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■40177 / inTopicNo.73)  田秋さんへ
  
□投稿者/ pipit -(2024/12/22(Sun) 10:47:48)
    2024/12/22(Sun) 10:51:17 編集(投稿者)

    田秋さん、おはようございます(^○^)

    No40176に返信(田秋さんの記事)
    > おはようございます、pipitさん
    >
    > 最近の温暖化による冬の遅れや秋がない(?)という気候からするとあながち「悟性のミス」とも言えないのではないでしょうか。
    >
    > 既成観念に捕らわれない「感性に正直」感の現れとも言えます。
    >
    > この写真を何の情報もなしに見ると「秋」です、ボク的には。

    そうですね、既成観念がもう通用しないのかもしれませんね。

    無常ですねーΣ(・□・
引用返信/返信 削除キー/
■40176 / inTopicNo.74)  Re[11]: 日記
□投稿者/ 田秋 -(2024/12/22(Sun) 10:26:14)
    おはようございます、pipitさん

    最近の温暖化による冬の遅れや秋がない(?)という気候からするとあながち「悟性のミス」とも言えないのではないでしょうか。

    既成観念に捕らわれない「感性に正直」感の現れとも言えます。

    この写真を何の情報もなしに見ると「秋」です、ボク的には。
引用返信/返信 削除キー/
■40175 / inTopicNo.75)  日記
□投稿者/ pipit -(2024/12/22(Sun) 10:14:49)
    No40173の写真、仮に9-11月を「秋」と定義づけると、
    12月にとった写真だから、秋の写真じゃないのに、pipitは秋の写真と判断して、akiってファイル名つけちゃったんだよねー。

    カント的に言えば、pipitの悟性のミス?!

    fuyu
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■40173 / inTopicNo.76)  日記
□投稿者/ pipit -(2024/12/22(Sun) 09:29:56)
    2024/12/22(Sun) 09:44:31 編集(投稿者)

    ふと。
    「表象」を「情報」と仮に読んだらどうかなぁと思いました。

    感性で受動的に得た「情報」と、
    悟性で能動的に(情報と情報の位置付けをした結果としての)「情報」。

    「情報」が現れた時に、「情報を受けたわたしというひとがいる」という位置付け方式を根本に、あらゆる位置付けを行い、新たな「情報」の体系を作成するのが悟性や理性。

    客観的認識に至る『判断』(情報と情報の結びつけたかた)を全て知性能力の仕事に属させてるのが、カントなのかなぁと思いました。
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■40111 / inTopicNo.77)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2024/12/16(Mon) 19:58:25)
    2024/12/17(Tue) 07:15:41 編集(投稿者)
    2024/12/16(Mon) 22:05:12 編集(投稿者)

    やー、こんばんは〜(⌒∇⌒)

    No40109
    >添付してくれた写真、
    たぶんだけど、
    「これ、カエル」って思った(判断した、認識した)んじゃないかしら(わたしもそうだけど)。<

    スマホで写真とってるんだけど、最近スマホのアルバムで写真を判断してマークが出てくるんだよ。(出ない写真もあるよ)
    昨日投稿した写真も、今回投稿する写真も、爬虫類マークがでてくるの
    (◎_◎;)

    どう判断してるのかなって。
    スマホも、写真の映像から「これ、爬虫類」って判断してるみたい。

    ボク、両生類、とも、
    ボク、カエルくん、もカエル本人は思ってないかなー(^◇^;)

    知識とかにしばられすぎんでもいいのかなーって気持ちに今すこしだけなったよー
    知識は知識をつくる側にある、という側面があるんだなー、と、改めて思いました。


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■40109 / inTopicNo.78)  Re[7]: カント的直観についての記述
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/12/16(Mon) 18:59:59)
    pipiさま、お邪魔しま〜す。

    No40105、引用してもらったとこ、わたしがいま考えてることに参考になりました。ありがとございま〜す。これについては思考中なんだけど、後で言表できるようになったらわたしのとこで書いて見るね。

    >延長と形態が純粋直観に属し、というのよくわからないな延長と形態が純粋直観に属し、というのよくわからないな<
    そうなのよね〜、わたしもそう。今これも調べてるとこ。

    添付してくれた写真、
    たぶんだけど、
    「これ、カエル」って思った(判断した、認識した)んじゃないかしら(わたしもそうだけど)。

    そいうと問題にしてるじゃないかしら? 哲学者って。













引用返信/返信 削除キー/
■40107 / inTopicNo.79)  おはようございます日記
□投稿者/ pipit -(2024/12/16(Mon) 07:20:16)
    2024/12/16(Mon) 07:34:03 編集(投稿者)
    2024/12/16(Mon) 07:31:59 編集(投稿者)

    自分が動くことで、空間というものをはじめて知れるかなぁ????
    それか、動かなくても、修行したなら、心の内にある外を感じる形式として、無限の空間を認識することが可能かな???

    仏教の禅定の一つとして、『無色界の禅定』というのがあるみたいで、空無辺処(くうむへんしょ)禅定というのが、カント哲学の形式としての空間の認識とならないかなぁ???と、思いつきました。

    wiki『禅定』より抜粋引用
    『無色界の禅定
    無色界の禅定(略)は4段階がある[9]。これが、四無色定(四空定とも)で、さらに想受滅に至ることで九次第定となる[12]。まだ物質的な領域にある色界の禅定とは異なり、無色界では色蘊(しきうん)がなく、この段階に至った修行者は触覚、視覚、物質的な構成要素において微細なものからも完全に離れる修行をするといわれている[13]。無色界の定は以下の順に深まる[9]。
    5. 空無辺処(くうむへんしょ[14])- 漢訳で無限の空の領域の意味。
    6. 識無辺処(しきむへんしょ)-漢訳で無限の識の領域の意味。とらえられるべき対象はないことを修行するといわれている[13]。
    7. 無所有処(むしょうしょ)- 漢訳で有る所が無い領域の意味。微細な対象がいまだあるといわれている[13]。
    8. 非想非非想処(ひそうひひそうしょ)- 漢訳で想が非ず非想にも非ずの領域の意味。旧訳では非有想非無想処ともされ、この完成が有頂天である[13]。』
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■40106 / inTopicNo.80)  あらこんな時間日記
□投稿者/ pipit -(2024/12/16(Mon) 01:08:40)
    2024/12/16(Mon) 07:01:49 編集(投稿者)

    まぁ、現代知識で考えたら、

    対象を一つの縁として神経で受けた刺激から触発され出現した表象、
    その表象は、刺激を受けた本人の外のものとして位置を持たされる、というのは

    不自然ではない印象は受けるけど

    おやすみなさいー(-_-)zzz
引用返信/返信 削除キー/
■40105 / inTopicNo.81)  カント的直観についての記述
□投稿者/ pipit -(2024/12/16(Mon) 00:52:33)
    2024/12/16(Mon) 07:03:40 編集(投稿者)

    皆様こんばんは!カントの直観についての記述の一部を純理の感性論から抜粋引用しました。
    (感性論の後の超越論的論理学ではまた別の記述が出てくると思うのですが…
    ひとまず感性論からの記述だけでも抜粋引用します。)


    『純粋理性批判』宇都宮芳明先生監修、以文社
    p75より抜粋引用
    (カントの文章・鈴木恒夫先生訳)

    『認識がどんな仕方で、またどんな手段によって、対象に関係するにせよ、認識がそれを通じて対象に直接関係し、またあらゆる思考がそれを手段にしようと企てるのは、直観である。(略)われわれが対象によって触発されるという仕方で表象を受け取る能力(受容性)を、感性という。したがって、感性を介してわれわれに対象が与えられ、感性だけがわれわれに直観を提供する。

    (略)

    われわれが対象によって触発されるとき、対象が表象能力にたいして及ぼす結果が、感覚である。感覚を通して対象に関係するような直観は、経験的[直観]と言われる。経験的直観のまだ規定されていない対象は、現象と言われる。

     現象において、感覚に対応するものを、私は現象の質料と呼ぶ。だが、現象の多様なものがある種の諸関係において秩序づけられうるようにするものを、私は現象の形式と呼ぶ。そのなかでだけ感覚が秩序づけられ、ある種の形式へともたらされることができる当のものは、それ自身ふたたび感覚であることはできないのだから、あらゆる現象の質料はわれわれにア・ポステリオリにのみ与えられるにしても、現象の形式はしかしながら、総じてあらゆる感覚にたいして、心のうちにア・プリオリに用意されていなければならない。(略)

    感覚に属するものが何もみとめられないような表象をすべて、私は純粋(超越論的意味で)と呼ぶ。(略)感性のこの純粋形式は、それ自身また純粋直観と呼ばれるであろう。それで、私が物体の表象から、悟性がそれについて思考するもの、すなわち実体、力、分割可能性等を切り離し、同様にそのなかで感覚に属するもの、すなわち不可入性、堅さ、色等を切り離すとしても、この経験的直観にはまだあるものが残っているのであって、それはつまり、延長と形態である。両者は純粋直観に属し、この純粋直観はア・プリオリに、感官ないし感覚の現実の対象がなくとも、感性のたんなる形式として心のうちに生じるのである。

    (略)
    われわれは外官(われわれの心の固有性の一つとしての)によって、諸対象をわれわれの外にあるものとして表象し、したがって諸対象をことごとく空間のうちにあるものとして表象する。空間の中で、諸対象の形態、大きさ、そして相互の関係が規定される、ないしは規定されうる。(略)

    空間は外的経験から抽出された経験的概念ではない。というのは、ある種の諸感覚が私の外にある或る物と(すなわち、私が存在しているのとは異なった空間の場所にある或る物と)関係づけられるためには、同様にまた、私がこれらの感覚をお互いの外に併存しているものとして、したがってたんに異なっているだけでなく異なった場所にあるものとして表象できるためにも、空間の表象がすでに根底に存していなければならないからである。』
    (B37,38)

    =====================

    (pipit雑感)

    pipitは、部屋の中をぼーっと見てるけど、いろんな色が、私の外にあるものとして表象されてて、その色は、私の外にある対象物の色として私に意識されている。
    表象される色はそれぞれ私から見た位置を持っている。
    位置をもつためには、可能な範囲があるなぁ
    シマウマだったらもっと範囲が広いのかな。
    自分が右を向くと、右端にあったピンク色が真ん中に移動して、私がもっと後ろを振り返ると、ピンク色を私の表象空間の左端に現わすことができる。
    ピンク色の位置がかわる。
    感覚を位置づけることが可能で、座標も変更可能。
    感覚が現れることができるこの土台をカントは純粋直観と言っているのかなぁ

    >同様にそのなかで感覚に属するもの、すなわち不可入性、堅さ、色等を切り離すとしても、この経験的直観にはまだあるものが残っているのであって、それはつまり、延長と形態である。両者は純粋直観に属し、この純粋直観はア・プリオリに、感官ないし感覚の現実の対象がなくとも、感性のたんなる形式として心のうちに生じるのである。<

    この、延長と形態が純粋直観に属し、というのよくわからないな。
    色が無くなっても、皮膚感覚がなくなっても、三角形のイデア、みたいなかんじで、心の内で、外にある物として延長と形態が残るとカントは考えたのかなぁ。そんなの思考や妄想に属さないのかなぁ??
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■40104 / inTopicNo.82)  Re[3]: 超越論的分析論]−4
□投稿者/ pipit -(2024/12/15(Sun) 23:32:15)
    うましかさん、こんばんはーo(^▽^)o

    No40101
    > ◇ それ故、全てのア・プリオリな概念の超越論的演繹は、その全探究が向けられなければならない一つの原理を持っている。<

    それ故、というのは、

    「よってア・プリオリな諸概念としてのカテゴリーの客観的な妥当性は、そうしたカテゴリーを通じてのみ経験が(思考の形式からみて〔der Form des Denkens nach〕)可能になるということに基づいている。何故なら、そのときにはカテゴリーを介してのみ総じて経験の何らかの対象は思考され得るからである。」

    という前文を受けてのことかな?
    カテゴリーの客観的な妥当性は、カテゴリーを通じてのみ経験が可能になることに基づくので、

    > ◇ それはすなわち、ア・プリオリな諸概念は経験の可能性のア・プリオリな条件として認識されなければならない(それが、経験において見出される直観の可能性の条件としてであろうと、或いは、思考の可能性の条件としてであろうと)という原理である。<

    アプリオリな概念の超越論的演繹は、経験の可能性のアプリオリな条件としてアプリオリな概念があるという認識の成立を目指して行われる。

    > ◇ 経験の可能性の客観的な根拠を与える諸概念は、まさにこの故に必然的である。<

    もしその認識が成立した時には、アプリオリな諸概念は必然的な意味を有した概念となる?

