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■40999 / inTopicNo.37)  Re[58]: 良心考【18】
  
□投稿者/ flora -(2025/02/20(Thu) 20:11:57)
    田秋さん、こんにちは

    田秋さんの中国語WIKIはこちらですね?

    h_ttps://zh-yue.wikipedia.org/wiki/%E8%89%AF%E5%BF%83

    私の場合、Deeple先生でこういう訳が出ました。

    ==============
    良心とは、善悪、善悪を判断し、道徳的かどうかを思索し、自分の行動を導く心のこと。 善悪の心、賛美と非難の心とも呼ばれる。 善悪の心、毀誉褒貶(きよほうへん)の心とも呼ばれ、日常生活で「心に問う」ように口にする心である。 良心は生まれつきのもので、天の良心といわれる。 道徳や良心に反すれば、まるで罪を犯したかのような不安を感じ、非常に居心地の悪い思いをする。 逆に良心に従えば、心地よい気分になる。

    孟子曰く、良心とは心の生来の善であり、仁であり義である。 この概念は東アジアで大きな影響力を持った。 西洋人にとっては、それは心の光であり、心の言葉である[1]。 人が何か悪いことをした場合、その人は心の中で言葉を発する。

    英語では 「conscience 」と呼ばれ、「conscience 」は 「知識 」を意味するが、「conscience 」は 「良心 」を意味することも義務付けられている。 しかし、良心には生まれながらにして知識を持っている、教えられなくても知っているという意味がある。

    英語には 「good conscience 」という言葉があり、これは罪悪感のない良心を意味する。 また、「bad conscience(悪い良心)」や「evil conscience(悪い良心)」という言葉もある。 また、罪の意識を持つことを意味する「bad conscience」や「evil conscience」という言葉もある。

    良心は人間の内面的な判断であり、世俗主義や宗教と同じではないし、すべての人が同じではないかもしれない。 孟子は「紳士が動物を扱うとき、その生を見るが、その死を見るに忍びない。 その声を聞くと、その肉を食べることに耐えられない。 紳士が台所に近づかないのはこのためである」。 孟子は、牛や山羊の屠殺を直接見聞きすることは良心の問題ではなく、「紳士は台所から遠ざかるべきだ」という見解を示した。 彼は牛や羊を殺すことに反対していたわけではなく、牛肉や羊肉を食べていたわけでもない。 それに、肉屋や料理人には別の判断がある。

    宗教、哲学、心理学など、良心に特に関心のある分野がある。心理学では、フロイトはそれを超自我と呼んだ。

    =============

    興味深いのは、

    心理學咁,弗洛伊コ學說稱之為超我

    心理学では、フロイトはそれを超自我と呼んだ。

    私の友人が、conscienceはフロイトの言う「超自我」ではないかと言っていたのを思い出しました。^^


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■40998 / inTopicNo.38)  良心考【18】
□投稿者/ 田秋 -(2025/02/20(Thu) 12:43:25)
    2025/02/20(Thu) 15:56:11 編集(投稿者)

    中国版ウィキペディアをDeepl先生に訳してもらってわかったのだが、Deepl先生は中国語が英語ほど得意ではないようである。一昔前の翻訳アプリのような訳をしてくることがある。手直し出来るところは手直しをし、ボクの手に負えない部分は訳自体を思い切って省略することにした。

    中国版ウィキペディア 《良心》
    【主文】
    《良知》〈田秋註:良知と良心は(ほぼ)同じ意味である。全く同じかどうかはボクには判断できない〉
    良心とは、善悪を区別する能力のことである。 良心の影響により、人間は自分の行動が自分の価値観にそぐわない場合、自己責任を感じるようになる。 良心はまた、善悪を区別する人間の判断の基礎となる価値観とみなすこともできる。

    以上である。日本版以上に簡潔である。次に「こちらも参照」として《致良知》と《廉恥》を紹介している。
    この二つは中国版ウィキペディアにある項目である。

    《致良知》
    致良知とは、自問自答を通じて良心を悟るという意味であり、明代の偉大な儒学者である王陽明によって創始された『心学』の中核をなす思想のひとつである。「致良知」の教義は、後の儒教と中国文化圏に多大な影響を与えた。「致良知」は中国の儒教、仏教、道教の融合から生まれたものである。

     由来
    「良心」という言葉は、孟子の著作『孟子-尽心章句の上篇』に由来する:
    学ばずとも学ぶことのできる者は、良心も持つことができ、考えずとも知ることのできる者は、良心を自覚することができる」。
    儒教の古典『大學』にも、「知るとは物事を自覚することである」という記述がある。
    〈田秋註:尽心章句の上篇は「良知」の出典であり、「良心」の初出は告子章句の上篇である〉

