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■41530 / inTopicNo.37)  素朴実在論考
  
□投稿者/ knowingitself -(2025/03/28(Fri) 15:50:06)
    >「対象は私たちの意識とは無関係に存在する」というテーゼについては、あるジャンル限定の科学的な探求の方法論としてならある時代までは採用されていたのかもしれませんが、私自身はこのテーゼを受け入れているわけではありません。ジャンルや対象などによると思います。

    >対象によっては、私たちの意識とは無関係に存在するとみなしてよい場合もあると思います。自動車とかはそうですね。

    大の自動車愛好家なら、愛好家の意識や身体と自動車との関わり、親しい人や風景などの記憶が纏まりついているので、素朴実在論的な自動車の捉え方はないのかもしれない。

    そうではなく、ひたすら物体、構造体、メカニズムとして自動車をみるばあいは、素朴実在論的になるかと。、

    音楽なんかだったら、「意識と無関係に存在する」はよほどその音楽に無関心である場合以外はないかなと。
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■41529 / inTopicNo.38)  Re[20]: 全知の神
□投稿者/ knowingitself -(2025/03/28(Fri) 15:40:47)
    パニチェさん レスありがとうございます

    >> >宇宙にあるありとあらゆる「対象」の十全なる被認知可能性、被理解可能性から

    ↑ここが素朴実在論的ということでしょうか?わたしは量子力学をはじめとする現代物理学にはまったく明るくありませんが、物理学も含めて現代科学にも基本的には妥当するものとして、上記の文章を書きました。もちろん「十全なる」の意味にもよりますが。科学による真偽検証(どんなに微妙ではあれ)の具体的なプロセスに乗せることはできますからね。量子力学の概念、枠組みの適用という形で、被理解のプロセスに具体的に乗せれるわけです。人間が量子力学まで被認知、被理解の過程を洗練・進化させたというだけで、すごいことです!

    古典物理と現代物理では大きな断絶と飛躍があることは当然認めます。と同時に、古典物理の有効性はまったく廃れていません。自動車、建築、航空機、電気産業など。現代物理の基礎としても、教育制度などで必須不可欠です。

    >> そんなことが認知する前、理解する前からどうしてわかるんだい?
    > わかりません。あくまで仮定の世界観、信念体系でしかないともいえる。
    > が、近現代の西洋的知性の爆発には、おそらくこの仮定があるでしょう。
    > 認知可能と不可能、理解可能と不可能の線引きに最初から戸惑い、知性に多大の制約をかけるような仮定の世界観でないことは確かでしょう。

    >同意しますが、上記の世界観は古典物理(相対性理論までの物理理論)だと思います。
    量子力学の登場によって観測対象の客観的な実在性についても戸惑いや疑問が生じました。

    >それまでの科学の大前提であった素朴実在論(科学の対象は私たちの意識とは無関係に存在する)にも疑義が生じ考えてもみなかった観測問題が横たわった。

    「対象は私たちの意識とは無関係に存在する」というテーゼについては、あるジャンル限定の科学的な探求の方法論としてならある時代までは採用されていたのかもしれませんが、私自身はこのテーゼを受け入れているわけではありません。ジャンルや対象などによると思います。

    対象によっては、私たちの意識とは無関係に存在するとみなしてよい場合もあると思います。自動車とかはそうですね。
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■41524 / inTopicNo.39)  Re[19]: 全知の神
□投稿者/ パ二チェ -(2025/03/28(Fri) 08:12:49)
    おはようございます、knowing itselfさん。横レス失礼します。

    No41508に返信(knowingitselfさんの記事)

    > >「対象」がもつ潜在的な被認知可能性、被理解可能性ということです。
    > >被認知可能性、被理解可能性をもつ「対象」がオープンな巨大空間の中に裸形で放り出されている。
    > >人間には生得的な知覚能力や認識能力の枠があるので、その枠内でしか認知や理解はできませんが、その枠内では、「対象」の被認知過程、被理解過程に参入できているとみなせると。

    > こういった考え方が、科学の基礎にあるのではと思う。
    > 宇宙の無数の星々は、こういった考え方によって科学的探求に駆り立てられず、認識不能の漠然とした対象にとどまるならば、神話や夢想、文学、アートの素材を超えることはできないのではないか。

