TOP HELP 新着記事 ツリー表示 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 親記事をトピックトップへ ]

このトピックに書きこむ

レス数の限度を超えたのでレスできません。

(レス数限度:100 現在のレス数:100) → [トピックの新規作成]
■40816 / inTopicNo.73)  良心の呵責【3】
  
□投稿者/ 田秋 -(2025/01/30(Thu) 18:52:06)
    4.良心考【7】 no40674
    [121]の後
    ボンヘッファーにとってconscienceの呵責は、この一致の喪失を告発し、自己の喪失を警告するものとして生じた。

    For Bonhoeffer a guilty conscience arose as an indictment of the loss of this unity アンド as a warning against the loss of one's self

    田秋註:アンドの英語がNGワードと判定されるためこのようにした。

    ‘guilty conscience’を「conscienceの呵責」と訳している。


    5. 良心考【7】 no40674
    [124][125]の前

    ハンナ・アーレントが指摘したように(この点については功利主義者のジョン・スチュアート・ミルに倣う)、conscienceの呵責が必ずしも悪い性格を意味するわけではない。実際、conscienceの呵責によって自責の念や罪悪感、羞恥心にさいなまれ、自己の完全性と全体性を取り戻す必要性に悩まされるのは、道徳的基準を適用することを確約する人だけである

    As Hannah Arendt pointed out, however, (following the utilitarian John Stuart Mill on this point): a bad conscience does not necessarily signify a bad character; in fact only those who affirm a commitment to applying moral standards will be troubled with remorse, guilt or shame by a bad conscience and their need to regain integrity and wholeness of the self.

    ‘bad conscience’ を「conscienceの呵責」と訳している。

    6. 良心考【10】 no40744
    [172]の後

    非暴力抗議や市民的抵抗としての市民的不服従もまたconscienceの呵責に基づく行為であるが、それを行う人々は、主として、(正義、平等、本質的な人間の尊厳の尊重といった)基本的な社会的美徳や原則と矛盾していると認識される法律や政府の政策を、多数派や民主的手続きに訴えることによって変更することを目的としている。

    Civil disobedience as nonviolent protest or civil resistance are also acts of conscience, but are designed by those who undertake them chiefly to change, by appealing to the majority and democratic processes, laws or government policies perceived to be incoherent with fundamental social virtues and principles (such as justice, equality or respect for intrinsic human dignity).

    何の修飾もない‘conscience’を「conscienceの呵責」としている。

    Civil disobedience as nonviolent protest or civil resistance are also acts of conscienceの部分だけだと
    「非暴力抗議や市民的抵抗としての市民的不服従もまた、【良心】の行動である」となる。

    私見として、全体の文意に沿って考えてみても‘conscience’を「conscienceの呵責」とする必然性はないように思う。

引用返信/返信 削除キー/
■40813 / inTopicNo.74)  良心の呵責【2】
□投稿者/ 田秋 -(2025/01/30(Thu) 07:28:30)
    2.良心考【4】 no40615
    [59]の前
    フロイトは、文化的超自我と個人の超自我の両方が、ある決定の道徳的側面に関して厳格な理想的要求を設定し、それに従わないことが「conscienceの呵責」を引き起こすと主張した。

    Freud claimed that both the cultural and individual super-ego set up strict ideal demands with regard to the moral aspects of certain decisions, disobedience to which provokes a 'fear of conscience'.

    ここでは'fear of conscience'が「conscienceの呵責」にあたる。
    Floraさん(の友人)が指摘した「超自我」が出てくる。

    3.良心考【6】 no40655
    [107]と[108]の間

    ショーペンハウアーは、利己的でない行いの後に経験するconscienceの呵責は、他者の現象の中に自分自身の内的存在を直接認識することから生じると考え、それは「真の自己が、自分自身、この特別な現れの中にだけ存在するのではなく、生きているすべてのものの中に存在する」という検証を私たちに与える。

    the good conscience, thought Schopenhauer, we experience after every disinterested deed arises from direct recognition of our own inner being in the phenomenon of another, it affords us the verification "that our true self exists not only in our own person, this particular manifestation, but in everything that lives.

    ここでdeepl先生は‘the good conscience’を「conscienceの呵責」を訳している!

    因みに'thought Schopenhauer’を外すと
    「善良な良心は、私たちが利害のない行いをした後に経験するものである。」
    となる。Schopenhauerをyouやtheyにしても善良な良心と訳すがSusieだと再び良心の呵責になる。Deepl先生の思考回路はボクにはわからない。

    なおgood conscienceは英和辞典で調べると善意となっている。
引用返信/返信 削除キー/
■40806 / inTopicNo.75)  良心の呵責
□投稿者/ 田秋 -(2025/01/29(Wed) 10:17:40)
    Deepl先生が「良心の呵責」と訳した処は11ヵ所ある。それを順次見ていく。

    1. 良心考【3】 no40607
    [37]と[38]の間。
    自分の誤りに気づかなかったり、誠実で勤勉な努力にもかかわらず、勉強したり助言を求めたりしても誤りを取り除くことができなかったりする場合、その人のconscienceは無条件に誤っていると言うことができる。自分が正しいという主観的確信があるからこそ、conscienceの呵責にさいなまれるのである。

    該当する部分の原文
    one is not aware of one's error or if, despite an honest and diligent effort one cannot remove the error by study or seeking advice, then one's conscience may be said to be invincibly erroneous. It binds since one has subjective certainty that one is correct.

    It binds since one has subjective certainty that one is correct.この部分が「自分が正しいという主観的確信があるからこそ、conscienceの呵責にさいなまれるのである」と訳された箇所である。「自分が正しいという主観的確信があるからこそ」が“since one has subjective certainty that one is correct.”なので、なんと良心の呵責と訳された箇所は“It bindsなのである!

