| 京都では毎年1月〜3月に京都冬の旅という催しがある。通常は公開していない仏様などを特別に公開するのだが、ま、言ってみれば冬も京都に来てね!キャンペーンとも言える。個人で回ることもできるが、おこしバスという観光バスで巡ることもできる。久しぶりにこの観光バスに乗ってみた。
コースは色々あるが今回選んだのはかなりマイナー(?)なお寺3ヵ所を巡るコースで、こんなお寺あったの!?というのばかりだった。その中の一つに頂法寺、通称六角堂というお寺がある。この呼び名は本堂が六角であることにより、親しみを込めて地元では六角さんと呼ぶそうである。創建は用明天皇2年(587)とかなり古い。その由来を聞いて納得したことがあるので書こうと思う。
聖徳太子が大阪にし四天王寺を建てたときのことである。その木材を求めて京都を訪れた(その頃の京都はまだ奈良周辺の一地域)。聖徳太子はとある池で沐浴をした。そのとき持念仏(念仏を唱える為いつも持ち歩いている仏:聖徳太子の持念仏は如意輪観音菩薩であった)を木にかけたのであるが、沐浴からあがると如意輪観音菩薩が「この地に留まって人々を助けたい」と仰せになった。その言葉に従い聖徳太子はそこに如意輪観音菩薩の為の堂を建て寺を作った。そして住職の住む家(僧坊)を池のそばに建てた。その初代は小野妹子ということである。
その後代々住職は本尊の如意輪観音菩薩に花を供えた.。これが花道の始まりであり、池のそばの僧坊から池坊と呼ばれるようになった。何時からかはわからないが、代々池坊の家元が六角堂(頂法寺)の住職をしている。
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