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■40104 / inTopicNo.73)  Re[3]: 超越論的分析論]−4
  
□投稿者/ pipit -(2024/12/15(Sun) 23:32:15)
    うましかさん、こんばんはーo(^▽^)o

    No40101
    > ◇ それ故、全てのア・プリオリな概念の超越論的演繹は、その全探究が向けられなければならない一つの原理を持っている。<

    それ故、というのは、

    「よってア・プリオリな諸概念としてのカテゴリーの客観的な妥当性は、そうしたカテゴリーを通じてのみ経験が(思考の形式からみて〔der Form des Denkens nach〕)可能になるということに基づいている。何故なら、そのときにはカテゴリーを介してのみ総じて経験の何らかの対象は思考され得るからである。」

    という前文を受けてのことかな?
    カテゴリーの客観的な妥当性は、カテゴリーを通じてのみ経験が可能になることに基づくので、

    > ◇ それはすなわち、ア・プリオリな諸概念は経験の可能性のア・プリオリな条件として認識されなければならない(それが、経験において見出される直観の可能性の条件としてであろうと、或いは、思考の可能性の条件としてであろうと)という原理である。<

    アプリオリな概念の超越論的演繹は、経験の可能性のアプリオリな条件としてアプリオリな概念があるという認識の成立を目指して行われる。

    > ◇ 経験の可能性の客観的な根拠を与える諸概念は、まさにこの故に必然的である。<

    もしその認識が成立した時には、アプリオリな諸概念は必然的な意味を有した概念となる?

    >しかし、そうした諸概念がそこで見出される経験を展開してみせることは、そうした諸概念の演繹ではない(そうではなくて例証である)。というのも、そうした諸概念は、その際には何としても単に偶然的なものとなるおそれがあるからである。<

    アプリオリな概念が実際に機能している、という発見だけでは、単なる「事実問題」であって、必然的概念としての証明とはならない。

    > ◇ 認識の全ての対象は可能的な経験において現われる。この可能的な経験との以上のような根源的な連関無しに、ア・プリオリな諸概念と何らかの客観との連関は全く理解され得ないに違いない。<

    可能的な経験にはアプリオリな概念が条件となっているという関係の時のみ、客観としての認識の全ての対象とアプリオリな概念に必然的な関係性を見出すことができる??

    私は英訳一文だけでもぐったりするカントの文章に、うましかさんはきっと原文、訳文、いろいろ取り組まれてられるんだろうなぁ
    本当におつかれさまです!

    沼に少しでも浸れる休日はあっという間に終わってしまいますね
    (^_^;)
    お忙しいと思います、どうぞご自愛くださいませ!
引用返信/返信 削除キー/
■40101 / inTopicNo.74)  超越論的分析論]−4
□投稿者/ うましか -(2024/12/15(Sun) 22:12:42)
    2024/12/15(Sun) 22:13:30 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    日曜夜のカント沼v( ̄ー ̄)v

    いってみよー ウマ(;゚Д゚)(゚Д゚; )シカ

    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論
    第一篇 概念の分析論
    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて 〔済〕
    第二章 純粋悟性概念の演繹について
    第一節 (第十三項) 超越論的演繹一般の諸原理について 〔済〕