    “It binds since one has subjective certainty that one is correct.”だけをDeepl先生にかけると「自分が正しいという主観的な確信がある以上、それは拘束力を持つ」となる。
    文章の流れをくみ取って意訳しているのである。
    意訳の善悪はさておき、恐るべし、Deepl先生!

    conscienceの呵責にさいなまれるのは「自分が正しいという主観的確信があるからだ」と断じているところは傾聴に値する。
引用返信/返信 削除キー/
■40800 / inTopicNo.76)  豊昇龍
□投稿者/ 田秋 -(2025/01/28(Tue) 09:40:21)
    豊昇龍が横綱になる。大甘の推挙とも言われており、確かに横綱不在という状況が推挙に有利に働いたのは事実だろう。

    でもボクは豊昇龍が好きだ。こんな理由で関取の贔屓になったことは今までにはなかったのだが、制限時間いっぱいになってからの豊昇龍の形相の凄まじさに惹かれた。とにかく凄い。

    横綱の品格という面から言うと多分失格だろう。タマ取るか取られるかというヤーさんの喧嘩でもこんな顔にはならないだろうという程(想像です)。

    これから大相撲は面白くなりそうだ。琴桜はこけてしまい、大の里もイマイチだったが、三つ巴の優勝決定戦に残った金峰山と王鵬はもっともっと強くなるだろうし、尊富士もいる。

    個人的には大の里と豊昇龍の時代が来るような気がする。

    田秋註:タマは魂のことですからね。
引用返信/返信 削除キー/
■40798 / inTopicNo.77)  英語版ウィキペディアconscienceの構成
□投稿者/ 田秋 -(2025/01/28(Tue) 07:42:08)
    2025/01/30(Thu) 20:24:03 編集(投稿者)

    英語版ウィキペディアconscienceの構成
    【サマリー】
    【ビュー】
     宗教的見解
     世俗的見解
     哲学的見解
    【conscience的行為と法律】
    【世界のconscience】
    【conscienceに基づく近代的行為の顕著な例】
    【文学、芸術、映画、音楽において】

    Deepl先生の力を借り英語版ウィキペディアconscienceの項をほぼ和訳した。文中に登場する人物の略歴や事物の説明文は省略した。
    訳文の場所は以下の通り。

    《〈研究所36〉》
    良心考  no40601
    【サマリー】 田秋註:原文にはタイトルがないが、田秋の判断で付けた。
    良心考【2】 no40602
    【ビュー】
    宗教的見解1 
    良心考【3】 no40607
    宗教的見解2
    良心考【4】 no40615
    世俗的見解
     社会を形成する本能としてのconscience
     進化生物学
     神経科学と人工conscience
    良心考【5】 no40642
    哲学的見解
     中世
    良心考【6】 no40655
    哲学的見解2
     現代
    良心考【7】 no40674
    哲学的見解3
    《〈研究所37〉》
    良心考【8】 no40691
    哲学的見解4
    良心考【9】 no40710
    【conscience的行為と法律】
    良心考【10】 no40744
    【conscience的行為と法律】2
    良心考【11】 no40755
    【世界のconscience】
    良心考【12】 no40759
    【世界のconscience】2
    良心考【13】 no40779
    【conscienceに基づく近代的行為の顕著な例】
    良心考【14】 no40782
    【conscienceに基づく近代的行為の顕著な例】2
    良心考【15】 no40794
    【文学、芸術、映画、音楽において】
    良心考【16】 no40797
    【文学、芸術、映画、音楽において】2
引用返信/返信 削除キー/
■40797 / inTopicNo.78)  良心考【16】
□投稿者/ 田秋 -(2025/01/28(Tue) 06:41:33)
    【文学、芸術、映画、音楽において】の後半部分

    E・H・カーは、小説『罪と罰』に登場するドストエフスキーの登場人物、若い学生ラスコーリニコフについてこう書いている: 「続篇がわれわれに明らかにするのは、(それほど繊細でない作家ならわれわれに与えたであろう)打ちひしがれたconscienceの痛みではなく、人間の本質的な性質とは相容れない信念を維持しようとする、力強い知性の悲劇的で実りのない闘いである」[271]。

    ヘルマン・ヘッセが『シッダールタ』を書いたのは、釈迦の時代の青年が、良心に従って、あらゆるものが統一され、シンプルに理解されうる超越的な内的空間を発見する旅に出かけ、最後には渡し守として無私の奉仕をすることを通じて、その個人的な真理を発見する様子を描写するためだった[272]。トールキンはその叙事詩『指輪物語』の中で、ホビットであるフロドだけが、戦乱の中国で力の指輪を運命の裂け目で破壊するために運ぶのに十分なほどconscienceにおいて純粋であり、フロドは最後に武器を持たずに旅をすることを決意し、生き物であるゴラムの命を助けるという彼の以前の決断によって失敗から救われたことを描写している[273]。コナー・クルーズ・オブライエンは、アルベール・カミュが非西洋世界との関係において西洋の意識とconscienceを最も代表する作家であると書いている[274]。ハーパー・リーの1960年の小説『モッキンバード殺し』では、アティカス・フィンチ(この本を原作とした名作映画(『モッキンバード殺し』参照)でグレゴリー・ペックが演じた)が、子供たちや地域社会に模範を示すconscienceに忠実な弁護士として描かれている[275]。

    ロバート・ボルトの戯曲『A Man For All Seasons』は、ヘンリー8世との闘いにおけるカトリック弁護士トマス・モアのconscienceに焦点を当てている(「忠実な臣民は、他のどんなものよりも自分のconscienceに忠実でなければならない」)[276]。ジョージ・オーウェルは、スコットランドの孤島ジュラ島で小説『Nineteen Eighty-Four』を書き、ある男(ウィンストン・スミス)が、国民のあらゆる行動を監視し、プロパガンダ、終わりのない戦争、言語統制(二重思考とニュースピーク)による思想統制を織り交ぜて国民の思考を操作し、囚人が拷問者を尊敬し、愛するようにさえなる全体主義国家の中で、批判的conscienceをどのように育もうとするかを描写した[277]:『愛の省』の中で、ウィンストンの拷問官(オブライエン)はこう言っている: 「君は、人間の本性というものが存在し、それが我々のすることに激怒し、我々に反旗を翻すだろうと想像している。しかし、人間の本性を作り出しているのは我々だ。人間は無限に変化しやすい」[278]。

    スペイン内戦中の罪のない女性や子どもたちの虐殺を描いたピカソの『ゲルニカ』のタペストリーが、ニューヨークの国連ビルの壁、安全保障理事会室の入り口に飾られている[279]。アルバート・タッカーは、犬を蹴り殺した罪で有罪判決を受けた男の道徳的崩壊とconscienceの欠如をとらえるために『男の首』を描いた[280]。

    印象派の画家フィンセント・ファン・ゴッホは、1878年に弟のテオに宛てた手紙の中で、「魂の炎を消してはならない。清貧を選び、それを愛する者は、大きな宝を持ち、conscienceの声をよりはっきりと聞くことができる。神の最も偉大な贈り物であるその声を心の奥底で聞き、それに従う者は、ついにその声の中に友を見いだし、決して孤独ではない!... それこそが、すべての偉大な人たちがその作品の中で認めてきたことであり、他の人たちよりも少し深く考え、探求し、働き、愛した人たち、人生という海の深みに分け入った人たちなのである」[281]。

    1957年のイングマール・ベルイマン監督作品『第七の封印』は、十字軍から幻滅して戻ってきた中世の騎士(マックス・フォン・シドー)の旅を描いている(「信じたくても信じることができない私たちはどうなるのだろう?「疫病が蔓延する風景を横切りながら、conscienceの意味ある利他的行為(曲芸師の家族が馬車で逃げ出すのに十分な時間、死の気をそらすためにチェスの盤をひっくり返す)ができるまで、死の擬人化とのチェスゲームを引き受ける)[282]。

    1942年の『カサブランカ』は、ナチスによる抑圧とレジスタンス指導者ヴィクター・ラズロの模範に直面した、皮肉屋のアメリカ人リック・ブレイン(ハンフリー・ボガート)の良心の成長を中心に描いている[283]。
    デヴィッド・リーンとロバート・ボルトの脚本による『ドクトル・ジバゴ』(ボリス・パステルナークの小説の映画化)は、ロシア革命のさなかにある医師詩人の良心に強く焦点を当てている(最後には「彼の心の壁は紙のようになっていた」)[284]。
    1982年のリドリー・スコット監督の映画『ブレードランナー』は、人工知能がconscienceのようなものを持つことを認めない未来社会における、賞金稼ぎ(リック・デッカード(ハリソン・フォード))と反逆のレプリカント・アンドロイド(ロイ・バティ(ルトガー・ハウアー))の間の、そしてその中のconscienceの葛藤に焦点を当てている[285]。

    ヨハン・ゼバスティアン・バッハは、彼の最後の偉大な合唱曲であるミサ曲ロ短調(BWV 232)を、conscienceが亡き人の人生を振り返るときに生じる、孤独、絶望、喜び、歓喜の交互の感情を表現するために書いた[286]。ここでJSバッハは対位法と対位法的な設定を用い、旋律的にもリズム的にも異なる声部が罪の赦しを求めるダイナミックな談話(「Qui tollis peccata mundi, miserere nobis」)を展開することで、「献身的な音楽によって、神は常にその恵みのうちに存在する」という彼の信念を表現した、全人類の道徳的な対話の螺旋を喚起している。[287]

    ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、後期弦楽四重奏曲における病気、conscience、死についての瞑想から、弦楽四重奏曲イ短調(1825年)作品132の第3楽章(弦楽四重奏曲第15番を参照)を「回復者の神への感謝の賛歌」として献呈した[288][289]。ジョン・レノンの作品「イマジン」は、戦争、宗教原理主義、政治によって生み出された残虐行為に対するconscienceを呼び起こすことに、その大衆的な魅力の多くを負っている[290]。ビートルズのジョージ・ハリスンが作曲した楽曲「内なる光」は、インドのラーガ音楽に合わせて、「戸外に出ることなく、天国の道を知ることができる」という『道経』の一節を歌っている[291]。 1986年の映画『ミッション』では、奴隷商人メンドーサの罪の意識と懺悔が、エンニオ・モリコーネの心に響くオーボエ音楽(「On Earth as it is in Heaven」)によって、より痛烈なものとなっている[292] 。ディープ・フォレストの曲「Sweet Lullaby」は、ソロモン諸島の伝統的なバエグの子守唄「Rorogwela」を基にしている[293]。ドリーム・アカデミーの曲「Forest Fire」は、我々の「黒い雲」が「違う種類の天候をもたらす」という道徳的な危険性をいち早く警告した。太陽の光を取り込むこと、それが終わりの始まりだ[294]。

    米国ジャーナリスト作家協会(ASJA)は、「顕著な個人的コストや犠牲を払ってでも、ジャーナリズムの最高原則に対する特異なコミットメント」を示したジャーナリストに対して、同協会が表彰に値するとみなす「conscience・イン・メディア賞」を授与している[295]。

    アムネスティ・インターナショナルで最も権威のある人権賞であるconscience大使賞は、アイルランドのノーベル賞受賞詩人シェイマス・ヒーニーが書いた「conscienceの共和国」という詩からインスピレーションを得ている[6]。

