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■38734 / inTopicNo.13)  Re[64]: つれづれなるままに 15
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/09/10(Tue) 18:27:05)
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■38729 / inTopicNo.14)  Re[63]: つれづれなるままに 15
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/09/09(Mon) 19:49:54)
    そこはかとなく、おまけ。

    https://news.yahoo.co.jp/pickup/6513168
    のなかに、
    〔総裁選に出馬する■■や■■は廃止時期を見直す可能性に言及している〕ってあるのね。
    (黒塗りの文書、真似して見たよ)
    ■■は、結局、〔廃止時期を見直す〕であって、「時期」のことをいってるだけで、結局、「廃止する」とは言ってるわけじゃないみたいね。

    ま、もっとも、政治家さんと同類の「その言に責任もたない」マスの言うことだから、信頼に値することとして、書くほどのもないことでもないことだったのかも。

    で、ここでhanaさんの
    No38699、が登場するのね。
    >すみませんでした<
    >では、これで失礼します。<


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■38724 / inTopicNo.15)  Re[62]: つれづれなるままに 15
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/09/09(Mon) 18:53:43)
    そこはかとなく

    ネットニュース見てたら、
    https://news.yahoo.co.jp/pickup/6513168

    っていうのあった。

    なんか最近、「国会議員」って言ういう人の間で?「安全保障」っていう「語」をいろんな分野で使うことが流行ってるのかしら?って、ふと。

    「○○の安全保障」で、その「○○」を「保障」するためには、「△△すべきである」って主張する、その主張をそのその主張者は保障してくれるのかしら?
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■38714 / inTopicNo.16)  Re[61]: つれづれなるままに 15
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/09/08(Sun) 18:12:03)
    No11697を今日は読み返して見てた。

    メルポンの言う「Gestalt」を、
    〈部分の総和としてはとらえられない、相互に区別できず作用しあって、あるまとまり・構造をもち、移調可能であるような全体〉
    って、しとくことにしたよ。
    そして、メルポンは、
    「神経系には(このような)全体的な出来事しかない」って見てて、
    「精神現象を理解するために、ゲシュタルトというカテゴリーを導入した」。

    わたしのはこんな感じになるかな。

    ちょと思ったんだけど、
    メルポンの言う「Gestalt」、英語で「form」、日本語で「形態」ってするより、「style(スタイル)」ってした方がわたし的にはニュアンスとしていいかな、って。

    ひとまずこうしといて、これから【メルポン講義本】のなかの「メルポンのゲシュタルト」を後で見てくことにしよっかな、って。

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■38705 / inTopicNo.17)  Re[60]: つれづれなるままに 15
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/09/08(Sun) 10:13:55)
    あ、見れた!

    ちゃ〜んととっといてくれるのね。

    いまむかしの見るとなんか恥ずかしくなるけど、
    でも記録しとくといいかも、って。
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■38704 / inTopicNo.18)  Re[59]: つれづれなるままに 15
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/09/08(Sun) 10:07:01)
    【メルポン講義本】には「ゲシュタルト」っていうのもいっぱい出てきてる。

    ひとまず、「ゲシュタルト」をネットで調べといて。
    https://kotobank.jp/word/%E3%82%B2%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%88-489994
    ・・・・・・・・・・・・
    「ゲシュタルト」(〈ドイツ〉Gestalt)
    @デジタル大辞泉
    《形態・姿などの意》知覚現象や認識活動を説明する概念で、部分の総和としてとらえられない合体構造に備わっている、特有の全体的構造をいう。形態。

    A精選版 日本国語大辞典
    ゲシュタルト心理学の基本概念。部分からは導くことのできない、一つのまとまった、有機的・具体的な全体性のある構造をもったもの。形態。

    B世界大百科事典(旧版)内のゲシュタルトの言及【ゲシュタルト心理学】より
    …たとえばメロディを1オクターブ上げても同じ感じを抱くように,〈要素の単なる結合ではなく,それとはある程度独立した新しいもの〉,すなわち〈形態質Gestaltqualität〉の存在を指摘した。ゲシュタルト心理学の先駆をなしたのは,彼をはじめとするオーストリア学派の人々であった。1912年,ウェルトハイマーは仮現運動に関する実験的研究を発表したが,これがゲシュタルト心理学の誕生であった。…
    ・・・・・・・・・・・・

    じつは、わたし「ゲシュタルト」っていうの、前にも調べたことあるね。
    No11697    (だいぶ前のだけど、見れる?)
    あのときわたしわかったつもりになってたけど、そうじゃなかった。

