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■6036 / inTopicNo.1)  哲学全般、科学(科学哲学)、仏教etc 2
  
□投稿者/ パニチェ -(2020/09/03(Thu) 19:45:54)
    2020/09/20(Sun) 08:37:24 編集(投稿者)

    「〈私〉について 7」トピも兼ねる

    ニーチェ、ウィトゲンシュタイン、科学哲学など哲学全般

    脳科学、進化論、物理(相対性理論、量子力学)

    初期仏教、中論、唯識、華厳、大乗仏教などなど
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■6114 / inTopicNo.2)  リベットの実験と自由意志
□投稿者/ パニチェ -(2020/09/05(Sat) 09:45:04)
    以前、エフニさんともレス交換したリベットの実験

    自由意志に関するテーマでは外せない知見だとは思うが、追加実験が積極的に行われてないのが不思議。


    https://aasj.jp/news/watch/4692
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■6117 / inTopicNo.3)  因果応報の弊害
□投稿者/ パニチェ -(2020/09/05(Sat) 10:55:35)
    2020/09/05(Sat) 11:02:35 編集(投稿者)

    以下、Panietzsche Room > 仏教 > 中論 > 5.因果応報の弊害 より

    ***********************

    仏教の縁起思想と言えば、多くの人は時間軸をメインとした因果応報とか善因楽果や悪因苦果をイメージするのではないだろうか。

    ところがこの思想は仏教というよりも、その土台となったバラモン教の色合いが強く、弊害や危険な思想にもなりかねないドグマである。

    輪廻転生とか三世(過去・現在・未来)にわたる業(カルマ)は、生まれながらにして身分が保障されるカースト制度や世襲制が正当であることの論拠となる。
    逆の言い方をすればインドに攻め込んだアーリア人が自分たちの身分を末代にわたるまで保障するため考え出された思想と言えなくもない。
    つまり、生まれながらにして高貴な身分であることは前世に積んだ善業の結果であるという考え方である。

    その反面、この思想のロジックでは先天的なハンディを持って生まれた人に対して前世の結果であるかのように断罪してしまうという、とんでもない言いがかりのような理屈も通ることになる。

    さらにオウムのポアでもあったように、今世で悪業を重ねながら生きている人がいれば、よりよき来世のためにポア(オウムでは殺人を意味したが、もともとは死後に魂を仏界に戻すこと)してやることが救済であるかのような危険極まりないロジックも成立してしまう。

    実際のところ、一つの原因が一つの結果を生むなんてことは現実的にはありえない。原因も何らかの別の原因による結果であるし、さまざまな要素(原因や結果)が複雑に関連して、ある結果を招いているというのが実態である。

    ピストルを撃ったから、撃たれた相手が死んだとして、ピストルの引き金を引いたことが、その原因と言えるだろうか?どこで、どのような理由で、誰からピストルを手に入れたのか?相手がその場にいたのは、どのような理由からか?などなど常に無数とも言えるくらいの要素がある事象に絡んでいる。

    釈尊の教えの原型をとどめていると言われる初期仏典のスッタニパータには「生まれによって賎しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賎しい人ともなり、行為によってバラモンともなるのである。(スッタニパータ142)」という教えがある。

    また、仏弟子になる際に世俗での階級を象徴していたカースト制度上の名前を捨てさせ戒名したことからしても、釈尊が前世の業(カルマ)を重んじていたとは思えないし、自らが王家に生まれ、その身分を捨てたことからしても、その証左となるだろう。

    仮に三世の業(カルマ)や因果応報が恐怖ともなりうるような教義を有している仏教系宗教団体があるとすれば、それこそ苦を増幅させるような非佛であり、信者を恐怖で団体に引き止め呪縛する邪道に他ならない。

    縁起思想にもいろいろある。
    十二縁起、相依性縁起、真如縁起、法界縁起、如来蔵縁起、分位縁起、業感縁起などなど。初期仏教ではシンプルであったが、その後の学究と修行によってさまざまな解釈がなされた結果である。

