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■697 / inTopicNo.1)  Re[28]: 世界の独在論的存在構造:
  
□投稿者/ パニチェ -(2018/10/21(Sun) 21:11:45)
    2018/10/23(Tue) 20:59:32 編集(投稿者)

    「世界の独在論的存在構造: 哲学探究2」は、かつてゴウさんと議論していた〈私〉と真我についての考察があるようだ。
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■688 / inTopicNo.2)  世界の独在論的存在構造:
□投稿者/ パニチェ -(2018/10/21(Sun) 20:45:57)
    2018/10/23(Tue) 20:58:44 編集(管理者)

    永井均著「存在と時間 ――哲学探究1」に続いて「世界の独在論的存在構造: 哲学探究2 」を購入した。

    こっちもボチボチとカキコしていこう。
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■586 / inTopicNo.3)  Re[26]: 私、自己、自我、個体、群れについて
□投稿者/ パニチェ -(2018/08/25(Sat) 08:33:07)
    2018/08/25(Sat) 18:14:16 編集(投稿者)

    おはようございます。いつもながらの亀レスでゴメンチャイ♪&こちらこそレスありがとうございます。

    No579に返信(なんさんの記事)
    > 今「はたらく細胞」ってアニメが放映されてましてね。細胞を擬人化して、人体(特に免疫系)の仕組みを解説してくれるような、内容なのです。白血球や赤血球が人の形して喋ったりウイルスと戦ったりするのです。この暑さの中、漫画の方の熱中症の回が無料公開されたりしておりまして、人体の中で繰り広げられるバトルアニメのような面白い作品です。
    > この作品の中で、細胞(登場人物)が「世界が壊れてしまう」とか「それが仕事ですから」とかのセリフがあるのですが、宇宙全体の超意識があるような、の世界観となっていて、わーお、シンクロニシティ!とかなったのでした。

    哲学では汎神論、ヴェーダンタ学派では不二一元論、仏教では華厳の一即一切一切即一、密教の相即相入、最新物理ではヒッグス場が一如を表しているし、量子力学の非局所的長距離相関も然り、生体は散逸構造ですし、全体運動の一部であることは間違いないでしょうね。

    > ユングの集合的無意識は、この感じなのかなぁってイメージがあります。私が私だと思ってる私は、とても大きい私の中の一部の小さな私じゃないか?みたいな。はたらく細胞のスギ花粉アレルギーの回では、それぞれの細胞がそれぞれの仕事をしただけなのに、世界(人体)に大厄災が起こる話だったりしまして、人間の社会と非常に似ておるなぁとか感じましたよ。そしてこの作品では、それぞれの細胞がそれぞれのマニュアルに沿って働いており、総合的意思決定をする王はいないのですね。そこが面白いのです。

    複雑系の典型ですね。それぞれがバラバラに動いており、全体を取り仕切る主体がないにも関わらず自己組織化によって何らかの方向性やゆるやかな秩序が生じる。
    〈私〉ではなく、「私」は個々の細胞の機能(非物理的な要素)が自己組織化されたものであるのかもしれません。

    > それと、ワイスのひよこの思考実験です。
    > 「『発生過程のニワトリの胎児を管に入れて完全にホモジナイズすると、バラバラに破砕されたニワトリ胎児由来の液体が得られるが、ホモジナイズの前後で一体何が失われたのか』という思考実験を提示した。」
    > 「当思考実験の論点は、ホモジナイズの前後では明確に何かが失われているにも関わらず、物質的には何も失われていない点にある。この点についてワイスは、ホモジナイズにより失われたものは生物学的組織 (Biological organization) と定義している。また、生物学的組織が失われたことにより生物学的機能も失われていることから、この両者は生物において不可分であることが明示されている。
    > このことから、ポール・ワイスの思考実験は細胞生物学における還元主義の限界を提示したものの1つであると言われている」

    なるほど。

    > はたらく細胞のイメージと結びつけると、それぞれの細胞が「はたらいている」のは、「生物学的組織」となるのかなぁ、生物なら機能と物質は不可分のとこに、<私>の何かがないかなぁとか思ったのでした。

    え〜っと、それは〈私〉ではなく、自我とか意識とか「私」の方だと思います。
    〈私〉はそこに見出せそうにありませんが〈私〉に隣接する自我意識や「私」の何かがある可能性はありますね、きっと。何故なら、そこで見出される可能性があるものは万人に共通する自我意識とか「私」の存在であるからです。

    > 宇宙の物質由来の超意識から、ユングの深層意識のイメージから、細胞レベルの生物学的組織と、分子生物学的なとこまでを、立体的に曼荼羅図みたいに繋げられたら、うん、私はないってなるかもしれない!!とのイメージは浮かぶのです。どうやるのかは、全くさっぱりなのですけどねー。

    先に述べた通り、アドヴァイタや集合的無意識、生体の散逸構造や複雑系など同意しますが、これらの考察において〈私〉がなくなるというのはイメージしにくいです。なくなるのは〈私〉ではなく「私」や自我意識の方だと思います。例えば検証体験で無我を体得したとして、体得した〈私〉が在るから体得しているわけで、どこまでいっても〈私〉は消えないんんですねぇ〜、私(パニチェ)的には。。。^^

    > パニさんの「比類ない」の表現から私(なん)が受けるイメージは、始まりの点がどこにあるのか?(でもきっとそれは言語化など不可能領域にあるだろう)の感じで、で、ダンさんの話は立体曼荼羅みたいに始まりの点は問題ではないみたいで、フォーカスされてるとこを揃えるのが難しそうだなぁって勝手な印象を持っております。

    ダンザさんの話は理解はできておりませんが、そのようなイメージは持っています。ダンザさんが論じている「私」とパニチェが探究している〈私〉は異なる、と。

    > 私は私の主観を持ってる、つもりでいるのだけど、それは空腹だったり、ホルモンだったりで、簡単に物理的に操作され得るものでもあって、いろんなことを「言葉にする」と溢れるものがたくさんあるなぁと思いつつ、でもさ、答えてもらえて嬉しい!は、絶対に否定できない私の中に沸くものでもあるので、やっぱり不思議です。

    脳内物質によって意志や思考や感情が生じる。決してこの逆ではないってことは間違いないでしょうね。
    問題は万人が有しているである脳内物質のどこに比類なき〈私〉が存在する余地があるのかということです。

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■584 / inTopicNo.4)  Re[29]: ゲイジツカの真実
□投稿者/ 田秋 -(2018/08/16(Thu) 19:20:04)
    ramiさんの書き込み中

    「芸術家の方の理想は常人が思いも及ばないような高いレベルにある」の部分、<理想>を<じしんかじょう>と読み替えるとゲイジツカの真実に迫れるかもしれません。


引用返信/返信 削除キー/
■583 / inTopicNo.5)  Re[28]: 客観について
□投稿者/ rami -(2018/08/14(Tue) 20:02:35)
    面白いですね♪


    もしかしたら、芸術家の方の理想は常人が思いも及ばないような高いレベルにあるだろう気がするので、だから単に「下手すぎる」のレベルもふつうの人が考えているよりもずーと高い位置にあるだけな気もするのですが・・


    世の中には、録音をして聞かせてみても何も気が付かない人もいると思うので・・。


    わたしも自分の声嫌いでできれば聞きたくないですけれど、でも聞いた時に何かに気がつく側の人間でいたいなと思います。


    なんさんは可愛い声で羨ましいです(^^)










引用返信/返信 削除キー/
■582 / inTopicNo.6)  Re[27]: 客観について
□投稿者/ なん -(2018/08/13(Mon) 11:16:18)
    No581に返信(田秋さんの記事)
    > 哲学的な考察ではなくて、あくまでも経験から感じることですが、皆さん、初めて自分の声を録音か何かで聞いたとき、「え?これ、私の声??なんて嫌な声なんだろう!」、こういう経験ありませんか?
    >
    > それと似たケースで、自分の演奏を録音したものを聴いて「え?何これ!下手すぎる・・・」こういうことはよくあります。自分の演奏の悪い癖とか思ってもいなかった下品さとか、演奏中には気づかずにいるのです。演奏中に自分の耳に聞こえてくるのが主観、録音を聴いて「ひどい!」と感じているのが客観、と思っています。下手さ加減に愕然としているのも私ですからそれは主観だとも言えますが。
    >
    > 友達に演奏を聞いてもらい何かアドバイスをもらったらそれは私にとって客観的意見です(勿論友達は友達の主観を述べているわけですが)。録音を聴いて演奏中には気が付かなかったことを何か発見したなら、それは友達の批評(客観)と私にとっては同じだと思うのです。


    ありますあります!高校の時、放送部に入りまして、自分の声が思ってたより迫力がなくて、高くて、がっかりしました。コンテストで朗読のジャンルがありまして、芥川龍之介の歯車を選んだところ「作品と声が合っていない。明るい作品を選ぶべき」のような客観的な評が返ってきて、そりゃあもう、がっかりしました(^◇^)
    逆にラジオドラマを作る時の、ト書きの「悲鳴」のところは褒められたので、スクリームクイーンとして重宝されまして、自分が主観的にやりたいことと、客観的にできてることは、違うのだなぁと学んだ次第です。
引用返信/返信 削除キー/
■581 / inTopicNo.7)  客観について
□投稿者/ 田秋 -(2018/08/12(Sun) 18:25:03)
    哲学的な考察ではなくて、あくまでも経験から感じることですが、皆さん、初めて自分の声を録音か何かで聞いたとき、「え?これ、私の声??なんて嫌な声なんだろう!」、こういう経験ありませんか?

    それと似たケースで、自分の演奏を録音したものを聴いて「え?何これ!下手すぎる・・・」こういうことはよくあります。自分の演奏の悪い癖とか思ってもいなかった下品さとか、演奏中には気づかずにいるのです。演奏中に自分の耳に聞こえてくるのが主観、録音を聴いて「ひどい!」と感じているのが客観、と思っています。下手さ加減に愕然としているのも私ですからそれは主観だとも言えますが。

    友達に演奏を聞いてもらい何かアドバイスをもらったらそれは私にとって客観的意見です(勿論友達は友達の主観を述べているわけですが)。録音を聴いて演奏中には気が付かなかったことを何か発見したなら、それは友達の批評(客観)と私にとっては同じだと思うのです。
引用返信/返信 削除キー/
■579 / inTopicNo.8)  Re[25]: 私、自己、自我、個体、群れについて
□投稿者/ なん -(2018/08/12(Sun) 14:43:39)
    パニさん、お答えいただいて嬉しいです、ありがとうございます。

    >昆虫の神経節も脳としての役割を果たすのですから、なんさんが言われるように細胞ひとつひとつにも極めて白に近い自己があり、集合体としての自己もある。
    >神経細胞、脳、身体性がそうであるように、個々の個体と群れ全体は、部分の総和以上のものを生じさせるゲシュタルト構造なのだと思います。集合的無意識なるものは自己が鳴り潜んだときに、浮き出てくるようなものかもしれませんね。

    >そうすると宇宙全体には超自我みたいな個々の人間の想像を絶するような超意識がある可能性も出てくる。私たちは大宇宙という巨大な脳の神経細胞の一つに過ぎないみたいな。。。



    今「はたらく細胞」ってアニメが放映されてましてね。細胞を擬人化して、人体(特に免疫系)の仕組みを解説してくれるような、内容なのです。白血球や赤血球が人の形して喋ったりウイルスと戦ったりするのです。この暑さの中、漫画の方の熱中症の回が無料公開されたりしておりまして、人体の中で繰り広げられるバトルアニメのような面白い作品です。

    この作品の中で、細胞(登場人物)が「世界が壊れてしまう」とか「それが仕事ですから」とかのセリフがあるのですが、宇宙全体の超意識があるような、の世界観となっていて、わーお、シンクロニシティ!とかなったのでした。
    ユングの集合的無意識は、この感じなのかなぁってイメージがあります。私が私だと思ってる私は、とても大きい私の中の一部の小さな私じゃないか?みたいな。はたらく細胞のスギ花粉アレルギーの回では、それぞれの細胞がそれぞれの仕事をしただけなのに、世界(人体)に大厄災が起こる話だったりしまして、人間の社会と非常に似ておるなぁとか感じましたよ。そしてこの作品では、それぞれの細胞がそれぞれのマニュアルに沿って働いており、総合的意思決定をする王はいないのですね。そこが面白いのです。

    それと、ワイスのひよこの思考実験です。
    「『発生過程のニワトリの胎児を管に入れて完全にホモジナイズすると、バラバラに破砕されたニワトリ胎児由来の液体が得られるが、ホモジナイズの前後で一体何が失われたのか』という思考実験を提示した。」
    「当思考実験の論点は、ホモジナイズの前後では明確に何かが失われているにも関わらず、物質的には何も失われていない点にある。この点についてワイスは、ホモジナイズにより失われたものは生物学的組織 (Biological organization) と定義している。また、生物学的組織が失われたことにより生物学的機能も失われていることから、この両者は生物において不可分であることが明示されている。
    このことから、ポール・ワイスの思考実験は細胞生物学における還元主義の限界を提示したものの1つであると言われている」


    はたらく細胞のイメージと結びつけると、それぞれの細胞が「はたらいている」のは、「生物学的組織」となるのかなぁ、生物なら機能と物質は不可分のとこに、<私>の何かがないかなぁとか思ったのでした。

    宇宙の物質由来の超意識から、ユングの深層意識のイメージから、細胞レベルの生物学的組織と、分子生物学的なとこまでを、立体的に曼荼羅図みたいに繋げられたら、うん、私はないってなるかもしれない!!とのイメージは浮かぶのです。どうやるのかは、全くさっぱりなのですけどねー。

    パニさんの「比類ない」の表現から私(なん)が受けるイメージは、始まりの点がどこにあるのか?(でもきっとそれは言語化など不可能領域にあるだろう)の感じで、で、ダンさんの話は立体曼荼羅みたいに始まりの点は問題ではないみたいで、フォーカスされてるとこを揃えるのが難しそうだなぁって勝手な印象を持っております。

    私は私の主観を持ってる、つもりでいるのだけど、それは空腹だったり、ホルモンだったりで、簡単に物理的に操作され得るものでもあって、いろんなことを「言葉にする」と溢れるものがたくさんあるなぁと思いつつ、でもさ、答えてもらえて嬉しい!は、絶対に否定できない私の中に沸くものでもあるので、やっぱり不思議です。
引用返信/返信 削除キー/
■578 / inTopicNo.9)  Re[26]: ぶぶんへのいけんしつれいします
□投稿者/ パニチェ -(2018/08/12(Sun) 10:45:37)
    No577に返信(ramiさんの記事)
    >>「客観とは複数見解の統計的な答えであるとの見解によるなら、一人で客観も可能である」

    > 統計的と言ったって、どの見解が何パーセントっていうのを決めているのは結局自分の頭。

    > むしろ自分は客観が可能だと思っている人が多いからこそ、錯綜や勘違いetcが生まれるんだと思います。

    ダンが述べたであろう上記の意見はまだ理解できてないところがあるので、ラミ〜のカキコに限定してレスさせてもらうと。。。

    日常的な教訓としては全くもって同感です。
    客観なんてありえないのだと自覚してこそ、謙虚さが保てる。
    「“客観的に”なんて言ったところで、それはお前の主観やろ」ってことになる。
    世界や他者は無意識的な自分の色眼鏡やスキーマや先入観を通して認識しているということ。
引用返信/返信 削除キー/
■577 / inTopicNo.10)  ぶぶんへのいけんしつれいします
□投稿者/ rami -(2018/08/12(Sun) 09:59:32)
    > 「客観とは複数見解の統計的な答えであるとの見解によるなら、一人で客観も可能である」


    統計的と言ったって、どの見解が何パーセントっていうのを決めているのは結局自分の頭。


    むしろ自分は客観が可能だと思っている人が多いからこそ、錯綜や勘違いetcが生まれるんだと思います。


引用返信/返信 削除キー/
■576 / inTopicNo.11)  Re[24]: 私、自己、自我、個体、群れについて
□投稿者/ パニチェ -(2018/08/11(Sat) 08:24:51)
    2018/08/11(Sat) 08:49:33 編集(管理者)

    おはようございます。午前中時間ができました。
    こうしてレス付けてもらえるとやっぱ嬉しいですね。一人でツラツラとカキコするより、やっぱ返信することで、より深化したり考えがまとまったりするとことがあります。^^

    No571に返信(なんさんの記事)
    > パニさん、周辺的なこともありならば、聞いてみたいことがあります。
    > 〈私〉と言う時、それは人間に限定されるものでしょうか?

    結論から言うと〈私〉に関してはさっぱり分かりません。
    〈私〉というのは原理的に他者にあるのかさえ厳密には不明です。何故なら〈私〉というのは比類がないからです。
    世界またはこれまでの歴史の中で、ほぼ人間の数だけ自意識なるものが多分あって、間違うことなくどれが自分の自意識であるか分かる根源的な存在が〈私〉ですから、絶対に他人と同じものであるはずがないからです。
    それは、さておき、以下は質問の答えとは外れるかもしれませんが、〈私〉ではなく、自意識とか自我ということに絞って返信させてもらいます。

    > 最近、蟻にハマっておりまして、蟻に個体としての自分があるのかしら?群れとしての意思統一があるように見えるのだけど、どうやって伝達してるのかしら?となっているのです。
    > アントマンって映画があって、蟻サイズになって、蟻と一緒に戦うんですけどね、蟻の種類によって「建築する」のです。橋を作るとか立体ビルのようになるとかして、仲間を渡すみたいな。軍隊アリの行進とかですね。イカダを作って水を渡ったりもするのです。
    > あれが不思議でたまらないのです。「あ、私こっちね!」「んじゃ私は渡る方ね!」ってやってるとは思えないですしねぇ。
    > そして人間の細胞とアリの群れの共通性も感じるのです。ものすごい数の細胞で人体は出来ていて、多分細胞一つ一つに「自己」な感じがあるとは思うのです。だけど統一した「一つの人体」としての自己免疫機能とかもあるわけで、なんらかのシステム構造によって意思統一的なものがあって(それが暴走したりもしますよね)守ろうとしてる「自己」があるような。

    自意識や自我なるものはボンヤリとした、あるか、ないか、分からないようなものから、内的世界まで意識する明確でかつ孤立的なものまでグラデーション的なものだとイメージしてます。

    脳の構造も脊椎の先端からはじまって魚類脳、爬虫類脳(脳幹、大脳基底核、脊髄)、哺乳類脳(大脳辺縁系)、人間の大脳新皮質まで重層的な構造です。これって多分、進化の履歴みたいなものだと思うのです。

    昆虫には神経節なるものがあって、これで十分学習能力があるし、さらに脳のないアメフラシのような生物にも学習能力があることから、脳というのは頭蓋骨の内にある特定の器官のことではなくて、身体全体が脳なんだと考えています。
    重層的になればなるほど明確な自意識とか自我が形成されるのではないか、と。

    これは物理的な構造によるグラデーションで、もうひとつは言語機能によるグラデーションです。所謂“物心がつく”ところのエピソード記憶など言語的な記憶によって自己同一性とか継続性を生じせしめ、言語による分別(ラベリング)でもって自他の境界認識が明確になっていくようなイメージです。

    で、グラデーションの薄い方がシンクロしやすい。シンクロの仕方は魚や鳥の群れのような同一的な動きと、まるでひとつの生命体のような個々がそれぞれの機能別役割を果たすかのような動きを無意識的にする場合があります。前者はニューロンの発火が同期して広がっていくのと同じで、後者は歩行に際して、それぞれの部位が複雑な役割を協調的に果たしていることに似ています。

    昆虫の神経節も脳としての役割を果たすのですから、なんさんが言われるように細胞ひとつひとつにも極めて白に近い自己があり、集合体としての自己もある。
    神経細胞、脳、身体性がそうであるように、個々の個体と群れ全体は、部分の総和以上のものを生じさせるゲシュタルト構造なのだと思います。集合的無意識なるものは自己が鳴り潜んだときに、浮き出てくるようなものかもしれませんね。

    そうすると宇宙全体には超自我みたいな個々の人間の想像を絶するような超意識がある可能性も出てくる。私たちは大宇宙という巨大な脳の神経細胞の一つに過ぎないみたいな。。。

    > ずっと前に主観と客観の話をしてた時に、ダンさんが「一人でも客観はある!」との主張をなさってて、私の記憶では「客観とは複数見解の統計的な答えであるとの見解によるなら、一人で客観も可能である」との印象が残っているのです。ものすごい数の細胞の集合体としての人間がある時、〈私〉はどこにいるのかな?のイメージですね。

    これはあまり考えたことがなかったです。
    間主観は個々の主観に共通するものであるところの客観とするならば、一人の客観とはもの凄く薄い主観の集合体ということですね。

    > 自己とか自我とか私とかの言葉の定義によって、意味がズレまくる話であると思うので、この書き方で伝わるかどうか自信ないんですけど、お時間あるなら、教えてもらえると嬉しいです。

    〈私〉の返信にはなりませんでしたが、〈私〉には隣接するテーマです。
    どんなテーマでも大歓迎です。

引用返信/返信 削除キー/
■575 / inTopicNo.12)  Re[25]: 私、自己、自我、個体、群れについて
□投稿者/ 田秋 -(2018/08/10(Fri) 22:10:40)
    なんさんの質問は、「私」の成立要件に知能がどのように関わっているのか?という点で大変興味があります。
引用返信/返信 削除キー/

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