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■41580 / inTopicNo.25)  ゲーデルによる神の存在論的証明
  
□投稿者/ knowingitself -(2025/03/29(Sat) 18:54:14)
    かのクルトゲーデルが晩年に力を注いでいたのが、

    神の存在論的証明

    非常に短い。一枚の紙におさまるくらい。

    本人は証明に成功したと思っていた。

    賛否両論だが、否定している人で理解して否定している人はあまりいない感じだ。

    オマエはどう思う?

    よくわかりません(笑)

    天才ゲーデルが妄想でアホなことを考えていたとも思えない。

    神の存在証明をやるくらいの人は、ライフテーマとして徹底的に探求した結果とみて間違いないのがほとんどだろうから、理解する方も腰をすえてじっくりいこう。
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■41574 / inTopicNo.26)  Re[25]: 人格神
□投稿者/ knowingitself -(2025/03/29(Sat) 16:22:35)
    >神に対する関係性としての神のことば。このときの両者(とりあえず聖霊はおくとして)を相手との関係性においてとらえたのがペルソナです。それに訳語として人格をあてることができますが。

    もともと仮面という意味のあったペルソナ。三位一体論では唯一の神における「役割」「関係」をあらわすために使用している。三人の別々の人間が被るペルソナ=仮面という意味ではまったくない。

    神のことばが人間として受肉したとき、つまり懐胎したその瞬間に、もう完全な意味で、神のことばであるペルソナとしての神であったと。同時に100パーセントの人間でもあったが。人間として成長して、何か超人的なスーパースターになってその時にはじめて神になるのではない。神としての圧倒的なオーラを纏い出してから神になるのでもない。
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■41571 / inTopicNo.27)  カント哲学との対比
□投稿者/ knowingitself -(2025/03/29(Sat) 15:32:47)
    >> 「この関係性は宇宙に物質もいかなる生物も存在する以前から存在していたと」いうことを何故人間が知りえるのでしょうか?

    >> 当然のことながら、知ることは困難というか、知り得ないに限りなく近いでしょう。

    補足です。

    カント哲学では人間は物自体を認識しえないとされています。現象の認識の場合は、古典物理学の哲学的正当化と評されほど、人智の可能性を認めているが、物自体には及ばないんだと。

    カント哲学とカトリック神学を比較したばあい、カトリック神学の方が人間理性に楽観的だ、ポジティブに範囲が広いとされることが多いですが、「三位一体」に関してだけは、理性では知り得ない、信仰の神秘とされているようです。三位一体はさんざん議論されているけれど、その奥義に入れるためには信仰の神秘なんだと。
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■41569 / inTopicNo.28)  数学や論理学と実験科学
□投稿者/ knowingitself -(2025/03/29(Sat) 13:45:37)
    数学や論理学と実験科学の違い。

    前者はある意味ではすべて仮説であるともいえる。

    それでも、その中で真理はありうると思う。

    仮説以外の何ものでなくても、論証が破綻していなければ真理といえるのではないか。

    数学はある意味では形而上学でしょう。論考・思考過程それ自体が真理を証立てる。現実世界で実験で検証させなければ空理空論にすぎないとはならない。

    じゃ宗教は?キリスト教は?

    キリスト教の場合、実験科学的な要素も抜くことはできない。

    まあ、この点は仏教でもまったく同じと思うが。




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■41568 / inTopicNo.29)  Re[27]: 人格神
□投稿者/ パ二チェ -(2025/03/29(Sat) 12:32:08)
    knowing itselfさん、さっそくのレスをありがとうございます。

    No41566に返信(knowingitselfさんの記事)

    > >ちょっと突っ込みっぽい質問で恐縮なのですが。。。
    > 「この関係性は宇宙に物質もいかなる生物も存在する以前から存在していたと」いうことを何故人間が知りえるのでしょうか?