    第十四項 カテゴリーの超越論的演繹への移り行き

    ◆ 綜合された〔synthetische〕表象とその対象が一致し〔zusammentreffen〕、互いに必然的に関係し合う、言わば、互いに出会い得るのは、〔次の〕二つの場合しかあり得ない。すなわち、対象のみがその表象を可能にする場合か、表象のみがその対象を可能にする場合かのどちらかである。
    前者の場合、この関係は経験的であるに過ぎず、その表象は決してア・プリオリに可能ではない。そしてこのことは、感覚〔Empfindung〕に属するものであれば何であれ、現象にも当てはまる。
    しかし後者の場合には、表象そのものは( 何故なら、意志を介したその表象の原因性はここでは全く問題ではないから)、己の対象をその現存在から〔dem Dasein nach 〕℃Yみ出すことはない。
    それ故、この表象は、これを通じてのみ或るものを一つの対象として認識する〔als einen Gegenstand zu erkennen〕≠アとが可能である場合は、〔表象は〕その対象に関してア・プリオリに規定する働きをする。
    しかし、対象の認識がそのもとでのみ可能となる二つの条件がある。
    第一〔の条件〕は直観〔Anschauung〕≠ナあり、これによって対象は、現象としてのみであるが、与えられる。
    第二〔の条件〕は概念〔Begriff〕≠ナあり、これによって、その直観に対応する対象が思考される。
    しかし前述から明らかなように、第一の条件、すなわち諸対象がそのものでのみ直観され得る条件は、実際にその〔空間と時間という〕形式からみて客観の根底に心の内でア・プリオリに潜んでいるということである。それ故、感性のこの形式的条件とは全ての現象が必然的に合致する〔stimmen〕。というのも、全ての現象は〔感性の〕この形式的条件を通じてのみ現象するからであり、換言すれば、経験的に直観され、与えられ得るからである。
    さて問題は、ア・プリオリな諸概念もまた、或るものがそのもとでのみ、たとえ直観されるのではないにせよ、にもかかわらず対象一般として思考される諸条件として先行するのではなかろうかということである。何故なら、ア・プリオリな諸概念が先行するときには、諸対象の全ての経験的な認識はそうした諸概念に必然的に従うからである。その理由は、そうした諸概念を前提とすることがなければ何一つとして経験の客観〔Objekt der Erfahrung〕≠ニして可能とはならないからである。
    ところが、全ての経験は、或るものがそれを通じて与えられる感官の直観〔Anschauung der Sinne〕の他、直観において与えられ、或いは現象する〔erscheint〕対象についての概念〔Begriff〕≠も含んでいる。従って、諸対象一般についての諸概念は、ア・プリオリな条件として全ての経験認識〔Erfahrungserkenntnis〕の根底に潜んでいることになり、よってア・プリオリな諸概念としてのカテゴリーの客観的な妥当性は、そうしたカテゴリーを通じてのみ経験が(思考の形式からみて〔der Form des Denkens nach〕)可能になるということに基づいている。何故なら、そのときにはカテゴリーを介してのみ総じて経験の何らかの対象は思考され得るからである。

    ―― No.39943 の続き ---

    ◇ それ故、全てのア・プリオリな概念の超越論的演繹は、その全探究が向けられなければならない一つの原理を持っている。

    ◇ それはすなわち、ア・プリオリな諸概念は経験の可能性のア・プリオリな条件として認識されなければならない(それが、経験において見出される直観の可能性の条件としてであろうと、或いは、思考の可能性の条件としてであろうと)という原理である。

    ◇ 経験の可能性の客観的な根拠を与える諸概念は、まさにこの故に必然的である。しかし、そうした諸概念がそこで見出される経験を展開してみせることは、そうした諸概念の演繹ではない(そうではなくて例証である)。というのも、そうした諸概念は、その際には何としても単に偶然的なものとなるおそれがあるからである。

    ◇ 認識の全ての対象は可能的な経験において現われる。この可能的な経験との以上のような根源的な連関無しに、ア・プリオリな諸概念と何らかの客観との連関は全く理解され得ないに違いない。


    † 原佑訳上巻、p.245〜p.246参照。 原典はMeiner, p.173
    † その他、以下を参照。中山元 訳2,p.107、石川文康 訳 上巻, p.153
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    ]−1 No.39171、]−2 No.39245、]−3 No.39943、]−4 No.40101
    \−13 No.38896
    \−10 No.38144、\−11 No.38253、\−12 No.38689
    \−7 No.37244、\−8 No.37409、\−9 No.37955
    \−4 No.36646、\−5 No.36657、\−6 No.36908
    \−1 No.36429、\−2 No.36501、\−3 No.36600
    [−4 No.36127、[−5 No.36266
    [−1 No.35606、[−2 No.36085、[−3 No.36113
    Z−4 No.34874、Z−5 No.34919、Z−6 No.35259
    Z−1 No.33825、Z−2 No.33829、Z−3 No.34795
    Y−10 No.33776
    Y−7 No.33016、Y−8 No.33658、Y−9 No.33668
    Y−4 No.32398、Y−5 No.32507、Y−6 No.32849
    Y−1 No.31693、Y−2 No.32053、Y−3 No.32302
    X−4 No.30943、X−5 No.31146、X−6 No.31639
    X−1 No.30542、X−2 No.30550、X−3 No.30874
    W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154,30529
    第二節 No.30542,30550,30874,30943,31146,31639
    第三節No.31693,32053,32302,32398,32507,32849,
    No.33016,33658,33668,33776,33825,33829,34795,
    No.34874,34919,35259,35606,36085,36113,36127,36266
    第二章 
    第一節 No.36429,36501,36600,36646,36657,36908,37244,37409,37955,38144,38253,38689,38896,39171,39245,39943,40101

引用返信/返信 削除キー/
■40093 / inTopicNo.75)  日記
□投稿者/ pipit -(2024/12/15(Sun) 16:00:08)
    もう(YouTubeから)姿を消したかと思っていたQeiruさんが2年ぶりに新曲をアップしていた。

    まだ一日たっていないのに2450回再生。

    Qeiruさんのこと好きな人はまだ待っていたんだなー。

    ♪ フィクション(feat.IA)
    https://youtu.be/GSm18BkoVbc?si=Rjl9jEF0HA9ZWFJ1
引用返信/返信 削除キー/
■40074 / inTopicNo.76)  Re[9]: hanaちゃんへ
□投稿者/ hana -(2024/12/14(Sat) 23:56:06)
    pipiちゃん、返信ありがとう(^▽^)/

    >あ!「言葉」も情報へのショートカットキーにならないかな?

    あっ、確かに・・・
    自分の中で何かを考えているときに無意識に言語化している言葉は
    ショートカットになっているような気がします。
    意識って何層にも分かれていそうに思いました。
    その表層に言語があるのかな〜
    深層にはもっと複雑な何かがありそう。。

    人間にとって瞬時に判断することは、
    生きることに必要不可欠なんだろうね。。

    でもそのショートカット機能が
    認知バイアスに影響を与えてしまうのかな〜。


    >カントの場合、そこらへんもまた細かい沼になってそうなんだけどね。
    >概念が初めから備わる、といっても神様が植え付けたわけではなく、人間知性で自らアプリオリにその概念を設定してそのように世界として捉える、みたいな
    >いろいろ細かくて、解釈も驚くぐらい多様になってるかもなんだけど

    ありがとう〜参考になります。
    私全然理解できていないかも(;^_^A

    哲学者ってすごいよね。。
    なんか思うのは、人間の脳みそ的能力の幅って本当に広いんだなって。

    >私の場合はなんだけど、カントに取り組むことはすごく大変なんだけど、私の心が軽くなる方向へ進める道が見えてくる気持ちになってるんだよ。沼だけど....
    >hanaちゃんにもいいふうに作用してくれるといいなと願ってます♪

    まだまだそういうところまでには時間がもっとかかりそうだけど、
    「人間」って?ってところでの理解が進んでいけたら、
    少し心が軽くなれるかもです。。

    pipiちゃんの努力って本当にすごいです!
    私は何に対しても中途半端以下で。。

    なんかあまり意味なし投稿だったかも(;^_^A
    なのにありがとね。

    おやすみ1〜☆彡

引用返信/返信 削除キー/
■40072 / inTopicNo.77)  hanaちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2024/12/14(Sat) 23:11:27)
    2024/12/14(Sat) 23:12:44 編集(投稿者)

    やーhanaちゃん、投稿ありがとう!

    No40069
    > ここを読んでいて思い出したことがあったので、あまり参考にはならないのだけど。。
    >
    > 以前何かで読んだ(何で読んだのか思い出せぬ。。)
    >
    > 人間の脳は情報を効率的に処理するために多くのショートカットを使う。
    > こんな感じの言葉でした。<

    あ!「言葉」も情報へのショートカットキーにならないかな?
    (と、hanaちゃんのコメント読んで、あ!と思ったの)

    > この想像力も効率的に情報を処理するために、
    > 経験による傾向が生み出す個人特有の想像力・・・つまり想像力もショートカットされたもので、瞬時に対象の全体像を把握するためのもので、
    > そういう能力が、カントが言われるあらかじめ備わっている能力なのかな。。
    >
    > 脳のショートカット機能も、人間に初めから備わっている機能。<

    うん(^^)
    カントの場合、そこらへんもまた細かい沼になってそうなんだけどね。
    概念が初めから備わる、といっても神様が植え付けたわけではなく、人間知性で自らアプリオリにその概念を設定してそのように世界として捉える、みたいな
    いろいろ細かくて、解釈も驚くぐらい多様になってるかもなんだけど
    (^◇^;)

    私の場合はなんだけど、カントに取り組むことはすごく大変なんだけど、私の心が軽くなる方向へ進める道が見えてくる気持ちになってるんだよ。沼だけど....
    hanaちゃんにもいいふうに作用してくれるといいなと願ってます♪

    書き込みありがとうね、嬉しいです!
    おやすみー(^O^)/☆彡

引用返信/返信 削除キー/
■40069 / inTopicNo.78)  Re[7]: 純粋理性批判B185
□投稿者/ hana -(2024/12/14(Sat) 22:46:31)
    2024/12/14(Sat) 22:54:21 編集(投稿者)

    pipiちゃん、こんばんは。

    お邪魔しますm(__)m

    >なんで想像力が仕事しなくちゃというと、人間は対象を丸っと知ることが不可能だから。
    >部分部分を総合して想像して一つの対象物を想像するしかないから。


    ここを読んでいて思い出したことがあったので、あまり参考にはならないのだけど。。

    以前何かで読んだ(何で読んだのか思い出せぬ。。)

    人間の脳は情報を効率的に処理するために多くのショートカットを使う。
    こんな感じの言葉でした。

    この想像力も効率的に情報を処理するために、
    経験による傾向が生み出す個人特有の想像力・・・つまり想像力もショートカットされたもので、瞬時に対象の全体像を把握するためのもので、
    そういう能力が、カントが言われるあらかじめ備わっている能力なのかな。。

    脳のショートカット機能も、人間に初めから備わっている機能。
引用返信/返信 削除キー/
■40059 / inTopicNo.79)  純粋理性批判B185
□投稿者/ pipit -(2024/12/14(Sat) 20:41:23)
    2024/12/14(Sat) 21:16:23 編集(投稿者)

    みなさまこんばんは(^○^)
    今回のトピ完了で一旦休憩に入る予定なので、もう少し駆け足でまとめようかと思いましたが、私にとってはあまりの難解さに駆け足は諦めて、今まで通り一文ずつ読んでいきます。
    ( ; ; )

    No39524
    (J. M. D. Meiklejohnさん英訳)
    Hence it is apparent that the schematism of the understanding, by means of the transcendental synthesis of the imagination, amounts to nothing else than the unity of the manifold of intuition in the internal sense, and thus indirectly to the unity of apperception, as a function corresponding to the internal sense (a receptivity).

    (英訳のpipit日訳)
    従って明らかなのは、
    想像力の超越論的総合による悟性の図式機能は、内的感官における直観の多様の統一に他ならず、間接的には、内的感官(受容性)に対応する機能としての統覚の統一に他ならないということだ。

    =============
    (自分勝手なpipit感想)
    沼過ぎる(T . T)

    ふむー。

    刻々と得られる直観を、想像力に統一させる。
    超越論的には、形式であるところの時間規定則となる。
    認識の最高原則は統覚の統一なので、当然これに従うものとなる。

    なんで想像力が仕事しなくちゃというと、人間は対象を丸っと知ることが不可能だから。
    部分部分を総合して想像して一つの対象物を想像するしかないから。

    想像力(記憶像作成含む)がないと、知識を何も作れない。

    羊が一匹、羊が二匹、
    ↑ 数えるためには、今の一瞬に、複数の時間を自ら作成している。

    記憶は心的に重く感じるな、って感想が浮かぶ。
引用返信/返信 削除キー/
■39970 / inTopicNo.80)  Re[5]: pipitさまへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/12/09(Mon) 18:39:02)
    No39959、pipiさま、ありがとございま〜す。

    >「知覚」と言う言葉をどのような意味で使うのか、という問題もあるよね。<
    そうなのよね〜。
    わたしのは現象学のから、いまんとこ、
    No39803のようになってる。
    こういうなかで、カントのに取り組んでるんだけど、全部はむりだから、
    「これ、ネコ」(なんか難しくしたがる人に言わせると、「これはネコである」という判断みたいだけど)のような、(一語文が話せるようになる)1才ぐらいの子に、どのように出来てくるのかを中心に見ようとしてる。

    >『熱っ!!』<っていうの、
    No39705の、
    『主観の状態の変様としてもっぱら主観に関する場合、感覚(sensatio)』になるだと思うのね。
    “アツ!”って“感じさせるもの”、そのもの自体には、「熱い」はないと思うのね。
    何言ってるか分かんないかもだけど、書いとくね。

    またカントので知りたいところ出てきたらお邪魔するね。

引用返信/返信 削除キー/
■39959 / inTopicNo.81)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2024/12/09(Mon) 00:04:37)
    2024/12/09(Mon) 06:22:02 編集(投稿者)

    悪魔ちゃん、こんばんは(^O^)

    No39955
    > 今ね、うましかさんから教えてもらった
    > No39935を読んでるところなんだけど、
    > 〔『純粋理性批判』のB版演繹論第26節は、テキストの理解について、一つの難問を提起している。〕
    > ってあって、
    > 〔カントはその箇所で、カテゴリーによる総合が直観の把捉、すなわち、知覚の条件であると述べており、〕
    > (〔知覚の条件〕っていうの、ほら、わたし自称メルポン派だから、ここんと、すっごく気になってるのね。)
    > ってあって、<

    「知覚」と言う言葉をどのような意味で使うのか、という問題もあるよね。

    悪魔ちゃんが書いてくれた文章の中に『直観の把捉』があるでしょう?
    pipitの理解では、様々な直観が刻々と与えられる中で、それをざっとまとめて、想像力が
    『対象』をつくりあげる感じかなと思ってるんだよ。
    悪魔ちゃんが得た時空的な直観から想像力でpipitというヒト、を作る、それも『直観の把捉』だとpipitは思ってるんだけど、それが【すなわち】知覚、ってことは、pipitが考えるに、この箇所では、カテゴリーによる総合が、《対象を規定する一つの情報としての知覚》としての知覚 の条件ってことになってるのかなと思っちゃうなぁ...
    うーん、何かわからず、『熱っ!!』とか感じることってあると思うんだけど、カント的には、『熱っ!!』単体では知覚として見ないということなのかなぁ、『熱っ!!』は知覚以前の感じる何かで、
    『熱っ!!』がカテゴリーによる総合に従うことで、何かの内容を持った情報の一部分として把捉されるということなのかなぁ、その時の『熱』は知覚にカントは分類するのかなぁ。
    (・・?)???

    > わたしがpipiさまに聞きたいのは〜、『純粋理性批判』のB版演繹論第26節でカントはどんなこと言ってるのかな〜、って。<

    この箇所の題名の中山元先生の日訳は、

    『第二六項 純粋知性概念を可能的な経験に普遍的に利用できることの超越論的な根拠づけ』

    になってるよ。
    この箇所文庫本で11ページくらいあって、
    段落ごとに中山先生独自の小タイトルをつけてるんだけど、この第二六項は、

    168 自然科学の可能性
    169 把握による総合
    170 経験の条件としてのカテゴリー
    170n 直観の形式と形式の直観
    171 量のカテゴリーによる把握の実例
    171n 自発性としての想像力と自己統合の意識
    172 原因のカテゴリーによる把握の実例
    173 自然の謎
    174 カテゴリーにしたがう自然

    、とあるよ。
    興味ある箇所があったら引用や読解などにチャレンジするよ!いつでも気軽に言ってね
    p(^_^)qガンバルゾー


    検索して出てきた論文。第26節のことも書いてあるみたいなのでアドレスを貼りますね。↓

    直観はいかなる意味で概念に依存するのか
    『純粋理性批判』演繹論における直観の理論について
    片山 光弥さん

    https://www.l.u-tokyo.ac.jp/philosophy/pdf/ron40/05-Katayama.pdf

    >pipiさま、休暇中、ごめんね。<

    今回のスレッドが終わってから休暇だよ!
    短期休暇にするつもりで、多分すぐにパニチェさんに再開などをお願いしにくると思うよ
    (^_^)アリガトウ

引用返信/返信 削除キー/
■39955 / inTopicNo.82)  B版演繹論第26節
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/12/08(Sun) 19:44:41)
    今ね、うましかさんから教えてもらった
    No39935を読んでるところなんだけど、
    〔『純粋理性批判』のB版演繹論第26節は、テキストの理解について、一つの難問を提起している。〕
    ってあって、
    〔カントはその箇所で、カテゴリーによる総合が直観の把捉、すなわち、知覚の条件であると述べており、〕
    (〔知覚の条件〕っていうの、ほら、わたし自称メルポン派だから、ここんと、すっごく気になってるのね。)
    ってあって、
    〔B版演繹論の第26節は、ハナにとっても、また、アトラスにとっても、最大の躓きの石とされており、〕
    ってあるのね。
    (〔ハナ〕っていう人は「非概念主義」、〔アトラス〕っていう人は」「概念主義」みたいです。)
    で、
    〔カントが概念主義者であるかどうか〕、ということを問題してるのが、“カント解釈”のなかでの「概念主義者」と「非概念主義者」の間の論争みたいなのね。
    あ、
    わたしがpipiさまに聞きたいのは〜、『純粋理性批判』のB版演繹論第26節でカントはどんなこと言ってるのかな〜、って。
    たぶん、「内容のない思想は空虚であり、概念を欠いた直観は盲目である」(A51/B75)みたいなことが書いてあるところだと思うんだけど?

    pipiさま、休暇中、ごめんね。
    気が向いたときにでいいので、おねがいしま〜す。

引用返信/返信 削除キー/
■39953 / inTopicNo.83)  Re[2]: 超越論的分析論]−3
□投稿者/ pipit -(2024/12/08(Sun) 17:48:04)
    うましかさん、こんにちは♪

    No39943
    > 第十四項 カテゴリーの超越論的演繹への移り行き<

    こ、これはカント沼の深部とも云われる(?)演繹沼:(;゙゚'ω゚'):への移り行き!

    > ◇ところで、問題は、ア・プリオリな諸概念もまた、或るものがそのもとでのみ、たとえ直観されるのではないにせよ、にもかかわらず対象一般として思考される諸条件として先行するのではなかろうかということである。<

    ん?もともとの話題は、
    〔空間と時間という〕形式、についてで、、、
    感性の形式が経験的直観に先行するように、、、
    アプリオリな概念もまた経験的概念に先行するということがあり得る?って言ってるのかな?

