| こんにちは、田秋さん。
>やっと原画を発見しました。この写真は以前から知っていたのですが色があまりにも違うので気が付きませんでした。写真は敦煌壁画の降魔図で中心に釈尊が結跏趺坐して周りに妖怪が描かれており中谷宇吉郎の説明と合致します。これの右上に人が並んでいますね。これを拡大したものが下の写真です。同じですよね?
お暑い中どうもありがとうございます。釈迦の周りを囲むという手法は、マンダラでしょうか?それとも全く関係ないのかな?当方、まったくの無知です。ただ西域には興味があったものですから。
>前掲の美しいターコイズブルーはお絵かきソフトで色付けしたのだと思います。
え〜、手を加えてあるんでちゅね?あら残念。
>。>えっ、親戚ってなんですかぁ〜〜?
>僕の欧州名がFigmont Turkeyだからでふ。
すっかり忘れていまちた。 すまんそ!
>>悟空や沙悟浄に似ている絵はありましたでしょうか? >それは莫高窟の壁画などにという意味ですか?そういう報告は聞いていません。あれば西遊記研究の権威筋が必ず紹介するでしょうから、多分ないんじゃないでしょうか(沙悟浄に似ているお坊さんは見たことあります)。 >悟空は道教で神格化され斉天大聖として祀られています。悟浄は深沙神が前身なので、深沙神に出会うとの中で「こんにちは悟浄さん」と挨拶しています。
非常にlazyなレスで申し訳ないのですが〜、WIKIに以下のような記載がありました。 ********** 成立 唐三蔵西天取経伝説
敦煌の洞窟に残された9世紀頃の壁画 現実の玄奘三蔵の取経の旅は西暦629年から645年に行われた。その事績が仏教徒の間で伝説化し神聖視された痕跡が各地に残されている。 敦煌莫高窟から発見された絹本、紙本の絵画及び壁画(9世紀から11世紀半ば)には、経巻を背負い虎を伴った徒歩の行脚僧の描かれたものがあり、伝説化した玄奘とする説がある。これらの中には宝勝如来を上隅に描き入れているものがあり、「寳勝如來一軀」と書き入れられたものもあることからこの取経者は宝勝如来に保護され、また宝勝如来と同一視されたと推定される。 莫高窟東方約 100 km の楡林窟、その更に東方約 30 km の東千仏洞の水月観音図、普賢変図(12世紀後半、西夏末)に含まれる玄奘取経図に描かれた玄奘は猴(マカカ属のサル)と馬を伴っており、また張世南『游宦紀聞』(1228年)所収の張聖者の詩(北宋末から南宋初、12世紀前半と推定される)には「幾生三藏往西天」「苦海波中猴行復」「沈毛江上馬馳前」の字句が見え、12世紀には玄奘の取経伝説には猴と馬が取り込まれていたことが分かる。1237年に建立された福建省泉州の開元寺の仁壽塔(西塔)第四層南面には「梁武帝」に向き合って経文を捧げる「唐三藏」、東北面には刀を手にした猴行者と金箍棒を手にした「東海火龍太子」の浮き彫りがあり、それぞれ「」内の文字が銘文にある(猴行者は銘文無し)。
h*ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%81%8A%E8%A8%98
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それから・・所長の「三蔵は虎だったのか!?」 理由づけが非常に楽しみです
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