| ニーチェが言うところの「善悪の彼岸」とは超人が立つ大地のことである。
彼岸に立つべき善悪とは、ユダヤ・キリスト・イスラム教的な善悪二元論のことである。
神の名の下で下されるトップダウン的な白黒二元の善悪価値のことであり、生を罪深い(原罪)ものとしたり、禁欲主義的な行為を善とするような倫理観である。
自由奔放な野獣を拘束した上で調教し、家畜の如く飼い慣らすような道徳観であり、人間を神の名の下に奴隷化するようなドグマに他ならない。
価値や意味を自ら創出することができるのが人として生まれた特権であり、一神教はある意味で人としての特権を剥奪するような教義にひれ伏すことを強要する。
異なる民族に奴隷として拘束された民族のルサンチマン(弱者の怨恨感情)によって捏造された宗教であり、その反動として自分たちを真に支配すべきは神であり、その意味でユダヤは選ばれた民である(選民思想)という天地逆さの奇術として一神教は生まれた。
数千年、人類は特定民族が創出した宗教に振り回されており、福音書の禍因性から解放された次世代の人間、超人が立つ大地こそが善悪の彼岸であるということ。
神の名の下にトップダウンで与えられる奴隷道徳に対し、誰に強要されるわけでもなく、自らの意志で、自らを律する道徳をニーチェは君主道徳と呼ぶ。
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