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■578 / inTopicNo.13)  Re[26]: ぶぶんへのいけんしつれいします
  
□投稿者/ パニチェ -(2018/08/12(Sun) 10:45:37)
    No577に返信(ramiさんの記事)
    >>「客観とは複数見解の統計的な答えであるとの見解によるなら、一人で客観も可能である」

    > 統計的と言ったって、どの見解が何パーセントっていうのを決めているのは結局自分の頭。

    > むしろ自分は客観が可能だと思っている人が多いからこそ、錯綜や勘違いetcが生まれるんだと思います。

    ダンが述べたであろう上記の意見はまだ理解できてないところがあるので、ラミ〜のカキコに限定してレスさせてもらうと。。。

    日常的な教訓としては全くもって同感です。
    客観なんてありえないのだと自覚してこそ、謙虚さが保てる。
    「“客観的に”なんて言ったところで、それはお前の主観やろ」ってことになる。
    世界や他者は無意識的な自分の色眼鏡やスキーマや先入観を通して認識しているということ。
引用返信/返信 削除キー/
■577 / inTopicNo.14)  ぶぶんへのいけんしつれいします
□投稿者/ rami -(2018/08/12(Sun) 09:59:32)
    > 「客観とは複数見解の統計的な答えであるとの見解によるなら、一人で客観も可能である」


    統計的と言ったって、どの見解が何パーセントっていうのを決めているのは結局自分の頭。


    むしろ自分は客観が可能だと思っている人が多いからこそ、錯綜や勘違いetcが生まれるんだと思います。


引用返信/返信 削除キー/
■576 / inTopicNo.15)  Re[24]: 私、自己、自我、個体、群れについて
□投稿者/ パニチェ -(2018/08/11(Sat) 08:24:51)
    2018/08/11(Sat) 08:49:33 編集(管理者)

    おはようございます。午前中時間ができました。
    こうしてレス付けてもらえるとやっぱ嬉しいですね。一人でツラツラとカキコするより、やっぱ返信することで、より深化したり考えがまとまったりするとことがあります。^^

    No571に返信(なんさんの記事)
    > パニさん、周辺的なこともありならば、聞いてみたいことがあります。
    > 〈私〉と言う時、それは人間に限定されるものでしょうか?

    結論から言うと〈私〉に関してはさっぱり分かりません。
    〈私〉というのは原理的に他者にあるのかさえ厳密には不明です。何故なら〈私〉というのは比類がないからです。
    世界またはこれまでの歴史の中で、ほぼ人間の数だけ自意識なるものが多分あって、間違うことなくどれが自分の自意識であるか分かる根源的な存在が〈私〉ですから、絶対に他人と同じものであるはずがないからです。
    それは、さておき、以下は質問の答えとは外れるかもしれませんが、〈私〉ではなく、自意識とか自我ということに絞って返信させてもらいます。

    > 最近、蟻にハマっておりまして、蟻に個体としての自分があるのかしら?群れとしての意思統一があるように見えるのだけど、どうやって伝達してるのかしら?となっているのです。
    > アントマンって映画があって、蟻サイズになって、蟻と一緒に戦うんですけどね、蟻の種類によって「建築する」のです。橋を作るとか立体ビルのようになるとかして、仲間を渡すみたいな。軍隊アリの行進とかですね。イカダを作って水を渡ったりもするのです。
    > あれが不思議でたまらないのです。「あ、私こっちね!」「んじゃ私は渡る方ね!」ってやってるとは思えないですしねぇ。
    > そして人間の細胞とアリの群れの共通性も感じるのです。ものすごい数の細胞で人体は出来ていて、多分細胞一つ一つに「自己」な感じがあるとは思うのです。だけど統一した「一つの人体」としての自己免疫機能とかもあるわけで、なんらかのシステム構造によって意思統一的なものがあって(それが暴走したりもしますよね)守ろうとしてる「自己」があるような。

    自意識や自我なるものはボンヤリとした、あるか、ないか、分からないようなものから、内的世界まで意識する明確でかつ孤立的なものまでグラデーション的なものだとイメージしてます。

