| 2025/01/17(Fri) 23:46:56 編集(投稿者)
大乗仏教の意義ということで、佐々木先生の事は全く知らず、先生のお話を今までは全く調べていませんでしたが、今回少し、さわりだけですが調べてみました。
多分ですが、大乗仏教内でいう仏陀(如来)というのは、原始仏教でのゴータマ仏陀ではないということでしょう。ですので釈迦(ゴータマ)仏教と大乗(例えばの阿弥陀如来)仏教は違うということになる様に思いました。当時、ゴータマが説いた現在では原始仏教といわれる教えを原点として、当時のインドの輪廻思想等から、ゴータマ仏陀の死後にその思想体系が大きく変化したようですね。
ゴータマは、長く輪廻した結果として仏陀になるという誓願(誓い)が過去世の仏陀に授記(認められ)され仏陀となったようですが、それと同じく、他の世界(多世界)では生きとし生けるもの皆を極楽(涅槃=輪廻の終焉)に導くという誓願をたてた存在があったと考えたようです。いわゆる現行での衆生済度になるでしょうか。これは多世界解釈でのパラレルワールド的な考え方で、ゴータマ仏陀は、仏になるとその過去世での仏陀に誓願して授記されましたので、当時、その努力の結果、仏陀として存在できました。それと同じロジックで、過去世の仏陀に、極楽(=涅槃)の世界を作ると誓願したものがいたと考え、それが授記されたのであれば、極楽の世界はその思想上出来上がるという事になりますね。
そして、当時その誓願をしたものが法蔵という名前だそうで、その誓願が成就していない段階では、その存在は法蔵菩薩といわれ、それが長い時間を経て、現在では阿弥陀仏と呼ばれるようになったということでしょう。ということは、、法蔵菩薩の願った極楽が現行であるのであれば、南無阿弥陀仏と唱えるだけで、生きとし生けるものすべてがその死後に極楽に到達するということになりますね。それを願っている段階では菩薩(法蔵菩薩)ですが、現在では、その願いが叶い極楽があると考えるのであれば、菩薩から如来、つまりは、阿弥陀如来の存在がその誓願成就の証明になるということでしょう。
今回、少しですが初めて調べてみましたが、修行により自力での涅槃=輪廻の終焉を目指すゴータマ仏教にたいして、他力で阿弥陀如来の完成された(とする)極楽に南無阿弥陀仏と念仏を唱えるとたどり着けるとする大乗の1つの浄土宗の根本的な違いを発見できたことが収穫でした。後は、大乗の考え方は、ゴータマ仏陀を起点として、多分ですが、、同じロジックだと想像します。
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