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■40911 / inTopicNo.25)  悪魔ちゃんへ
  
□投稿者/ pipit -(2025/02/10(Mon) 07:28:39)
    2025/02/10(Mon) 07:37:53 編集(投稿者)

    悪魔ちゃんおはよー(^ ^)

    pipitがカントの図式をすごく誤解して書いてたらごめんね! m(_ _)m

    ちょっとカント関係なしに考えたとして、
    「ペイント」で挿入で△あるやん。
    その△自由に変形できるやん。

    変形出来る能力や規則(プログラミング?計算式?条件?)みたいなのも図式かな、って。


    今日、道路ツルツルやから、いややなー
    悪魔ちゃんとこは大丈夫かもやけど、気をつけてね~(^O^)/
引用返信/返信 削除キー/
■40907 / inTopicNo.26)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2025/02/09(Sun) 12:35:52)
    2025/02/09(Sun) 12:53:32 編集(投稿者)

    や〜悪魔ちゃん、レスうれしいよ、ありがとう。

    No40906
    > 紙の上にいろんな「大きさ」「形」をした8個の図形を描いて見た、っていうんで見てね。
    >
    > これ、「形」はどれも同じ、って見る?(個々の図形はぜ〜んぶ異なるよ。重ねて見るとわかると思うけど。)
    > こう見る人はたぶん8個の図形すべて〈三角形〉って見てるんじゃないかしら?
    > こういうのが純粋悟性概念の図式。じゃ、その〈三角形〉、描いて見て、って言われると、たしかに描けない。
    > C「純粋悟性概念の図式は,決して形像化しえないもの」
    >
    > わたしのはこんな感じ。<

    カントは、三角形の図式と純粋悟性概念の図式を区別してるんだよ。
    御子柴先生の解説本で言えば、p250前後にそのことについて載っています。(p250の最終2行に御子柴先生の見解が載っています)

    pipitの考えてる感じを文章化してみるね。
    まず『三角形』についての図式は、想像力で『三角形』概念を純粋直観(純粋な空間)に作図する手続き、です。
    その作図手続きによってできた形像を通して、包摂が2回行われる。
    まず第一に経験的直観を、図式によりできる形像へと包摂する行為。第二に図式によりできた形象を、概念へと包摂する行為。

    概念『三角形』・・・『同一直線上にない3点と、それらを結ぶ3つの線分からなる多角形。』と定義したとすると、
    想像力で上記の定義を描いてみるんだよ。(これが図式機能使っている場面)
    それでNO40906で悪魔ちゃんが描いてくれた図形を作れるか純粋直観で試してみるんだよ。
    それで一致したなら、この具体的△は三角形である。と判断するんじゃないかな、とpipitは今のところ考えてます。

    図式なら直角三角形でも鋭角三角形でもNo40906にでてくる図形を純粋直観に描くことが可能、というpipitのイメージです。

    純粋悟性概念の図式については、pipitが自分がイメージするためにイラスト化してるけど、カントは純粋悟性概念の図式は形像化されえないと言っているね。

    なんかさ〜、カントって辞め時(諦め時)がわからなくなる『沼』だよな〜って気分になるよ。
    カント哲学は大好きだけどさ((+_+))


引用返信/返信 削除キー/
■40906 / inTopicNo.27)  Re[20]: 図式の復習・数
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/02/09(Sun) 10:29:10)
    pipiさま、お邪魔しま〜す。

    カントの「図式論」なんだけど、わたし、数じゃなくて図で見たのね。
    No40052 の(資料b)の
    No40735のAについてペイントして見たのがあるので添付して見ま〜す。

    紙の上にいろんな「大きさ」「形」をした8個の図形を描いて見た、っていうんで見てね。

    これ、「形」はどれも同じ、って見る?(個々の図形はぜ〜んぶ異なるよ。重ねて見るとわかると思うけど。)
    こう見る人はたぶん8個の図形すべて〈三角形〉って見てるんじゃないかしら?
    こういうのが純粋悟性概念の図式。じゃ、その〈三角形〉、描いて見て、って言われると、たしかに描けない。
    C「純粋悟性概念の図式は,決して形像化しえないもの」

    わたしのはこんな感じ。

372×252

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引用返信/返信 削除キー/
■40901 / inTopicNo.28)  日記
□投稿者/ pipit -(2025/02/08(Sat) 19:32:25)
    今のなんとなくのイメージなんですけど、、、

    ・・・+1+1+1+1+1+・・・

    で時間の中に何かが現れるとして、その「1」を束ねた形には『球』(きゅう)のイメージを持っています

    時間という球体(全体性)  の中にある「1」

    1レイヤーや1コマや1枚の紙の「1」

    時間球体は、、、心 だったりして?!

    ☆彡
引用返信/返信 削除キー/
■40897 / inTopicNo.29)  Re[18]: 図式の復習・数
□投稿者/ pipit -(2025/02/08(Sat) 14:44:36)
    2025/02/08(Sat) 14:46:31 編集(投稿者)

    引き続き「数える」について考えたことを書きます。

    Windows付属の無料ソフトに「ペイント」というアプリがあります。
    このアプリには「レイヤー」という機能があります。
    透明の紙を複数枚重ねて表示できるような機能です。

    今回三角形を順番に数える絵を書きました。
    レイヤーは4枚出来ています。
    下の赤枠は4番目の絵だけ見えるようにした図ですが、1番目、2番目、3番目の絵も見えるように総合したのが上の絵です。

    ここでレイヤーの継起(順番に絵を作成していくので)を「時間」と考えると、
    『4』と数えているときに、「1」「2」「3」も見えているなら、それが想像力のなせるわざ、なのではないかと考えました。

    前回のNo40894のイラストは、継起が空間的に表現されています。時間を空間で表象しようとしている、と言えるかなと思いました。
    今回のイラストも結局は空間的に表現されているかもですが、「ペイント」のレイヤー機能の構造は、記憶という像を今作成して総合して認識を作成する、という認識の可能性を妄想してみる時のヒントになり得るのではないかと思いました。


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■40894 / inTopicNo.30)  図式の復習・数
□投稿者/ pipit -(2025/02/08(Sat) 12:16:58)
    みなさまこんにちは〜
    カントの図式論、あまりのわかりにくさにダウン寸前ですが、なんとか考えてみました。

    人間の感受対象物(現象)と思考機能(概念)を連関させるためには人間の想像力(構想力)が必要とされる。
    この想像力は概念を直観において具現化し、また、直観を概念化させることで、現象の概念への包摂を可能にする。

    例えば純粋悟性概念『量』の場合…
    『量』の図式は『数』だとカントは言う。

    数えることで対象の在り方を私が決定している。
    対象という存在を私が世界に投げ入れる。
    そのようなイメージをpipitは持ちました。

    それで、『数』をテーマに、ワードでpipitのイメージ図を作りましたので投稿します。


665×432 => 600×389

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■40870 / inTopicNo.31)  Re[7]: 純粋理性批判B185
□投稿者/ pipit -(2025/02/05(Wed) 18:30:42)
    いやぁ〜、前どこまで読んだかなと探して驚愕、一か月以上前なのかぁ
    (;^ω^)

    (過去投稿)
    No40059
    > みなさまこんばんは(^○^)
    > 今回のトピ完了で一旦休憩に入る予定なので、もう少し駆け足でまとめようかと思いましたが、私にとってはあまりの難解さに駆け足は諦めて、今まで通り一文ずつ読んでいきます。
    > ( ; ; )
    >
    > No39524
    > (J. M. D. Meiklejohnさん英訳)
    (英訳文略)
    >
    > (英訳のpipit日訳)
    > 従って明らかなのは、
    > 想像力の超越論的総合による悟性の図式機能は、内的感官における直観の多様の統一に他ならず、間接的には、内的感官(受容性)に対応する機能としての統覚の統一に他ならないということだ。<