    【メルポン講義本】のなかに出て来るのは、
    「ゲシュタルト心理学」「ゲシュタルト学派」「ゲシュタルト理論」「ゲシュタルト概念」みたいなの。

    メルポンは「ゲシュタルト」っていうのをどう見てるのかがいまいちわたしにはわかってないのね。
    No11697にあるように、
    『‥‥このような知覚的な諸関係を十分に言い表すためには、カテゴリーを一新しなくてはならないのであるが、ゲシュタルト学説は、これを果たしていない。…』
    とか、
    【メルポン講義本】のなかでは、
    『〔ゲシュタルト派の〕誤解は、ゲシュタルトを、組織化の現象、一種の構造でしかないのに事物にしようと望んだことにあります。』
    って言ってる。

    ん? どういうこと? ってね。

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■38675 / inTopicNo.19)  Re[58]: つれづれなるままに 15
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/09/07(Sat) 15:53:40)
    No38673のつづき、

    ピアジェの発達段階――資料(1)(2)のとメルポンのを比べて見ると、
    感覚運動段階から前操作段階は0〜7歳だから、メルポンのピアジェの第一段階っていうのはこの頃のことでいいかな。
    小学校にあがる前の時期かな。
    No38502の注(6)に、〔子どもの初期の発達段階を指す「自己中心性」〕ってあるんだけど、
    この「自己中心性」についてメルポンが語ってるのあるから書き出して見ると、

    「子どもにおける知覚の研究」のなかに、
    *****************
    (p16)この研究でわれわれが取りあげるのは、主として子ども生きられた経験であり、子どもがこの経験を解釈する際に使う知識ではありません。われわれは子どもの直接的な経験、まだ言語活動と思考によって体系化されていない経験に問いかけることになるでしょう。・・・・・・・

    自己中心性の問題――子どもは外部世界の意識をもっているのでしょうか。自分を包み込む現実を前にして、自分を体験しているのでしょうか。
    (p17)ピアジェは、著作『児童の世界観〔世界表象〕(33)』の第一部で、子どもの思考が本質的に「自己中心性」によって特徴づけられることを示しています。それは考え方や感じ方のことです。こうした考え方や感じ方のせいで、子どもは外部世界の知識を見落とします。ピアジェが理解する意味での子どもの「自己中心性」は、非常にニュアンスを含んだ概念ですが、よく彼に向けられる批判はこれのせいだということではまったくありません。この概念は、子どもが主観性から、すなわち自己意識から始めるということや、主観的「状態」を体験するための世界を迂回するということを意味していません。ピアジェがこうしたまちがいを犯したのだと考えるべきではありません(このまちがいは、経験が「感覚」から始まるとする、主観主義的な偏見に由来します)。
    自己中心性という概念はまったく別の仕方で理解されなければなりません。ピアジェによれば、子どもは初めから、外部世界の方だけを向いています。内向性の痕跡はまったくありません。逆にそこにあるのは、まだ事物を批判することを知らない、行き過ぎた実在論(レアリズム)なのです。子どもは、自分の経験のなかにある個人的なものを識別することをまだ知らず、自分の自我を客観的実在と見なします。外部世界と自我が無差異の状態なのです。そういうわけで、この概念は、行き過ぎた自己意識ではなく、自己意識の欠如をあらわにするのです。
    とはいえ、大人による子どもの考え方の事後的な分析方法は、申し分のないものと考えられるでしょうか。ピアジェの著作の素材は、素材に対する彼の解釈よりも説得力があることを認めなければなりません。子どもが表現していることとピアジェが理解していることとのあいだには、しばしば大きな余白があります。
    *****************

    ピアジェの言う「自己中心性」っていう概念のメルポンの見方を言ってるんだと思う。これが本当にそうなのかはピアジェの著作『児童の世界観〔世界表象〕』をわたし読んでないからなんとも言えないんだけど、ここからわたしが抽出したのは、

    @『子どもは初めから、外部世界の方だけを向いています』
    A『外部世界と自我が無差異の状態』
    B『この概念は、行き過ぎた自己意識ではなく、自己意識の欠如をあらわにするのです』
    っていうところ。

    @はたぶんそうなんじゃないかな、ってわたしも思ってる。子どものころ、「この世界はどうなってるの?」って、「外部世界の方」に関心がいってて、「自分自身の方」にはあまり関心が向いてないんじゃないかな?って。

    Aは、ラカンの鏡像段階(0〜2歳ぐらい)で見たようなのを想い出す。
    No37496で見たように、〔乳幼初めの頃は、「私の」と「他者の」の区別がなく、自他未分化、自他癒合の状態〕。
    で、そこから、わたしのばあい、
    No37289にあるよな、〔「私の」と「他者の」が言わば同時に生成してくるわけである〕ってなってる。

    B、「自己意識」っていうのを「外界ではなく自分自身に向けられる意識」のことってしたとき、こういう意識はこのころはまだ現れてない、っていうこと。

    簡単に見ると、
    ピアジェの言う「自己中心性」っていうのは、メルポンによると、(0〜7歳頃では)〈自分自身に向けられる意識がない状態〉っていう意味になるのかな。

    「自己中心性」っていうの、わたしの最初のイメージは
    https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E4%B8%AD/
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    じこ‐ちゅう【自己中】 の解説
    《「自己中心的」の略。「ジコチュウ」と書くこともある》何事も自分を中心に考え、他人については考えが及ばないさまをいう。自分勝手。利己的。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    のようなんかな?って思ったんだけど、どうやら違ったみたい。

    注(6)の、
    〔メルロ=ポンティは子どもの「自己中心性」をいう発達段階を否定しているわけではなく、それが脱中心化以降の生活にさまざまなかたちで現れること指摘する。〕
    のところは、
    〈子どもの自己意識の欠如〔自己中心性〕という発達段階を否定しているわけではなく、それが自己意識が芽生えた〔脱中心化〕以降の生活にもさまざまなかたちで自己意識の欠如が現れることを指摘する。〉
    こんな感じになるのかな?

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■38673 / inTopicNo.20)  Re[57]: つれづれなるままに 15
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/09/07(Sat) 15:34:08)
    【メルポン講義本】のなかにいっぱい出て来るのがピアジェの。
    「ピアジェ」についてネットで調べて見たよ。

    (1)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A7

    (2)https://hoikushi-syusyoku.com/column/post_1289/

    表があったのでそれペイントして見たの、添付しま〜す。
    微妙に違うところもある感じもするけど。

    【メルポンの講義本】のなかでピアジェの発達段階について思われるところあったから書き出すね。
    **************
    子どもにおける「思考」概念の進化に関して『児童の世界観』の問いのいくつかを例にとってみましょう。ピアジェは三つの段階を区別します。(p17)
    第一段階(6,7歳ころまで)は、思考というものにまったく無知で、完全に「物質主義的」な考え方をする段階です(ひとは口や耳で考えるという考え方)。
    第二段階(8歳頃)になるとすでに大人の考え方が入ってきます。しかし、それらの考え方は、子どもなりに解釈されます(ひとは頭や脳を使って考えるが、思考は声だと見なす考え方)。
    第三段階は、「思考の脱物質化」の段階です。子どもは大人の考え方を自分のものにします。
    **************

    11,12歳以降に「形式的操作段階」って、「形式」ってあるけど、カントの認識の「形式」っていうのを想い出す。
    カントも子どものときもあったはず。
    ん?ひょっとしたら、マヌエルちゃんのときから「純粋理性批判」の構想が出来上がってたみたいな?

    ひとまずね。

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■38633 / inTopicNo.21)  Re[56]: つれづれなるままに 15
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/09/06(Fri) 18:48:52)
    今回のわたしの物語り、いま読んでる本のにしよ、って思ったんだけど、
    いま、いきずまってるのよよね〜

    こうなたら、むりやり進めて見る。

    「子どのもの意識の構造と葛藤 」のなかからもう少し。
    No38505のつづき、

    〔第二節〕 「葛藤」という語の意味 のなかから、
    **************
    (p4)‥‥子どもの他者との関係(同一化、投影など)を初めて記述した点で、精神分析には功績があります。そこにはより具体的な研究の可能性があります。講義のタイトルの「子どもの意識の構造と葛藤」もそこに由来します。われわれは子どもの意識の形式的特徴から、今度はこの特徴を明らかにする個々の内容へと進むことになります。実験心理学と精神分析が交互に参照されることになります。
    **************

    最初読んだとき、「葛藤」ってどういうこと?って思ったんだけど、後の方で「思春期」っていうの出てきてるから、このことかな?って。

    「子ども」っていうの、年齢的にどこらへんにしとかっかな?って。

    「思春期」をネットで調べて見た。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%9D%E6%98%A5%E6%9C%9F
    思春期(ししゅんき、独: Pubertät、英: puberty)とは、小学校高学年のころから始まる第2次性徴の出現や、続いて現れる異性への性欲的関心などの児童期から成人期へと移行する中間の時期。青年期とほぼ同義だが,思春期という場合には性的成熟に焦点が合わされる。それに伴い感受性や気分の高揚、それまで未分化に結びついていた環境からの分化・独立に起因する不安・動揺がみられ,これらは第2反抗期と呼ばれる。

    https://junior.litalico.jp/column/article/132/

    思春期って、わたしのばあい、中・高校生ぐらいのイメージもあるんだけど、ひとまず、ここで言う「子ども」っていうのを、0〜12歳ぐらいってしとく。

    あ、思春期までの話しなんて高齢者にとってはど〜でもいい話しになるかな。

    あと、
    メルポンは、『実験心理学と精神分析を交互に参照』しながら講義してるみたいで、
    No38502のような心理学者、精神分析者たちを登場させてる。




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■38509 / inTopicNo.22)  Re[55]: つれづれなるままに 15
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/08/31(Sat) 19:14:29)
    今日はついでに、

    ふと、 なんだけど、

    「人工知能」っていう言葉が使われるようになったみたいだけど、そもそも「知能」っていう言葉、もともと〈人間の〉だったんじゃないかしら?だから、〈人間的知能〉と「人工知能」は分けて見た方がいいんじゃないかな〜、って。

    「知能」っていうのを「思考」ってして見たとき、両者の、内容は別として、質がぜんぜん違う気がするのね。

    〈人間の知能(思考)〉と〈人工の知能〉をごちゃまぜにして、後者を「知能(思考)」の代表作としてしまうのは人間が作り出したものに洗脳されちゃってるみたいな〜?

    「人工知能」って、人間の知能的センスから見たら、人間の、“目的”じゃなくて一つの”手段“あるいは”ある一つの情報“として活用できる、ただそれだけの存在。

    あ、これ、わたし「知能」に関しては両方なさそう、って自負してるひとの話しだけどね。

引用返信/返信 削除キー/
■38505 / inTopicNo.23)  Re[54]: つれづれなるままに 15
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/08/31(Sat) 18:50:31)
    No38502、( )内の数字は「注」の番号ね。

    【メルポン講義本】の始まりを書き出して見るね。

    (1)************
    子どのもの意識の構造と葛藤  〔木曜講義、第1回(序論)、1949年11月17日、15時〕
    序論〔子どもへのアプローチの方法について〕
    〔第一節〕 「構造」という語の意味
    (p1)構造という語の意味から、子どもの意識は、その内容だけでなく組織化の点でも、大人の意識とは異なることがわかります。子どもは、かつて考えられていたような、大人の意識に似てはいるが未完成で不完全な意識をもった、「ミニチュア版の大人」では決してありません――こういった考え方はきわめて否定的なものです。子どもには別の均衡が備わっているのですから、子どもの意識を肯定的な現象として扱わなければなりません。
    **************

    これから、ひとまず、
    (1)「子どもの意識」と「大人の意識」は異なる。
    ってすることにした。
    これって、同じ人のなかで起こっていることよね。

    「意識」について見ようとするとき、「子どもと大人の意識は同じ」とか「子どもの意識は大人の意識に比べて未熟とか未完成」ってしてるばあい、話は別になると思うかもだけど。

    もっとも、この講義、1949年のことみたいだから、今はどうなってるのかわたし知らないよ。

    とりあえず、ネットで「意識」を調べたら、
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・
    出典 小学館デジタル大辞泉
    【意識】
    1 心が知覚を有しているときの状態。「意識を取り戻す」
    2 物事や状態に気づくこと。はっきり知ること。また、気にかけること。「勝ちを意識して硬くなる」「彼女の存在を意識する」
    3 政治的、社会的関心や態度、また自覚。「意識が高い」「罪の意識」
    4 心理学・哲学の用語。
    ㋐自分自身の精神状態の直観。
    ㋑自分の精神のうちに起こることの知覚。
    ㋒知覚・判断・感情・欲求など、すべての志向的な体験。
    5 《〈梵〉mano-vijñānaの訳》仏語。六識・八識の一。目や耳などの感覚器官が、色や声など、それぞれ別々に認識するのに対し、対象を総括して判断し分別する心の働き。第六識。
    [類語]正体・正気・人心地・人心・認識
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・
    こういうことみたい。

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■38502 / inTopicNo.24)  Re[53]: つれづれなるままに 15
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/08/31(Sat) 18:21:53)
    【モーリス・メルロ=ポンティ『子どもの心理−社会学』ソルボンヌ講義2/みすず書房 2023年第1刷発行】(これ長いから、これからは【メルポン講義本】ってするね)のなかに、メルポンはいろんな人のを登場させてるのね。読み返してるなかで、出て来たなかから、ざっと書き出して見ると、
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    (2)リシュアン・レヴィ=ブリュル(Lucien Levy-Bruch, 1857-1939)――フランスの哲学者、社会学者、人類学者、哲学を研究する過程で、ギリシャ以前の道徳や倫理の発生に関心をもち、文明以前の「原始的心性」を提唱するようになった。レヴィ=ブリュルは、文明社会の科学的思考は、この「原始的心性」を理解することはできないと主張している。モーリス・ブロンデル/フランスの哲学者。

    (4)モーリス・ブロンデル(Maurice Blondel,1861-1949)−―フランスの哲学者。新プラトン主義およびキリスト教思想をプラグマティズムに結びつけることで、独自の行為の哲学を構想した。

    (5)テオデュール・リボ(Théodule Pibot,1939-191)――フランスの哲学者。心理学者。フランスに英語圏とドイツ語圏の実験心理学を導入することで、哲学と心理学の教育研究方法を分離した。

    (6)ジャン・ピアジェ(Jean Piaget,1896-1916)――スイスの発達心理学者。人間の論理的構造の発生を探究した。子どもの初期の発達段階を指す「自己中心性」は、初期の中心概念。子どもは自己中心的な時期を脱すると(「脱中心化」)。自己と他者、空間上の〈ここ〉と〈あそこ〉などの区別を理解するようになるとされる。「生きられた脱中心化」(「幼児の対人関係」、本書172頁)という表現が示しているとおり、メルロ=ポンティはこどもの「自己中心性」をいう発達段階を否定しているわけではなく、それが脱中心化以降の生活にさまざまなかたちで現れること指摘する。

    (9)アンリ・ワロン(Henri Wallon,1879-1962)――フランスの発達心理学者。神経科医。ピアジェと並ぶ、フランス語圏における発達心理学のパイオニア的存在。1908年にパリ大学医学部を卒業し、障害児の治療と研究に従事。その過程で、児童の障害の生理的要因だけでなく、心理的・社会的要因にも関心を抱き、子どもの思考(『子どもの思考の起源』)や性格(『児童における性格の起源』)の発達に関する研究を開始。コレ−ジュ・ド・フランス教授(1937-49年)の後、パリ大学心理学研究所の所長として後進を育成。メルロ=ポンティは、ワロンが『子どもの思考の起源』で提唱した「超事物」という概念を扱い、翌年度の「幼児の対人関係」講義では、『児童における性格の起源』で提唱された「鏡像段階」理論を紹介している(本書180頁以下)。

    (10)ジョルジュ・ポリツェル(Georges Politzer,1903-1942)――フランスの心理学者、哲学者。オーストリア=ハンガリー帝国に生まれ、18歳で渡仏。ソルボンヌ大学で哲学を学び、大学教授資格を取得。『精神分析の終焉』で古典的な「三人称の心理学」に対して「一人称の主体」の「ドラマ」による具体的な心理学を提唱した。共産党に入党し、知識人・大学教員によるレジスタンス運動を結成。ドイツ軍に処刑された。

    (12)フランソワーズ・ドルト(Françoise Dolto, 1908-1988)――ジャック・ラカンと並ぶ第二次世界大戦後のフランスを代表する精神分析家。ゾフィー・モルゲンシュテルンから教育分析を受ける。児童の精神分析を行い、数多くの著作を発表した、「花人形」の症例では、ベルナデットという5歳半の女の子が、空想と作り話に終始し、たえず不安発作や嘔吐や咳といった身体表現を示し、遊びのなかで人形に罰をあたえる行為を繰り返していたのに対して、ドルトはマーガレットの花の冠をかぶせた顔や手足のない人形を与え、そこに攻撃性を投影させることによって治療を展開させた。

    (20)ポール・ギョーム(Paul Guillaume, 1879-1962)――フランスを代表するゲシュタルト心理学者。ヴォルフガング・ケーラーをはじめとするゲシュタルト心理学者たちの方法に影響を受け、『類人猿の知恵試験』をフランス語に翻訳することで、フランスにゲシュタルト心理学を紹介した。ゲシュタルト心理学の方法を子どもの行動分析に応用した。

    (21)エドゥアール・クラパレード(Edouard Claparede, 1873-1940)――スイスの神経学者、児童心理学者、教育家。機能主義心理学者として知られる。医師として研究のキャリアを始めるが、次第に心理学と精神分析に関心をよせるようになり、子どもの発達と知性が研究対象となった。心理学と精神分析の研究を通じて、1901年、ジュネーブ大学教授の心理学者テオドール・フルールノワと『心理学資料』誌を創刊する。ソルボンヌの講義で、メルロ=ポンティはこの雑誌に発表された事例や理論を学生たちに数多く紹介した。1912年には教育科学学院を創設する。こ学院は後にジャン=ジャック。ルソー研究所となり、ピアジェをはじめとする数多くの発達心理学者が集まることになる。クラパレードは、ピアジェを発達心理学に導いた人物としても知られている。

    (22)クロード・レヴィ=ストロース(Claud Levi-Strauss, 1908-2009)――ベルギー出身の人類学者。文化人類学の創始者で、構造主義の祖と言われる。メルロ=ポンティはレヴィ=ストロースの仕事に並々ならぬ関心を示したが、時として数式モデルに立脚した構造概念を厳しく批判した。

    (35)ジェームズ・ボールドウィン(Jemes BBaldwin,1861-1934)――アメリカの哲学者、心理学者。心理学的な観点から論理的思考の発生を研究し、ピアジェに大きな影響を与えた。

    (36)ヴィリアム・シュテルン(William Stern,1871-1938)――ドイツの心理学者、哲学者。アルフレッド・ビネの研究に影響を受け、児童心理学の研究を行うようになった。

    (39)マックス・ヴェルトハイマ―(Max Wertheimer,1880-1943)――プラハ出身の心理学者。ゲシュタルト心理学の創始者の一人。プラハ大学でのクリスティアン・フォン・エーレンフェルスとの交流を通じてゲシュタルト概念の発想を得た後、ゲシュタルト心理学を発展させた。

    (42)ヴォルフガング・ケーラー(Wolfgang Köhler,1887-1967)――ドイツの心理学者、現象学者。ヴェルトハイマ―、コフカと並ぶゲシュタルト心理学の創設者の一人。テネリフェ島の類人猿研究所所長時代に、チンパンジーも問題解決行動を観察することで、試行錯誤せつとは異なる現象を確認した。その成果は『類人猿の知恵試験』(宮孝一訳、岩波書店、1962年)にまとめられた。

    (43)リシャール・メリ(Richard Meili,1990-1991)――スイスの心理学者。ベルリン大学のヴォルフガング・ケーラーとクルト・レヴィンのもとで、ゲシュタルト心理学を学ぶ。スイスに帰国後、1931年にエドゥアール・クラパレードのもとで「知性の形態に関する研究(Recherches sur les forms de I’intelligence)」という博士論文を執筆した。その後、ゲシュタルト心理学の観点から子どもの知性や認知機能を研究した。

    (50)エドゥアール・シュミット(Albert Edouard Michotte,1881-1961)――ベルギーの実験心理学者。実験心理学の創始者である、ヴィルヘルム・ヴントのもとで心理学を学ぶ。その後、ルーヴァン大学・実験心理学研究所で研究に従事した。

    (51)ジョセフ・デルブフ(Joseph Delboeuf,1831-1896)――ベルギーの実験心理学者。リエージュ大学で教鞭を取る。錯視に関する研究のほか、哲学、数学、精神物理学の研究と教育を行った。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    あとフロイトも登場してきてるんだけど、レヴ=ストロース以外、他はわたしの知らない人ばっか。
    メルポンはこう人たちの研究や考え方についていろいろ語ってるんだけど、わたしこの人たちの知らないから、なんとも言えなくなるのね。
    でも、そういうなかで、なんとかメルポンの見方・考え方を探りだそうとしてるところ。

    これからのわたしの物語りはこういうなかで進めてくから、そこはかとなく的になるかも。
    わたしの物語り、あいかわらずわたしに思われたもの(精神的景観)を表現することによって、わたしに見えるようにすることなんだけど、行き詰ったらやめちゃうよ。

    あ、もしこのなかで名前だけでも目にしたことある人いたら来てね。

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