| キリストは神だというとき、日本人はこれを「人間神」と理解するのがほとんどのような印象だ。
たしかにキリスト教は「人格神」を本質的な要素とするが、しかし「人間神」と「人格神」は違う。
日本語で人格という語がもっている意味と、人格神の人格の原語であるペルソナがキリスト教神学でもつ意味は違う。
「父なる神」も「子なる神」も「聖霊なる神」もペルソナではあるが、人間ではない!人間神ではない!本来そこに人間性なるものはゼロだ。
「子なる神」というペルソナが受肉して、まことの神(100パーセント神)であると同時にまことの人間(100パーセント人間)にもなった、そのことを人格神というわけだ。イエスという人間を人間神イエスにしたわけではない。
|