    脳の構造も脊椎の先端からはじまって魚類脳、爬虫類脳(脳幹、大脳基底核、脊髄)、哺乳類脳(大脳辺縁系)、人間の大脳新皮質まで重層的な構造です。これって多分、進化の履歴みたいなものだと思うのです。

    昆虫には神経節なるものがあって、これで十分学習能力があるし、さらに脳のないアメフラシのような生物にも学習能力があることから、脳というのは頭蓋骨の内にある特定の器官のことではなくて、身体全体が脳なんだと考えています。
    重層的になればなるほど明確な自意識とか自我が形成されるのではないか、と。

    これは物理的な構造によるグラデーションで、もうひとつは言語機能によるグラデーションです。所謂“物心がつく”ところのエピソード記憶など言語的な記憶によって自己同一性とか継続性を生じせしめ、言語による分別(ラベリング)でもって自他の境界認識が明確になっていくようなイメージです。

    で、グラデーションの薄い方がシンクロしやすい。シンクロの仕方は魚や鳥の群れのような同一的な動きと、まるでひとつの生命体のような個々がそれぞれの機能別役割を果たすかのような動きを無意識的にする場合があります。前者はニューロンの発火が同期して広がっていくのと同じで、後者は歩行に際して、それぞれの部位が複雑な役割を協調的に果たしていることに似ています。

    昆虫の神経節も脳としての役割を果たすのですから、なんさんが言われるように細胞ひとつひとつにも極めて白に近い自己があり、集合体としての自己もある。
    神経細胞、脳、身体性がそうであるように、個々の個体と群れ全体は、部分の総和以上のものを生じさせるゲシュタルト構造なのだと思います。集合的無意識なるものは自己が鳴り潜んだときに、浮き出てくるようなものかもしれませんね。

    そうすると宇宙全体には超自我みたいな個々の人間の想像を絶するような超意識がある可能性も出てくる。私たちは大宇宙という巨大な脳の神経細胞の一つに過ぎないみたいな。。。

    > ずっと前に主観と客観の話をしてた時に、ダンさんが「一人でも客観はある!」との主張をなさってて、私の記憶では「客観とは複数見解の統計的な答えであるとの見解によるなら、一人で客観も可能である」との印象が残っているのです。ものすごい数の細胞の集合体としての人間がある時、〈私〉はどこにいるのかな?のイメージですね。

    これはあまり考えたことがなかったです。
    間主観は個々の主観に共通するものであるところの客観とするならば、一人の客観とはもの凄く薄い主観の集合体ということですね。

    > 自己とか自我とか私とかの言葉の定義によって、意味がズレまくる話であると思うので、この書き方で伝わるかどうか自信ないんですけど、お時間あるなら、教えてもらえると嬉しいです。

    〈私〉の返信にはなりませんでしたが、〈私〉には隣接するテーマです。
    どんなテーマでも大歓迎です。

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■575 / inTopicNo.16)  Re[25]: 私、自己、自我、個体、群れについて
□投稿者/ 田秋 -(2018/08/10(Fri) 22:10:40)
    なんさんの質問は、「私」の成立要件に知能がどのように関わっているのか?という点で大変興味があります。
引用返信/返信 削除キー/
■572 / inTopicNo.17)  Re[24]: 私、自己、自我、個体、群れについて
□投稿者/ パニチェ -(2018/08/09(Thu) 21:48:56)
    なんさん、返信ありがとう!
    日曜日くらいにカキコさせてもらいます。
    よろしくお願いします。
引用返信/返信 削除キー/
■571 / inTopicNo.18)  私、自己、自我、個体、群れについて
□投稿者/ なん -(2018/08/07(Tue) 18:32:07)
    パニさん、周辺的なこともありならば、聞いてみたいことがあります。

    〈私〉と言う時、それは人間に限定されるものでしょうか?