    >しかし、そうした諸概念がそこで見出される経験を展開してみせることは、そうした諸概念の演繹ではない(そうではなくて例証である)。というのも、そうした諸概念は、その際には何としても単に偶然的なものとなるおそれがあるからである。<

    アプリオリな概念が実際に機能している、という発見だけでは、単なる「事実問題」であって、必然的概念としての証明とはならない。

    > ◇ 認識の全ての対象は可能的な経験において現われる。この可能的な経験との以上のような根源的な連関無しに、ア・プリオリな諸概念と何らかの客観との連関は全く理解され得ないに違いない。<

    可能的な経験にはアプリオリな概念が条件となっているという関係の時のみ、客観としての認識の全ての対象とアプリオリな概念に必然的な関係性を見出すことができる??

    私は英訳一文だけでもぐったりするカントの文章に、うましかさんはきっと原文、訳文、いろいろ取り組まれてられるんだろうなぁ
    本当におつかれさまです!

    沼に少しでも浸れる休日はあっという間に終わってしまいますね
    (^_^;)
    お忙しいと思います、どうぞご自愛くださいませ!
引用返信/返信 削除キー/
■40101 / inTopicNo.83)  超越論的分析論]−4
□投稿者/ うましか -(2024/12/15(Sun) 22:12:42)
    2024/12/15(Sun) 22:13:30 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    日曜夜のカント沼v( ̄ー ̄)v

    いってみよー ウマ(;゚Д゚)(゚Д゚; )シカ

    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論
    第一篇 概念の分析論
    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて 〔済〕
    第二章 純粋悟性概念の演繹について
    第一節 (第十三項) 超越論的演繹一般の諸原理について 〔済〕

    第十四項 カテゴリーの超越論的演繹への移り行き

    ◆ 綜合された〔synthetische〕表象とその対象が一致し〔zusammentreffen〕、互いに必然的に関係し合う、言わば、互いに出会い得るのは、〔次の〕二つの場合しかあり得ない。すなわち、対象のみがその表象を可能にする場合か、表象のみがその対象を可能にする場合かのどちらかである。
    前者の場合、この関係は経験的であるに過ぎず、その表象は決してア・プリオリに可能ではない。そしてこのことは、感覚〔Empfindung〕に属するものであれば何であれ、現象にも当てはまる。
    しかし後者の場合には、表象そのものは( 何故なら、意志を介したその表象の原因性はここでは全く問題ではないから)、己の対象をその現存在から〔dem Dasein nach 〕℃Yみ出すことはない。
    それ故、この表象は、これを通じてのみ或るものを一つの対象として認識する〔als einen Gegenstand zu erkennen〕≠アとが可能である場合は、〔表象は〕その対象に関してア・プリオリに規定する働きをする。
    しかし、対象の認識がそのもとでのみ可能となる二つの条件がある。
    第一〔の条件〕は直観〔Anschauung〕≠ナあり、これによって対象は、現象としてのみであるが、与えられる。
    第二〔の条件〕は概念〔Begriff〕≠ナあり、これによって、その直観に対応する対象が思考される。
    しかし前述から明らかなように、第一の条件、すなわち諸対象がそのものでのみ直観され得る条件は、実際にその〔空間と時間という〕形式からみて客観の根底に心の内でア・プリオリに潜んでいるということである。それ故、感性のこの形式的条件とは全ての現象が必然的に合致する〔stimmen〕。というのも、全ての現象は〔感性の〕この形式的条件を通じてのみ現象するからであり、換言すれば、経験的に直観され、与えられ得るからである。
    さて問題は、ア・プリオリな諸概念もまた、或るものがそのもとでのみ、たとえ直観されるのではないにせよ、にもかかわらず対象一般として思考される諸条件として先行するのではなかろうかということである。何故なら、ア・プリオリな諸概念が先行するときには、諸対象の全ての経験的な認識はそうした諸概念に必然的に従うからである。その理由は、そうした諸概念を前提とすることがなければ何一つとして経験の客観〔Objekt der Erfahrung〕≠ニして可能とはならないからである。
    ところが、全ての経験は、或るものがそれを通じて与えられる感官の直観〔Anschauung der Sinne〕の他、直観において与えられ、或いは現象する〔erscheint〕対象についての概念〔Begriff〕≠も含んでいる。従って、諸対象一般についての諸概念は、ア・プリオリな条件として全ての経験認識〔Erfahrungserkenntnis〕の根底に潜んでいることになり、よってア・プリオリな諸概念としてのカテゴリーの客観的な妥当性は、そうしたカテゴリーを通じてのみ経験が(思考の形式からみて〔der Form des Denkens nach〕)可能になるということに基づいている。何故なら、そのときにはカテゴリーを介してのみ総じて経験の何らかの対象は思考され得るからである。

    ―― No.39943 の続き ---

    ◇ それ故、全てのア・プリオリな概念の超越論的演繹は、その全探究が向けられなければならない一つの原理を持っている。

    ◇ それはすなわち、ア・プリオリな諸概念は経験の可能性のア・プリオリな条件として認識されなければならない(それが、経験において見出される直観の可能性の条件としてであろうと、或いは、思考の可能性の条件としてであろうと)という原理である。

    ◇ 経験の可能性の客観的な根拠を与える諸概念は、まさにこの故に必然的である。しかし、そうした諸概念がそこで見出される経験を展開してみせることは、そうした諸概念の演繹ではない(そうではなくて例証である)。というのも、そうした諸概念は、その際には何としても単に偶然的なものとなるおそれがあるからである。

    ◇ 認識の全ての対象は可能的な経験において現われる。この可能的な経験との以上のような根源的な連関無しに、ア・プリオリな諸概念と何らかの客観との連関は全く理解され得ないに違いない。


    † 原佑訳上巻、p.245〜p.246参照。 原典はMeiner, p.173
    † その他、以下を参照。中山元 訳2,p.107、石川文康 訳 上巻, p.153
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    ]−1 No.39171、]−2 No.39245、]−3 No.39943、]−4 No.40101
    \−13 No.38896
    \−10 No.38144、\−11 No.38253、\−12 No.38689
    \−7 No.37244、\−8 No.37409、\−9 No.37955
    \−4 No.36646、\−5 No.36657、\−6 No.36908
    \−1 No.36429、\−2 No.36501、\−3 No.36600
    [−4 No.36127、[−5 No.36266
    [−1 No.35606、[−2 No.36085、[−3 No.36113
    Z−4 No.34874、Z−5 No.34919、Z−6 No.35259
    Z−1 No.33825、Z−2 No.33829、Z−3 No.34795
    Y−10 No.33776
    Y−7 No.33016、Y−8 No.33658、Y−9 No.33668
    Y−4 No.32398、Y−5 No.32507、Y−6 No.32849
    Y−1 No.31693、Y−2 No.32053、Y−3 No.32302
    X−4 No.30943、X−5 No.31146、X−6 No.31639
    X−1 No.30542、X−2 No.30550、X−3 No.30874
    W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154,30529
    第二節 No.30542,30550,30874,30943,31146,31639
    第三節No.31693,32053,32302,32398,32507,32849,
    No.33016,33658,33668,33776,33825,33829,34795,
    No.34874,34919,35259,35606,36085,36113,36127,36266
    第二章 
    第一節 No.36429,36501,36600,36646,36657,36908,37244,37409,37955,38144,38253,38689,38896,39171,39245,39943,40101

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■40093 / inTopicNo.84)  日記
□投稿者/ pipit -(2024/12/15(Sun) 16:00:08)
    もう(YouTubeから)姿を消したかと思っていたQeiruさんが2年ぶりに新曲をアップしていた。

    まだ一日たっていないのに2450回再生。

    Qeiruさんのこと好きな人はまだ待っていたんだなー。

    ♪ フィクション(feat.IA)
    https://youtu.be/GSm18BkoVbc?si=Rjl9jEF0HA9ZWFJ1
引用返信/返信 削除キー/

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