例えば、あまり良いとはいえないような同じ環境にいる人であっても、思い煩い癖のない人は苦しまなかったりします。

    「私」に実体がない(無自性)という理解はさほど難しくはないと思うのですが、それを落とし込んでいく、実際に実感としていき、日常で普通のこととしていくのが骨が折れるのだと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■7157 / inTopicNo.11)  Re[58]: :分類の仕方
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/09/27(Sun) 20:48:34)
    ■7149、floraさん、こんにちは。

    わたしのいう「私」っていうのは「人」のこと。
    こういう意味でわたしのばあい「私」も「他人」も「私」になっちゃうのね。

    もし、「神」を「主」としたとき
    「主語のない言葉」は「神語のない言葉」ってなる。
    神語がないのにもかかわらず言葉ね。なんかヘンじゃな?

    だれかが「私は神の鉛筆になる」みたいなことを言ってみたい。

    「パンセ」知らなかったから、ネットで調べて見た。
    〔「人間は考える葦である」「人間はひとくきの葦にすぎず、自然の中で最も弱いものである。しかし、考える葦である」がおおよその訳である。「葦のように人間はひ弱なものであるが、思考を行う点で他の動物とは異なっている」という事を示す言葉と言われている。〕
    こんな感じのかしら?
    「葦」って植物よね?ってすると、「人間は考える葦である」は「人間は植物である。そのなかでの考える植物である」っていうことになっちゃう。
    わたし、人って、植物じゃないと思ってるし、考えることをしてるんじゃないと思う。
    考えることだけを基準にして人間を他から区別しようとすることって不味くない?

    ねえ、floraさん。わたし宇宙って大きっいって思ってるの。

    >淡々と生きていくこと<
    んん〜ん、「淡々と」っていうの、意味わかんなかったからネットで調べてみたら、「あっさりしているさま。特に言動や態度、人柄などについて、しつこさやこだわりがなく、冷静に事を進める様子。」ってあった。
    よくわかなかったけど、ただわたし、しつこいみたいだから淡々と生きることできないみたい。

    ねえ、ところで、floraさんには「感情」ってないの?
    わたし感情むき出しでここで書いてるんだけど。

引用返信/返信 削除キー/
■7156 / inTopicNo.12)  遍計所執性
□投稿者/ パニチェ -(2020/09/27(Sun) 20:47:19)
    2020/09/27(Sun) 22:12:16 編集(投稿者)

    minoriさん、レスありがとうございます。
    minoriさんとのレス交換は心地よい知的な刺激をもらって思いつくままにレスしてますので、後から撤回したり訂正することもあるとは思います。
    明日以降は返信が遅れがちになりますが、どなたでも、異論、反論は歓迎します。

    No7154に返信(minoriさんの記事)
    > そうですね。
    > 思考が記憶となり「私」(自我意識)を持つようになり、年齢を重ねるにつれ堅牢になっていくのだと思います。

    確かに。^^
    そう言えば雪担老師の「仏はほどけ。自縄自縛の縄をほどけばもと仏」の名言が思い出されます。

    > なるほど。 言語によって形成されるのが無我の対象となる「私」。
    > というようにパニチェさんは、考えられているのですね。

    > 無我の対象となる「私」というところの意味合いが分かりかねるのですが・・・。
    >  (スルーしていただいても大丈夫です。)

    言語によって自他の境界認識が形成されると同時に「私」が立ち上がる。空間的に分断化することから「私」の苦が生じる。言語によって時間も過去・現在・未来と分断化されることで、今過去への後悔や未来への憂いなど、時間的な分断化によって「私」の苦が生じる。

    仏教の目的は生に伴う苦の滅却ですから、言語によって立ち上がった「私」に実体がない(無自性)ことを体得すれば「私」の苦は「私」とともに滅却される。
    そういう意味で三法印の諸法無我の我とは苦の因となる「私」だと思っています。

    虚妄分別(遍計所執性)から無分別智(仏智)へ。
引用返信/返信 削除キー/

次の12件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 >>
Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -