| pipiさま、こんばんわ〜
わたしんとこ寒いけどここんとこ晴れれる。 道路ツルツル、転ばないよに気をつけてね。
カントの図式なんだけど 御子柴先生の解説本のp250前後、読んでてまだ思案中。
(資料b)では、 「図式」っていうの、二つあって、 (a)感性的概念の図式 (b)純粋悟性概念の図式 っていうことみたいなのね。 で、わたし(a)を経験的概念の図式ってして見たのね。 あと、 〔図式は「概念にその形像を附与するという構想力の一般的な仕方(Verfahren)の表象」 (A140, B179-180)と呼ばれている。〕 ってあって、 これ、 〈概念にその形像を付与する構想力の一般な仕方によって表象されたもの〉を図式、ってわたし見たのね。
たぶん、「形像(Bild)」っていうのは(a)の図式のことじゃないかな?って。
「経験(感性)的概念」と「純粋悟性概念」の間にあって、両者を結びつけているのが「構想力」によってもたらされたもの「図式」、見たいなんじゃないかしら?っていまんとこ。
あと、おおおざっぱに、二つの方向があって、 @「直観」から「概念」へ A「概念」から「直観」へ たとえばね @は、現前する個別のネコ(形像)からその概念へ Aは、「ネコ」っていう「概念-分類(語)」からその形像へ っていう。 その間にあって、両者を結びつけるもの、それをカントの言う「構想力」とか「図式」っていうのを考えてるじゃないかしら?って。
「純粋悟性概念」と「経験(感性)的概念」を結びつけてる「構想力」(する働き)とそれによって生み出された「図式」。これが結びつけられことができるのは両者の「同種」性があるから、って(本Ko)では言ってるんじゃないかしら?
簡単に見ると、〈似てる〉から。
>その△自由に変形できるやん< なるほど〜、変形できるその基になってるもの、ね。
ごめんね、長々と。 pipiさまもうやめちゃうみたいだからここにはできるだけ書き込まないようにしてたんだけど。 カントの「純理」のわたしのは「つれづれ」で書いてくことにするね。
|