    -----------------------------------------

    なんかすっかり図式論(今読んでる箇所)の大雑把な内容もpipitは忘れてるな〜
    ( ノД`)シクシク…

    このまま一文ずつ読み続けるか、図式論まとめて勉強しなおすか、迷うな〜
     
    ・の日記でした〜

    先日、大阪の万博公園の太陽の塔の中を見てきました!
    めちゃよかったです!
    太郎さんすごいな〜( ゚Д゚)

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taiyonoto.JPG
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■40761 / inTopicNo.32)  日記
□投稿者/ pipit -(2025/01/26(Sun) 09:22:25)
    中島義道先生、カントの本出してたんだー

    『カントの超越論的自我論
    あの『純粋理性批判』に再び挑んでみよう、
      ──人としての迷い、ためらいを味わい尽くす
    カントの超越論的自我論  
    中島義道 著
    2024年11月25日刊行 本体3200円 四六判
    並製 316頁ISBN978-4-910154-60-2 C0010  
    生涯を賭けた思索の原典に立ち戻り、あらためてカントと対話する。未知なる思考の世界と、そこにおける人間の位置を示す指標を立てるために。
    再びこの思考の金字塔に挑んでみよう。自らの声で、カントの迷いと葛藤をときほぐす。すると時代を築いた思想の、素顔が見えてくる。
    そこにあるのは、いまを生きる、私たちの足もとを照らす探照灯の誕生秘話であった。
    【姉妹篇・既刊】 てってい的にカント その一 コペルニクス的転回の全貌
           てってい的にカント その二 「純粋理性」の舞台裏

    カントの超越論的自我論 - 出版社:株式会社 ぷねうま舎、のページより引用。

    ---------------------

    今日永井均先生の新刊『『純粋理性批判』を立て直す カントの誤診1』がコンビニに届くとメールありました♪

    中島先生も永井先生も私にとっては読むの難しいからなー(・・;)

    『てってい的にカント』シリーズも読んでみたいけど、辿り着ける気がしないなー
    (T ^ T)
    なぜてっていがひらがななんやろう・・・?

    ちなみに今、積読やった『「カントの道徳」講義録』夏目研一先生著、致知出版社、をやっと読んでます。
    夏目先生のハートが熱いですっ☆
引用返信/返信 削除キー/
■40743 / inTopicNo.33)  Re[10]: 超越論的分析論XI−3
□投稿者/ pipit -(2025/01/25(Sat) 00:06:15)
    うましかさん、こんばんぬま〜
    (^^♪

    すごいなー(私はこの頃なかなか沼に入りゆく勇気が出てこないです。カント文、謎構造文すぎてめっちゃ大変ですよね
    (´;ω;`)ウッ…沼ッ)

    No40741
    >
    > ◇ というのも、そうした諸純粋悟性概念の連結においては、何としても可能的に経験の条件に必然的に属している或るものが除去されていることができるし(霊の概念〔Begriff eines Geistes〕)、<

    ん?感性的なものを除去して霊の概念を考えることは可能ではあるということかな??

    >或いは、やがては純粋悟性概念は、経験が捉え得るより以上に拡大され得るからである(神についての概念〔Begriff von Gott〕)。
    >
    > ◇ しかし、全てのア・プリオリな認識のための〔諸要素〕、恣意的で不合理な虚構〔willkuerlichen und ungereimten Erdichtungen〕のための諸要素〔Elememte〕≠ナさえ、なるほど経験から借用したものではあり得ないが(なぜなら、さもなければそれらはア・プリオリな認識ではないであろうから)、しかし、それらの諸要素はいつでも可能的経験とその対象とのア・プリオリな純粋条件を含んでいなければならない。
    >
    > ◇ なぜなら、さもなければ、それらの諸要素にとって何一つとして全く思考されないだけでなく、それらの諸要素自体が与件を欠くため、思考において決して成立し得ないことにもなるからである。<


    なんなんだこのカント構文は〜( ノД`)シクシク…

    形而上学での対象規定に使用する概念は経験から借用された概念ではありえないが、単なるアプリオリな、空虚な概念でも何も規定できない(意味のない概念、ということになるので)。
    経験から借用された概念ではなく、経験の条件となっている概念なら、アプリオリでありながらも意味のある概念として形而上学での対象規定の概念として使用できる、ということなのかなぁ
    まったく完全に誤解釈して読んでたらすみません!

    カント文への取り組みおつかれさまです
    ( ^^) _旦~~
引用返信/返信 削除キー/
■40742 / inTopicNo.34)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2025/01/24(Fri) 23:27:49)
    No40737に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > この〈像〉に想像が付加されているものをカントは「経験的直観」って言ってるんじゃないかしら?ってこのごろわたし見てる。<

    うん、構想力による像も総合して統合された対象物を経験的直観としてる可能性もありそうだね。

    まだちゃんと勉強していない私の想像なんだけど、純粋悟性概念に基づいた総合&統合でつくられた像が、認識の対象になる、とカントはしてる可能性もあるかなって思ってます。

    パズルするときって、ピースの配置を感性を使いながらも頭でも考えてるでしょう?
    そのように、例えば「実体」を考えながら感性で得たピースを使って対象像をつくる。
    「量」を考えながら感性で得たピースを使って対象像をつくる。
    そんなイメージを今のpipitは持っています。

    そのpipitのイメージに関わると思う、前にワードで作った作図を再投稿します。
    左側は一般論理学で使用される純粋悟性概念の働き方のイメージ、右側は対象作成で使用される純粋悟性概念の働き方のイメージです。(作図の中の概念は「青」という経験的概念やけど…働き方のイメージとして…)

    でも、ここらへんも多解釈されてそうだから、もっと違うイメージもできそう。
    悪魔ちゃんの作図も見てみるね!(難しそうなんだけど〜(;^ω^))
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引用返信/返信 削除キー/
■40741 / inTopicNo.35)  超越論的分析論XI−3
□投稿者/ うましか -(2025/01/24(Fri) 23:12:20)
    2025/01/24(Fri) 23:13:53 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんぬまー

    (;´・ω・)

    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論
    第一篇 概念の分析論
    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて 〔済〕
    第二章 純粋悟性概念の演繹について
    第一節 (第十三項) 超越論的演繹一般の諸原理について 〔済〕
    第十四項 カテゴリーの超越論的演繹への移り行き 〔済〕

    第二節 経験の可能性のためのア・プリオリな諸根拠について【初版】

    ◆ 或る概念が完全にア・プリオリに産出され、しかも、たとえその概念がそれ自身を可能的な経験の概念のうちに属すこともなく、可能的な経験の諸要素から成り立ってもいないにせよ、対象と連関すべきであるということは、全く矛盾した不可能なことである。
    何故なら、その概念は、その場合、いかなる直観もその概念に対応しないので、いかなる内容も持たないに違いないからである。というのも、私たちにそれを通じて諸対象が与えられる得る直観一般が、可能的な経験の分野、或いは全対象を成すからである。
    可能的な経験と連関しないア・プリオリな概念は、概念のための論理的な形式だけになるだろうが、或るものがそれを通じて思考される概念自身とはなり得ないであろう。

    ◆ それ故、ア・プリオリな諸純粋概念〔reine Begriffe a priori〕があるならば、それはなるほど何一つ経験的なものを含み得ないことは言うまでもないが、にもかかわらず、可能的な経験のア・プリオリな純然たる条件でなければならず、この可能的な経験は、それらの諸純粋概念の客観的な実在性がそれのみに基づき得るものに他ならない。

    ◇ だから、いかにして純粋悟性概念〔reine Verstandesbegriffe〕は可能であるのかを知ろうとするならば、人は経験の可能性がそこに帰着し、だから、たとえ現象の全ての経験的なものを捨象しようとも、経験の根底に潜んでいるア・プリオリな条件がいかなるものであるのかを研究しなければならない。
    経験のこうした形式的に客観的な条件を、普遍的かつ十分に表現する概念は、純粋悟性概念と呼ばれるだろう。
    もし私が純粋悟性概念を手に入れるなら、確かに私は、おそらく不可能な諸対象をも、〔また、〕おそらくそれ自体では可能であるとしても、いかなる経験において与えられ得ない諸対象をも、考え出すことができる。