    > 当然のことながら、知ることは困難というか、知り得ないに限りなく近いでしょう。

    > >またはそのように聖書で説かれている、あるいは信念体系ということでしょうか。

    > 最重要の原理を「仮定」としておき、それを起点に全体の聖書を統一的に解釈する、再構成するということだと思います。

    > 公理論的な構成というのは、数学などで採用されていますが、それに類似しているとも考えられます。

    > 幾何学などの公理はその真偽を感覚世界で実証される必要はないのではないでしょうか。無意味でも無内容でもいい。とにかく公理設定以後は、ロジックによる体系構成の問題になると。

    > ただし、三位一体という公理としては、公理論的構成の前提としては無意味な抽象記号にみえるかもしれないが、

    > キリスト教的には「愛」のことをいっているだけです。「愛」を説くためだけにあるようなものです。

    > 一言でいえば、「愛」の信念体系ということはいえるかもしれない。

    > 仏教なら、「慈悲」かな。仏教は結局は「慈悲」の信念体系なんだという捉え方も、わたしはあると思います。

    了解しました。
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■41566 / inTopicNo.30)  Re[26]: 人格神
□投稿者/ knowingitself -(2025/03/29(Sat) 11:46:34)
    パニチェさん 書き込みありがとうございます

    >ちょっと突っ込みっぽい質問で恐縮なのですが。。。
    「この関係性は宇宙に物質もいかなる生物も存在する以前から存在していたと」いうことを何故人間が知りえるのでしょうか?

    当然のことながら、知ることは困難というか、知り得ないに限りなく近いでしょう。



    >またはそのように聖書で説かれている、あるいは信念体系ということでしょうか。

    最重要の原理を「仮定」としておき、それを起点に全体の聖書を統一的に解釈する、再構成するということだと思います。

    公理論的な構成というのは、数学などで採用されていますが、それに類似しているとも考えられます。

    幾何学などの公理はその真偽を感覚世界で実証される必要はないのではないでしょうか。無意味でも無内容でもいい。とにかく公理設定以後は、ロジックによる体系構成の問題になると。

    ただし、三位一体という公理としては、公理論的構成の前提としては無意味な抽象記号にみえるかもしれないが、

    キリスト教的には「愛」のことをいっているだけです。「愛」を説くためだけにあるようなものです。

    一言でいえば、「愛」の信念体系ということはいえるかもしれない。

    仏教なら、「慈悲」かな。仏教は結局は「慈悲」の信念体系なんだという捉え方も、わたしはあると思います。






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■41563 / inTopicNo.31)  Re[25]: 人格神
□投稿者/ パ二チェ -(2025/03/29(Sat) 10:42:28)
    おはようございます、knowing itselfさん。
    横レス失礼します。

    No41557に返信(knowingitselfさんの記事)
    > 西郷隆盛の人格、勝海舟の人格、孔子の人格

    > こういった意味での人格と、キリスト教は人格神という場合の人格は違います。

    > 天地創造以前には西郷隆盛の人格もなにも、人間そのものが存在していない。

    > 東洋的な偉人賢者英雄がもつような意味での何かが人格ではなく、

    > 神に対する関係性としての神のことば。このときの両者(とりあえず聖霊はおくとして)を相手との関係性においてとらえたのがペルソナです。それに訳語として人格をあてることができますが。
    > この関係性は宇宙に物質もいかなる生物も存在する以前から存在していたと。


    ちょっと突っ込みっぽい質問で恐縮なのですが。。。
    「この関係性は宇宙に物質もいかなる生物も存在する以前から存在していたと」いうことを何故人間が知りえるのでしょうか?
    またはそのように聖書で説かれている、あるいは信念体系ということでしょうか。
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■41557 / inTopicNo.32)  人格神
□投稿者/ knowingitself -(2025/03/29(Sat) 09:46:59)
    西郷隆盛の人格、勝海舟の人格、孔子の人格

    こういった意味での人格と、キリスト教は人格神という場合の人格は違います。

    天地創造以前には西郷隆盛の人格もなにも、人間そのものが存在していない。

    東洋的な偉人賢者英雄がもつような意味での何かが人格ではなく、

    神に対する関係性としての神のことば。このときの両者(とりあえず聖霊はおくとして)を相手との関係性においてとらえたのがペルソナです。それに訳語として人格をあてることができますが。
    この関係性は宇宙に物質もいかなる生物も存在する以前から存在していたと。