     陽明学における良心の定義
    王陽明によれば、「良心」は「心」の本質であり、「最も善いものは心の本質である」と考えている。 心と良心の関係は、王陽明の『伝習録』に明確に記されている:

    心は肉体の主人であり、心の仮想精神と明瞭な意識はいわゆる本来の良心である。

    〈田秋註:以下はDeepl先生の和訳である。』まで意味不明〉
    良心は道であり、人間の心の中の良心であり、賢者だけでなく、普通の人はそうではないが。 隠すために物質的な欲望がない場合は、人気のある髪の良心に従ってください行く、つまり、何も道ではありません』

    王陽明の「良心」の概念は、孟子から派生したものだが、さらに推敲を加えている。王陽明によれば、「良心は神の原理」である。王陽明は『大學』から「致知」の思想を採用し、「致良知」の概念を打ち出した。当時、明代中期、伝統的な朱子学は硬直化し、帝王学試験と密接に関係し、形式化しつつあった。理論的にも大きなブレークスルーはなかった。王陽明は「良心」という新しい理論を提唱し、これは儒教における大きな理論的革新となった。 「致良知」は一種の実践理論である。王陽明は「良心」が「心」の本質であると考えたが、同時に「良心は仮想であり、拳法は実在であり、知行合一である」、つまり、本質、認識、実践の上で拳法を使う必要はないが、拳法と本質は一体であるべきだと主張した。 つまり、本質、認識、実践に拳法(註)を使う必要はないが、拳法(註)と本質は統合され、ひとつになるべきであるということである。
    〈田秋註 Deepl先生は「カンフー」とする。「良心は仮想であり、拳法は実在であり、知行合一である」の“拳法”、註2例とも原文は“功夫”(カンフー)である〉
    〈田秋註:以下意味不明により省略〉

    《廉恥》
    廉恥とは、人間の行動を律する道徳規範の一つで、儒教の思想「四維(礼・義・廉・恥)」のうちの、廉(清廉潔白)と恥(羞恥心を持って行動する)両概念である。古代中国では、「清廉潔白」は人と人との関わりにおける態度を正直に定めるために、「羞恥心」は人に自省を求めるために用いられた。キリスト教の教義である『テモテへの手紙第一』では、「羞恥心」とは「高貴な羞恥心に縛られた心の状態であり、穏やかで礼儀正しく、慎み深く、控えめな振る舞いに現れている」と解釈されている。誠実さ、自制心、自己反省といった伝統的な美徳は、善悪、名誉と恥といった深い感覚に基づく恥の文化を生み出した。

     行動の制約
    古来、人間は道徳規範を用いて、あらゆる欲望や生物としての原始的な劣等感を制限・抑制し、他の動物と区別し、文明と人間性を維持するための規則や倫理を形成し、崇高な道徳規範によって自己反省と相互監視を促し、善良な社会風習を実現してきた。その中には、権力と権威を振りかざす官僚や学者の行動に対する最も厳しい評価も含まれる。これには、「政治における正直と廉潔」を実現するために、権力者である官僚や学者を最も厳しく審査することや、「正直と恥を知り、正しいことを行う」ことを自らに課し、他の模範となるように学者を最も厳しい基準で縛ることなどが含まれ、「教育は宮廷の優先事項であり、正直と恥は学者の徳であり、風習は全世界の一大行事である。 宮廷に教育があれば、学者に誠実と羞恥があり、学者に誠実と羞恥があれば、世間に習慣がある」。人は、正直と清潔を全うし、恥を反省するために絶えず過ちを見直し、排除することによって、社会全体の発展における文明化と進歩を達成する。

    田秋の憶測
    Deepl先生が突然発狂したような和訳を始めるのは、ひょっとすると、該当部分が古い中国語で書かれているため(古書からの引用など)、文法や言葉の意味が現代中国語と異なっているためかもしれない。
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■40995 / inTopicNo.39)  Re[56]: また雪
□投稿者/ 田秋 -(2025/02/19(Wed) 16:27:02)
    2025/02/19(Wed) 16:30:52 編集(投稿者)

    考えたら今月は2度葬儀に参列した。ずーちゃんの時は自由葬だったが、今日は仏式、しかも和尚さんの葬儀。和尚さんの葬儀に参列するのは初めてだ。記帳を済ませ本堂の前に着くと中から声明が聞えてきた。CDだと思って中へ入ったら15〜6人位のお坊さんのライブだった^^さすが和尚さんの葬儀!

    位の高そうな袈裟をつけたお坊さんが7人入堂して式が始まった。お経を唱えたり、白い紙(多分花びらの代わり)を撒いたり、鳴り物(小さなドラや小さなシンバルなど)を演奏したり。故人を讃えた弔辞を何人かのお坊さんが述べたが、世話役の檀家の人の弔辞に心が有り、良かった。順次焼香を済ませ、現住職の御礼の言葉があったが、これも土地の言葉で良かった。

    最後に棺に花を添えた時、顔を拝んだが、うちにお参りに来ていただいたころの面影は無かった。享年77歳。近しい人の葬儀に参列するというのは自分の死に対する心の準備をしているのだ思う。人は死ぬ。死ぬのは自分だけではない。誰しも死ぬ。「みんなで渡れば怖くない」的な・・・
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■40992 / inTopicNo.40)  また雪
□投稿者/ 田秋 -(2025/02/19(Wed) 10:18:02)
    今回は前回よりも多い。10センチくらいは積もった感じ。

    そのうえ今日はうちが檀家であるお寺の和尚さんの葬儀がある。息子さんが跡を継ぎ最近はお見受けしなかった。

    いつもは自転車で行くのだけれど、長靴に黒服で行くか。
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■40991 / inTopicNo.41)  朝ドラ
□投稿者/ 田秋 -(2025/02/17(Mon) 21:23:27)
    NHKの朝ドラ《おむすび》の低視聴率が話題になっている。このところ歴代ワースト1位はほぼ確実という記事をよくみかける。松平健が出演するということで見始めたが、持ち前のしつこさでずっと視ている。地上波の8時からのではなくNHKBSの7時半からのを視てるのだが、最近はついでにその前の《カーネーション》も見るようになった。というのも早目にNHKBSをつけると《カーネーション》をやっていて、面白いのだ。

    それで感じたのが、《おむすび》の薄さである。浅いと言っても良い。何が薄い・浅いのかというとストーリーの掘りの薄さ・浅さである。脚本が悪いのだろう。そういう意味で《カーネーション》は人物がくっきりと描かれている(と思う)。

    脚本と関係あるのかどうかわからないが、橋本環奈の演技には軽さを感じる。仲里依紗演じる姉・米田歩の演技の方が余程好感が持てる。

    あくまでボクの主観です。


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■40990 / inTopicNo.42)  記憶の増幅
□投稿者/ 田秋 -(2025/02/17(Mon) 12:45:01)
    今回の旅行の初日、現代美術館へ行く前に荻窪の丸福というラーメン屋へ行った。杉並公会堂でのリハーサルが多かったので時々食べに行ったが、今回10年ぶりくらいに食べた。坂本龍一展を開催している現代美術館は木場にあるのにわざわざ荻窪まで食べに行くというのは、ここの味が好きだからである。

    美味しかったが、記憶の味には及ばなかった。食べたい食べたいと思っているうちにどんどん記憶の中の味がグレードアップするらしい。

    以前何かのプレゼントでコピルアクをもらったことがある。初めて飲んだ時の印象が強烈で、それから何度も買うのだがその味には及ばない。プレゼントしてくれた人にどこで買ったのか尋ねても「もう忘れた」という始末。

    これも最初の味の印象が記憶の中で増幅されているからだと思う。
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■40986 / inTopicNo.43)  日光から宇都宮へ
□投稿者/ 田秋 -(2025/02/17(Mon) 09:10:33)
    東武日光駅はにぎわっているのにJR日光は宇都宮へのローカル線ということもあり田舎っぽい雰囲気を出していた(良い意味)。しかも1時間に1本なので50分待つ羽目に。近くの喫茶店で時間つぶしに飲んだカプチーノにハートマークが描かれていた。

    宇都宮まで40分くらい?スカイツリーラインで戻っても良かったのにわざわざ宇都宮へ行ったのには訳があって、それは餃子を食べる事。日フィルは毎年第9のために宇都宮へ行く。ホールから歩いて10分くらいのところに餃子の正嗣(まさし)鶴田店があり、GP前に食べに行ったり、本番終わってからお土産に買って帰ったりしていた。

    駅から歩いて10〜15分くらいのところに餃子通りという通りがあってそこにまさしやみんみんなどの餃子店がある。お目当てはまさしだった。ところが着いてみると閉まっている。あれえ?と思いよくよく調べてみると午後2時までとある。昔GP前後に行っていた記憶があるのでまさか午後2時までになっていたとは思わなかった。

    すぐ近くにみんみんがあったが結構並んでいたので他の店を探したら近くにとんきっきという店があった。初めてだったがそこに入ることにした。普通の餃子、シソ餃子、生姜餃子、スープ餃子を頼んだ。因みにまさしは焼きと水(すい)の2種類しかない。ご飯もお酒もない。とんきっきにはどちらもあり、そういう店の方が普通だ。おいしかったけれど、ボクはまさしの一本気なところが好きだ。
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■40984 / inTopicNo.44)  Re[51]: 日光東照宮
□投稿者/ 田秋 -(2025/02/16(Sun) 22:27:04)
    日光東照宮はお寺か神社か?

    体裁からいうと「宮」がついているので神社だと思う。一方ここに祀られている家康の号は東照大権現である。この権現が曲者で、権現とは仏教の仏や菩薩が神という仮の姿で現れたものを言う。ということは仏が本来の姿だと言っているのである。

    写真は三猿と怪しい三田秋と眠り猫


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■40977 / inTopicNo.45)  日光東照宮
□投稿者/ 田秋 -(2025/02/16(Sun) 10:49:02)
    久しぶりに日光東照宮へ行った。陽明門改修後初めてである。北千住から特急けごんに乗ったが昔は東武伊勢崎線と言っていたのに今はスカイツリーラインと言うですな。色々ハイカラになってなんか東武線じゃないみたい。
    写真上は陽明門の正面と門をくぐって中から見た陽明門。ずいぶんと白くなった。
    左下は唐門。人がたくさんいるのは帝舜の朝見の儀の様子。その上に牛がいた。akaimiさんのトピで牛が話題になっていたが、この牛は仏教とは関係ない。帝尭が自分の後継者を探していた時、許由に帝になってもらえないかと声をかけたところ、許由は汚らわしいことを耳にしたと川で耳を洗った。その川の下流で巣父(そうふ)は牛に水を飲ませていたが、許由が耳を洗ったことを聞いて、汚れた水を牛に飲ませる訳にはいかないと、牛が水を飲むのを止めさせた。その牛である。
    右下は五重の塔。塔の中には心柱という柱が吊り下げられ、これが地震の揺れの緩和に役立っていて、その原理が東京スカイツリーにも応用されているとのことである。右下のさらに右下の写真は塔の最下部を覗いた写真で、これではよくわからないが太い柱が地面から浮いているのがわかる。


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■40969 / inTopicNo.46)  坂本龍一
□投稿者/ 田秋 -(2025/02/14(Fri) 23:40:18)
    2025/02/14(Fri) 23:55:52 編集(投稿者)

    急に思い立って東京都現代美術館で開催している【「音を視る 時を聴く」坂本龍一】を観に行った。インスタレーションと言うらしいが、映像(或いは空間)と音楽が一体化して一つのアート(芸術)になる。音楽は所謂バックミュージックよりはるかに重要な地位を占めている。5時間位鑑賞(体験)していた。音楽の手法はミニマル・ミュージックで坂本龍一の発明ではないが、中身は坂本龍一そのものだった。東京近郊にお住いの方は行く価値アリ。

    写真の説明
    下左
    本物のピアノの前に特殊な透明なスクリーンがあり、こちらからはピアノが見え、スクリーンにピアノを弾いている半透明の坂本龍一が映し出されさもピアノを弾いているように見える。

    下右
    霧のロンドンを再現したもの
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■40959 / inTopicNo.47)  二つの高齢化
□投稿者/ 田秋 -(2025/02/13(Thu) 20:38:42)
    今期受講した「持続可能な社会と生活」で習ったのだが、今日本には二つの高齢化の波が押し寄せている。一つは人の高齢化、そしてもう一つがハコモノ・インフラの高齢化である。以下、教科書から引用する。

    国土交通省によると、2023年に橋や水門などの4割、トンネルや港湾岸壁の約3割で、耐用年数とされる50年以上を経過する。水道でも、耐用年数である40年を経過した管路が2015年時点で、13.6%であるのに対し、更新率は年率で0.74%にとどまっており、「このままでは130年以上要する」と、厚生労働省自ら述べている。
    引用オワリ

    八潮市で起きた道路陥没事故は起こるべくして起こった。

    再び引用
    人とハコモノ・インフラの「2つの高齢化」は、自治体財政にすでに大きな影響を及ぼしつつある。平成の大合併の最終年度となった2005年から新型感染症への対応が求められた2020年までの15年間に、都道府県の歳出、いわば仕事は24.7%増えたのに対し、職員数は11.0%減っており、職員1人あたりの業務負担は40%増えたことになる。市町村では歳出54.6%増、職員数4.5%減、職員1人あたりの業務負担は62%増、つまり15年前は3人で担当していたことを、今では1人で担当しているのと同じくらいの負担増となっている。


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■40958 / inTopicNo.48)  放送大学
□投稿者/ 田秋 -(2025/02/13(Thu) 17:30:21)
    今日から放送大学の来学期の受講科目の登録が始まりました。取りたい科目がどうも民法を沢山覚えなければならない様なので受講科目数を減らそうと考えてますが、本当にそうなのか、早目に一度試聴し過去問も見て判断しようと思います(著作権法の時、覚えるのに随分苦労したので)。
    hanaさんも来学期何か取るのかな?
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