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■No40910に返信(田秋さんの記事) > 2025/02/09(Sun) 21:16:37 編集(投稿者) > > knowingitselfさん、横レス失礼します。 > > 仰る通り、時間は音楽には必要不可欠な要素だと思います。バッハのフーガの技法はD-A-F-D-Cis-DEF-〜と始まります。Dの後にAが来てその後にFが来る、というように各音の発音には時間差があります。もしこの時間差が無かったら?と考えるとちょっと想像できません。時間差がないのなら同時に響くのだろうとも思いますが、同時という概念からして時間を前提としています。 > > 時間を超越しているかというとボクにはよくわかりません。時間を《超越》するとはどういうことかもよくわからないし、そもそも《時間》については科学的、哲学的に様々な議論があります(一応ボクは上に書いた〈時間差〉を踏まえ時間は有るという立場を取っています)。 > > 絵画が《時間を超越》していないか?と言うと「していない」と断言する勇気はありませんし、文学についても同様です。 > > 多分ボクは《時間を超越》というのを《時を越え》、言い換えると「良いものは何時までも残る」という風に解釈しているのだと思います。この辺りのknowingitselfさんの解釈はどんな感じですか?
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■41275
/ inTopicNo.1)
「神のことば」が子なる神
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□投稿者/ knowingitself
-(2025/03/17(Mon) 19:05:33)
確かに一神教であることはまちがいない。唯一絶対の神。
その神は自身を理解することにおいて自身の似像を自身のうちに生み出す。
このようにして神自身のうちに生み出されたた自身の似像が「神のことば」。
「神のことば」は生み出されたという関係において、生み出す「父なる神」に対して「子なる神」の区別がなされる。
もちろん、父と子という生物的な働きとはまったく別。「似像」といっても感覚的な像ではない。
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■41270
/ inTopicNo.2)
Re[16]: 人間神と人格神
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□投稿者/ knowingitself
-(2025/03/17(Mon) 17:31:45)
>「父なる神」も「子なる神」も「聖霊なる神」もペルソナではあるが、
ギリシア教父たちは「父なる神」「子なる神」「聖霊なる神」をヒュポスタシスと名づけたが、西方教会はラテン語世界なので、ペルソナというラテン語訳をあてた。
ヒュポスタシスは新プラトン主義のプロティノスで極めて重要な概念だが、三位一体というプロティノス思想との異質性が際立つ立場を表現するために、ヒュポスタシスを使ったことが、キリスト教の一筋縄ではいかない難解さの根っこにあるとかいわれる。
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■41213
/ inTopicNo.3)
人間神と人格神
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□投稿者/ knowingitself
-(2025/03/15(Sat) 15:43:28)
キリストは神だというとき、日本人はこれを「人間神」と理解するのがほとんどのような印象だ。
たしかにキリスト教は「人格神」を本質的な要素とするが、しかし「人間神」と「人格神」は違う。
日本語で人格という語がもっている意味と、人格神の人格の原語であるペルソナがキリスト教神学でもつ意味は違う。
「父なる神」も「子なる神」も「聖霊なる神」もペルソナではあるが、人間ではない!人間神ではない!本来そこに人間性なるものはゼロだ。
「子なる神」というペルソナが受肉して、まことの神(100パーセント神)であると同時にまことの人間(100パーセント人間)にもなった、そのことを人格神というわけだ。イエスという人間を人間神イエスにしたわけではない。
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■41212
/ inTopicNo.4)
キリスト教は聖典宗教とはちょっと違う
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□投稿者/ knowingitself
-(2025/03/15(Sat) 15:14:50)
>それは、聖書という過去の言語テキストが「神のことば」であるという誤解です。
>そうではなく、キリスト教にあって「神のことば」とは、聖書をとおして永遠の現在において語っているキリストのことです。
>いまこの瞬間も「神のことば」は語り出されている。
旧約はヘブル語、新約はコイネーで書かれているが、ご存じのように聖書の外国語は次から次へと数多くの言語で新しい現代語訳が生まれていく。
キリスト教の信仰世界では、原典が翻訳に対して序列が上になるという発想はない。少なくとも現代ではない。もちろん、文献解読としての聖書学では原典が圧倒的というか、ほとんど唯一の重要性だと思うが、
パーリ語による文献読解に大きな重要性を与えるようなことは、キリスト教世界ではしない。
いまこの瞬間も働きかけているのが「神のことば」なんだと、最新の母国語でも間に合わないくらい、S N SやAIも追いつかないスピードで、いまこの瞬間も創造作用を行なっているのが「神のことば」なんだと、そういう発想になると思う。
「神のことば」を信じることは、聖書という過去の言語テキストを金科玉条で信仰することではまったくない。
引用返信
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■41203
/ inTopicNo.5)
カント的な物自体と現象の峻別
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□投稿者/ knowingitself
-(2025/03/15(Sat) 07:13:12)
雑駁すぎる思いつきレベルでしかありませんが、カントの物自体と現象の区別とどこかで繋がる要素はあるのかな?と。
いうまでもなく、カントは物自体は純粋理性では認識できないんだ、認識できるのは現象だけなんだ、という立場。ただ、道徳的な定言命法の回路のみが唯一、物自体に触れるんだ、と。
聖体の秘蹟におけるパンという物質的な外観と「聖体」は、現象と物自体の関係にどこなく近いと言えないか?
異質なところがあるのは当然として。
>外観外形はすべてパンです。しかしもはやパンの実体は跡形もない。その中の実体はキリストの体に変容したと
引用返信
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■41184
/ inTopicNo.6)
Re[18]: 神と全人類は同一の階梯に置かれる
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□投稿者/ knowingitself
-(2025/03/13(Thu) 20:12:14)
>そうではなく、キリスト教にあって「神のことば」とは、聖書をとおして永遠の現在において語っているキリストのことです。
ここも表現が舌足らずで誤解を呼びそうなので、ここだけ註釈します。打ち止めにしよう(笑)
キリストというおっさんが喋ることば、キリストの口から飛び出すことばが「神のことば」というのとも違う。
もちろんそれらも「神のことば」ですが、
キリストが胎内に宿った瞬間から十字架にかけられて復活するまでの、生の全体が「神のことば」。人間の言語を話そうが沈黙していようが、キリストの生の全体が「神のことば」です。
キリストが受胎する以前から「神のことば」は永遠次元であったわけだが、「神のことば」が人間になったのは
聖母マリアに受胎した瞬間から。
それによって、「神のことば」は全人類と同一階梯に降りてきたわけだ。
引用返信
/
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■41182
/ inTopicNo.7)
Re[14]: 神と全人類は同一の階梯に置かれる
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□投稿者/ knowingitself
-(2025/03/13(Thu) 19:54:09)
仏教で、涅槃と輪廻は同一の階梯にあるとみなすことがありうるとすれば、
それとも通じると思う。
さて、どちらの説明が理にかなっているか?
引用返信
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■41175
/ inTopicNo.8)
物質一元論は採用しない
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□投稿者/ knowingitself
-(2025/03/13(Thu) 16:55:04)
科学による自然界の探究は全面的に認めるが、わたしは自然を物質一元論で捉えることはしません。、
自然は「おれは物質だ、おれの顔や体の内部をみろよ、物質で出来てんだろ」などと主張しているわけではない(笑)。物質一元論それ自体が、人間の側からのある種の信念設定だともいえる。
人間が「物質」というフレーム、概念、視点を仮に当て嵌めることで、自然を数学や科学の言語で説明できる、人間同士の合意がとりあえず成立しているというに過ぎないのではないか?