    同意です。

    No41523に返信(knowingitselfさんの記事)
    > >宇宙にあるありとあらゆる「対象」の十全なる被認知可能性、被理解可能性から

    > そんなことが認知する前、理解する前からどうしてわかるんだい?
    > わかりません。あくまで仮定の世界観、信念体系でしかないともいえる。
    > が、近現代の西洋的知性の爆発には、おそらくこの仮定があるでしょう。
    > 認知可能と不可能、理解可能と不可能の線引きに最初から戸惑い、知性に多大の制約をかけるような仮定の世界観でないことは確かでしょう。

    同意しますが、上記の世界観は古典物理(相対性理論までの物理理論)だと思います。
    量子力学の登場によって観測対象の客観的な実在性についても戸惑いや疑問が生じました。

    それまでの科学の大前提であった素朴実在論(科学の対象は私たちの意識とは無関係に存在する)にも疑義が生じ考えてもみなかった観測問題が横たわった。
    多世界解釈は、この事態を救済し、もともとの素朴実在論を担保するひとつの捉え方ではありますが。。。

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■41523 / inTopicNo.40)  Re[18]: 全知の神
□投稿者/ knowingitself -(2025/03/28(Fri) 07:29:51)
    >宇宙にあるありとあらゆる「対象」の十全なる被認知可能性、被理解可能性から

    そんなことが認知する前、理解する前からどうしてわかるんだい?

    わかりません。あくまで仮定の世界観、信念体系でしかないともいえる。

    が、近現代の西洋的知性の爆発には、おそらくこの仮定があるでしょう。

    認知可能と不可能、理解可能と不可能の線引きに最初から戸惑い、知性に多大の制約をかけるような仮定の世界観でないことは確かでしょう。

引用返信/返信 削除キー/
■41508 / inTopicNo.41)  科学の背景にある世界観
□投稿者/ knowingitself -(2025/03/27(Thu) 16:57:46)
    >「対象」がもつ潜在的な被認知可能性、被理解可能性ということです。

    >被認知可能性、被理解可能性をもつ「対象」がオープンな巨大空間の中に裸形で放り出されている。

    >人間には生得的な知覚能力や認識能力の枠があるので、その枠内でしか認知や理解はできませんが、その枠内では、「対象」の被認知過程、被理解過程に参入できているとみなせると。

    こういった考え方が、科学の基礎にあるのではと思う。

    宇宙の無数の星々は、こういった考え方によって科学的探求に駆り立てられず、認識不能の漠然とした対象にとどまるならば、神話や夢想、文学、アートの素材を超えることはできないのではないか。
引用返信/返信 削除キー/
■41506 / inTopicNo.42)  Re[17]: 全知の神
□投稿者/ knowingitself -(2025/03/27(Thu) 16:22:05)
    パニチェさん レスありがとうございます

    >おそらく平行線になると思うので、私からの返信は今回で(質問等がないかぎりは)最後とさせてもらいます。

    了解しました。

    ただ、今回のテーマは重要だと思っているので、議論とか批判の意味はなしに、書き込みは続けさせてもらいます。もちろん完全無視も、横ヤリもオーケーです。

    今回のは、何らかの固定観念に色づけられた主体としての全知全能の神をはじめに想定するのではなく、「対象」から捉えるアプローチですね。

    「対象」がもつ潜在的な被認知可能性、被理解可能性ということです。

    被認知可能性、被理解可能性をもつ「対象」がオープンな巨大空間の中に裸形で放り出されている。

    人間には生得的な知覚能力や認識能力の枠があるので、その枠内でしか認知や理解はできませんが、その枠内では、「対象」の被認知過程、被理解過程に参入できているとみなせると。

    人間以外の無数の生物にも、それぞれの生得的な制約枠があるので、その枠内で「対象」の被知覚、被認知過程に参入しているとみなせる。

    「対象」から考えるのであって、究極の「主体」は想定しないといっても、この二つは結局はセットではないか?

    その疑問は当然ありえます。しかし、セットにならざるを得ないならそれもやむをえないかなと。

    最初に裏から「全知全能」の主体を潜り込ませている議論ではないつもりです。

    宇宙にあるありとあらゆる「対象」の十全なる被認知可能性、被理解可能性から、その「主体」を要請するという道筋ですね。
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■41492 / inTopicNo.43)  Re[16]: 全知の神
□投稿者/ パ二チェ -(2025/03/26(Wed) 19:32:01)
    2025/03/27(Thu) 01:43:47 編集(投稿者)

    knowing itselfさん、レスありがとうございます。

    おそらく平行線になると思うので、私からの返信は今回で(質問等がないかぎりは)最後とさせてもらいます。

    認知されうる、あるいは認知された対象を「現象」と呼ぶのであって、未だ認知されない、「現象」と呼べない対象もある。

    物質世界における現象(未だ認知されない対象も含み)の生成は、すべて認知しうるものとして生まれるということを前提とできません。

    認知されない対象について、原理的に認知されうる現象であるのか、あるいは原理的に認知されえない対象であるのか、我々は知り得ない。

    また認知とは我々の五感でもって知りうる対象であり、人間には知りえない対象でも人間以外の動物で知りえる(コウモリにとっての超音波など)対象もあるように、生物の感覚器官では知りえない対象もあるかもしれない(量子力学の観測問題や事象の地平面等々)。

    上記の全ての対象も認知可能、あるいは認知しうる対象とするならば、あらかじめこれらを認知しうる全知全能の主体を想定しているということになります。

引用返信/返信 削除キー/
■41491 / inTopicNo.44)  楽器のすべての音を全知する神
□投稿者/ knowingitself -(2025/03/26(Wed) 17:46:37)
    全宇宙を音響効果のよいホールに喩えてみますか。

    そこで聞き耳を立てている擬人的な存在としての神なるものを想定するのではありません。

    むしろそのホール自体が全知の神です。ホール内で鳴らされるあらゆる音は物質をあらわします。

    ホールというと空間を連想してしまうので微妙かもしれないが(笑)、空間も人間からの認識なので、ホールは空間の喩えではないとしてください。
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■41489 / inTopicNo.45)  Re[19]: スクリーンと映画
□投稿者/ knowingitself -(2025/03/26(Wed) 16:59:39)
    物理学的に多世界が正しいのか否かは置くとして、

    人間の生きることは多世界でしかないようにも思う。

    日本人をとっても、一億二千万人それぞれ違う宇宙を生きている。

    驚くほど多様で変化のある内的宇宙。そりゃ、自然環境的には一つで、日本人は画一的だ、同調性が強い、そういう文化だと言われても、人それぞれの内的宇宙はおどろく個性的で多様でしかありえないと思う。

    ラマナマハルシ的には、スクリーンは同じ一つでも、一億二千万人が観る映画は一億二千万通りの多様性。
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■41488 / inTopicNo.46)  スクリーンと映画
□投稿者/ knowingitself -(2025/03/26(Wed) 16:22:33)
    以前からラマナマハルシによる「スクリーンとその上の映画」の喩えを何度となく借用してきたが、

    この「スクリーン」というのが全知全能の神を表していると解釈できる。

    というより、ラマナの立場からは端的にそうなる。

    アドバイタとして現在でも、世界的にもっとも信用できるグルの一人はラマナといっていいでしょう。

    仏教ともキリスト教とも、ヒンドゥー教、その他の宗教、神道などとも、いかなるスピリチュアル的なものとも、真理をつきながらシンプルにして互換性のあるのがラマナと思う、個人的にはね。
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■41487 / inTopicNo.47)  Re[17]: 人生とCDプレーヤーの喩え
□投稿者/ knowingitself -(2025/03/26(Wed) 15:41:40)
    >人生のすべての1分1秒は一回限りであり、再生できないことを理解していますか?
    人生はCDプレーヤーとは違います。今この瞬間を再びやり直すことはできません。今のこの人生は二度とこないのです。

    >ーー「有意義な生き方」アルボムッレスマナサーサ

    人生における、CDプレーヤー的にリピートできないこの瞬間において何をやるかというと、スマナサーラ長老なら、

    ナーマとルーパをヴィパッサナーすることがもっとも意味のあることになるかな。

    ナーマとルーパは曖昧な形で漠然と流れていくものではなく、確実に特定識別できるのだという仏教的な世界観にスマナサーラ長老が立っていることはいうまでもありません。、

    もちろん長老は全知全能の神など認めるはずはない、長老はことあるごとにそういうものを否定している。

    しかしわたしからみると、長老は全知全能の神をたてる世界観とそれほど距離があるものではない。


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■41485 / inTopicNo.48)  人生とCDプレーヤーの喩え
□投稿者/ knowingitself -(2025/03/26(Wed) 15:21:18)
    人生のすべての1分1秒は一回限りであり、再生できないことを理解していますか?
    人生はCDプレーヤーとは違います。今この瞬間を再びやり直すことはできません。今のこの人生は二度とこないのです。

    ーー「有意義な生き方」アルボムッレスマナサーサ p144より引用

    これはさまざま思索や洞察に誘う、奥深い記述ですね!

    音楽とこの世界の関係、仏教とキリスト教で音楽の捉え方は違うのか、

    音楽と時間の関係、などなど


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