| 悪魔ちゃん 横レス失礼します
>ちょっと想い出したので、 【「メルロ=ポンティコレクション」モーリス・メルロ=ポンティ中山元編訳/筑摩書房2010年第九刷発行】のなかで、中山さんは、 ・・・・・・・・・・ メルロポンティの思想の魅力は、言えないものを言おうとする強靭な思想的な営為にある。わたしたちのだれもが予感のような感じながら、言葉に表現することのできないものを示そうとするメルロ=ポンティの文章は、よどみ、回り道をし、ときに口ごもる。しかしその口ごもりにこそ、メルロ=ポンティが語ろうとしたものがある。伝統的な哲学の概念では割り切れないものを描くために、メルロ=ポンティの哲学は、あえて曖昧さと両義的な概念を逆手にとる。 初期のヴィトゲンシュタインなら、語りえないことについては語るべきではないと禁欲しただろう。しかしメルロ=ポンティは、これまでの哲学においてうまく表現できなかったもの、語りえないと考えられるものを語ることこそ、哲学の課題があると考えていた。… ・・・・・・・・・・・・・・ って言ってる。
メルロポンティのきめの細かい哲学的表現力はたしかに素晴らしいと思う。
20世紀のフランス哲学者は、個性的で華麗な表現力を競い合っていた感じだね。
メルロポンティに限らず、サルトル、フーコー、デリダ、ドゥールーズ他多数。
ドイツの哲学者は深いけれど、表現が鈍臭い、野暮、生硬なところがあると言われるが、この時代のフランスは哲学の咀嚼力とフランス語の自在な表現力が教育としても最も重視されていて、その中から生き残った哲学の選良たちの「哲学をことばで語る力」にはすごいものがあった。西洋哲学史上の黄金時代の一つでもあると思う。
現代ではもうそんな哲学教育はできない。科学をはじめ、教えることが多すぎる。
日本にいたっては、哲学を大学の学部からなくせとかいっている。
もちろん受験勉強の間、誰も哲学などやらない。
|