    日本に伝来した大乗仏教の縁起思想がどのようなものであったかについては長くなるので次の機会にするとして、結論だけ言えば業感縁起(因果)や分位縁起(三世の業)が時間軸のみを対象とした解釈であるのに対して、八宗の祖師とされるナーガールジュナ(龍樹)の論書である中論で語られている空間的な(あるいは時空を一元的に捉えた)解釈であるところの相依性縁起こそ、仏教ならではの縁起思想と言える佛智の賜物である。
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■6213 / inTopicNo.4)  聖道門と浄土門
□投稿者/ パニチェ -(2020/09/06(Sun) 09:31:58)
    浄土門は一神教の人格神信仰に近いところもあるが、阿弥陀仏に帰依することは自己を空とする、あるいは阿弥陀仏と自己を不二とすることで聖道門の目指すところと一致する。

    飢餓や飢饉で明日の食うものも困る最悪の生活環境では、ただ合掌することしかできない。
    そんな時代背景もあり浄土系仏教は民衆の間で広まった。

    聖道門と浄土門も頂に至る道のりや乗り物の違いだけ。

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■6215 / inTopicNo.5)  永劫回帰と運命愛
□投稿者/ パニチェ -(2020/09/06(Sun) 09:46:22)
    無数度にわたって同じ人生を生きるとしても後悔しないような選択をせよ。

    常に今ある自己に満足することなく自己超克していくこと。

    『脱皮する。─脱皮することのできない蛇は破滅する。その意見を変えることを妨げられた精神の持ち主たちも同様である。彼らは精神であることを止める。(ニーチェ著「曙光 第573番」より)』

    今ある自分を肯定するなら、自己を育てた全ての経験、辛かったことも、悲しかったことも含め肯定せよ。

    それが最も崇高な自己への愛であり、運命愛でもある。

    永劫回帰と運命愛は教訓的な意味においては表裏となる。
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■6216 / inTopicNo.6)  Re[5]: 永劫回帰と運命愛
□投稿者/ マジカルモンキー -(2020/09/06(Sun) 09:59:53)
    No6215に返信(パニチェさんの記事)
    > 無数度にわたって同じ人生を生きるとしても後悔しないような選択をせよ。
    >
    > 常に今ある自己に満足することなく自己超克していくこと。
    >
    > 『脱皮する。─脱皮することのできない蛇は破滅する。その意見を変えることを妨げられた精神の持ち主たちも同様である。彼らは精神であることを止める。(ニーチェ著「曙光 第573番」より)』
    >
    > 今ある自分を肯定するなら、自己を育てた全ての経験、辛かったことも、悲しかったことも含め肯定せよ。
    >
    > それが最も崇高な自己への愛であり、運命愛でもある。
    >
    > 永劫回帰と運命愛は教訓的な意味においては表裏となる。


    なるほどですね。

    それなら、■6215なら、ガンジーと一緒ですね。

    ってことは、マジモンは性根が悪いという事ですね。
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■6218 / inTopicNo.7)  Re[6]: 永劫回帰と運命愛
□投稿者/ ななし -(2020/09/06(Sun) 10:09:03)
    パニチェさん、おはようございます。
    何か101で閉じるとあったので、こちらに引越してきました。


    >>「それ は 何らかの 道徳性 や 不道徳 性 の ため にでは なく、 それ が 生き て いる からで あり、 生きる こと は 力 への 意志 で ある からで ある。

    >上記は引用ですか、それともななしさんの見解ですか?
    もし善悪の彼岸からの引用であればアフォリズムNoを教えてもらえますか。

    二五九 搾取の機能(善悪の彼岸 (光文社古典新訳文庫))
    の中の「搾取」ということを解説したものの中に、「それは有機体の根本的な機能」であり 生の本質の「力への意志」から生まれたとあって、マルクス批判になっている気がします。

    つまり、人間の全体的な堕落した形態が社会主義であり、社会主義、というのは、これは、「善、真、美」や「平等」をまったく素樸に夢みていると、いずれ失敗する政策であることを見抜いていたところなどは、ニーチェは、さすがだと思います。

    それから予定説について面白い動画がありましたので御紹介します。
    https://www.youtube.com/watch?v=BDQJa7IC5KA

引用返信/返信 削除キー/
■6222 / inTopicNo.8)  力への意志
□投稿者/ パニチェ -(2020/09/06(Sun) 10:54:43)
    ななしさん、おはようございます。
    レスありがとうございます。先にもカキコしましたが、ななしさんとは意見や解釈が異なっても生産的なレス交換ができる気がするので、お互い変な遠慮や余計な気遣いはなしで忌憚なく議論できれば有難いです。

    No6218に返信(ななしさんの記事)
    > パニチェさん、おはようございます。
    > 何か101で閉じるとあったので、こちらに引越してきました。

    了解しました。^^

    > >>「それ は 何らかの 道徳性 や 不道徳 性 の ため にでは なく、 それ が 生き て いる からで あり、 生きる こと は 力 への 意志 で ある からで ある。
    > >上記は引用ですか、それともななしさんの見解ですか?
    > もし善悪の彼岸からの引用であればアフォリズムNoを教えてもらえますか。

    > 二五九 搾取の機能(善悪の彼岸 (光文社古典新訳文庫))
    > の中の「搾取」ということを解説したものの中に、「それは有機体の根本的な機能」であり 生の本質の「力への意志」から生まれたとあって、マルクス批判になっている気がします。
    > つまり、人間の全体的な堕落した形態が社会主義であり、社会主義、というのは、これは、「善、真、美」や「平等」をまったく素樸に夢みていると、いずれ失敗する政策であることを見抜いていたところなどは、ニーチェは、さすがだと思います。

    その通りですね。善悪の彼岸第13番にも「生そのものが権力の意志なのだ」とあります。
    権力の意志とは狭義では『人間が意志するもの、生ける有機体の最小の部分のすべてが意志するもの、それは力への増加である。・・・原形質は何か自分に抵抗するものを求めて、その偽足をのばす、──飢えからではなく、力への意志から。それに続いて、抵抗するものに打ち克ち、我がものとし、同化を試みる。──栄養と呼ばれるものは、より強くなることを意志するところあの根源的意志の後続─現象、応用にすぎない(力への意志 第702番より)』です。

    指摘のように搾取も含まれますし、異質なものを取り込み、我がものとして同化することによって自己拡大していくベクトルや力が生にはあり、それをニーチェは「権力の意志」と呼びます。

    人間は平等ではなく位階がある、進化も全体ではなく部分から生じる。そういう意味において神の元での平等とか禁欲主義的な教義、公平や平等を是とする社会主義や共産主義は、人間を家畜の如く飼いならすような体制であり、生が本来有するベクトルや力を委縮させ抑え込むようなものとして批判します。

    さらに個人的な意見として付け加えれば社会主義や共産主義は性善説を前提としているために、これらの社会体制の多くは腐敗や独裁、国の上層部だけがいい思いをするような堕落国家となります。
    共存共栄と競争淘汰、草食の群居動物と独居を基本とする肉食動物の両面を持ち合わせているのが人間であり、片面だけを是とする思想や社会体制は人間には合いません。

    > それから予定説について面白い動画がありましたので御紹介します。
    > https://www.youtube.com/watch?v=BDQJa7IC5KA

    ごめんなさい、せっかくですが予定説に興味がないのと長いこともありパスさせてもらいます。
    あと以下に違和感があるのでレスさせてもらいます。

    No6164に返信(ななしさんの記事)
    > このとき仏教は超越的な神に頼ろうとする、その下心が苦の源だと考えます。

    これは仏典に基いたものではないですよね?
    もし何れかの仏典からであれば、その仏典の参考箇所を引用下さい。

引用返信/返信 削除キー/
■6233 / inTopicNo.9)  Re[8]: 力への意志
□投稿者/ ななし -(2020/09/06(Sun) 14:51:13)
    パニチェさん、こんにちは。

    >> このとき仏教は超越的な神に頼ろうとする、その下心が苦の源だと考えます。

    >これは仏典に基いたものではないですよね?
    >もし何れかの仏典からであれば、その仏典の参考箇所を引用下さい。

    神に頼むこと祈りは「存在欲」から生まれるので、生死を超えられないと
    以下を引用します。

    スッタニパータ(経集)第5章「彼岸道品」3バラモンの門弟プンナカ尊者の問い
    1043
    プンナカさんがたずねた、
    「動揺することなく根本を達観せられたあなたに、おたずねしようと思って、参りました。仙人や常の人々や王室やバラモンは、何の故にこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのですか?先生!あなたにおたずねします。それをわたしに説いてください。」

    1044
    師(ブッダ)は答えた、
    「プンナカよ。およそ仙人や常の人々や王族やバラモンがこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのは、われらの現在のこのような生存状態を希望して、老衰にこだわって、犠牲を捧げたのである。」

    1045
    「先生! およそこの世で仙人や常の人々や王族やバラモンが盛んに神々に犠牲を捧げましたが、祭祀の道において怠らなかったかれらは、生と老衰をのり超えたのでしょうか? わが親愛なる友よ。あなたにおたずねします。それをわたしに説いてください。」

    1046
    師は答えた、
    「プンナカよ。かれらは希望し、称賛し、熱望して、献供する。利得を得ることに縁って欲望を達成しようと望んでいるのである。供犠に専念している者どもは、この世の生存を貪って止まない。かれらは生や老衰をのり超えてはいない、とわたしは説く。」

    1047
    プンナカさんがいった、
    「もしも供犠に専念している彼らが祭祀によっても生と老衰とを乗り越えていないのでしたら、わが親愛なる友よ、では神々と人間の世界のうちで生と老衰とを乗り越えた人は誰なのですか? 先生! あなたにお尋ねします。それをわたしに説いてください。」

    1048
    師は答えた、
    「プンナカよ。世の中でかれこれ(の状態)を究め明らめ、世の中で何ものにも動揺することなく、安らぎに帰し、煙なく、苦悩なく、望むことのない人、──かれは生と老衰とを乗り越えた、──と、わたしは説く。」

    つまるところ、神への祈りも、ご利益を当てにしているだけで、欲望の対象を飽くことなく追求し欲求しているだけに過ぎないと、お釈迦様は、見抜いておられ、決して生死を乗り越えることは出来ないのだと。

    それよりも、自然の原理をわきまえ、執着せず望むことのない落ち着いた人が乗り越えられるのだと説いているようです。



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■6235 / inTopicNo.10)  苦の因
□投稿者/ パニチェ -(2020/09/06(Sun) 15:32:50)
    2020/09/06(Sun) 16:33:25 編集(投稿者)

    こんにちは、ななしさん。レスありがとうございます。

    No6233に返信(ななしさんの記事)

    > >> このとき仏教は超越的な神に頼ろうとする、その下心が苦の源だと考えます。

    > >これは仏典に基いたものではないですよね?
    > >もし何れかの仏典からであれば、その仏典の参考箇所を引用下さい。

    > 神に頼むこと祈りは「存在欲」から生まれるので、生死を超えられないと
    > 以下を引用します。

    > スッタニパータ(経集)第5章「彼岸道品」3バラモンの門弟プンナカ尊者の問い

    中村元の訳ではバラモンの門弟ではなく「第五 彼岸に至る道の章 4.学生プンナカの質問」になっています。
    以下のサイトも同じです。

    h*ttp://suttanipata.com/acyafafafsaaea/

    > 1043
    > プンナカさんがたずねた、
    > 「動揺することなく根本を達観せられたあなたに、おたずねしようと思って、参りました。仙人や常の人々や王室やバラモンは、何の故にこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのですか?先生!あなたにおたずねします。それをわたしに説いてください。」

    > 1044
    > 師(ブッダ)は答えた、
    > 「プンナカよ。およそ仙人や常の人々や王族やバラモンがこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのは、われらの現在のこのような生存状態を希望して、老衰にこだわって、犠牲を捧げたのである。」

    > 1045
    > 「先生! およそこの世で仙人や常の人々や王族やバラモンが盛んに神々に犠牲を捧げましたが、祭祀の道において怠らなかったかれらは、生と老衰をのり超えたのでしょうか? わが親愛なる友よ。あなたにおたずねします。それをわたしに説いてください。」

    > 1046
    > 師は答えた、
    > 「プンナカよ。かれらは希望し、称賛し、熱望して、献供する。利得を得ることに縁って欲望を達成しようと望んでいるのである。供犠に専念している者どもは、この世の生存を貪って止まない。かれらは生や老衰をのり超えてはいない、とわたしは説く。」

