| floraさんが提示されたもう一つの中国版ウィキペディアの《良心》を良心考【19】として載せる。
良心とは、善悪、善悪を判断し、道徳的かどうかを思索し、自分の行動を導く心のこと。 善悪の心、賛美と非難の心とも呼ばれる。 善悪の心、毀誉褒貶(きよほうへん)の心とも呼ばれ、日常生活で「心に問う」ように口にする心である。 良心は生まれつきのもので、天の良心といわれる。 道徳や良心に反すれば、まるで罪を犯したかのような不安を感じ、非常に居心地の悪い思いをする。 逆に良心に従えば、心地よい気分になる。
孟子曰く、良心とは心の生来の善であり、仁であり義である。 この概念は東アジアで大きな影響力を持った。 西洋人にとっては、それは心の光であり、心の言葉である。人が何か悪いことをした場合、その人は心の中で言葉を発する。
英語では「conscience 」と呼ばれ、「science 」は 「知識 」を意味するが、「conscience 」は 「良心 」を意味する。しかし、(孟子の言う:田秋追補)良心には生まれながらにして知識を持っている、教えられなくても知っているという意味がある。
英語には 「good conscience 」という言葉があり、これは罪悪感のない良心を意味する。 また、罪の意識を持つことを意味する「bad conscience」や「evil conscience」という言葉もある。
良心は人間の内面的な判断であり、世俗主義や宗教と同じではないし、すべての人が同じではないかもしれない。 孟子は「紳士が動物を扱うとき、その生を見るが、その死を見るに忍びない。 その声を聞くと、その肉を食べることに耐えられない。 紳士が台所に近づかないのはこのためである」。 孟子は、牛や山羊の屠殺を直接見聞きすることは良心の問題ではなく、「紳士は台所から遠ざかるべきだ」という見解を示した。 彼は牛や羊を殺すことに反対していたわけではなく、牛肉や羊肉を食べていたわけでもない。 それに、肉屋や料理人には別の判断がある。
宗教、哲学、心理学など、良心に特に関心のある分野がある。心理学では、フロイトはそれを超自我と呼んだ。
=== 冒頭、「善悪」がダブっていますが、一つ目の善悪は「良心は善悪のことである」と言っているのか?
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