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■41483 / inTopicNo.49)  Re[15]: 全知の神
  
□投稿者/ knowingitself -(2025/03/26(Wed) 14:55:10)
    >>>ありえない架空の想定だが、常に傍らに天才的に耳の良い教師やリスナーがいて集中力を研ぎ澄ませているなら、その認知や識別、理解からまぬかれることはできない。生涯で鳴らすすべての音が対象になる。

    >> ↑この二行ですね、下記のパナチェさんの疑問は。この文章は補足の意味での付け足しでしたが、なかった方がよかったかもしれません。「傍らに」教師やリスナーはいてもいなくてもよいからです。架空の想定をしなくても、
    >> すべての音は認知や識別の可能な音として生まれているからです。傍らに耳の良い人がいれば、それを逃しませんが、傍らに人間は誰ひとりいなくても、確実に認知や識別可能な音としてそこにあったからです

    >いえ、上記の二行だけではないです。
    「全世界の音を鳴らす人のすべての音は、それと認知しうる。認知されうるものとして鳴らされる」から如何にして「神の全知とはそういうことではないか」が導き出されるのが分からないということなんです。
    これは初めに全知全能の神を想定(ありえない想定)しているからではないか?ということです。

    物質世界における現象の生成は、すべて認知しうるものとして生まれると解せるなら、そのことが認知されていることを必然的に含意しているのではないかと。「全知」から漏れる現象はない。全知全能の神を前もって想定しているのではありません。私の元投稿の「想定」の語も、全知全能の神の「想定」という意味ではありません。

    認知されていることと現象の生成は、不可分で分けて考えることはできない。今回の論旨はそうなります。現象の生成からみると「全能」です。起こりうる現象ならすべて地平から起こりうるという意味で「全能」。

    現象が生まれ消滅していく地平を、「全知全能」の神と捉えるのはそういうことです。地平の中では、確実に特定可能、識別可能、認知可能な現象として、生まれ、消えていきます。

引用返信/返信 削除キー/
■41482 / inTopicNo.50)  Re[15]: 全知の神
□投稿者/ knowingitself -(2025/03/26(Wed) 14:37:35)
    パニチェさん レスありがとうございます

    >> 全知全能の神の捉え方ですが、「現象が特定可能、認知可能、識別可能なものして生まれ、消滅する地平」のようなものとして捉えることができるのではないか?このような問題意識から「全知全能の神」を捉えているのが、今回の私の書き込みですね。
    >> この「地平」はたしかにはじめにあるものですが、この地平を否定することははたしてできるのだろうか?
    > と思います。

    >ここちょっと分かりません。
    現象が特定可能、認知可能、識別可能なものして生まれていることは分かります。
    「消滅する地平」とは何でしょうか?そこから「全能の神」を捉えるというのをもう少し詳しく教えて下さい。

    今回の書き込みは、音楽において楽器の音が生まれることを例としています。音が生まれれば当然消えていきます。生まれたところに向かって消えていきます。生まれるのも消滅するのも同じ地平だと。

    「全能」というのは、この宇宙に起こりうるものはすべてこの地平から起こっていると。
    起こす力はすべてこの地平に宿っているという意味です。


引用返信/返信 削除キー/
■41464 / inTopicNo.51)  Re[14]: 全知の神
□投稿者/ パ二チェ -(2025/03/25(Tue) 15:40:55)
    2025/03/25(Tue) 16:20:05 編集(投稿者)

    knowing itselfさん、さっそくの返信ありがとうございます。

    No41463に返信(knowingitselfさんの記事)

    > >>>>全世界の音を鳴らす人のすべての音は、それと認知しうる。認知されうるものとして鳴らされる。
    > >>>>神の全知とはそういうことではないか。
    >>>>どの楽器でも、例えばピアノなら、
    >>>>世界中で数えきれないほどピアノを弾く人はいるわけだ。
    >>>>そこで鳴らされた音は、すべて、認知され、識別され、理解される音として生まれる。
    >>>>ありえない架空の想定だが、常に傍らに天才的に耳の良い教師やリスナーがいて集中力を研ぎ澄ませているなら、その認知や識別、理解からまぬかれることはできない。生涯で鳴らすすべての音が対象になる。