引用返信
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■41174
/ inTopicNo.9)
Re[19]: 神と全人類は同一の階梯に置かれる
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□投稿者/ knowingitself
-(2025/03/13(Thu) 16:29:38)
>外観外形はすべてパンです。しかしもはやパンの実体は跡形もない。その中の実体はキリストの体に変容したと。真に現前するのはキリストの体だけであると。
外観外形がすべてパンであるとは、素粒子レベルから始まって分子レベル、さらにその上、とにかく物質的な組成はパンと寸分も変わらない。ただ、「実体」がキリストの体に聖変化すると。さすがに化学や物理学の飛躍的発展以前からある形而上学的な説明なので、とても受け入れられないと感じる向きがほとんどだと思う。
とはいえ、ミクロからマクロまでの宇宙におけるすべては「神のことば」によって創造されたというのが、キリスト教世界観の基本設定だからね。そして物質を創造し、物質的秩序の中で活動する人間であるメシアとして生きることも「神のことば」によるしかないわけだ。
パンをキリストの体に聖変化させる「聖体の秘蹟」はそのことを集約して表現しているだけともいえる。キリスト教的世界観を受け入れるかそうでないかの二択がそこにある。
引用返信
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■41172
/ inTopicNo.10)
Re[18]: 神と全人類は同一の階梯に置かれる
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□投稿者/ knowingitself
-(2025/03/13(Thu) 14:54:00)
ひま人の自己レス註釈の連続になってきたが(笑)。
>その「神のことば」がパンの外観に隠れて、自身を身体として現すのが「聖体の秘蹟」です。
これは表面だけパンで、一皮めくると中にキリストの体が二千年前のまんまそこにあるということではない。まあ、当たり前すぎるかもしれないが。
外観外形はすべてパンです。しかしもはやパンの実体は跡形もない。その中の実体はキリストの体に変容したと。
真に現前するのはキリストの体だけであると。
このあたりは考え出すと沼になるしかないが、とりあえず短く説明すると。
引用返信
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■41166
/ inTopicNo.11)
Re[17]: 神と全人類は同一の階梯に置かれる
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□投稿者/ knowingitself
-(2025/03/13(Thu) 07:46:14)
>このイエスの祈りが天と地を架橋して、完全に一つにするようにして完成される。
>これがカトリックのアルファにしてオメガといっていいと思います。
>今日も世界中で行われている。
>ミサの必須・不可欠の構成要素をなすのが「聖体の秘蹟」。
聖書の捉え方に関して、キリスト教の外でも、もしかしたら中でも、大いなる誤解があると思う。
それは、聖書という過去の言語テキストが「神のことば」であるという誤解です。
そうではなく、キリスト教にあって「神のことば」とは、聖書をとおして永遠の現在において語っているキリストのことです。
よって、旧約聖書の全ページも「神のことば」であるキリストの語りそのもの。世界の創造も「神のことば」によってなされた。旧約における目を背けたくなるような記述は、それを表明的に真に受け金科玉条に信じ込むものではなく、その背後にある「神のことば」としての真意こそがポイントになる。
そして、いまこの瞬間も「神のことば」は語り出されている。
その「神のことば」がパンの外観に隠れて、自身を身体として現すのが「聖体の秘蹟」です。
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■41162
/ inTopicNo.12)
Re[15]: 神と全人類は同一の階梯に置かれる
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□投稿者/ knowingitself
-(2025/03/12(Wed) 15:16:18)
> >聖体の秘蹟。パンの外観の下にキリストの体が現前するという秘義がある。
コンビニやスーパーで売っている菓子パンなら、誰でもすぐに食べられる。どれだけ物価高といってもね。
菓子パン一個を買うのも大変な場合もありうるが、菓子パン一個くらいならただで手に入れる、プレゼントされてもごくごく普通です。
よほどの金持ちしか食べられない高級料理ではない。
高級料理なら、憧れる対象、夢みる対象、妄想する対象でしかない。しかし菓子パンはそうではないね。
その菓子パンを実際に食べることは、菓子パンと自分の階梯が一つになることと言えるかも。
神と全人類を同一の階梯に置くとはそういうことかもしれない。
>聖体の秘蹟というのは、キリストによる祈り、キリストにおける祈り、キリストと共にする祈りです。
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