    おわり

    ===References===

    [271] EH Carr. Dostoevsky. 1821–1881. Unwin Books. London. 1962 pp. 147–52.
    [272] Ralph Freedman. Hermann Hesse: Pilgrim of Crisis. Jonathan Cape, London 1978. pp. 233–37.
    [273] Paul Kocher. Master of Middle Earth: The Achievement of JRR Tolkien. Thames and Hudson, London. 1973. p. 120.
    [274] Conor Cruise O'Brien. Camus. Fontana/Collins. London 1970 p. 84.
    [275] At Your Library 'To Kill a Mockingbird h_ttp://atyourlibrary.org/culture/kill-mockingbird-world-needs-him-now-atticus-finch-continues-inspire accessed 3 November 2012
    [276] Robert Bolt. A Man For All Seasons: A Play of Sir Thomas More. Heinemann. London 1961 p. 92.
    [277] Michael Shelden. Orwell: The Authorised Biography. Heinemann, London. 1991. ISBN 0-434-69517-3 pp. 469–73.
    [278] George Orwell. Nineteen Eighty-Four. Penguin Books, Ringwood. 1974. pp. 214–15, 216
    [279] Arnheim, Rudolf. The Genesis of a Painting: Picasso's Guernica. London: University of California Press. 1973. ISBN 978-0-520-25007-9
    [280] Albert Tucker. Man's Head. National Gallery of Australia. Accn No: NGA 82.384. Retrieved 23 July 2009.
    [281] The Letters of Vincent van Gogh. Ronald de Leeuw selected and ed, Arnold Pomerans trans. Penguin Books, London. 1997. ISBN 0-14-044674-5. p. 54.
    [282] Ingmar Bergman. The Seventh Seal. Touchstone. New York. 1960 p. 146
    [283] Aljean Harmetz. Round Up the Usual Suspects: The Making of Casablanca. Weidenfeld and Nicolson. London. 1992.
    [284] Robert Bolt. Doctor Zhivago (screenplay). Collins and Harvill Press. London. 1965 p. 217
    [285] Joseph Francavilla "The Android as Doppelganger" in Judith B. Kerman (ed). Retrofitting Blade Runner: Issues in Ridley Scott's Blade Runner and Philip K. Dick's Do Androids Dream of Electric Sheep? Bowling Green State University Popular Press. Bowling Green, Ohio. 1991 p. 4 at 6.
    [286] J.S. Bach. Messe H-Moll/Mass in B minor BWV 232. Balthasar-Neumann-Choir. Freiburger Barockorchester. Thomas Hengelbrock. BMG Music. 1997.
    [287] Christoph Wolff. Johann Sebastian Bach: The Learned Musician. Oxford University Press. Oxford. 2000. pp. 8, 339, 438–42.
    [288] JWN Sullivan. Beethoven: His Spiritual Development. George Allen & Unwin, London. 1964 p. 120.
    [289] Ludwig van Beethoven. The Late Quartets Vol II. String Quartet in A minor, Op. 132. Quartetto Italiano. Phillips Classics Productions 1996.
    [290] Ben Urish and Kenneth G. Bielen. The Words and Music of John Lennon. Greenwood Publishing Group. 2007 pp. 99–100.
    [291] George Harrison. I, Me, Mine. Chronicle Books. 2007. ISBN 0-8118-3793-9 p. 118.
    [292] James Schofield Saeger. The Mission and Historical Missions: Film and the Writing of History. The Americas. 1995; 51(3):393–415.
    [293] Al Weisel, "Deep Forest's Lush Lullaby", Rolling Stone, 21 April 1994, 26
    [294] Dream Academy. 'Forest Fire'. Lyrics "The Dream Academy - Forest Fire Lyrics". Archived from the original on 27 March 2008. Retrieved 6 December 2012. (accessed 7 December 2012)
    [295] Valk, Elizabeth P. (24 February 1992). "From the Publisher". Time. Retrieved 20 October 2009.
    [6] Amnesty International. Ambassador of Conscience Award. Retrieved 31 December 2013.


引用返信/返信 削除キー/
■40794 / inTopicNo.79)  良心考【15】
□投稿者/ 田秋 -(2025/01/27(Mon) 20:29:34)
    2025/01/28(Tue) 06:06:19 編集(投稿者)

    田秋註:最後のセクション

    【文学、芸術、映画、音楽において】
    <さらなる情報: 哲学と文学>

    インド亜大陸の古代叙事詩、ヴャサの『マハーバーラタ』には、conscienceの極めて重要な瞬間が2つある。ひとつは、戦士アルジュナが、戦争で敵対する親族を殺すことへの同情に打ちひしがれ、クリシュナから自分の精神的な義務(「一般的な善のために犠牲を捧げるかのように働け」)について助言を受ける場面である(バガヴァッド・ギーター参照)[259]。 もうひとつは、サーガの最後に、ユディシュティラ王が人生の道徳的試練をたった一人で乗り越え、永遠の至福を与えられるが、神の規則や掟と称するものによって忠実な犬が一緒に来ることを妨げられたために、それを拒否する場面である[260]。フランスの作家モンテーニュ(1533-1592)は、その最も有名なエッセイのひとつ(「経験について」)の中で、明確なconscienceを持って生きることの利点を表現している: 「われわれの義務は、書物を作ることではなく、人格を構成することであり、戦いや地方を獲得することではなく、われわれの行動において秩序と平穏を獲得することである[261]。松尾芭蕉(1644-94)は、俳句と散文を織り交ぜた有名な日本の紀行文『奥の細道』の中で、この朽ち果てやすい世界の中の永遠を描写しようとして、しばしばconscienceの呵責に駆られている。[262] チョーサーの『カンタベリー物語』の中の「フランクリン物語」は、若い求婚者が、誠実で、優しく、寛大である自由に対するconscienceの尊敬のゆえに、軽率な約束から妻を解放する様子を描いている[263]。

    批評家A.C.ブラッドリーは、シェイクスピアの悲劇的キャラクターであるハムレットの中心的な問題を、道徳的呵責という形のconscienceが、「正しく行おうとする大きな不安」を抱えた若き王子が、地獄に堕ちた父の亡霊に従い、簒奪した王を殺害することを思いとどまらせる問題であると論じている("is not perfect conscience to quit him with this arm?" (v.ii.67)[264].

    ブラッドリーは、ハムレットの道徳的苦悩について、「伝統的」conscienceと「批判的」conscienceの対立に関連する理論を展開している: 「ゴーストと共有していた彼の時代の伝統的な道徳観念は、彼が父の仇を討つべきだと明確に告げていた。しかし、彼の中の深いconscienceは、時代に先駆けて、このような明確な従来の考えと争ったのである。この深いconscienceが表面下にとどまっているために、彼はそのconscienceを認識できず、臆病や怠惰や情熱やその他によって妨げられているのだと思い込んでいるのである。しかし、ホレイショに対するあのスピーチで、それが明るみに出たのである」[265]。シェイクスピアのソネット94の冒頭の言葉("傷つける力を持ちながら、何もしない者たち")はconscienceの描写として賞賛されている[266]。 ジョン・ドンの詩s:Goodfriday, 1613 Riding Westwardの冒頭もそうである。:「人間の魂を球体としよう。そして、この球体の中で、動く知性、献身がある」[267]。

    アントン・チェーホフはその戯曲『かもめ』、『ワーニャ伯父さん』、『三人姉妹』の中で、conscienceの呵責に背を向けた医師たちの苦悩に満ちた心情を描いている[268]。チェーホフはまた、短編小説の中で、人々が拷問を受けたconscienceの声をどのように誤解しているかを探った。例えば、『フィット』の中の乱暴な学生は、それを「鈍い痛みで、はっきりせず、漠然としていて、苦悶のようでもあり、最も鋭敏な恐怖と絶望のようでもあり......胸の中、心臓の下にある」と表現し、『ある症例集から』の中で工場主の娘が経験した思いやりの誤解された苦悩を診察する若い医師は、それを「未知の、神秘的な力......実際にはすぐ近くで、彼を見ている」と呼んでいる[269]。特徴的なのは、チェーホフ自身のconscienceが、その辺境の前哨基地の囚人の過酷な状況を記録し、緩和するために、サハリンへの長い旅に彼を駆り立てたことである。イリーナ・ラトゥーシンスカヤがその作品の序文で書いている: 「彼はすべてを捨てて、当時ロシアで最も恐れられていた流刑地であり強制労働の場であった、遠く離れたサハリン島へと旅立った。なぜだろう?単に、そこに住む人々の境遇が辛辣であったから、亡命者の生と死について誰も本当のことを知らなかったから、彼は彼らが他の誰よりも助けを必要としていると感じたからだ。奇妙な理由かもしれないが、ロシア文学者の最高の伝統の典型である作家にとってはそうではない。ロシア文学は常にconscienceの問題に焦点を当て、それゆえ世論を形成する上で強力な力を持っていた」[270]

    つづく

    ===References===
    [259] Vyasa (Kamala Subramaniam abr.). Mahabharata. Bharatiya Vidya Bhavan, Bombay. 1989. pp. 430-11;32
    [260] Vyasa (Kamala Subramaniam abr.). Mahabharata. Bharatiya Vidya Bhavan, Bombay. 1989. p. 742.
    [261] Michel de Montaigne. Essays. Cohen JM (trans.) Penguin Books. Ringwood. 1984. p. 397.
    [262] Matsuo Basho. (Yuasa N (trans.) Narrow Road to the Deep North. Penguin Books, Harmondsworth. 1966. p. 118.
    [263] Geoffrey Chaucer. The Franklin's Prologue and Tale (Spearing AC intro.) Cambridge University Press, Cambridge. 1997. p. 42.
    [264] AC Bradley. Shakespearean Tragedy: Lectures on Hamlet, Othello, King Lear, Macbeth. Macmillan and Co. London. 1937. pp. 97-101
    [265] AC Bradley. Shakespearean Tragedy: Lectures on Hamlet, Othello, King Lear, Macbeth. Macmillan and Co. London. 1937 p. 99.
    [266] Manning Clark. A Discovery of Australia: 1976 Boyer Lectures. Australian Broadcasting Commission, Sydney. 1976. p. 37.
    [267] Joan Bennett. Five Metaphysical Poets. Cambridge University Press, Cambridge. 1971. p. 33.
    [268] Stephen Grecco."A physician healing himself:Chekhov's treatment of doctors イン the major plays" イン ER Peschel (ed). Medicine and Literature (1980) pp. 3-10.田秋註「イン」はエラーのため
    [269] Anton Chekhov. Selected Stories (J Coulson, trans.) Oxford University Press. London. 1963 p. 249.
    [270] Anton Chekhov. The Island: A Journey to Sakhalin (L and M Terpak trans) Century. London 1987 p. ix.
引用返信/返信 削除キー/
■40784 / inTopicNo.80)  bad conscience について
□投稿者/ 田秋 -(2025/01/27(Mon) 15:08:41)
    以下はno40674 の一部分です。

    しかし、ハンナ・アーレントが指摘したように(この点については功利主義者のジョン・スチュアート・ミルに倣う)、conscienceの呵責が必ずしも悪い性格を意味するわけではない。実際、conscienceの呵責によって自責の念や罪悪感、羞恥心にさいなまれ、自己の完全性と全体性を取り戻す必要性に悩まされるのは、道徳的基準を適用することを確約する人だけである

    原文は以下の通りです。
    As Hannah Arendt pointed out, however, (following the utilitarian John Stuart Mill on this point): a bad conscience does not necessarily signify a bad character; in fact only those who affirm a commitment to applying moral standards will be troubled with remorse, guilt or shame by a bad conscience and their need to regain integrity and wholeness of the self.

