TOP HELP 新着記事 ツリー表示 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 親記事をトピックトップへ ]

このトピックに書きこむ

レス数の限度を超えたのでレスできません。

(レス数限度:100 現在のレス数:100) → [トピックの新規作成]
■41068 / inTopicNo.85)  Re[10]: 普遍宗教
  
□投稿者/ knowingitself -(2025/02/28(Fri) 17:24:11)
    「実在するのは、聖なる祈りのエネルギーだけ」

    キリスト教をあえて極端なまでに単純に要約するとこうなるかと思う。

    祈るというと、人間の行為をイメージするのが普通かもしれないが、祈りの本来の主体は神であって、

    その神的な聖なる祈りにチューニングする、呼応する、合流することが人間の祈りというべき。

    キリストとは祈りそれ自体、聖なる祈りのエネルギーが人間になったもの。

    私は仏教も本質は同じだとみている。

    涅槃を聖なる祈りのエネルギーとみて何か都合が悪いことがあるだろうか?
引用返信/返信 削除キー/
■41053 / inTopicNo.86)  芸術や自然とカント哲学
□投稿者/ knowingitself -(2025/02/26(Wed) 16:29:04)
    芸術をめぐる美的体験とか、大自然の観照。
     
    カントの哲学体系の中でこういうものに関わってくるのは、

    「判断力批判」。

    三批判のうちでも、最も難解かもしれない。

    他の二作は難しいながらも、なんとか大意はつかめる感じだが、

    「判断力批判」は理解の手がかりをつかむのさえ容易でない。わかったようなわからないような。

    御子柴さんは「判断力批判」の解説書も出されるのでしょうか?

    出たら即買いですね。
引用返信/返信 削除キー/
■41019 / inTopicNo.87)  Re[9]: 音が生まれる実在感
□投稿者/ knowingitself -(2025/02/22(Sat) 17:19:03)
    >生涯で鳴らした音はすべて現実世界で、リアルに出力された、音として生まれた。そのすべての音を正確に記憶できることはないと思うが、少なくとも音を鳴らしたときは、音として認知していたのではないか。

    全世界の音を鳴らす人のすべての音は、それと認知しうる。認知されうるものとして鳴らされる。

    神の全知とはそういうことではないか。

    超越世界にヒゲをはやしたオッサンがいて、そのオッサンがすべての音をみんな聴いて知っているという、お伽噺のようなイメージよりはね。

引用返信/返信 削除キー/
■41018 / inTopicNo.88)  Re[13]: 音楽におけるconscience
□投稿者/ knowingitself -(2025/02/22(Sat) 15:03:00)
    田秋さん 書き込みありがとうございます

    >>そのリヒテルが最も愛していた曲は何だか知っていますか?

    >さすらい人ですか

    リヒテルのシューベルトはまったく感動的ですね。あれだけの演奏は曲を愛していないとできないと思います。

    わたしの今回の書き込みは、リヒテル関連の公的に発表された著作やインタビューなどではなく、オフレコの話しです。ある女性ヴァイオリニストが若い頃に、リヒテルの演奏会で譜めくりの仕事をしたときに、「マエストロ、あなたの最も愛する音楽は?」と質問したら、「ブラームスのヴァイオリンソナタ一番だ、わたしの葬儀の時に流してもらいたいくらいだ」と答えたそうです。リヒテルの真意はわかりませんし、他の状況では別の答えをしたかもしれません。晩年になるにつれて、愛する曲は変わっていくこともあるかと思います。それでも、けっこう意外ですね。


引用返信/返信 削除キー/
■41014 / inTopicNo.89)  Re[12]: 音楽におけるconscience
□投稿者/ 田秋 -(2025/02/22(Sat) 10:24:04)
    おはようございます、knowingitselfさん

    横レス失礼します。

    >そのリヒテルが最も愛していた曲は何だか知っていますか?

    さすらい人ですか?
引用返信/返信 削除キー/
■41012 / inTopicNo.90)  Re[11]: 音楽におけるconscience
□投稿者/ knowingitself -(2025/02/22(Sat) 08:52:05)
    >ピアニストのリヒテルは、自分のほとんどの演奏が消えてしまえば、どれだけ安らかになれるかとか言っていたそうです。

    >満足できるのは数えるほどしかないと。

    >そのリヒテルの未発表録音、海賊版の類が膨大に出回っていて、リヒテルファンは熱心に買い求める。

    歴史的に有名な画家で音楽にも秀でていた人は少なくない。

    アングルとかクレーなどが挙げられる。

    リヒテルは絵や文筆にも才能を発揮していて、絵画や文学に進んだとしても成功しただろうと、リヒテルと親しい人は語る。

    リヒテルは特にレパートリーが広大で、ワーグナーも全曲を台詞も音符を暗記していたくらい愛好していた。

    リヒテルによると、ワーグナーに匹敵するのはシェークスピアくらいだと。、

    そのリヒテルが最も愛していた曲は何だか知っていますか?


引用返信/返信 削除キー/
■41001 / inTopicNo.91)  音楽におけるconsci
□投稿者/ knowingitself -(2025/02/21(Fri) 07:37:17)
    conscience は「共に知る」の意を語源的にもつ。

    前にも書いたが、「共に知る」は音楽の演奏とも通じると思う。

    conscienceの呵責とかネガティブ何かとは、演奏現実と曲の理想とのズレをどれだけ認知できるかによって、

    生じることも生じないこともある、そのようなものかも。

    あまりにもレベルの高い理想をもつプロの演奏家は、その意味で、conscienceの呵責を強烈に感じるのかも。

    ピアニストのリヒテルは、自分のほとんどの演奏が消えてしまえば、どれだけ安らかになれるかとか言っていたそうです。

    満足できるのは数えるほどしかないと。

    そのリヒテルの未発表録音、海賊版の類が膨大に出回っていて、感動しながら聴いていると。
引用返信/返信 削除キー/
■40994 / inTopicNo.92)  普遍宗教
□投稿者/ knowingitself -(2025/02/19(Wed) 15:25:26)
    仏教内部で、各派に分断線を引いて、例えば大乗仏教は仏教にあらずとか、原始仏教やテーラワーダは小乗にすぎないとか、大乗仏教でも自分たちのところにしか真理はないとか、わたしはそういった立場ではありません。

    仏教は同じ一つの仏教というのが正しいだろうと。

    それどころか、仏教とヒンドゥー教に分断線を引くことにも賛成しません。

    もっというと、アブラハム系の三つの宗教と仏教をまったく別の宗教とみたして対立をみることにも賛成しない。

    宗教は結局は、一つに合流すると思っている。
引用返信/返信 削除キー/
■40962 / inTopicNo.93)  音が生まれる実在感
□投稿者/ knowingitself -(2025/02/14(Fri) 16:48:33)
    例えば弦楽奏者が音を鳴らしたのは、もう確実に現実世界である特定の音として鳴らされたわけだ。それを実在というかはともかく、虚構、妄想、錯覚の類いでは決してない。

    特定の演奏会で鳴らした音だけではなく、その弦楽奏者が練習を含めて、生涯で鳴らした音はすべて現実世界で、リアルに出力された、音として生まれた。そのすべての音を正確に記憶できることはないと思うが、少なくとも音を鳴らしたときは、音として認知していたのではないか。


    >この世界で演奏された音楽は結局よくわからない?少なくとも素人にはほとんどのことはわからない。

    >感動するにせよ退屈するにせよ、ある意味、心の妄想に近い体験をしているにすぎないともいえる。

    >しかし、これが音楽の面白さというか、世界そのものの面白さだが、

    >音は確実に鳴っていた、響いてわけでしょう?

    >音が出されていたかそれ自体が妄想だった、あったのは沈黙だけで想像力や妄想力で音が響いたことにしているわけではない。


    No40711に返信(knowingitselfさんの記事)
    >>>列車、新幹線、リニアモーター、もっと大型でも、もっと高速でもいい。
    >>
    >>>客船でも、飛行機でも、宇宙船でも。
    >>
    >>>要は、多数の人間を収容できる空間的な余裕のある乗り物。
    >>
    >>その中で多数の人が、会話をしたり、本を読んでいたり、スマホやパソコンで何かをやっていたり、音楽を聴いていたり、そういう並列的、多層的な空間が移動していると。
    >
    > 一曲の交響曲の演奏もこの喩えがあてはまるかもしれない。
    >
    > 例えば、交響曲のライブ演奏をCDにするとする。
    >
    > 後からその録音を聴いたとしても、ライブ演奏をその場で体験するのとは違う。
    >
    > 録音は過去の残骸にすぎないともいえる。ライブ演奏を客席から聴いていたとしても、
    >
    > 実際の演奏で「何が起こっていた」かは、演奏していたオーケストラのプレーヤーほどにはわからない。
    >
    > オーケストラをコントロールして見渡していた指揮者はかなりわかっているだろうが、それでもわからない部分はたくさんあるのでは?
    >
    > その楽団員や指揮者にしても、過去に振り返るときは、実際の演奏体験のときをリアルに再現することは困難では。
    >
    > 結局、その時の演奏はもうどこにもないといえるのではないか。
引用返信/返信 削除キー/
■40920 / inTopicNo.94)  言語の時を超越する力
□投稿者/ knowingitself -(2025/02/11(Tue) 08:42:09)
    もともと、言語には時間を超越する力があると思う。

    時を経て読み継がれてきた古典だけでなく、

    例えば、10年前の無名人の短い書き込みを読んで、ああこの人は時間を超越する真理が見えていたなと簡単することがある。
引用返信/返信 削除キー/
■40916 / inTopicNo.95)  武満徹
□投稿者/ knowingitself -(2025/02/10(Mon) 16:37:27)
    映画も時間的な芸術ですね。

    この点で思い出すのは、作曲家武満徹が大の映画好きだったこと。

    彼の場合は映画音楽の仕事があったこともあるが、それは別にしても、マニアックな映画ファンでもあった。

    映画論というかエッセイを出しているのでおすすめ。蓮實重彦との映画をめぐる対談も非常に面白い。

    音楽と映画は時間芸術としてどこかでつながるのかもしれない。

    映画はサイレントから始まったわけですが、創成期のシネアストたちが影響を受けたジャンルは文学や絵画より音楽だったといわれることがある。


引用返信/返信 削除キー/
■40915 / inTopicNo.96)  音楽とシンクロニシティ
□投稿者/ knowingitself -(2025/02/10(Mon) 16:20:13)
    シンクロニシティという語というか概念がある。

    さまざまな分野で違ったニュアンスで用いられる。

    単純にいえば、同時化、意味ある遭遇、といった意味。

    わたしは音楽の感動もシンクロニシティから生まれるのではと考えている。

    例えば、ある交響曲を演奏するとする。オーケストラの奏者100人が同じ時空間に一つに集まること自体が

    シンクロニシティでしょう。それに加えて会場に集まる何百人以上の聴き手がそこに集まるのもシンクロニシティ。

    その演奏がライブ中継されれば、何万人それ以上の人間もシンクロニシティのもとにある。

    クロノス的な時間、過去現在未来と物理的に経過して去っていっていまう時間とは異質の何かが働いているのではないか。
引用返信/返信 削除キー/

<前の12件 | 次の12件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 >>
Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 ツリー表示 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -