| >昨今の日本人研究者による新書版の仏教書で売れているのは、
>100年前の史的イエス研究の仏教バージョンをやっている印象を受ける。
どこかに、本当の意味でお経といえるのはパーリ語仏典だけだという考えがあるのかもしれない。
これに対して、禅宗などでは、「吸う息吐く息がお経なんだ」と言われることもある。
めちゃめちゃお経の範囲が広大になる。普遍的になる。
これはキリスト教の「神のことば」の捉え方にある意味では接近するといえないこともない。
ケリュグマのキリスト、仏教ならケリュグマのブッダになる?
他方でパーリ語仏典の研究をするような人は、専門家でも素人でも、一神教嫌いが多いはずだが、
聖書解読における史的イエス偏重のある種のプロテスタント聖書学に接近するようなところがあるのではないか。
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