    Deepl先生は「bad conscience」を「conscience(良心)の呵責」と訳しています。
    「bad」が「(良心を)責める」という意味ならconscienceと良心は同じ意味になると思います。特段、西洋の概念conscienceと日本の概念良心とはここが違うと言う程違っていないことになります。もしそうなら拍子抜けした感じです。しかしまだそうではない部分があるかもしれません。

    conscienceを良心に戻した文(これがDeepl先生の原文)
    しかし、ハンナ・アーレントが指摘したように(この点については功利主義者のジョン・スチュアート・ミルに倣う)、良心の呵責が必ずしも悪い性格を意味するわけではない。実際、良心の呵責によって自責の念や罪悪感、羞恥心にさいなまれ、自己の完全性と全体性を取り戻す必要性に悩まされるのは、道徳的基準を適用することを確約する人だけである
引用返信/返信 削除キー/
■40782 / inTopicNo.81)  良心考【14】
□投稿者/ 田秋 -(2025/01/27(Mon) 08:25:56)
    conscienceに基づく近代的行為の顕著な例 後半部分

    ジョン・カルロス、トーミー・スミス、ピーター・ノーマンは、1968年メキシコシティで開催された夏季オリンピックの200メートルの表彰式で、殺害予告や公式の警告を無視して反人種主義デモに参加し[237]、それぞれのキャリアを破壊した[238]。アメリカ連邦捜査局の捜査官で、1973年に同局の副局長として退職したマーク・フェルトは、conscienceに基づいて行動し、記者のボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインに、ウォーターゲート事件のスキャンダルにつながる情報を提供した[239]。 アメリカ公衆衛生局の職員であるピーター・バクスタンが、タスキーギ梅毒実験を世間に明らかにした主な要因はconscienceであった[240]。2008年のイスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザの民間人地区への攻撃は、「世界のconscienceの穢れ」と評された[241]。ビルマの軍事独裁政権による軟禁と迫害にもかかわらず、アウン・サン・スーチーがビルマからの出国を拒否したのは、conscienceが大きな要因となった[242]。2009年のアフガニスタン選挙で、ピーター・ガルブレイスが国連の職を失ったにもかかわらず、不正を批判したのもconscienceが要因となった[243]。conscienceは、ビルマの軍事独裁政権による軟禁と迫害にもかかわらず、アウン・サン・スー・チーがビルマからの出国を拒否した主な要因である。conscienceは、ピーター・ガルブレイスが2009年のアフガニスタン選挙における不正を批判し、国連の職を失ったにもかかわらず、その要因となった [244]。 アラブ世界で人気の漫画家ナジ・アル=アリは、庶民を擁護し、イスラエル軍とヤセル・アラファトのPLOの両方による弾圧と専制主義を批判したことで愛されたが、conscienceに妥協することを拒否したために殺害された [245]。ジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤは、第二次チェチェン戦争と当時のロシア大統領ウラジーミル・プーチンに反対するconscienceの例を(殺害される前に)示した[246] 。2009年にチェチェンのグロズヌイで拉致され殺害されたロシアの人権活動家ナタリア・エステミロワは、conscienceが動機となっていた[247] 。ネダ・アガ=ソルタンの死は、2009年のイラン大統領選挙に対するconscienceに基づく抗議行動から生まれた [248]。イスラム教徒の弁護士シリン・エバディ(2003年ノーベル平和賞受賞)は、イランにおける女性と子どもの人権を守る活動により、「イスラム共和国のconscience」と評されている [249]。人権派弁護士の高智晟は、しばしば「中国のconscience」と呼ばれ、人権の尊重と憲法改正を訴えた後に逮捕され、拷問を受けたとされるが、2009年2月に中国の治安当局によって拉致された[250]。2010年のノーベル平和賞受賞者である劉暁波は、中国の非公開裁判所によってconscienceの政治犯として10年以上の懲役刑を言い渡される前の最後の声明で次のように述べている: 「憎しみは人の知恵とconscienceを蝕み、敵意という精神は国家の精神を蝕みます」[251]。ロシアの弁護士セルゲイ・マグニツキーは、汚職を暴露した結果、逮捕され、ほぼ1年間裁判を受けずに拘束され、拘束中に死亡した [252]。 2001年10月6日、ローラ・ホイットルは、新たな国境保護政策の実施を命じられたHMASアデレード(FFG 01)の海軍砲手として、荒れ狂う海でSIEV-4(不法入国容疑船-4)難民船に遭遇。ボートを引き返させるために50口径の機関銃で威嚇射撃を命じられた後、彼女はボートがばらばらになって沈み始め、父親が幼い娘を助けようと手を差し出しているのを目撃した(「Children Overboard Affair」参照)。ホイットルは、溺れそうになっている難民を助けるために、救命胴衣をつけずに12メートル海に飛び込んだ[253]。2012年2月、ジャーナリストのマリー・コルヴィンは、2011年から2012年にかけてのシリア蜂起とホムス包囲戦の最中、「何が起きているのかを暴く」ために「嵐の震源地」に留まることを決めた後、ホムスでシリア軍に意図的に狙われ、殺害された[要出典]。2012年10月、タリバンは、パキスタンで女性教育のためのキャンペーンを行っていた10代の少女マララ・ユサフザイの殺害未遂を組織した [254]。2012年12月、「2012年のデリー集団レイプ事件」は、インドの集団的conscienceをかき立て、同国におけるレイプ犯に対する法的措置の欠如に対する市民的不服従と国民的抗議に駆り立てたと言われている(インドにおけるレイプを参照)[255][256]。2013年6月、エドワード・スノーデンは、彼の雇用を縛る法律への服従よりも、人類の自由に対する義務に対するconscienceの呵責から、アメリカ国家安全保障局のインターネットと電子通信のPRISM(監視プログラム)の詳細を明らかにした[257][258]。