    最近、蟻にハマっておりまして、蟻に個体としての自分があるのかしら?群れとしての意思統一があるように見えるのだけど、どうやって伝達してるのかしら?となっているのです。
    アントマンって映画があって、蟻サイズになって、蟻と一緒に戦うんですけどね、蟻の種類によって「建築する」のです。橋を作るとか立体ビルのようになるとかして、仲間を渡すみたいな。軍隊アリの行進とかですね。イカダを作って水を渡ったりもするのです。
    あれが不思議でたまらないのです。「あ、私こっちね!」「んじゃ私は渡る方ね!」ってやってるとは思えないですしねぇ。

    そして人間の細胞とアリの群れの共通性も感じるのです。ものすごい数の細胞で人体は出来ていて、多分細胞一つ一つに「自己」な感じがあるとは思うのです。だけど統一した「一つの人体」としての自己免疫機能とかもあるわけで、なんらかのシステム構造によって意思統一的なものがあって(それが暴走したりもしますよね)守ろうとしてる「自己」があるような。


    ずっと前に主観と客観の話をしてた時に、ダンさんが「一人でも客観はある!」との主張をなさってて、私の記憶では「客観とは複数見解の統計的な答えであるとの見解によるなら、一人で客観も可能である」との印象が残っているのです。ものすごい数の細胞の集合体としての人間がある時、〈私〉はどこにいるのかな?のイメージですね。

    自己とか自我とか私とかの言葉の定義によって、意味がズレまくる話であると思うので、この書き方で伝わるかどうか自信ないんですけど、お時間あるなら、教えてもらえると嬉しいです。



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■570 / inTopicNo.19)  振り返り
□投稿者/ パニチェ -(2018/08/05(Sun) 10:25:04)
    私の反省としては〈私〉というトピ名としたために、私のライフワーク(ワークと言えるほど時間やエネルギーを費やしているわけではないが、子供の頃からの探究テーマとしているというような意味)である〈私〉に固執したこと。
    もっと自由に自己とか自我とか私という語が指し示す対象についてレス交換すれば内容は違っていたような気がします。

    再度の説明ありがとうございました。
    理解できたという域には至りませんが、「私の存在しないObjectだけの世界観」で言うところの“私”は多分〈私〉とは異なるようには思えましたが、これも断言できません。
    言語空間に〈私〉は存在しえないので、これまでの私のカキコには〈私〉は語りえていません。
    〈私〉は言葉にした瞬間に客体化してしまうので、〈私〉を語ろうとする時に必然的に神の視座(語り得ない、客体化できない対象を客体化した上で語る視座)となってしまうということであれば、それはその通りです。

    平行線というか私が理解できない、あるいは突破できないのは、〈私〉が存在しない世界です。
    現段階ではダンザさんのカキコに限らず、覚者が語るところの無我や無自性、事事無礙法界やアドヴァイタなど、あたかも〈私〉まで消失したかのような世界観とは相容れない。
    仮にそのような世界や境地があるとすれば、どのようなプロセスあるいは論理によって〈私〉なる完全とも言える牙城が消失するのか分かりませんし、ひょっとすれば〈私〉が永遠不滅のダルマ、所謂真我である可能性もゼロではない。

    未だ探究の途上だし、死ぬまで未決のままであるかもしれないが、他のどのようなテーマより探究するに値する。
    〈私〉についてはせっかくトピも作ったことだし、原理的にその本質は語り得ないことを前提として、語り得ることをカキコしていこうと思う。


引用返信/返信 削除キー/
■568 / inTopicNo.20)  Re[20]: またいずれ。
□投稿者/ パニチェ -(2018/08/01(Wed) 21:48:00)
    2018/08/01(Wed) 21:52:22 編集(管理者)

    ダンザさん、こちらこそ返信ありがとう。

    今度の土曜は仕事なので日曜にカキコしますが、返信を求めるものではありません。

    その後は、せっかくトピも作ったので、しばらくは〈私〉についてカキコできないことを承知でカキコしていこうと思ってます。

    それにしても普通に編集してるのに何で「編集(管理者)」になるんかなぁ〜。
引用返信/返信 削除キー/
■567 / inTopicNo.21)  Re[21]: 久しぶりに
□投稿者/ なん -(2018/08/01(Wed) 10:54:50)
    ダンさん!!

    私のイメージでは、これは「立体的な曼荼羅図」になります。仏教の方ではなくて、ユングの方の。

    くるくる回る、立体ホログラム曼荼羅のロジック。もしかしたら、近いのは「分子構造模型」かもしれない。

    これは言語で説明するのは難しいわーーー!!だけは、思いました。
引用返信/返信 削除キー/
■565 / inTopicNo.22)  Re[20]: 久しぶりに
□投稿者/ Danza Espanola -(2018/08/01(Wed) 02:04:46)
    なんさん、読んでくださりありがとうございます。

    ワニですみません。

    先ほど補筆した投稿記事もできれば読んでみてください。更にワニ論に困惑されることになりかねないのですが。


    ますます混乱してもらうために更なる補筆を加えるとするのならば、次のようなレトリックになります。

    哲学・心理学・科学・言語学・美学などすべての学問の多様で重要な断片を方程式とし、連立方程式に組み込めるものだけを100個だとか200個選別し、連立方程式化した10個だとかの変数に何を入れても、それぞれにちなんだ解が現れる。この、200個の方程式で表される連立方程式が海図です。わりと数学的な考え方の構造です。


    相当な酷暑ですので、なんさんもご自愛くださいね。



引用返信/返信 削除キー/
■563 / inTopicNo.23)  Re[19]: またいずれ。
□投稿者/ Danza Espanola -(2018/08/01(Wed) 01:07:42)
    丁寧なレスをいただき、本当にありがとうございます。


    説明足らずで勝手に去ろうとしてすみません。最後にできる限りの説明を試みます。


    まず、パニチェさんのせいではない、私に全面的な非があるということを書き過ぎたために、かえってパニチェさんに負い目の気分を味あわせてしまうこととなってしまいました。重ね重ね申し訳ないというほかないのですが、そう書けば書くほどそういうことになってしまうので、どう書いたら良いのかわかりません。

    一つ言えるのは、対話相手がパニチェさんだったからではないということです。
    普段、ふつうの会話をするのには問題なく意思疎通できますしジョークを含めよくしゃべるほうですが、例えばビジネスの場面で新しいプロジェクトのプレゼンをする時たまにあるのですが、話が通じなくなります。皆さんあっけにとられたような顔で、返ってくる質問といえばズレているものばかり。これは私の独りよがりで、自分が解っていることを例を交えるなどして丁寧に説明せずに、しかも中間部分をざっくり省略してしまうなど、要は、相手に解ってもらうことは第一義ではないという姿勢に問題があるのです。


    ますます混乱させてしまうかもしれませんが、私の議論の主たる対象はロジックです。ふつうはロジックによって「何を主張したいのか」になるかと思いますが、ロジックそのものということです。

    例に相応しいかどうか一抹の不安がありますが、例えば、このニーチェクラブのサイトの「構造」の創造のようなものです。


    拙小論の概観の下に流れるロジックを例にとります。

    拙小論の概観において言語で何も書いていないことが対象となっていて、これは、古代ギリシャ時代のsubiectumの概念から始まるSubjekt〜subject(主体/主観)の哲学の歴史、Subject―Objectの二元対立からカントによるSubject→Objectへの逆転、主体/客体の概念から主観/客観への変化(私は主観/客観という邦訳は西周のミスだと思っていますが)、このSubject―Objectの重層的かつ複雑的、或いは自由自在なSubjectの設定。西洋哲学の存在論/認識論、実在論/観念論、その他唯物論(科学)や唯名論、更には心理学を含めて、一つの設計図におとしこむことができる、できたのではないかと。この海図を用いれば、デカルトの『哲学原理』もカントの『純粋理性批判』もフッサールの『デカルト的省察』も楽に読解できる。そのほか同種の論を論述してきた哲学者たちの「何を言ったのか」という内容よりも断然重要な、その哲学者の“思考のはたらき型”を説明できる。ハイデッガーの(晩年に自分で気づいた)存在論の間違いも。そして西洋哲学の陥穽についてもこの海図で説明できるのではないかと。その陥穽を克服できるのは「私の存在しない」Objectだけの世界観でそれも海図に入れたのです。インドヨーロッパ言語圏の言語ではその世界は表現できないが日本語ならば表現できる。(『日本語に主語はいらない』『像は鼻が長い』などの国語学者の文献を幾つか参考にしています)