    > 1047
    > プンナカさんがいった、
    > 「もしも供犠に専念している彼らが祭祀によっても生と老衰とを乗り越えていないのでしたら、わが親愛なる友よ、では神々と人間の世界のうちで生と老衰とを乗り越えた人は誰なのですか? 先生! あなたにお尋ねします。それをわたしに説いてください。」

    > 1048
    > 師は答えた、
    > 「プンナカよ。世の中でかれこれ(の状態)を究め明らめ、世の中で何ものにも動揺することなく、安らぎに帰し、煙なく、苦悩なく、望むことのない人、──かれは生と老衰とを乗り越えた、──と、わたしは説く。」


    > つまるところ、神への祈りも、ご利益を当てにしているだけで、欲望の対象を飽くことなく追求し欲求しているだけに過ぎないと、お釈迦様は、見抜いておられ、決して生死を乗り越えることは出来ないのだと。
    > それよりも、自然の原理をわきまえ、執着せず望むことのない落ち着いた人が乗り越えられるのだと説いているようです。

    あえて断言しますが、上記のななしさんの読解は間違っていると思います。

    上記の問答の論旨はプンナカが「仙人や常の人々や王室やバラモンは、何の故にこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのですか?」と釈尊に問うたのに対して、釈尊はプンナカに仙人や常の人々や王室やバラモンが老衰にこだわって(老衰の哀れな状態を避けるため)盛んに神々に犠牲を捧げているが、このことによって生や老衰の哀れを乗り越えてはいない(無駄なことをしている)。生と老衰の哀れを乗り越えた人というのは、諦(あき)らかに見極めた、つまり四諦(苦諦・集諦・滅諦・道諦)を見極め悟った人であり、世の中で何ものにも動揺することなく、安らぎに帰し、煙なく、苦悩なく、望むことのない人であると説いたということです。

    上記のどこにも「超越的な神に頼ろうとする、その下心が苦の源」であるとは説いておりません。またそのようなことが説かれている仏典は見たことがありません。

    次の「第五 彼岸に至る道の章 5.学生メッタグーの質問」に答えた1050に「メッタグーよ。そなたは、わたしに苦しみの生起するものを問うた。わたしは知り得たとおりに、そなたに説き示そう。世の中にある種々様々な苦しみは、執着を縁として生起する。」と明確に説いてます。

    「スッタニパータ 第三 大いなる章 12.二種の観察」にはさらに詳しく苦しみの生起する原因について説かれていますので、読んでみて下さい。

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■6239 / inTopicNo.11)  Re[10]: 苦の因
□投稿者/ ななし -(2020/09/06(Sun) 16:57:47)
    パニチェさん、ご指摘及び詳しい解説ありがとうございます。

    とかく自分の事は、よく見えません。

    このように書き込みしてみて批判を受けることで、
    より良い生き方ができるように思えます。

    自分自身、信仰と修業について、さらに励みたいと思います。

引用返信/返信 削除キー/
■6240 / inTopicNo.12)  Re[11]: 苦の因
□投稿者/ パニチェ -(2020/09/06(Sun) 17:14:17)
    2020/09/06(Sun) 17:17:01 編集(投稿者)

    レスありがとうございます。

    No6239に返信(ななしさんの記事)
    > パニチェさん、ご指摘及び詳しい解説ありがとうございます。

    どういたしまして。それより、ななしさんが私が思った通りの寛大かつ謙虚な方で良かったです。
    独善的な発想かもしれませんが正直に思ったり感じたことをレスするのが私にとっては誠意ある返信だと思っていますので、先の反論めいた返信を寛容いただきありがとうございました。
    仏教の十悪のひとつ「綺語」ってのは、真実にそむいて言葉を巧みに偽り飾ることらしく、これも避けるべきというのが仏説みたいですし。。。

    > とかく自分の事は、よく見えません。

    それは私も同じです。^^

    > このように書き込みしてみて批判を受けることで、
    > より良い生き方ができるように思えます。

    そう言ってもらえると、ほんと返信して良かったと思えます。

    > 自分自身、信仰と修業について、さらに励みたいと思います。

    私もです。
引用返信/返信 削除キー/

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