    > ↑この二行ですね、下記のパナチェさんの疑問は。この文章は補足の意味での付け足しでしたが、なかった方がよかったかもしれません。「傍らに」教師やリスナーはいてもいなくてもよいからです。架空の想定をしなくても、
    > すべての音は認知や識別の可能な音として生まれているからです。傍らに耳の良い人がいれば、それを逃しませんが、傍らに人間は誰ひとりいなくても、確実に認知や識別可能な音としてそこにあったからです

    いえ、上記の二行だけではないです。
    「全世界の音を鳴らす人のすべての音は、それと認知しうる。認知されうるものとして鳴らされる」から如何にして「神の全知とはそういうことではないか」が導き出されるのが分からないということなんです。
    これは初めに全知全能の神を想定(ありえない想定)しているからではないか?ということです。


    > 全知全能の神の捉え方ですが、「現象が特定可能、認知可能、識別可能なものして生まれ、消滅する地平」のようなものとして捉えることができるのではないか?このような問題意識から「全知全能の神」を捉えているのが、今回の私の書き込みですね。
    > この「地平」はたしかにはじめにあるものですが、この地平を否定することははたしてできるのだろうか?
    > と思います。

    ここちょっと分かりません。
    現象が特定可能、認知可能、識別可能なものして生まれていることは分かります。
    「消滅する地平」とは何でしょうか?そこから「全能の神」を捉えるというのをもう少し詳しく教えて下さい。

引用返信/返信 削除キー/
■41463 / inTopicNo.52)  Re[13]: 全知の神
□投稿者/ knowingitself -(2025/03/25(Tue) 13:02:32)
    パ二チェさん レスありがとうございます

    >>>>全世界の音を鳴らす人のすべての音は、それと認知しうる。認知されうるものとして鳴らされる。
    >>>>神の全知とはそういうことではないか。
    > >>どの楽器でも、例えばピアノなら、
    > >>世界中で数えきれないほどピアノを弾く人はいるわけだ。
    > >>そこで鳴らされた音は、すべて、認知され、識別され、理解される音として生まれる。
    > >>ありえない架空の想定だが、常に傍らに天才的に耳の良い教師やリスナーがいて集中力を研ぎ澄ませているなら、その認知や識別、理解からまぬかれることはできない。生涯で鳴らすすべての音が対象になる。

    ↑この二行ですね、下記のパナチェさんの疑問は。この文章は補足の意味での付け足しでしたが、なかった方がよかったかもしれません。「傍らに」教師やリスナーはいてもいなくてもよいからです。架空の想定をしなくても、
    すべての音は認知や識別の可能な音として生まれているからです。傍らに耳の良い人がいれば、それを逃しませんが、傍らに人間は誰ひとりいなくても、確実に認知や識別可能な音としてそこにあったからです。

    > ここなんですよ。
    > ありえない架空の想定をする時点で「はじめに全知全能の神ありき」だと思うのです。

    全知全能の神の捉え方ですが、「現象が特定可能、認知可能、識別可能なものして生まれ、消滅する地平」のようなものとして捉えることができるのではないか?このような問題意識から「全知全能の神」を捉えているのが、今回の私の書き込みですね。

    この「地平」はたしかにはじめにあるものですが、この地平を否定することははたしてできるのだろうか?
    と思います。


    > 上記は演繹的な説明であって、帰納法的な説明にはなりえないと思うのですが如何でしょうか。
    >

    たしかに、帰納法的な説明にはなりえないと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■41457 / inTopicNo.53)  Re[12]: 全知の神
□投稿者/ パ二チェ -(2025/03/25(Tue) 08:29:22)
    おはようございます、knowing itselfさん。
    今週は木曜まで時間があり、横レス失礼します。
    SumioBabaさんにもお伝えした通り、以下はあくまでも興味本位からのレスであり、論争を目的としたものではありません。

    No41455に返信(knowingitselfさんの記事)
    > 神の「全知」については、直観的には下記の過去レス程度でもいいかと感じている。
    > そして、この世界で発生しうるありとあらゆる現象の認知主体たりうるものを「全能」の神とみることもできるかなと。
    > このくらいであれば、素朴すぎるが、誰でも直観的に同意できるかと。

    > ■No41095に返信(knowingitselfさんの記事)
    > >>>生涯で鳴らした音はすべて現実世界で、リアルに出力された、音として生まれた。そのすべての音を正確に記憶できることはないと思うが、少なくとも音を鳴らしたときは、音として認知していたのではないか。
    > >>全世界の音を鳴らす人のすべての音は、それと認知しうる。認知されうるものとして鳴らされる。
    > >>神の全知とはそういうことではないか。
    >>どの楽器でも、例えばピアノなら、
    >>世界中で数えきれないほどピアノを弾く人はいるわけだ。
    >>そこで鳴らされた音は、すべて、認知され、識別され、理解される音として生まれる。
    >>ありえない架空の想定だが、常に傍らに天才的に耳の良い教師やリスナーがいて集中力を研ぎ澄ませているなら、その認知や識別、理解からまぬかれることはできない。生涯で鳴らすすべての音が対象になる。

    ここなんですよ。
    ありえない架空の想定をする時点で「はじめに全知全能の神ありき」だと思うのです。
    上記は演繹的な説明であって、帰納法的な説明にはなりえないと思うのですが如何でしょうか。

引用返信/返信 削除キー/
■41455 / inTopicNo.54)  全知の神
□投稿者/ knowingitself -(2025/03/25(Tue) 06:22:44)
    神の「全知」については、直観的には下記の過去レス程度でもいいかと感じている。

    そして、この世界で発生しうるありとあらゆる現象の認知主体たりうるものを「全能」の神とみることもできるかなと。

    このくらいであれば、素朴すぎるが、誰でも直観的に同意できるかと。


    No41095に返信(knowingitselfさんの記事)
    >>>生涯で鳴らした音はすべて現実世界で、リアルに出力された、音として生まれた。そのすべての音を正確に記憶できることはないと思うが、少なくとも音を鳴らしたときは、音として認知していたのではないか。
    >>
    >>全世界の音を鳴らす人のすべての音は、それと認知しうる。認知されうるものとして鳴らされる。
    >>
    >>神の全知とはそういうことではないか。
    >
    > どの楽器でも、例えばピアノなら、
    >
    > 世界中で数えきれないほどピアノを弾く人はいるわけだ。
    >
    > そこで鳴らされた音は、すべて、認知され、識別され、理解される音として生まれる。
    >
    > ありえない架空の想定だが、常に傍らに天才的に耳の良い教師やリスナーがいて集中力を研ぎ澄ませているなら、その認知や識別、理解からまぬかれることはできない。生涯で鳴らすすべての音が対象になる。
    >
    > これはピアノに限らず、あらゆる楽器であてはまるだろう。
    >
    > これは聴覚の話しだが、実はあらゆる感覚情報についてもいえないか。楽器は人間の身体のメタファーでもある。
    >
    > なぜこういうことをいうかというと、
    >
    > これが「すべてを知る」神のイメージになりうるかと思うからだ。
    >
    > 感覚的にインプットされる現象は、認知されうる、理解されうるものとして生みださせる。
    >
    >
    > 生み出されることと認知される理解されることは同時といっていいかもしれない。
    >
    > もちろん、個人でも集団としての人間でも、認知や理解に追いついていけない、漏らしてしまうのが当然だが。
    >
    > しかし原理的にはすべてが認知可能理解可能なものとして、現象は生まれ消えていく。
    >
    > その認知や理解の主体が「すべてを知る」神ということになろうか。
    >
    > このとき、現象の創造主体であることと、「すべてを知る」ことは同一に帰するというか、区別することはできないようにも思う。同時の過程だから。

引用返信/返信 削除キー/
■41430 / inTopicNo.55)  Re[22]: 史的イエスと史的釈迦
□投稿者/ knowingitself -(2025/03/23(Sun) 17:31:24)
    >昨今の日本人研究者による新書版の仏教書で売れているのは、

    >100年前の史的イエス研究の仏教バージョンをやっている印象を受ける。

    どこかに、本当の意味でお経といえるのはパーリ語仏典だけだという考えがあるのかもしれない。

    これに対して、禅宗などでは、「吸う息吐く息がお経なんだ」と言われることもある。

    めちゃめちゃお経の範囲が広大になる。普遍的になる。

    これはキリスト教の「神のことば」の捉え方にある意味では接近するといえないこともない。

    ケリュグマのキリスト、仏教ならケリュグマのブッダになる?