    ―― No.40360 の続き ---

    ◇ というのも、そうした諸純粋悟性概念の連結においては、何としても可能的に経験の条件に必然的に属している或るものが除去されていることができるし(霊の概念〔Begriff eines Geistes〕)、或いは、やがては純粋悟性概念は、経験が捉え得るより以上に拡大され得るからである(神についての概念〔Begriff von Gott〕)。

    ◇ しかし、全てのア・プリオリな認識のための〔諸要素〕、恣意的で不合理な虚構〔willkuerlichen und ungereimten Erdichtungen〕のための諸要素〔Elememte〕≠ナさえ、なるほど経験から借用したものではあり得ないが(なぜなら、さもなければそれらはア・プリオリな認識ではないであろうから)、しかし、それらの諸要素はいつでも可能的経験とその対象とのア・プリオリな純粋条件を含んでいなければならない。

    ◇ なぜなら、さもなければ、それらの諸要素にとって何一つとして全く思考されないだけでなく、それらの諸要素自体が与件を欠くため、思考において決して成立し得ないことにもなるからである。


    † 原佑訳上巻、p.251〜p.253参照。 原典はMeiner,p.207
    † その他、以下を参照。中山元 訳2, p.183〜p.184、石川文康 訳 上巻, p157
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    XI−1 No.40347、XI−2 No.40360、XI−3 No.40741
    ]−7 No.40294、]−8 No.40300
    ]−4 No.40101、]−5 No.40235、]−6 No.40240
    ]−1 No.39171、]−2 No.39245、]−3 No.39943
    \−13 No.38896
    \−10 No.38144、\−11 No.38253、\−12 No.38689
    \−7 No.37244、\−8 No.37409、\−9 No.37955
    \−4 No.36646、\−5 No.36657、\−6 No.36908
    \−1 No.36429、\−2 No.36501、\−3 No.36600
    [−4 No.36127、[−5 No.36266
    [−1 No.35606、[−2 No.36085、[−3 No.36113
    Z−4 No.34874、Z−5 No.34919、Z−6 No.35259
    Z−1 No.33825、Z−2 No.33829、Z−3 No.34795
    Y−10 No.33776
    Y−7 No.33016、Y−8 No.33658、Y−9 No.33668
    Y−4 No.32398、Y−5 No.32507、Y−6 No.32849
    Y−1 No.31693、Y−2 No.32053、Y−3 No.32302
    X−4 No.30943、X−5 No.31146、X−6 No.31639
    X−1 No.30542、X−2 No.30550、X−3 No.30874
    W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154,30529
    第二節 No.30542,30550,30874,30943,31146,31639
    第三節No.31693,32053,32302,32398,32507,32849,
    No.33016,33658,33668,33776,33825,33829,34795,
    No.34874,34919,35259,35606,36085,36113,36127,36266
    第二章 
    第一節 No.36429,36501,36600,36646,36657,36908,37244,
    No.37409,37955,38144,38253,38689,38896,39171,39245,
    No.39943,40101,40235,40240,40294,40300
    第二節 No.40347,40360,40741

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■40737 / inTopicNo.36)  Re[15]: ひとりごと日記
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/01/24(Fri) 20:08:37)
    pipiさま、
    No40733
    >目の前のコップ見てる時、裏側もイメージして、一つの対象物として<
    っていうの、はわたしもそう見てる。

    もっともわたしのばい現象学のからそう見てるんだけどね。
    コップの見えてるこちら面をわたしのばあい〔単に見えてる〈像〉〕って言ってる。
    この〈像〉に想像が付加されているものをカントは「経験的直観」って言ってるんじゃないかしら?ってこのごろわたし見てる。



引用返信/返信 削除キー/

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