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■38474 / inTopicNo.25)  Re[52]: つれづれなるままに 15
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/08/30(Fri) 19:39:51)
    機械に生と死っていうのあるのかしら?
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■38406 / inTopicNo.26)  Re[51]: つれづれなるままに 15
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/08/25(Sun) 19:14:50)
    知能(コギト)の低い政治家さんたちによって決定された施策、省察しない態度に、わたし何思ってるんだろうって。

    気をとりなおして、

    【モーリス・メルロ=ポンティ『子どもの心理−社会学』ソルボンヌ講義2/みすず書房 2023年第1刷発行】、
    前に、この本の中の「イメージ」っていうところから、
    No36016を抜き出して、「想像」について、や、「現実的なものと知覚と想像の関係」についていろいろ考えて見たんだけど。

    読書、再開してやっと半分ぐらいまで来たところで、もう一度最初から読み返してるところなんだけど(ほら、わたし一回読んだだけじゃ理解できないし〜)、で、今読み返してるところからちょっと思ったのあるから、書いて見るね。

    どこかで、パニさんが「意識のハードプログラム」っていうのもちだしたことあるよね。
    でね、ネットで調べたんだけど、ウィキに、
    ・・・・・・・・・・・・・・・
    意識のハード・プロブレム(いしきのハード・プロブレム、英:Hard problem of consciousness)とは、物質および電気的・化学的反応の集合体である脳から、どのようにして主観的な意識体験(現象意識、クオリア)というものが生まれるのかという問題のこと。意識のむずかしい問題、意識の難問とも訳される。オーストラリアの哲学者デイヴィド・チャーマーズによって、これからの科学が正面から立ち向かわなければならない問題として提起された。対置される概念は、脳における情報処理の物理的過程を扱う意識のイージープロブレム(Easy Problem of Consciousness)である。
    ・・・・・・・・・・・・・・・
    ってあって、
    〔物質および電気的・化学的反応の集合体である脳から、どのようにして主観的な意識体験(現象意識、クオリア)というものが生まれるのか〕?っていう、哲学者の問いみたいで、〔これからの科学が正面から立ち向かわなければならない問題として提起された〕ってあるけど、この問い、たぶん科学者(人間の見方・考え方は、科学的でありたと欲する人)には解けない問題だとわたし思うよ。デイヴィド・チャーマーズさんが科学者にヒント的なのを示唆してあげればいいのにね、って。
    あ、もっとも科学者にとっては、「問題に値しない」で処理されてるんじゃないかしらね。

    あと、
    「なぜ私は私であるのか」とか「なぜ私は他ならぬこの私であるのか」が問題みたいだけど、
    「ある」は「存在する」って言い替えられる、ってメルポンから教わったから(あ、これわたしの思い込みかもだけど)、
    これ、
    〈なぜ私は私で存在るのか〉とか〈なぜ私は他ならぬこの私で存在するのか〉って、わたしのばあいなって、
    だから、
    なぜならば、〈私で存在する〉から〈私〉なのであって、〈他ならぬ〉なの、なんじゃないかしら?
    ん、なんか言葉遊び?

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■38390 / inTopicNo.27)  Re[50]: つれづれなるままに 15
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/08/24(Sat) 19:16:28)
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■38380 / inTopicNo.28)  Re[49]: つれづれなるままに 15
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/08/22(Thu) 20:02:09)
    主知主義の人にとっては感性は「神秘」って言うことになるのかな?

    でもね、そういうのって、神秘(神の秘密)でもなんでもないんんじゃないかしら?

    だって、ふつうに誰でも持ってる能力だし〜。
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■38365 / inTopicNo.29)  Re[48]: つれづれなるままに 15
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/08/20(Tue) 19:43:08)
    No38357、 田秋さん、ありがとございます。

    >「言えないものを言おうとする」、「語りえないと考えられるものを語ること」というところ、物凄く共感します。<
    >音楽の場合、「語り尽くせないもの」を自分の演奏で語りまくっています。<

    さすが!プロの演奏家さん(マジで)。

    ちょっと想い出したから。
    前に、「田秋さんの似非哲学(宗教)」って言うの見たとき、
    いま読んでる本のなかにあった
    『哲学に加担しない事もまた、なにがしらの哲学を行うことです。ここでは、論理学と心理学の関係をあいまいなままにしておく、ある種の無頓着な哲学を行うことになります。』
    っていうのが浮かんだのね。
    もっとも、哲学ってなあに?っていうのが問題になるところだと思うけど。
    ちなみに、
    No38245で、文部科学省で言う哲学とは、「人文社会系で、の人文学の分野のなかの一つの学」って言うことになるみたい。
    これ考えだした人、パラノイア?ってわたし思ちゃう。

    あ、ごめん、関係なくなっちゃかも。「田秋さんの」は(宗教)についてで、「論理学と心理学の関係」につてじゃないと思たんだんだけど、ふと、あのときわたしが思ったのを想い出したから。

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■38364 / inTopicNo.30)  Re[47]: つれづれなるままに 15
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/08/20(Tue) 19:19:27)
    No38362、knowingitselfさん、ありがと。

    >20世紀のフランス哲学者は、個性的で華麗な表現力を競い合っていた感じだね。<
    なるほど〜、そうだんたのね。
    メルポンのにわたしが魅かれたのはそういうのもあるかも。

    >ドイツの哲学者は深いけれど、表現が鈍臭い、野暮、生硬なところがあると言われるが、この時代のフランスは哲学の咀嚼力とフランス語の自在な表現力が教育としても最も重視されていて、その中から生き残った哲学の選良たちの「哲学をことばで語る力」にはすごいものがあった。西洋哲学史上の黄金時代の一つでもあると思う。<

    <ドイツの哲学>で想い出したのが、
    【ニーチェ著『善悪の彼岸』1885-86/木場深定訳/発行者山口昭男/発行所岩波書店1970】の、11。

    >日本にいたっては、哲学を大学の学部からなくせとかいっている。<
    あら、そうなの?
    ま、もっともわたしのときも哲学を受験勉強のためにしたことなかったけど。
    <哲学を大学の学部からなくせ>っていうの、だれが言い出したのわかんないけど、「批判(鵜呑みにせずよく吟味すること)」っていう能力を養成することは政治家さんや官僚さんにとっては不都合だからそういう方向に向かうこともあるのかもね。ほら日本国はどこかの国と違って政府を批判する人を強制的に拘束することできないじゃん。




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■38362 / inTopicNo.31)  Re[46]: つれづれなるままに 15
□投稿者/ knowingitself -(2024/08/20(Tue) 17:32:02)
    悪魔ちゃん 横レス失礼します

    >ちょっと想い出したので、
    【「メルロ=ポンティコレクション」モーリス・メルロ=ポンティ中山元編訳/筑摩書房2010年第九刷発行】のなかで、中山さんは、
    ・・・・・・・・・・
    メルロポンティの思想の魅力は、言えないものを言おうとする強靭な思想的な営為にある。わたしたちのだれもが予感のような感じながら、言葉に表現することのできないものを示そうとするメルロ=ポンティの文章は、よどみ、回り道をし、ときに口ごもる。しかしその口ごもりにこそ、メルロ=ポンティが語ろうとしたものがある。伝統的な哲学の概念では割り切れないものを描くために、メルロ=ポンティの哲学は、あえて曖昧さと両義的な概念を逆手にとる。
    初期のヴィトゲンシュタインなら、語りえないことについては語るべきではないと禁欲しただろう。しかしメルロ=ポンティは、これまでの哲学においてうまく表現できなかったもの、語りえないと考えられるものを語ることこそ、哲学の課題があると考えていた。…
    ・・・・・・・・・・・・・・
    って言ってる。


    メルロポンティのきめの細かい哲学的表現力はたしかに素晴らしいと思う。

    20世紀のフランス哲学者は、個性的で華麗な表現力を競い合っていた感じだね。

    メルロポンティに限らず、サルトル、フーコー、デリダ、ドゥールーズ他多数。

    ドイツの哲学者は深いけれど、表現が鈍臭い、野暮、生硬なところがあると言われるが、この時代のフランスは哲学の咀嚼力とフランス語の自在な表現力が教育としても最も重視されていて、その中から生き残った哲学の選良たちの「哲学をことばで語る力」にはすごいものがあった。西洋哲学史上の黄金時代の一つでもあると思う。

    現代ではもうそんな哲学教育はできない。科学をはじめ、教えることが多すぎる。

    日本にいたっては、哲学を大学の学部からなくせとかいっている。

    もちろん受験勉強の間、誰も哲学などやらない。

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■38357 / inTopicNo.32)  Re[46]: つれづれなるままに 15
□投稿者/ 田秋 -(2024/08/19(Mon) 20:00:30)
    2024/08/19(Mon) 20:15:50 編集(投稿者)

    こんばんは、悪魔ちゃん

    >メルロポンティの思想の魅力は、言えないものを言おうとする強靭な思想的な営為にある。わたしたちのだれもが予感のような感じながら、言葉に表現することのできないものを示そうとするメルロ=ポンティの文章は、よどみ、回り道をし、ときに口ごもる。しかしその口ごもりにこそ、メルロ=ポンティが語ろうとしたものがある。伝統的な哲学の概念では割り切れないものを描くために、メルロ=ポンティの哲学は、あえて曖昧さと両義的な概念を逆手にとる。
    >初期のヴィトゲンシュタインなら、語りえないことについては語るべきではないと禁欲しただろう。しかしメルロ=ポンティは、これまでの哲学においてうまく表現できなかったもの、語りえないと考えられるものを語ることこそ、哲学の課題があると考えていた。

    「言えないものを言おうとする」、「語りえないと考えられるものを語ること」というところ、物凄く共感します。

    音楽の場合、「語り尽くせないもの」を自分の演奏で語りまくっています。
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■38338 / inTopicNo.33)  Re[45]: つれづれなるままに 15
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/08/17(Sat) 16:48:58)
    No38336の少しだけつづき、メルポンの話しになるから、ここで、

    メルポンは、
    『〈感覚〉としての赤と、「どんな」赤かと言うときの赤とは区別されなければならない。〈どんな〉という質のうちには、すでに赤という純粋印象と、例えば空間・時間のある広がりを覆うという〈印象の機能〉との二つの契機が含まれる。従って〈認識する〉ということは、つねにある与件を、ある機能において、またある関係のなかで、つまり、それが私にとって意味をもち、しかじかの構造を呈示する「かぎりにおいて」把握する、ということである。』
    『知覚したことと、常識的な言葉で述べるその報告と、知覚経験との区別、話された知覚と、生きられている知覚との区別ぐらいはしておくべきであろう。』
    って言ってる。
    (ごめん、出どころは、【モーリス・メルロ=ポンティ著『行動の構造』1942 滝浦静雄・木田元訳みすず書房 2014】か【モーリス・メルロ=ポンティ著 『知覚の現象学』1945中島盛夫訳法政大学出版局2009】のどっちかね)
    わたし見るに、〈生(なま)の知覚〉と〈考えられた知覚〉とを区別してるだと思う(たぶん)。
    で、わたしもこれに倣ってる。

    ちょっと想い出したので、
    【「メルロ=ポンティコレクション」モーリス・メルロ=ポンティ中山元編訳/筑摩書房2010年第九刷発行】のなかで、中山さんは、
    ・・・・・・・・・・
    メルロポンティの思想の魅力は、言えないものを言おうとする強靭な思想的な営為にある。わたしたちのだれもが予感のような感じながら、言葉に表現することのできないものを示そうとするメルロ=ポンティの文章は、よどみ、回り道をし、ときに口ごもる。しかしその口ごもりにこそ、メルロ=ポンティが語ろうとしたものがある。伝統的な哲学の概念では割り切れないものを描くために、メルロ=ポンティの哲学は、あえて曖昧さと両義的な概念を逆手にとる。
    初期のヴィトゲンシュタインなら、語りえないことについては語るべきではないと禁欲しただろう。しかしメルロ=ポンティは、これまでの哲学においてうまく表現できなかったもの、語りえないと考えられるものを語ることこそ、哲学の課題があると考えていた。…
    ・・・・・・・・・・・・・・
    って言ってる。

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■38318 / inTopicNo.34)  Re[44]: つれづれなるままに 15
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/08/15(Thu) 19:12:13)
    【モーリス・メルロ=ポンティ『子どもの心理−社会学』ソルボンヌ講義2/みすず書房2023年第1刷発行】の「子どもの心理−社会学」p95〜165
    のところ、この連休でなんとか読み終えようと計画してたんだけどできなかった〜。

    なんか話したいから、わたしが気になったところ、書き出していくことにするね。

    (1)―――――
    社会統合は教育においてきわめて重要です。女なの子は未来の母として扱われ、人形が与えられ、とても早くから礼儀正しさが教えられます。フロイトは、文化についてははっきりとは語りませんでしたが、個人の心理と個人間の心理のあいだにある緊密な結びつきを初めて強調しました。
    ―――――






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■38305 / inTopicNo.35)  Re[43]: つれづれなるままに 15
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/08/14(Wed) 18:37:46)
    「死んだらおしまい」

    わたしもそう思ってる。

    「自分」っていうことがどうでもいいことと同じように、
    「ゲン」が何で出来てよがそんなのどうでもいいこと。
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■38270 / inTopicNo.36)  Re[42]: つれづれなるままに 15
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/08/12(Mon) 09:45:44)
    ■38266、田秋さん、ありがとございま〜す。

    確かにそうなのよね〜

    いま【モーリス・メルロ=ポンティ『子どもの心理−社会学』ソルボンヌ講義2/みすず書房2023年第1刷発行】読んでるなかで、ふと、学問の分類ってどうなってるのかな?って思ってネットで調べたら文部科学省のがでてきたのね。

    この本の中に、
    無矛盾律――Aは非Aとは異なる(p109)
    古典的三段論法――ソクラテスは人間である。ところで人間は死ぬ。したがってソクラテスは死ぬ。(p117)
    っていうのが出てきてて、これって論理学じゃない?って思って、文部科学省は論理学っていうのをどの分類に入れてるのかな?って思って調べて見たら、なかったのね。

    文部科学省の分類のなかにどうして論理学が入ってないのかわたしにはわかんないけど、

    ついでにちょっと調べて見たのね。
    https://www.mext.go.jp/kids/intro/about/index.html
    に、
    ・・・・・・・・・・・・・・・
    文部科学省の役割(やくわり)
     「文部科学省」は教育、科学技術(ぎじゅつ)・学術、スポーツ、文化の振興(しんこう)といった、とてもはば広い役割を担(にな)っています。どの仕事も国の基盤(きばん)にかかわるものであり、資源(しげん)の少ないわが国がこれからも世界の中で活躍(かつやく)していく上で、とても大切な仕事ばかりです。文部科学省は、国民が心も体も健康で、ゆたかな生活ができるよう、様々な法律(ほうりつ)や計画に基(もと)づき仕事をしています。
    ・・・・・・・・・・・・・・・
    ってあった。
    〔国民が心も体も健康で、ゆたかな生活ができる〕ようにするためには「論理学」は必要ない、って文部科学省の人は思ってるのかも?。

    あと、国会議員さんたちは「議論」してるわけよね?でもそこには「論理」は不要だから?とも。

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