■40081 / inTopicNo.12) |
Re[85]: つれづれなるままに 16
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/12/15(Sun) 09:07:41)
| No40053 添付できてよかった〜 「認識」のカッコ内間違ってて「cognitio」だった、ごめん。
しばらくカントの『純理』、「直観と概念」を見てくことになるんだけど、
添付した図を見ながら、 No40052の資料のなかからいくつか書いて見てく。
(資料b)から、 ・@――――――――――――― 『純粋理性批判』は, 「私〔カント〕がこの純粋理性批判において意味することは,書物や体系の批判ではなくて,理性が一切の経験にかかわりなく達得しようとするあらゆる認識に関して,理性能力一般を批判することである」 (AXII)という意味において, 「純粋理性の批判」(Kritik der reinen Vernunft)である.だが,純粋理性がそれ自身認識能力としてあるべき限り,理性能力一般を批判することは,同時にそれによって可能となるべき「認識の起源,範囲及び客観的妥当性を規定する学」 (A57, B81)という性格を帯びることになり,その意味でF純粋理性批判』は「認識批判」 (Kritik der Erkenntnisse)とも言いうるであろう(A57,B81). ―――――――――――――― っていうこととして、 簡単に、カントの『純理』は、〈人間の「認識」能力〉について考えてる、ってして見る。
つづく
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