    他方でパーリ語仏典の研究をするような人は、専門家でも素人でも、一神教嫌いが多いはずだが、

    聖書解読における史的イエス偏重のある種のプロテスタント聖書学に接近するようなところがあるのではないか。




引用返信/返信 削除キー/
■41408 / inTopicNo.56)  Re[22]: 史的イエスと史的釈迦
□投稿者/ knowingitself -(2025/03/22(Sat) 16:46:03)
    例えば、非常に売れているとされる佐々木閑先生や清水俊史先生は史的釈迦研究的だと思う。

    石飛道子先生の研究はケリュグマのブッダか。この点は徹底している感じだ。ケリュグマの龍樹にしてケリュグマのブッダ。

引用返信/返信 削除キー/
■41407 / inTopicNo.57)  史的イエスと史的釈迦
□投稿者/ knowingitself -(2025/03/22(Sat) 16:08:45)
    史的イエスとケリュグマのイエスならぬ、

    史的釈迦とケリュグマの釈迦。

    まあ、私の思いつきレベルかもしれないが、

    昨今の日本人研究者による新書版の仏教書で売れているのは、

    100年前の史的イエス研究の仏教バージョンをやっている印象を受ける。

    これに対して、スマナサーラ長老(私は何十冊と読んでいます)は、

    ケリュグマの釈迦ではと私は受けとめている。

    それは、仏典は完全無欠なんだという前提から、すべて解き明かされている

    ということです。スマナサーラ長老はその点では、一切の疑いがないようにみえる。


引用返信/返信 削除キー/
■41367 / inTopicNo.58)  仏教は英雄政治家史観と合わない
□投稿者/ knowingitself -(2025/03/20(Thu) 19:34:43)
    科学や芸術、哲学などでも、私は英雄史観は取らない。

    政治においても当然だね。

    まさかいまの日本で、トランプ英雄史観をとる人はそんなにいないと思うが(笑)

    オバマやバイデンや民主党は悪の権化だ、トランプとマスクはすべてを変えてくれる!


    おめでたい人もいるもんだね。


    ちなみに、私は反トランプでも、反民主党でもない。

    政治経済に仏教を当てはめれば、そんな単純な脳みそにはならんと思うよ。
引用返信/返信 削除キー/
■41357 / inTopicNo.59)  文化革命の背景にある知と感性の地殻変動
□投稿者/ knowingitself -(2025/03/20(Thu) 08:42:00)
    以上な温暖化など昨今の地球環境の変化なら、ほとんど誰でも気づけるかもしれない。

    もっと微細な環境変化なら、気づける少数の人から気づいていく。

    何を言いたいかというと、音楽でも美術、文学、ドラマ、映画その他、つまり芸術作品の創造でも背景にあるのは

    環境変化。地殻変動、潮流の変化、大気の変動、といった地球環境の喩えで理解できるような、心や感受性の文明的歴史的な環境変化。

    その変化の向きを最前線でキャッチするのが、天才と言われる人なんだろうと。

    その人がキャッチしなかったとしとも、別の誰かが遅かれ早かれ、キャッチしたのでしょう。

    そういう意味で、芸術をすべて天才の個人的能力に帰するのは、通俗的な英雄史観のバリエーションかもしれない。

    どこかの国の地上波ドラマのような英雄史観。


    芸術でも、科学でも、その他のジャンルでも、英雄史観では説明できないと思う。

    ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの時代でも、音楽をめぐる環境変化の方が重要かもしれない。

    二十世紀の物理学革命もそう。

    ジャズやロックでもそうだと思う。




引用返信/返信 削除キー/
■41304 / inTopicNo.60)  「ある」であることが神
□投稿者/ knowingitself -(2025/03/18(Tue) 14:44:30)
    なぜ世界は「ある」のか?

    この問いに対するキリスト教の答えは、

    「ある」を「神」という、「神」とは究極の「ある」なんだと。

    この世界のありとあらゆる現象は「ある」を分有するから「ある」ことができるんだと。

    別の言い方をすると、究極の「ある」から「ある」性を分け与えられるから、それで初めて「ある」ことができるんだと。


引用返信/返信 削除キー/

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