    その母国語を使う民族は、母国語にちなんだ世界観をもつため、西洋人と日本人はもともと違った世界を見ているとなります。そのどちらも包括できる地図。


    この海図が私の対象だったんです。


    その海図上では「私の存在しないObjectだけの世界観」にのみ知覚的世界があり、他の視座(視座というと視覚を思い浮かべるかもしれませんが全く違っていて、言わば視点のない視座)で思考したり省察したりする世界は「意味と価値の世界」であって、こうして私がここへ書いている全文も、パニチェさんが書いている全文も、通称、神の視点(視点忘却的な仮設定の視点)を使っているとなるんです。たぶんとても承服できないでしょうけど。

    世界に意味と価値を与えるではなく、意味と価値“で”世界を作っている、という海図です。これは、大森荘蔵が紹介している「全盲の達っちゃん」のなかで、全盲の男の子が晴眼者ばかりの幼稚園に入園し、その後、全盲の子と晴眼者の子たちとほぼ完全な意志疎通が行えるようになってサッカーの試合ができたという実話から、大森は他我論の克服へ向かうのですが、そこからヒントを得て、私は、人間が活動しているリアル世界は実は意味と価値の世界であって、知覚的世界(主として視覚的世界)はそのフォローをしているだけというロジックに基礎を築きます。

    もっとも重要な意味・価値的世界観視座は、意味と価値(記憶や感性、感情も含めて)の全てを内包したコアな主格・主体を無意識下にしたがえ、自分の存在さえ消してしまったObjectだけの世界に対峙する視座であり、(こう書いてしまうと書いている自体が神の視点で違うのですがそれは横に措き)、そのいきいきとした生のナマの実感とナマの(思考に寄らない、或いは思考を中間省略した)言葉こそまさに人間らしい、否、これこそ人間そのものではないかと思うのです。この視座と、この視座を使った言動だけは唯一、神の視点を使わない。そのナマの世界において人類全部が幸せになるためには、欲求に直結する無意識下の価値を個々がどのように作るかにかかります。


    その海図に足りないのは同一性の力動論だとか価値論、意志論で、今その肉付けをするためにいろいろな文献からヒントを得たり考え込んだりしています。この海図をアップデートしていくことによって、人間が価値と意志をもつまでの構造が徐々に明らかになり、その基礎構造の上に、現代人類が想像もできないような新しい価値を建設できるのではないかというのが目的です(もちろん数百年後だとか数千年数万年後にです)。

    ますます理解不能になられたかもしれませんが、2時間半ほどかけてこれだけしかまとめ切れない私の言語能力をご理解いただければありがたいです。おそらく抽象論のみになってしまっているところにも理解を困難にしている原因があるのかなと、今思いました。堅くてつまらない文章です。レトリックを練習して習慣づけなくてはなりませんね。


    今は自分のことでいっぱいいっぱいになっているところもありますので、またいずれお邪魔致した際にはよろしくお願いします。年齢的にも油断せずにご自愛くださいね。



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■562 / inTopicNo.24)  久しぶりに
□投稿者/ なん -(2018/07/31(Tue) 23:30:19)
    この感じは、久しぶりだなぁと読んでおりました。私の理解度は限りなくゼロに近いので、ちゃんと言えることは何もないのだけど、読み応えのある応酬で読ませてもらえてうれしかったです。

    パニさんに冷蔵庫の明かりや、カニッツァの三角の図形の比喩を教えてもらったなぁと懐かしく思い出されておりました。たくさん質問して答えてもらえて嬉しかったなぁあの時も。

    ダンさんは相変わらずワニっぽくて、なんというか、日本語喋れるようになったワニが自分の見え方を説明してくれようとしているような感覚とイメージの違いがあって、ついていけない理解できない自分をもどかしく感じるのでした。

    息子は「自分はマトリョーシカ。開けても開けても続きがあって、最後は多分空っぽなのが、最高の不条理」って言ってて、
    私は「ワイスのひよこの思考実験みたいに、物質的には同一でも、なんか違うのところにある私ってのもあるのかなぁ」と思ってます。

    いずれ続きが読めるといいなぁと読者決め込んでます。ありがとうございました。
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