| 2025/02/15(Sat) 14:49:22 編集(投稿者)
スマホにて、牛が出てくる空の経典は?と調べてたらそのことがWikipediaの空のここに出てました。 それはともかく。『空世間経』という仏典での仏陀のアーナンダへの説明は、もしや五蘊皆空に当たるのでは?と思いました。 これに対応すると思われる記述が他の先生の本にあった気がします。 対機説法で弟子によってはそこまで教えた、のようにあった記憶が。 そういうことではないかもですし、とにかく後日調べてみます。
五蘊、十二処、十八界での説明というのは、そこまで至ってない弟子たちのためのものということなのかも、という仮説的な理解もしていようと思いました。 それともやはり、佐々木閑さんの本にあったように、五蘊、十ニ処、十八界は存在するものとしての空を仏陀は誰に対しても説いていたのかな。(佐々木閑さんの本には、誰に対してもという部分での記述はありませんが)
ちょっと混乱してしまうのですが、あくまで、忘れないためのメモとしての意味もこめて投稿にさせてもらいます。
以下、Wikipediaより引用 初期仏教 編集 「常に気をつけて、世界を空であると観ぜよ」 -- 『スッタニパータ』1119偈 「この講堂には牛はいない、牛についていえば空(欠如)である。しかし比丘がおり、比丘についていえば空(欠如)ではない」 -- 『小空性経』(中部経典、中阿含経) 空世間経にて釈迦は、六根とそれにより生じる六境を挙げ、それら自己または自己に関係するあらゆるものが空であると説いている。 大徳よ、「世間は空である、世間は空である」と〔如来は〕仰られますが、 大徳よ、どのような点から「世間は空である」と仰られるのでしょうか。 アーナンダよ、我(attena)、あるいは我所(attaniyena)が空なるものであることから、「世間は空である」と〔如来は〕説くのである。 —パーリ仏典, 相応部 六処相応 空世間経 35-85, Sri Lanka Tripitaka Project 上座部仏教 (パーリ語部分は文字化けするので引用を避けました)
※時さん、返信ありがとうございます。 後日またよく拝見してから返信させてくださいね。(今日はスマホからなので)
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