    > ◇何故なら、ア・プリオリな諸概念が先行するときには、諸対象の全ての経験的な認識はそうした諸概念に必然的に従うからである。その理由は、そうした諸概念を前提とすることがなければ何一つとして経験の客観〔Objekt der Erfahrung〕≠ニして可能とはならないからである。<

    難しいなぁ...
    [時間空間があるとき、経験的直観がある]ならば、〈経験的直観は時間空間に従う〉
    のと同様に、
    [アプリオリな諸概念があるとき、経験的認識がある]ならば、〈経験的認識はアプリオリな諸概念に従う〉
    〈〉を言うためには、[]を確立させなければいけないですが、、、カント的には論理学の判断表から、人間の経験的思考先立つアプリオリな概念を導出していることになっているので、何かについてを思考するならばこのアプリオリな概念に従った思考になる、ということかなぁ。

    > ◇ところが、全ての経験は、或るものがそれを通じて与えられる感官の直観〔Anschauung der Sinne〕の他、直観において与えられ、或いは現象する〔erscheint〕対象についての概念〔Begriff〕≠も含んでいる。<

    経験、という認識には、思考が含まれている。

    > ◇従って、諸対象一般についての諸概念は、ア・プリオリな条件として全ての経験認識〔Erfahrungserkenntnis〕の根底にひそんでいることになり、よってア・プリオリな諸概念としてのカテゴリーの客観的な妥当性は、そうしたカテゴリーを通じてのみ経験が(思考の形式からみて〔der Form des Denkens nach〕)可能になるということに基づいている。
    >
    > ◇何故なら、そのときにはカテゴリーを介してのみ総じて経験の何らかの対象は思考され得るからである。<

    カテゴリーがあるとき経験がある、ならば、カテゴリーは経験の客観妥当性を表現しているものとなる、ということかな??

    んん、力技?!

    これから、カテゴリーが経験にとっての必然的条件だ、ということを超越論的演繹論で論じていくのかな?

    うましかさん、カント変◯沼おつかれさまです!
    何故かあったかいンですよねー??(謎)

    どうぞ体調にお気をつけてくださいませ♪

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■39943 / inTopicNo.84)  超越論的分析論]−3
□投稿者/ うましか -(2024/12/07(Sat) 23:19:20)
    2024/12/07(Sat) 23:21:29 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    おじゃましますー(;・∀・)沼

    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論
    第一篇 概念の分析論
    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて 〔済〕
    第二章 純粋悟性概念の演繹について
    第一節 (第十三項) 超越論的演繹一般の諸原理について 〔済〕

    第十四項 カテゴリーの超越論的演繹への移り行き

    ◇ 綜合的な〔synthetische〕表象とその対象が一致し〔zusammentreffen〕、互いに必然的に関係し合う、言わば、互いに出会い得るのは、〔次の〕二つの場合しかあり得ない。すなわち、対象のみがその表象を可能にする場合か、表象のみがその対象を可能にする場合かのどちらかである。
    前者の場合、この関係〔Beziehung〕は経験的であるに過ぎず、その表象は決してア・プリオリに可能ではない。そしてこのことは、感覚〔Empfindung〕に属するものであれば何であれ、現象にも当てはまる。
    しかし後者の場合には、表象そのものは( 何故なら、意志を介したその表象の原因性はここでは全く問題ではないから)、己の対象をその現存在から〔dem Dasein nach 〕℃Yみ出すことはない。
    それ故、この表象は、これを通じてのみ或るものを一つの対象として認識する〔als einen Gegenstand zu erkennen〕≠アとが可能である場合は、〔表象は〕その対象に関してア・プリオリに規定する働きをする。
    しかし、対象の認識がそのもとでのみ可能となる二つの条件がある。
    第一〔の条件〕は直観〔Anschauung〕≠ナあり、これによって対象は、現象としてのみであるが、与えられる。
    第二〔の条件〕は概念〔Begriff〕≠ナあり、これによって、その直観に対応する対象が思考される。
    しかし前述から明らかなように、第一の条件、すなわち諸対象がそのものでのみ直観され得る条件は、実際にその〔空間と時間という〕形式からみて客観の根底に心の内でア・プリオリに潜んでいるということである。
    それ故、感性のこの形式的条件とは全ての現象が必然的に合致する〔stimmen〕。
    というのも、全ての現象は〔感性の〕この形式的条件を通じてのみ現象するからであり、換言すれば、経験的に直観され、与えられ得るからである。

    ―― No.39245 の続き ---

    ◇ところで、問題は、ア・プリオリな諸概念もまた、或るものがそのもとでのみ、たとえ直観されるのではないにせよ、にもかかわらず対象一般として思考される諸条件として先行するのではなかろうかということである。

    ◇何故なら、ア・プリオリな諸概念が先行するときには、諸対象の全ての経験的な認識はそうした諸概念に必然的に従うからである。その理由は、そうした諸概念を前提とすることがなければ何一つとして経験の客観〔Objekt der Erfahrung〕≠ニして可能とはならないからである。

    ◇ところが、全ての経験は、或るものがそれを通じて与えられる感官の直観〔Anschauung der Sinne〕の他、直観において与えられ、或いは現象する〔erscheint〕対象についての概念〔Begriff〕≠も含んでいる。

    ◇従って、諸対象一般についての諸概念は、ア・プリオリな条件として全ての経験認識〔Erfahrungserkenntnis〕の根底にひそんでいることになり、よってア・プリオリな諸概念としてのカテゴリーの客観的な妥当性は、そうしたカテゴリーを通じてのみ経験が(思考の形式からみて〔der Form des Denkens nach〕)可能になるということに基づいている。

    ◇何故なら、そのときにはカテゴリーを介してのみ総じて経験の何らかの対象は思考され得るからである。


    † 原佑訳上巻、p.244〜p.245参照。 原典はMeiner, p.172〜p.173
    † その他、以下を参照。中山元 訳2,p.105〜p.106、石川文康 訳 上巻, p.152〜p.153
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    ]−1 No.39171、]−2 No.39245、]−3 No.39943
    \−13 No.38896
    \−10 No.38144、\−11 No.38253、\−12 No.38689
    \−7 No.37244、\−8 No.37409、\−9 No.37955
    \−4 No.36646、\−5 No.36657、\−6 No.36908
    \−1 No.36429、\−2 No.36501、\−3 No.36600
    [−4 No.36127、[−5 No.36266
    [−1 No.35606、[−2 No.36085、[−3 No.36113
    Z−4 No.34874、Z−5 No.34919、Z−6 No.35259
    Z−1 No.33825、Z−2 No.33829、Z−3 No.34795
    Y−10 No.33776
    Y−7 No.33016、Y−8 No.33658、Y−9 No.33668
    Y−4 No.32398、Y−5 No.32507、Y−6 No.32849
    Y−1 No.31693、Y−2 No.32053、Y−3 No.32302
    X−4 No.30943、X−5 No.31146、X−6 No.31639
    X−1 No.30542、X−2 No.30550、X−3 No.30874
    W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154,30529
    第二節 No.30542,30550,30874,30943,31146,31639
    第三節No.31693,32053,32302,32398,32507,32849,
    No.33016,33658,33668,33776,33825,33829,34795,
    No.34874,34919,35259,35606,36085,36113,36127,36266
    第二章 
    第一節 No.36429,36501,36600,36646,36657,36908,37244,37409,37955,38144,38253,38689,38896,39171,39245,39943

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