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■41556 / inTopicNo.33)  概念を翻訳することの難しさ
□投稿者/ knowingitself -(2025/03/29(Sat) 09:30:51)
    >三位一体論は、一つの本質の三つのペルソナ(ヒュポスタシス=サブスタンス)だから、サブスタンスは実質や実体か。もちろん、日本語の漢語をあてればの話しです

    ↑一段目の「一つの本質」、「本質」はギリシア語ではウシアで、このウシアは「実体」と訳されたりする。

    ウシア、ヒュポスタシス、ペルソナの相互関係は非常に入り乱れていて難解です。

    言いたいことは、「人格」とか「実体」という日本語からの連想でわかったつもりになってはいけない。
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■41553 / inTopicNo.34)  Re[18]: 人間神と人格神 サブスタンス
□投稿者/ knowingitself -(2025/03/29(Sat) 07:18:19)
    >サブスタンスといっても、科学などでの物質という狭い用例ではなく、何というか、根源にある本質みたいなもの。

    本質というより、実質、実体かな。こういうところ、漢語の明晰でない曖昧さね(笑)

    三位一体論は、一つの本質の三つのペルソナ(ヒュポスタシス=サブスタンス)だから、サブスタンスは実質や実体か。もちろん、日本語の漢語をあてればの話しです。

    ついでにいうと、実体といっても、大乗仏教で実体否定という場合の、日本語とも違う意味だと思う。
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■41552 / inTopicNo.35)  Re[17]: 人間神と人格神 サブスタンス
□投稿者/ knowingitself -(2025/03/29(Sat) 07:07:13)
    No41270に返信(knowingitselfさんの記事)
    > >「父なる神」も「子なる神」も「聖霊なる神」もペルソナではあるが、
    >
    > ギリシア教父たちは「父なる神」「子なる神」「聖霊なる神」をヒュポスタシスと名づけたが、西方教会はラテン語世界なので、ペルソナというラテン語訳をあてた。
    >
    > ヒュポスタシスは新プラトン主義のプロティノスで極めて重要な概念だが、三位一体というプロティノス思想との異質性が際立つ立場を表現するために、ヒュポスタシスを使ったことが、キリスト教の一筋縄ではいかない難解さの根っこにあるとかいわれる。


    ヒュポスタシスは、現代ヨーロッパ語でいうと、サブスタンスに近いとかいわれる。、

    子なる神(神のことば)のペルソナというのは、子なる神(神のことば)のサブスタンスと言い直してみると、より深く本質を洞察できるかもしれない。

    サブスタンスは物質という意味をもつ、もちろん。普通に物質という意味。

    物質という意味ではなく、わたしのサブスタンス、誰々さんのサブスタンス、自動車のサブスタンス、太陽のサブスタンス、資本主義のサブスタンス、水のサブスタンス、量子のサブスタンスなどの用例でも。

    ペルソナを仮面という硬直した用例にすると、固定したフォルムをもった単一の物体のように受け取られかねず、イエスという人間神を仮面どおりに崇拝するようなものがキリスト教であるとする誤謬が広がるかと。

    ペルソナというラテン語はたしかに、パーソンという英語などに展開して、人間を意味するようになったが、
    キリスト教用語におけるペルソナは、邦訳で人格とか位格は、むしろ「サブスタンス」という語義です。

    サブスタンスといっても、科学などでの物質という狭い用例ではなく、何というか、根源にある本質みたいなもの。
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■41537 / inTopicNo.36)  神のことばによる分節化
□投稿者/ knowingitself -(2025/03/28(Fri) 16:53:08)
    >「対象」がもつ潜在的な被認知可能性、被理解可能性ということです。

    宗教思想的な背景としては、いうまでもなく

    ヨハネ福音書1・1でしょう。

    神のことば(ロゴス)による世界創造。世界にあるものは、すべて、認知可能なように、理解可能なように、
    神のことばによって分節化されているんだと。それが世界創造なんだと。

    人間の言語能力の制約から、神による分節化を追体験、再現することは無理であっても、とにかくロゴスによる分節化だけはあるんだからと。


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