    おわり

    ===References===
    [237] Hurst, Mike (7 October 2006). "Peter Norman's Olympic statement". The Courier-Mail. Archived from the original on 19 November 2009. Retrieved 28 October 2012.
    [238] "50 stunning Olympic moments No13: Tommie Smith and John Carlos salute | Simon Burnton". the Guardian. 8 February 2012. Retrieved 13 December 2022.
    [239] Felt, W. Mark. The FBI Pyramid: From the Inside. New York: G.P. Putnam's Sons, 1979. (ISBN 0-399-11904-3)
    [240] Jones JH. "The Tuskegee Syphilis Experiment" in Emanuel EJ et al. The Oxford Textbook of Clinical Research Ethics. Oxford University Press. Oxford. 2008. pp. 86&#8211;96 at 94.
    [241] Martin Khor. "Gaza, under attack again, a stain on world's conscience" Archived 3 July 2009 at the Wayback Machine. Third World Network. Tuesday, 4 March 2008. Retrieved 18 October 2009.
    [242] Stewart,Whitney 1997. Aung San Suu Kyi: fearless voice of Burma. Twenty-First Century Books. ISBN 978-0-8225-4931-4.
    [243] James Bone. "Sacked envoy Peter Galbraith accuses UN of 'cover-up' on Afghan vote fraud". The Times. 1 October 2009.
    [244] Neely Tucker. "A Web of Truth. Whistle-Blower or Troublemaker, Bunny Greenhouse Isn't Backing Down". The Washington Post. Wednesday, 19 October 2005
    [245] "On This Day 1950-2005, 22 July, 1987: Cartoonist shot in London street". BBC. 22 July 1987.
    [246] Politkovskaya, Anna (2003) A Small Corner of Hell: Dispatches from Chechnya, translated by Alexander Burry and Tatiana Tulchinsky, The University of Chicago Press, 2003, ISBN 0-226-67432-0
    [247] Natalya Estemirova: "I'm sure that human rights defenders are murdered on authorities' blessing", Vyacheslav Feraposhkin, Caucasian Knot, Memorial, 15 July 2009
    [248] Tait, Robert and Weaver, Matthew (22 June 2009). "How Neda Soltani became the face of Iran's struggle". The Guardian. Retrieved 17 October 2009.
    [249] Scott MacLeod. "Shirin Ebadi: For Islam and Humanity". Time. 26 April 2004. Retrieved 28 November 2009
    [250] Schiller, Bill (10 April 2010). "'Conscience of China' comes home". The Star. Retrieved 25 August 2020.
    [251] McKey, Robert (8 October 2010) Jailed Chinese Dissident's 'Final Statement', The New York Times accessed 8 November 2010
    [252] Margarette Driscoll (14 November 2010). "Dying in agony: his reward for solving a $230 million fraud". The Sunday Times. h_ttp://www.justiceforsergei.com/download.php?id=16 (accessed 29 December 2012)
    [253] David Leser. Children Overboard. Two Women, Two Stories. WW 2007; August: pp. 76&#8211;82 "Archived copy" (PDF). Archived from the original (PDF) on 21 May 2012. Retrieved 26 July 2011. (Retrieved 26 July 2011).
    [254] Synovitz, Ron (12 October 2012). "Malala Yousafzai, the Girl Shot by the Taliban, Becomes a Global Icon". The Atlantic. Retrieved 13 December 2022.
    [255] IANS (24 December 2012). "Government waging 'war' against people: Arvind Kejriwal". CNN-IBN. Archived from the original on 31 December 2012. Retrieved 24 December 2012.
    [256] "India's collective conscience is finally stirred". Arab News. 1 January 2013. Retrieved 13 December 2022.
    [257] "Edward Snowden: the whistleblower behind the NSA surveillance revelations". the Guardian. 11 June 2013. Retrieved 13 December 2022.
    [258] "Edward Snowden: I Acted To Protect 'Basic Liberties'". HuffPost. 10 June 2013. Retrieved 13 December 2022.

引用返信/返信 削除キー/
■40780 / inTopicNo.82)  403エラー 驚くべきNGワード
□投稿者/ 田秋 -(2025/01/27(Mon) 05:02:59)
    [226] Henry P Van Dusen. Dag Hammarskjoeld: A Biographical Interpretation
    of Markings. Faber and Faber London. 1967

    註226の2行目《and》がNG wordと判定されている様である。これを《&》に変更したらOKになりますたぁ
     ハテナ(。-`ω´-).。oO
引用返信/返信 削除キー/
■40779 / inTopicNo.83)  良心考【13】
□投稿者/ 田秋 -(2025/01/27(Mon) 04:55:01)
    conscienceに基づく近代的行為の顕著な例
    <さらなる情報 非暴力の学者と指導者のリストと内部告発者のリスト>

    現代における顕著なconscienceの行動としては、クリスチャンのブッシュウォーカーであるブレンダ・ヒーンが、脅迫を受けながらもペダー湖の氾濫に抗議し、最終的に死に至ったことが挙げられる[223]。 もうひとつは、ナイジェリアの多国籍企業による石油採掘に反対するケン・サロ=ウィワのキャンペーンで、彼の処刑につながった[224]。1989年6月5日に北京の天安門広場で行われた抗議行動で、戦車の進路に買い物袋を差し出した「戦車男」(無名の反乱軍)の写真もそうだった[225]。国連事務総長ダグ・ハマーショルドが、(結果的に)命を狙われながらもコンゴ和平を達成しようとした行動は、彼の日記『Vaemaerken(マーキング)』に反映されているように、conscienceに強く突き動かされたものであった [227]。エヴァン・ペデリックは、シドニー・ヒルトン爆弾テロ事件で自発的に自白し、有罪判決を受けたが、彼のconscienceは罪悪感に耐えられなかったと述べ、「他の誰もが自分は無実だと言うのに対して、私は自分の有罪を証明し続けなければならなかったという点で、私は刑務所のシステムの中でかなり特殊だったと思う[228]。 バシリ・アルキポフは、キューバ危機の際、アメリカ軍艦から深度攻撃を受ける無線連絡不能のソ連潜水艦B-59にいたロシア海軍将校で、他の2人の将校が核魚雷の発射を決定した際(発射には全会一致が必要だった)、彼の反対意見が核戦争を回避した可能性がある[229]。 1963年、仏教僧ティク・クアン・ドゥックは、ベトナムのゴ・ディン・ディエム政権による彼の信仰への迫害疑惑に抗議するため、有名な焼身自殺を行った[230]。

    ブリストル王立診療所の無能な小児心臓外科医を内部告発した麻酔医スティーブン・ボルシンの行動(内部告発者のリストを参照)には、conscienceが大きな役割を果たした[231]。 ジェフリー・ウィガンドはconscienceに突き動かされ、ビッグ・タバコ・スキャンダルを暴露し、タバコに中毒性があることを会社の幹部が知っていたこと、タバコに発がん性成分を加えることを承認していたことを明らかにした[232]。食品医薬品局(FDA)職員のデヴィッド・グラハムはconscienceに突き動かされ、関節炎の鎮痛剤であるバイオックスが、メーカーはこの情報を隠蔽していたにもかかわらず、心血管系の死亡リスクを高めていたことを内部告発した[233]。地球温暖化科学プログラムのリック・ピルツは、多数派の科学的意見を無視して気候変動報告書(『変わりゆく地球』)を編集し、この問題は存在しそうにないというブッシュ政権の見解を反映させたホワイトハウスの役人の内部告発を行った[234]。イラクのジャーナリストであるムンタダール・アル・ザイディは、ジョージ・W・ブッシュに靴を投げつけたというconscienceの呵責を理由に投獄され、拷問を受けたとされる[235]。イスラエルの元核技術者であるモルデチャイ・ヴァヌヌは、conscienceに基づいてイスラエルの核兵器プログラムの詳細を1986年にイギリスの報道機関に明らかにする行動をとったが、イスラエルの諜報員に誘拐され、イスラエルに移送され、反逆罪で有罪判決を受け、独房での11年以上を含む18年間を刑務所で過ごした[236]。

    ===References===

    [223] Dick Jones. "The Pedder Tragedy" in Roger Green: Battle for The Franklin. Fontana. ACF. Sydney 1981 p. 53
    [224] Chinua Achebe, G.F. Michelsen, Ben Okri, Harold Pinter, Norman Rush, Susan Sontag et al. "The Case of Ken Saro-Wiwa". New York Review of Books. Volume 42, Number 7 &#183; 20 April 1995 accessed 17 October 2009.
    [225] Pico Iyer. "The Unknown Rebel: with a single act of defiance, a lone Chinese hero revived the world's image of courage". Time. 13 April 1998. Retrieved 23 October 2009.
    [226] Henry P Van Dusen. Dag Hammarskjoeld: A Biographical Interpretation
    of Markings. Faber & Faber London. 1967
    [227] Trent Angers. The Forgotten Hero of My Lai: The Hugh Thompson Story.
    Acadian House Publishing, 1999
    [228] Ben Hills. The Hilton Fiasco. SMH 12 February 1998, p. 11 "Articles". Archived from the original on 4 November 2012. Retrieved 9 July 2012. (Retrieved 6 September 2010)
    [229] "SOVIETS CLOSE TO USING A-BOMB IN 1962 CRISIS, FORUM IS TOLD". www.latinamericanstudies.org. Retrieved 13 December 2022.
    [230] Sanburn, Josh (20 January 2011). "A Brief History of Self-Immolation". Time. Archived from the original on 21 January 2011.
    [231] Smith, Richard (1998). "All changed, changed utterly". British Medical Journal. 316 (7149): 1917&#8211;18. doi:10.1136/bmj.316.7149.1917. PMC 1113398. PMID 9641922.
    [232] Marie Brenner. "The Man Who Knew Too Much". Vanity Fair. May 1996.
    [233] "Whistler-Blower Guardians Say FDA Officials Tried to Undermine Critic". San Francisco Chronicle. 24 November 2004
    [234] Andrew Revkin. "Bush Aide Softened Greenhouse Gas Links to Global Warming". The New York Times. 8 June 2005. Retrieved 18 October 2009.
    [235] "Iraqi shoe-throwing reporter becomes the talk of Iraq". Reuters. 15 December 2008. Retrieved 13 December 2022.
    [236] Gilling, Tom and John McKnight. Trial and Error &#8211; Mordechai Vanunu and Israel's Nuclear Bomb. 1991 Monarch Publications. ISBN 1-85424-129-X


引用返信/返信 削除キー/
■40778 / inTopicNo.84)  良心考【一休み】
□投稿者/ 田秋 -(2025/01/26(Sun) 21:52:01)
    2025/01/27(Mon) 07:14:02 編集(投稿者)

    膨大なconscienceに関する記述を読んで、彼らが描くconscienceの概念が掴めれば良いなあと思ってます。ただ全員conscienceに対して全く同じ概念を持っているかは疑問です。似た概念は持っているとは感じます。

    一番最初のメインの部分( no40601
    「一般的な用語では、conscienceは、人が道徳的価値観と相反する行為をしたときに自責の念につながると表現されることが多い。」
    ここにconscienceの特徴がよく現れているのではないかと思います。

    日頃は当然のことなので気が付かない(日頃呼吸をしていることが気にならない)のにそれに相反することをした時(通常の呼吸がしにくくなった時)自責の念(息苦しい)として”それ”を思い出しますが、この”それ”がconscienceなのでしょう。

    今回の和訳は全面的にDeepl先生にして頂き、それをワードに保存しているのですが、その中で一番よく出てくる単語は勿論conscienceですが、次に多いのが道徳です。その次(と言っても道徳の1/5くらい)は倫理とか理性です。

    良心には”良”という字が入っているけれどもconscienceには良いという意味はないとのことですが、ここは一考を要すると思っています。

    道徳、理性、倫理に良いという意味はあるか?
    人としてなすべきことは良いことだという前提はないのか?
    良心という時、”良”という字に縛られ過ぎてはいないか?例えば油断にはもはや油という意味はないように、字の原義に捕らわれすぎるのも理解の幅を狭めるのではないか?

    みたいなことを考えています。
引用返信/返信 削除キー/

<前の12件 | 次の12件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 >>
Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 ツリー表示 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -