TOP HELP 新着記事 ツリー表示 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 親記事をトピックトップへ ]

このトピックに書きこむ

レス数の限度を超えたのでレスできません。

(レス数限度:100 現在のレス数:100) → [トピックの新規作成]
■39281 / inTopicNo.13)  日記
  
□投稿者/ pipit -(2024/11/07(Thu) 22:36:46)
    No39279 は様相カテゴリーの図式に含まれる時間の規定についてですが、様相カテゴリーの図式がどんなものかを私が思い出すために、過去投稿の一部を再投稿します。


    No38386
    (英訳文)
    The schema of possibility is the accordance of the synthesis of different representations with the conditions of time in general (as, for example, opposites cannot exist together at the same time in the same thing, but only after each other), and is therefore the determination of the representation of a thing at any time.
    The schema of reality is existence in a determined time.
    No38512
    (pipit日訳文)
    可能性の図式は、異なる表象の総合の、時間一般の条件への合致であり(例えば、対立は同一物に同時刻に存在できずに、互い違いにしか存在できない)、
    ゆえにこの図式は、なんらかの時間における物の表象の規定である。
    現実の図式は特定の時間における存在である。
    必然性の図式は全ての時間においての対象の存在である。

    No38537
    (pipit感想)
    写真を撮るとスマホのアルバムに記録されていく。
    仮に、1、1+1=2、2+1=3、3+1=4、、、と番号をつけていくとする。
    アルバムを見る時、1、2、3、4、、、
    と同時に見える。
    同時に捉える、
    その状態を時間統括と捉えたら?
    ・可能性、不可能性概念 の 図式は、 写真としていずれかの番号におさめることが可能か否か(例えば3とか、例えば7とか)
    (もし、正反対の状態を一つの番号5におさめようとしても、現状形式のシステムでは無理)
    ・存在性 の 図式は、 実際に番号におさめられている(番号が規定される状態)
    ・必然性 の 図式は、 全ての番号におさめられている状態。
    超越論的時間規定、ということで、1、2、3、4、5、、、
    の空っぽの時間形式がどのように規定されるか、
    どのように規定されるとき、対象を可能性/不可能性に包摂するのか、
    存在性/非存在性へと包摂するのか、
    必然性/偶然性へと包摂するのか、
    そのようなことを、全く勘違いしてるかもですが、例えとして思いつきました。

    No38513
    (pipit感想)
    【感性の形式に則っている】対象が可能的対象物で、【感性の形式に外れている】対象は不可能的対象物。
    ◯◯は可能である。
    △△は不可能である。
    【リアル(知覚、意識を伴う感覚)発生】時間は存在性であり、
    【リアルが無い】時間は非存在性。
    【in all time】知性くんの偶然性と必然性の分けかた。

引用返信/返信 削除キー/
■39279 / inTopicNo.14)  Re[28]: 図式論・純理 B184
□投稿者/ pipit -(2024/11/07(Thu) 21:39:50)
    2024/11/07(Thu) 21:48:32 編集(投稿者)

    みなさまこんばんはー
    hanaちゃんもこんばんは!(^ω^)
    純粋理性批判を蟻の歩みで歩きます!

    No39139
    英訳略(No39139で引用しています。今回はアクセス禁止になるので略しました。)

    (英訳のpipit日訳)
    そして最後の様相とそのカテゴリーの図式は、対象の規定の相関者としての時間そのものを--それが時間に属するかどうか、そしてどのように属するか--(を含み表現する:contains and represents )

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap56
引用返信/返信 削除キー/
■39258 / inTopicNo.15)  Re[18]: 日記
□投稿者/ pipit -(2024/11/06(Wed) 18:43:42)
引用返信/返信 削除キー/
■39256 / inTopicNo.16)  日記
□投稿者/ pipit -(2024/11/06(Wed) 18:22:52)
    わたしは情報によって対象を認識する。

    情報を集めて総合して一つの対象像をつくって認識する。

    一つとしての対象に、概念の札がたくさん紐付けられているイメージ。

    概念には、その対象の個別の直観もさらに紐づけられている。

    紐付けの判断を間違える可能性はいつでも確実にある、と思っておきたいな。

    でも本能的にそれはすごく難易度が高いような気持ちしてる。

    判断かぁ、、、カント的には述語付けって感じになるのかなー
    (・・?)

    なーんも考えへんほうがいいんかなー
    わからないなー
引用返信/返信 削除キー/
■39255 / inTopicNo.17)  Re[16]: 超越論的分析論]−2
□投稿者/ pipit -(2024/11/06(Wed) 18:02:50)
    うましかさん、こんばんはー(^O^)
    なぞの成分のカント湯、分析論の続きを...

    No39245
    > ◇ しかし、対象の認識がそのもとでのみ可能となる二つの条件〔Bedingungen〕がある。
    > 第一〔の条件〕は直観〔Anschauung〕≠ナあり、これによって対象は、現象としてのみであるが、与えられる。
    > 第二〔の条件〕は概念〔Begriff〕≠ナあり、これによって、その直観に対応する対象が思考される。<

    二つの条件を満たす時のみ、対象の認識が可能となる...

    > ◇ しかし前述から明らかなように、第一の条件、すなわち諸対象がそのものでのみ直観され得る条件は、実際にその形式〔*1〕からみて客観の根底に心〔Gemuet〕の内でア・プリオリに潜んでいるということである。<

    直観という行為が対象認識の必要条件だが、直観は心の形式に則って外的対象としても内的対象としても直観行為される、、、この形式は、心側の性能形式である、、、

    > *1 中山元訳2,p.105では、この「形式」を"〔空間と時間という〕形式"と訳しています。<

    その形式とは空間時間であり、それは心にアプリオリに潜められたもの、、、

    > ◇ それ故、感性のこの形式的条件とは全ての現象が必然的に合致する〔stimmen〕。
    > というのも、全ての現象は〔感性の〕この形式的条件を通じてのみ現象するからであり、換言すれば、経験的に直観され、与えられ得るからである。<

    現象とは、心の形式的条件により直観されたもの、、、さて、その続きは、、、(続)

    なぞのカント湯、、、長湯に注意なのか、それとも効能有りなのか、、、
    (ーー;)ナゾ

    うましかさん、カント湯の書き込みありがとうございます!

引用返信/返信 削除キー/
■39245 / inTopicNo.18)  超越論的分析論]−2
□投稿者/ うましか -(2024/11/04(Mon) 14:30:40)
    2024/11/04(Mon) 18:53:36 編集(投稿者)

    pipitさん、こんにちはー

    今日はいいお天気ですね(/・ω・)/アキバレ〜

    こんな日は、、、カント湯へどぼん、しっぽり(´-`).。oO

    【追記】

    No.39191(pipitさん)

    >知的直観が無理な人間は、〈綜合的な表象〉で対象を知る…

    "intellektuelle Anschauung"ですね! (;´・ω・)

    No.26816 、奇しくもタイトルは「超越論的感性論 第八項:]−2 」Σ(゚∀゚ノ)ノキャー

    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論
    第一篇 概念の分析論
    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて 〔済〕
    第二章 純粋悟性概念の演繹について
    第一節 (第十三項) 超越論的演繹一般の諸原理について 〔済〕

    第十四項 カテゴリーの超越論的演繹への移り行き

    ◇ 綜合的な表象〔synthetische Vorstellung〕とその対象〔Gegenstaende〕が一致し〔zusammentreffen〕、互いに必然的に関係し合う、言わば、互いに出会い得るのは、〔次の〕二つの場合しかあり得ない。すなわち、対象のみがその表象を可能にする場合か、表象のみがその対象を可能にする場合かのどちらかである。
    前者の場合、この関係〔Beziehung〕は経験的であるに過ぎず、その表象は決してア・プリオリに可能ではない。そしてこのことは、感覚〔Empfindung〕に属するものであれば何であれ、現象〔Erscheinung〕にも当てはまる。
    しかし後者の場合には、表象そのものは( 何故なら、意志を介したその表象の原因性〔Kausalitaet〕はここでは全く問題ではないから)、己の対象をその現存在から〔dem Dasein nach 〕℃Yみ出すことはない。それ故、この表象は、これを通じてのみ或るものを一つの対象として認識する〔als einen Gegenstand zu erkennen〕≠アとが可能である場合は、〔表象は〕その対象に関してア・プリオリに規定する働きをする。

    ―― No.39171 の続き ---

    ◇ しかし、対象の認識がそのもとでのみ可能となる二つの条件〔Bedingungen〕がある。
    第一〔の条件〕は直観〔Anschauung〕≠ナあり、これによって対象は、現象としてのみであるが、与えられる。
    第二〔の条件〕は概念〔Begriff〕≠ナあり、これによって、その直観に対応する対象が思考される。

    ◇ しかし前述から明らかなように、第一の条件、すなわち諸対象がそのものでのみ直観され得る条件は、実際にその形式〔*1〕からみて客観の根底に心〔Gemuet〕の内でア・プリオリに潜んでいるということである。

    *1 中山元訳2,p.105では、この「形式」を"〔空間と時間という〕形式"と訳しています。

    ◇ それ故、感性のこの形式的条件とは全ての現象が必然的に合致する〔stimmen〕。
    というのも、全ての現象は〔感性の〕この形式的条件を通じてのみ現象するからであり、換言すれば、経験的に直観され、与えられ得るからである。


    † 原佑訳上巻、p.244参照。 原典はMeiner, p.172
    † その他、以下を参照。中山元 訳2,p.105、石川文康 訳 上巻, p.152
    † 御子柴善之『カント 純粋理性批判』、p.150〜参照
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    ]−1 No.39171、]−2 No.39245
    \−13 No.38896
    \−10 No.38144、\−11 No.38253、\−12 No.38689
    \−7 No.37244、\−8 No.37409、\−9 No.37955
    \−4 No.36646、\−5 No.36657、\−6 No.36908
    \−1 No.36429、\−2 No.36501、\−3 No.36600
    [−4 No.36127、[−5 No.36266
    [−1 No.35606、[−2 No.36085、[−3 No.36113
    Z−4 No.34874、Z−5 No.34919、Z−6 No.35259
    Z−1 No.33825、Z−2 No.33829、Z−3 No.34795
    Y−10 No.33776
    Y−7 No.33016、Y−8 No.33658、Y−9 No.33668
    Y−4 No.32398、Y−5 No.32507、Y−6 No.32849
    Y−1 No.31693、Y−2 No.32053、Y−3 No.32302
    X−4 No.30943、X−5 No.31146、X−6 No.31639
    X−1 No.30542、X−2 No.30550、X−3 No.30874
    W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154,30529
    第二節 No.30542,30550,30874,30943,31146,31639
    第三節No.31693,32053,32302,32398,32507,32849,
    No.33016,33658,33668,33776,33825,33829,34795,
    No.34874,34919,35259,35606,36085,36113,36127,36266
    第二章 
    第一節 No.36429,36501,36600,36646,36657,36908,37244,37409,37955,38144,38253,38689,38896,39171,39245

引用返信/返信 削除キー/
■39239 / inTopicNo.19)  日記
□投稿者/ pipit -(2024/11/03(Sun) 20:09:28)
    今日高いところに登ったら、カラスが飛んでるのが下に見えた。

    いつもカラスが飛んでるのを見上げてるから、おもしろかった。

    風がびゅんびゅん吹いていた。

    下におりたらその時風は感じなかった。

    下では暑かったのに、上では冷たい風で暑くなかった。

    コンディション(条件)だなー

    コンディションでわたしの目の前に現れるものが、感じるのが、変わるんだなー

    身体と心と、内と外と、いろんなコンディションで世界がこんにちは

    (・ω・)
引用返信/返信 削除キー/
■39228 / inTopicNo.20)  YouTubeショート日記
□投稿者/ pipit -(2024/11/02(Sat) 19:55:32)
引用返信/返信 削除キー/
■39191 / inTopicNo.21)  Re[15]: 超越論的分析論]−1
□投稿者/ pipit -(2024/10/31(Thu) 00:20:16)
    うましかさん、こんばんはー(^O^)
    No39171
    うぅ、安定の?カント先輩異世界語...

    > ◇ 綜合的な表象〔synthetische Vorstellung〕とその対象〔Gegenstaende〕が一致し、互いに必然的に関係し合う、言わば、互いに出会い得るのは、〔以下の〕二つの場合しかあり得ない。<

    知的直観が無理な人間は、〈綜合的な表象〉で対象を知る…


    > ◇ すなわち、対象のみがその表象を可能にする場合か、表象のみがその対象を可能にする場合かのどちらかである。<

    @対象 が 綜合的な表象を可能にしてるから、「(私が知る)綜合的な表象と(知りたい)対象の関連に必然性が有る」場合。

    A綜合的な表象 が 対象を可能にしてるから、「(私が知る)綜合的な表象と(知りたい)対象の関連に必然性が有る」場合。

    > ◇ 前者の場合、この関係〔Beziehung〕は経験的〔empirisch〕であるに過ぎず、その表象は決してア・プリオリに可能ではない。そしてこのことは、感覚〔Empfindung〕に属するものであれば何であれ、現象〔Erscheinung〕にも当てはまる〔*1〕。
    >
    > *1 "Und dies ist der Fall mit Erscheinung, in Ansehung dessen, was an ihnen zur Empfindung gehoert." →  M.Weigeltの英訳を参照 " This applies to appearances with regard to whatever in them belongs to sensation."<

    @の場合は、対象についてあらかじめ知ることは無い。

    > ◇ しかし後者の場合には、表象そのものは( 何故なら、意志〔Willen〕を介したその表象の原因性〔Kausalitaet〕はここでは全く問題ではないから)、己の対象をその現存在から〔dem Dasein nach 〕℃Yみ出すことはない。<


    表象そのものは己の対象をその現存在から産み出すことはない?

    「りんご」という表象が現存在してても、その表象から対象としてのりんごを産み出すことは人間にはできない、ということかなぁ
    (意志と対象の産出はこの箇所では問題にしないということですかね。問題にするなら『実践理性批判』で、ということかなと思いました。)

    > ◇ それ故、この表象は、これを通じてのみ或るものを一つの対象として認識する〔als einen Gegenstand zu erkennen〕≠アとが可能である場合は、〔表象は〕その対象に関してア・プリオリに規定する働きをする。<

    産出ではなく、認識、、、
    綜合的な表象〔synthetische Vorstellung〕を通してのみ、あるものをその対象〔Gegenstaende〕として【一つの対象として認識する〔als einen Gegenstand zu erkennen〕=zする場合は、

    A 「(私が知る)綜合的な表象と(知りたい)対象の関連に必然性有ります。」が成り立つ、ということかなぁと今の所読んでみました。

    例えが頭に浮かびました。
    警察がさまざまな現象データからまだ捕まえていない犯人像を作り上げる。
    @犯人(対象)が犯人像(綜合的表象)を可能にする場合か、
    A犯人像(綜合的表象)が犯人(対象)を可能にする場合か、、、

    Aの場合は警察の犯人像(綜合的表象)が犯人(対象)をアプリオリに規定する、、、

    うましかさん、カント温泉おつかれさまです!


引用返信/返信 削除キー/
■39171 / inTopicNo.22)  超越論的分析論]−1
□投稿者/ うましか -(2024/10/29(Tue) 19:28:56)
    2024/11/04(Mon) 14:32:57 編集(投稿者)
    2024/10/29(Tue) 19:29:57 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    今夜はカント温泉(^^♪ 「いい湯だなっ♪」

    、、、といいたいところでしたが、

    ずっと忙しくて、久しぶりに純理ひらいたら、、、(・・?

    なんだか異世界の言語みたいでした(;・∀・)


    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論
    第一篇 概念の分析論
    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて 〔済〕
    第二章 純粋悟性概念の演繹について

    第一節 (第十三項) 超越論的演繹一般の諸原理について 〔済〕

    ◆ 人がこうした諸研究の労苦を免れようとして、経験は諸現象のそうした合規則性の諸実例を絶えず提供しており、それらの諸事例が原因という概念を諸現象から分離し、これによって同時にそうした概念の客観的妥当性を確証する十分なきっかけを与えると主張することを考えるならば、
    このような仕方では原因という概念は全く生じ得ず、むしろこの概念は完全にア・プリオリに悟性のうちに根拠づけられていなければならないか、それとも単なる幻影として全面的に放棄されなければならないかのいずれかであることに、気づかないのである。
    というのも、この概念は、或るものAが、他のものBがそのAから、必然的かつ端的に普遍的な規則に従って$カずるというような、そうした性質のものであることを徹頭徹尾要求するからである。
    確かに諸現象は、或るものが通例それに従って生起する或る規則を可能にならしめる多くの場合を提供するが、しかし決して、その結果が必然的〔notwendig〕≠ナあるという場合を提供はしない。だから、原因と結果との綜合には、経験的には全く表現され得ない威厳〔eine Dignitaet〕がある、というのも、結果は原因に付け加わるのみならず、この原因を通じて〔durch〕£阯ァされており、この原因から〔aus〕′級ハするからである。
    この規則の厳密な普遍性は経験的な諸規則の固有性とは異なるものであり、経験的な諸規則は帰納によって比較的な〔komparative〕普遍性、換言すれば広範な有効性以外のものを何ら獲得し得ないのである。
    ところが、人が純粋悟性概念を単に経験的な産物として論じようとするならば、純粋悟性概念の使用は全面的に変わったものとなるに違いない。

    ―― No.38896 の続き ---

    第十四項 カテゴリーの超越論的演繹への移り行き
    〔Uebergang zur Transzendentalen Deduktion der Kategorien〕

    ◇ 綜合的な表象〔synthetische Vorstellung〕とその対象〔Gegenstaende〕が一致し、互いに必然的に関係し合う、言わば、互いに出会い得るのは、〔以下の〕二つの場合しかあり得ない。

    ◇ すなわち、対象のみがその表象を可能にする場合か、表象のみがその対象を可能にする場合かのどちらかである。

    ◇ 前者の場合、この関係〔Beziehung〕は経験的〔empirisch〕であるに過ぎず、その表象は決してア・プリオリに可能ではない。そしてこのことは、感覚〔Empfindung〕に属するものであれば何であれ、現象〔Erscheinung〕にも当てはまる〔*1〕。

    *1 "Und dies ist der Fall mit Erscheinung, in Ansehung dessen, was an ihnen zur Empfindung gehoert." →  M.Weigeltの英訳を参照 " This applies to appearances with regard to whatever in them belongs to sensation."

    ◇ しかし後者の場合には、表象そのものは( 何故なら、意志〔Willen〕を介したその表象の原因性〔Kausalitaet〕はここでは全く問題ではないから)、己の対象をその現存在から〔dem Dasein nach 〕℃Yみ出すことはない。

    ◇ それ故、この表象は、これを通じてのみ或るものを一つの対象として認識する〔als einen Gegenstand zu erkennen〕≠アとが可能である場合は、〔表象は〕その対象に関してア・プリオリに規定する働きをする。


    † 原佑訳上巻、p.243〜p.244参照。 原典はMeiner, p.171〜p.172
    † その他、以下を参照。中山元 訳2,p.104、石川文康 訳 上巻, p.151〜p.152
    † 英訳 https://www.penguinbookshop.com/book/9780140447477
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    ]−1 No.39171
    \−13 No.38896
    \−10 No.38144、\−11 No.38253、\−12 No.38689
    \−7 No.37244、\−8 No.37409、\−9 No.37955
    \−4 No.36646、\−5 No.36657、\−6 No.36908
    \−1 No.36429、\−2 No.36501、\−3 No.36600
    [−4 No.36127、[−5 No.36266
    [−1 No.35606、[−2 No.36085、[−3 No.36113
    Z−4 No.34874、Z−5 No.34919、Z−6 No.35259
    Z−1 No.33825、Z−2 No.33829、Z−3 No.34795
    Y−10 No.33776
    Y−7 No.33016、Y−8 No.33658、Y−9 No.33668
    Y−4 No.32398、Y−5 No.32507、Y−6 No.32849
    Y−1 No.31693、Y−2 No.32053、Y−3 No.32302
    X−4 No.30943、X−5 No.31146、X−6 No.31639
    X−1 No.30542、X−2 No.30550、X−3 No.30874
    W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154,30529
    第二節 No.30542,30550,30874,30943,31146,31639
    第三節No.31693,32053,32302,32398,32507,32849,
    No.33016,33658,33668,33776,33825,33829,34795,
    No.34874,34919,35259,35606,36085,36113,36127,36266
    第二章 
    第一節 No.36429,36501,36600,36646,36657,36908,37244,37409,37955,38144,38253,38689,38896,39171


引用返信/返信 削除キー/
■39169 / inTopicNo.23)  sora日記
□投稿者/ pipit -(2024/10/28(Mon) 20:55:02)
    あさイチは全面的に曇っていたのになー

    秋の空〜 ♪

    (⌒∇⌒)
2016×1512 => 600×450

akinosora.JPG
/303KB
引用返信/返信 削除キー/
■39142 / inTopicNo.24)  日記
□投稿者/ pipit -(2024/10/25(Fri) 18:30:32)
    黄色のちょうちょ♪
640×480 => 600×450

chou2.JPG
/128KB
引用返信/返信 削除キー/

<前の12件 | 次の12件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 >>
Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 ツリー表示 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -