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■10333 / inTopicNo.1)  追記
  
□投稿者/ パニチェ -(2021/01/04(Mon) 07:58:19)
    それにしても読み進むのが遅い。

    浮気性なんかな(笑)

    再び「表現と介入」に戻りたい。
引用返信/返信 削除キー/
■10332 / inTopicNo.2)  「悟りを生きる」読了
□投稿者/ パニチェ -(2021/01/04(Mon) 07:56:13)
    行きつ戻りつ面白く読めた。

    体験以外の非二元の記述についてはどれも納得はできるものだった。

    普通に考えれば、あとは体験のみという結論になるところだとは思うが、探究は禅定や瞑想などの体験に求めず、論理と言語による(哲学的な探究でもって)見性悟道を行くことに変わりはない。

    何かの拍子で気づきや底が抜けることはありえるとは思うが。。。。

1000×1469 => 408×600

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/174KB
引用返信/返信 削除キー/
■10302 / inTopicNo.3)  Re[28]: 無責任
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/01/01(Fri) 22:05:52)
    おくったがわさま、あけましておめでと。

    ■10251
    選挙で当選したある人がいたとするよね。日本は政党制で、そこに「公約」っていうのあるよね。かんたんにいうと「わたしは当選したあかつきには○○をすることを約束します。」的な。でも当選して例えば国会議員になったあと、その約束が果たされなかったとき、その議員さんがその約束を「責任」をとる必要がないみたいじゃん?

    わたしね、なにもいってないの。ただ、問うているだけ。
    「問うこと」に「責任」ってあるのかしら?

    おくったがわさま、これを責任回避って見ます?
    そもそも責任とか無責任っていうのは文化的存在。
    「嘘」っていうのも同じね。




引用返信/返信 削除キー/
■10252 / inTopicNo.4)  Re[20]: 長縄跳びに入る気分
□投稿者/ おくたがわ -(2020/12/30(Wed) 20:59:28)
    No10131に返信(つばめさんの記事)

    > ☆「自己投影解釈の先走りがなくなっていった」・・・あ。なるほど、です。
    > 自己投影から始まり(今のところそれしか無さげに思えますが。)

    それしかない… 最初はそれしかない? ・・ではなく、他者が自分と似ていると思うことは最後まで自己投影しかないという意味?

    > 自己投影に気づき、自己投影に注意する?自己の投影を意識する?ようになった。
    > そしたら自己投影解釈の先走りがなくなり、他人と自分が似ていると思わなくなった、ということですね。
    > それってすごいことのような気もします。
    > ある意味、全体から個別化した?みたいな感じもしちゃってます。(かなり無責任ですが。)

    全体から個別化…は分からない。すいません。

    その辺りで自分の書いてることは短絡的と言うか変ですね。後付け解釈な気がしてきました。しかも間違った。
    似ていると感じる理由が自己投影しかないような理屈になってる。

    投影の思い込みの部分を除いても性格が似ている人はいるだろうし。それに気づく方法はあるかもしれず。自分は何らかの理由でそういう感性が鈍っているだけという気もしてきました。
    言ってることが変わってきてすみません。
    もともと、「似ていること」と「似ていると感じること」を区別せず書いていたと思うし。

    > 皆さ、お互いに自己投影しあって団子状になっている。

    助さん「お前は自分がそうだからひとのこともそうだと思ってしまってるんだろう」
    格さん「それこそ、お前がそうだからひともそうだと思ってるんだよ」

    団子状って、そういうことではなく?

    極端には、逆を思い合ってる・言い合ってるケースもあると思う
    Aさん:平気で嘘つく人  Bさん:嘘つけない人
    Aさん「Bさんの言ってること嘘だよね(人なんて平気で嘘つくんだから)。」
    Bさん「Aさんが嘘ついてるとは思えない(人はそんなに簡単に嘘はつかない)。」

    [自分は嘘つきだけど、あの人は違う]あるいはその逆を(的確に)感じ取るというような判断はリアルに比べて掲示板の方が難しいんじゃないだろうか。情報が少ないゆえに。
    だからSNSでは団子状が。

    > その中でいろいろな物語ができてくる。
    > (例えば自分の話を聞いてくれて、自分を分かってくれたはずの人が
    > 自分の思うようにならないときネット上で付きまとってしまったり。)

    まさに。自分の知っている限りでも強烈に付きまとって非難していたケースで最初は仲良かったとか信頼していたとからしいのが複数あり。
    しかし( )内、凄い。見てたの?というくらいピッタリです。人や場所は違っても同じようなことが起きているということなんだろうな。

    > そういう自己投影団子状態の中にいて自分と他人の間にわずかに線を引いている状態?にあるのかなぁと。

    そうですね、と言いたくなるけれど、ちょっと保留。分からない。

    > >そしてしかも、性格とは何か、ということ自体も・・今や分からない。
    >
    > ☆「性格」ですかぁ。
    > 「性格」という言葉が使われるときってのは、割と狭い範囲、同じ集団内(地域社会、学校、職場、サークル等々)のなかでのことが多いように思います。
    > 「あの人は〇〇な性格だから一緒にいると楽しい。」みたいな感じで使ったり
    > 「私はどちらかというと〇〇の性格だからこの役目は向かない。」とかって使ったり
    > ・・・その集団内での役割分担というか位置づけという面もあるのかもですね。

    他者との関係の中で…。他者がいることで自分(の性格)が分かるというのはよく言われるし、実感もあります。他者の行動様式への反感・共感とか比較とかがなければ、自分はこういう性格ですとは確定しにくいかな。
    その比較を自身の中だけでやっている人がめんどうだ。[自己投影解釈した他者]と[理想の自分(未だ無いものである自分)]の比較とか---ここでも本人と相手の関係が実態と逆になる。
    特殊な人の事例ばかり考えすぎかな…

    先ほどの、他者がいるから自分が分かる、に付け加えると
    自分がやっていないこと考えもしないことを、考えただろう・やっただろう と押し付けられることで逆に、自分が実際にはどういう状況下で何をせず・何をしてきた人間であるかを再確認できる。
    ↑ 何を言っているか分かりにくいですかね。

    > ☆執着する傾向の人っていますよね。
    > ヤフー掲示板、テキストリーム時代にもわんさかいたような気がする。
    > しかも、ヤフー掲示板の機能が執着しやすい仕組みになっていたというか、・・・
    > 考えてみるに最後のころは執着しやすい傾向の人の為に運営されていたんじゃなかろうか。(笑)(しかし、利益がない・・・みたいな。)

    そうか…
    おそらくツバメさんやカシさんの方が自分より多くの事例を見てきているんだろうと思います。

    > でも。まあ。なんだろ。
    > ひとって執着する生きものなのかもですね。

    煩悩?たぶん。執着の対象はそれぞれ違うんだろうけど。

    俺にも執着はあるけど掲示板の他人にそこまで執着するのが分からない、というようなことを考えて思ったのは、
    他人に執着しているようでも、それは自分自身への執着なのかな。理想の自分への。

    > おくったがわさんと私では事情も違うし判断も違うからそれはそれ、みたいな。

    それです。同じ判断を求められることが苦手。

    > >カシさんは誰に対しても同じということ?
    >
    > ☆たぶん。
    > どのような投稿(者)に対しても最初からそこそこの期間の関わり方は同じと思います。
    > 相手の言うことを丁寧に聞いていく。
    > これは推測なのですが、理解しようとして観察する人の態度に似てるかなと思います。
    > 観察して因果関係を理解しようとするから相手のどのような行為にも感情的にならない。
    > 相手の投稿をよく読んで理解しようとするから相手のどのような投稿にも感情的にならない。

    思ってたとおりなんだけど、自力で思ってたのか、ツバメさんもしくはカシさん
    本人が以前書いていたからなのか。(あまりに思ってたとおりだから。)

    > (逆に相手が感情的になることあります。特にカシさんから質問されただけなのに切れちゃう人ってよく見かけたような気がします。)
    > そのスタンスはカシさんが何時でも誰に対しても保持しているスタンスのように思います。

    相手が感情的になるというの分かる。ヤフー参加初期のころ自分も経験ある。質問を続けていると相手が不機嫌になっていく。質問に答えるのが楽しい人と苦痛に感じる人がいるということを知った。


    > ・・・が、わたし的には、この言葉を心のかすかな動きの表現と思っていたけれど、
    > 本来の意味はかなり明瞭な心の動きを表す言葉と知りました〜〜〜(^◇^;)

    自分も怒るとは違う方の意味としてイメージしていたのは、かすかな動きでしたね。あんなに強い意味とは思ってなかったかな。

    > 関係ないけれど、カシさんが時々使う言葉「響く」もこの言葉の近隣の言葉かなと思います。

    メモ。

    > 以前、「記憶は嘘をつく」という本の感想を述べた時、詳細は忘れましたが「新しい知見がない。」という点でおくったがわさんの感想も同じだったこと覚えています。

    記憶の塗替えについて話しした憶えはあるけど、同じ本を読んだのでしたっけ…。

    > 興味の向きって何に関心があるのか?という事なので
    > 模索しているものや好みが似ている事あるかなと思っています。

    その件がね、記憶の嘘に興味があるんだけど、自分は害の方を考えてた。冤罪問題とか。
    ツバメさんは、記憶が変わることによって心が救われるというメリットについて書いていたと思います。それで、興味の対象が同じでも理由とか、そこから引き出すものが違うということがありそうだな、と思った。それが自分の中で今回の話へつながってる。
    『結論が同じでも性格は』という表現はあまりにテキトーすぎたと思います。
    ただし、楽観的・メリットの方を受け取るというイメージが性格という言葉になったと思います。


    > それから、おくったがわさんのある状況下での特定の投稿者に対する態度に親近感がわくことあります。
    > ここでも二度ほど目にしたと思っています。
    > 親近感がわくのはやっぱり勝手な投影、思い込みかもですが。(笑)

    2例ということから思い当たることがあって、もし合っているなら、それは自分の性格と言えると思います。自然に湧いてくる気持ちに従った行為なので。
    そこを見て取って、しかも親近感がわくということは、ツバメさんの中にもそういう傾向があるのでしょうから、それは似てるのだと思います。
    (同じ態度のことを言っていると前提してしまってますが…)

    ・・・この件は特別にうれしいです。
    先ほど書いた、実際の自分の心情や行動の傾向とは全く異なる人物像を押し付けられる不快ということがヤフー掲示板にはあったので、
    投稿から実際の傾向を見て取ってくれる人がいるということは、とても嬉しい。ありがとうございます。

      自分の思い出話ばかりになっているようですみません。
引用返信/返信 削除キー/
■10251 / inTopicNo.5)  Re[27]: 無責任
□投稿者/ おくたがわ -(2020/12/30(Wed) 20:54:22)
    No10101に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > ■10089、ちょっと気になったんで、
    > >無責任なことを言える場所<
    > こういうのって、「場所」では重要だとわたし思うんだけど。あ、時間っていのもあったかな。そもそも「責任」ってなんなのかも問題だと思うけど。ま、いいわ。
    >
    > ふとね

    無責任と自分が何故書いたかとか、色々考えた。
    その言葉、色々な使われ方しそうですね。

    あっていい場所、あった方がいい場所
    しかし、無責任に何を言うかによっては、ダメなこともあると。


引用返信/返信 削除キー/
■10131 / inTopicNo.6)  Re[19]: 長縄跳びに入る気分
□投稿者/ つばめ -(2020/12/20(Sun) 12:01:51)
    No10067に返信(おくたがわさんの記事)

    こんにちは。

    >少なくとも「そこまでは」的な言葉が必要やったなー と。

    ☆「結論の一致ほど、そこまで性格が同じというわけでもない気がする。」ですね。
    はい。


    >考えてみると、他者に関して自分と性格が似ていると思うことは長らく無い気がする。高校とかその辺まで遡るんじゃないか。そして、その頃は似ている人間が周りにいたということではなく、最初自分を投影して見ているから似ていると思い込んで、そして、実際に分かってみると人それぞれ大分違うと知っていき。そういう経験から、自己投影解釈の先走りがなくなっていった ということかなー とか。

    ☆「自己投影解釈の先走りがなくなっていった」・・・あ。なるほど、です。
    自己投影から始まり(今のところそれしか無さげに思えますが。)
    自己投影に気づき、自己投影に注意する?自己の投影を意識する?ようになった。
    そしたら自己投影解釈の先走りがなくなり、他人と自分が似ていると思わなくなった、ということですね。
    それってすごいことのような気もします。
    ある意味、全体から個別化した?みたいな感じもしちゃってます。(かなり無責任ですが。)
    皆さ、お互いに自己投影しあって団子状になっている。
    その中でいろいろな物語ができてくる。
    (例えば自分の話を聞いてくれて、自分を分かってくれたはずの人が
    自分の思うようにならないときネット上で付きまとってしまったり。)
    そういう自己投影団子状態の中にいて自分と他人の間にわずかに線を引いている状態?にあるのかなぁと。


    >そしてしかも、性格とは何か、ということ自体も・・今や分からない。

    ☆「性格」ですかぁ。
    「性格」という言葉が使われるときってのは、割と狭い範囲、同じ集団内(地域社会、学校、職場、サークル等々)のなかでのことが多いように思います。
    「あの人は〇〇な性格だから一緒にいると楽しい。」みたいな感じで使ったり
    「私はどちらかというと〇〇の性格だからこの役目は向かない。」とかって使ったり
    ・・・その集団内での役割分担というか位置づけという面もあるのかもですね。
    私の「性格」・・・というより、パーソナリティについてのイメージは、様々な色とそのグラデーションのなかの一つの色、という感じです。
    で、しかもちょっと流動的・・・かな。


    >しかしその後! 、その相手がちょっとしたきっかけから5年間まとわりついて攻撃し続けてくるという驚きの展開。
    >事前に予想できた人がいただろうか(いやいない) (⌒∇⌒)

    ☆執着する傾向の人っていますよね。
    ヤフー掲示板、テキストリーム時代にもわんさかいたような気がする。
    しかも、ヤフー掲示板の機能が執着しやすい仕組みになっていたというか、・・・
    考えてみるに最後のころは執着しやすい傾向の人の為に運営されていたんじゃなかろうか。(笑)(しかし、利益がない・・・みたいな。)

    でも。まあ。なんだろ。
    ひとって執着する生きものなのかもですね。


    >で、それは同居可能な気はする、←何も知らずに勝手に言ってます。

    ☆わぁ〜い。握手♪


    >他者に執着して批判を抑えられなくなっている感じの人に、第三者がどう接すれば、それ以上拗らさなくて済むのか的な
    でも、そういう器じゃないので、無理しない方がいいなと今は思ってます。

    ☆おくったがわさんのム〇さんへの態度は、おくったがわさんはそうなのだろうと思った記憶あります。
    おくったがわさんと私では事情も違うし判断も違うからそれはそれ、みたいな。

    気を使っていただいてありがとうございました。なんか、すごいさりげなさですね。
    逆にム〇さん的には普通に話してくれた人がいたのでよかったのではないかと。
    (別にム〇さんに対して優しい気持ちで言っているわけではありません。)


    >> カシさんの対応ともちがう。
    >>そもそもカシさんには「ある種」というラインがない。

    >カシさんは誰に対しても同じということ?

    ☆たぶん。
    どのような投稿(者)に対しても最初からそこそこの期間の関わり方は同じと思います。
    相手の言うことを丁寧に聞いていく。
    これは推測なのですが、理解しようとして観察する人の態度に似てるかなと思います。
    観察して因果関係を理解しようとするから相手のどのような行為にも感情的にならない。
    相手の投稿をよく読んで理解しようとするから相手のどのような投稿にも感情的にならない。
    (逆に相手が感情的になることあります。特にカシさんから質問されただけなのに切れちゃう人ってよく見かけたような気がします。)
    そのスタンスはカシさんが何時でも誰に対しても保持しているスタンスのように思います。


    >今回のツバメさんの文章が正解の方の意味であることを切に祈ります。

    ☆正解の意味のほうです〜〜〜。

    ・・・が、わたし的には、この言葉を心のかすかな動きの表現と思っていたけれど、
    本来の意味はかなり明瞭な心の動きを表す言葉と知りました〜〜〜(^◇^;)

    関係ないけれど、カシさんが時々使う言葉「響く」もこの言葉の近隣の言葉かなと思います。


    >教えてください。あたりかはずれか、ちゃんと答えますから。ペコリ↓

    ☆琴線、琴は私の方にあるんです。
    だから変な言い方しちゃって(あたりがつく)申し訳なかったのですが、
    私の自己投影の話です。

    以前、「記憶は嘘をつく」という本の感想を述べた時、詳細は忘れましたが「新しい知見がない。」という点でおくったがわさんの感想も同じだったこと覚えています。
    (おくったがわさんにとっては幅広い範囲の中の一つでも、)
    あ。関心のある領域が少し被っているんだ、と思いました。

    興味の向きって何に関心があるのか?という事なので
    模索しているものや好みが似ている事あるかなと思っています。

    それから、おくったがわさんのある状況下での特定の投稿者に対する態度に親近感がわくことあります。
    ここでも二度ほど目にしたと思っています。
    親近感がわくのはやっぱり勝手な投影、思い込みかもですが。(笑)


引用返信/返信 削除キー/
■10101 / inTopicNo.7)  Re[26]: 無責任
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/12/18(Fri) 19:47:42)
    ■10089、ちょっと気になったんで、
    >無責任なことを言える場所<
    こういうのって、「場所」では重要だとわたし思うんだけど。あ、時間っていのもあったかな。そもそも「責任」ってなんなのかも問題だと思うけど。ま、いいわ。

    ふとね


引用返信/返信 削除キー/
■10098 / inTopicNo.8)  Re[25]: つばめさんへ
□投稿者/ おくたがわ -(2020/12/18(Fri) 19:05:31)
    つばめさんの書いた「因果」は指示の因果説とかの因果? また表現と介入で扱っている名称の由来・固定観念・外延等の継承とか…(本質や証拠が必要と考えるなら、その継続もかな…)。昨日の投稿では気づいてなくてすいません。ペコペコ
引用返信/返信 削除キー/
■10089 / inTopicNo.9)  Re[24]: おくったがわさんへ♪
□投稿者/ おくたがわ -(2020/12/17(Thu) 21:58:03)
    No9983に返信(つばめさんの記事)
    > >そうなると、存在とは何か ってことにもなって・・
    > けれども・・ここだけの話ですが・・・ 。oそういう類のことを考えて人生を過ごしてはいけない というのがお釈迦様の教えだったりするかも(無責任な爆弾)
    >
    > 無責任な爆弾・・・OK〜♪
    >
    > そういう場所っていつでも必要な気がする。

    無責任なことを言える場所ということ? 違うかな…
    (ちょっと反省するところがあったので、元記事のその辺りに編集加えました。

    > 意味(因果)を考え始めると意味(因果)に囚われる気がします。

    意味と因果の関係が分からなかったのですが、勝手に解釈して思うことを書きます。ツバメさんの言いたいことと全然違う可能性が高いです。

    言葉の意味が、言語活動全体の中での関係で決まる。個々の事象の意味も世界全体の中での関係で決まる。それを因果と言ってるのかな、と。影響関係。

    > そして因果は個人に帰着する。
    >
    > ・・・個人に帰着って変な言い方かなぁ。
    >
    > ええと、個人の世界(個人が考えるああだ、こうだ。)を出ない。

    個人の知識とか経験という枠の中でしか考えられない。また、個人の都合にも左右される。ちなみに後者については、人は自分にとって都合のいい解釈・結論をすると多くは言われるようですが、私は必ずしもそう思わず、自分にとって不利な方・苦しい方へ考えてしまう性癖もある。意外に、そういう傾向を持つ人もいると思う。


    > そして、
    >
    > 例え個人の世界を出られたとしても
    >
    > 「現象」(みんなの世界)に行きつくしかない。
    >
    > みんなの世界は個人の世界の集大成みたいなものだと思うから
    >
    > そこに答えがあるのか?ときかれると、どうなのだろう。
    >
    > みんなの答えがあるだけ?みたいな。
    >
    > ・・・意味を考え始めたら「みんなの答え」に行きつくことになるような気がする。

    言葉の意味にしろ、事象の意味にしろ、一人の頭の中で正確な意味を確定できるかというのは、私的言語は可能かという問題になるのかな(違うかもしれない)。
    とりあえず、仮にそれを私的言語とすると、現段階の自分は、成立しない・もしくは形の上で成立しても不毛(役に立たない)と。

    > つまりさ、
    >
    > 意味を考える人は
    >
    > みんなの答えに行きつきたいんじゃないか、なんて思う日もあるんだよね。

    琴線の意味ってなんだろう、というのは、みんなはどういう意味で使ってるんだろう。で、それは他者との関係で誤解を避けたいから、ですね。

    ごめん、そういう話ではないんでしょうね。おそらく俺は分かってない。

    あと、カントでもニーチェでもウィトでも、みんなにとっての答えを探し出そうとしてるなー、とか。自分の中だけで問題が解ければ良いという取組みではなく。


    追記1
    「表現と介入」が共約不可能性を扱っていますが、翻訳の不確定性とか意味の不可測性とか、言語表現の限界が言われる。「みんなの間での意味」も、確定することは理論的には不可能(??)
    しかし、社会も言語活動も実際に成り立っている。振舞から、ルールを共有しているメンバーかどうかを判断される。
    お前のそれはルール違反だろ。いや反していない。議論。全員一致の結論がどうしても出せなければ、最悪、多数決で決める。
    こういうことが、個人の頭の中だけでは成立しない。私的言語は成立しない(?)
    ↑この解釈はクリプキがウィトを誤解した解釈とされているのかもしれない。しかも、クリプキ自身そのようなこと言っておらず、@おくたがわの妄想かもしれません。いいかげんですいません。

    2(・・はじめて禅に触れた時、哲学は妨げとなるという発想もセットで触れたことを思い出した。カシさんへのレスのあれを書いてしまうというのは、その辺からの自分の囚われなのかな、とちょっと思った。ツバメさんはそれを言いたかったのかなと一瞬思いましたが…それはないかな…)
引用返信/返信 削除キー/
■10067 / inTopicNo.10)  Re[18]: 長縄跳びに入る気分
□投稿者/ おくたがわ -(2020/12/16(Wed) 21:15:37)
    No8552に返信(つばめさんの記事)
    > ■No8492に返信(おくたがわさんの記事)

    こんばんは。古い投稿の方から先にレスします。間が空いてすみません。

    >>ヤフーで思っていたことは、ツバメさんは、自分と結論が一致することが多め。でも性格はたぶん似てない・・。そこが面白い。
    >>なんとなくですが、そういう印象だったことをここで告ります(告ではない)
    >
    >
    > 「性格はたぶん似てない・・。」・・・真逆とか?(⌒∇⌒)

    そうなりますよね、その文章。
    後で思っていたのですが、
    結論が一致するけれど、必ずしもいつも理由(過程)が同じとは限らない気がする。そこが面白いと思う。
    結論の一致ほど、そこまで性格が同じというわけでもない気がする。
    そんな感じでした。
    少なくとも「そこまでは」的な言葉が必要やったなー と。

    考えてみると、他者に関して自分と性格が似ていると思うことは長らく無い気がする。高校とかその辺まで遡るんじゃないか。そして、その頃は似ている人間が周りにいたということではなく、最初自分を投影して見ているから似ていると思い込んで、そして、実際に分かってみると人それぞれ大分違うと知っていき。そういう経験から、自己投影解釈の先走りがなくなっていった ということかなー とか。

    そしてしかも、性格とは何か、ということ自体も・・今や分からない。


    むかーしヤフー掲示板で、かなり仲良くしていた人が、それを(二人は仲がいいと)指摘した人に対して「似ている気がする」と返事していて、自分はそうも思わなかった(すでに自分が誰かと似ているという感じ方をしなくなっていたし)のですが、あーこの人はそう思っているんだな、と。

    しかしその後! 、その相手がちょっとしたきっかけから5年間まとわりついて攻撃し続けてくるという驚きの展開。
    事前に予想できた人がいただろうか(いやいない) (⌒∇⌒)

    (その時に発露された人間観や思考・行動様式は自分と真逆と言えるもので、いったい何をして似ていると判断していたのか。

    逆に、こいつは嫌いだなー と思っていた相手を何かのきっかけで見直して、関係が変わったり


    > 真逆なのになんで同じ結論なんだ?とか?

    真逆とはまったく思わないです。価値観なり行動様式がものすごく違うと感じる人たちは他にいます(上記の人物とか 安倍ちゃんとかガースーとか)。

    > ごく親しい友人が私のことを「野武士みたい(野蛮でイケイケ)な私と冷静沈着な○○(←ここ。恥ずかしくて言えない。)のような私がどうやって同居しているのか理解できない。」とよく言います。

    あー、なんか分かる。天国で自分が見た範囲では前者の部分はあまり出ていなかったんじゃないかと思いますが、それでもなんか分かる。
    で、それは同居可能な気はする、←何も知らずに勝手に言ってます。

    > 私が極端な面を持ってしまっているからなのか(つまり、分裂している (笑)、・・・しかし、自分ではそれは私だけとは思えません。誰だってそうだろうと思っています。)

    誰だってそう にだいたい同感(結論の一致…)。


    > 偶然が重なっているだけなのか
    >
    > 本当はちょっと似ている性格なのか。
    >
    > ・・やっぱ。似てないかな。(笑)

    いや、似てる! (今までの話はなんだったんだ俺)

    > ヤフー掲示板時代、(私から見た)ある種の投稿者への対応でおくたがわさんが私とは違った対応をする人だと分かります。

    二人思い当たるんですが、無縁さんと似たハンドルだった人(ハンドルだけ!)については、
    ちょっと試行錯誤というか、考えて無理した対応をしていたので、自分の性格とは言えないです。時期が違ってたら(率直に自分の心情に従っている時期だったら)違う対応をしていたかも。

    他者に執着して批判を抑えられなくなっている感じの人に、第三者がどう接すれば、それ以上拗らさなくて済むのか的な
    でも、そういう器じゃないので、無理しない方がいいなと今は思ってます。

    そのとき思っていたのが、
    私に対してひどいことをしている相手に、あんたは丁寧に接するのか?
    的に反発するタイプの人がいること。
    しかしツバメさんはたぶんそういう反応はしないだろうと思い、そしてその通りでした。

    もう一人、カシさん曰くのワケワカメ仏教おじさん(そうは言ってないか)についても触れる旨、カシさんへのレスに書きましたが、また今度にします。すいません。

    > カシさんの対応ともちがう。
    > そもそもカシさんには「ある種」というラインがない。

    カシさんは誰に対しても同じということ?

    > でも、どちらかというとカシさんの対応に近いのかなぁ。

    自分は部分的にしか知らないですが、全然ちゃうと思います。カシさん>>自分 という意味で。冷静な感じがするんだよなー


    > なんとなくおくたがわさんの投稿や言葉は私の琴線に触れることが多いという印象です。


    琴線という言葉の意味を長年曖昧なまま来たので、ここで調べてみました。

    >「琴線に触れる」の意味
    https://www.bunka.go.jp/pr/publish/bunkachou_geppou/2012_09/series_10/series_10.html

    正しい意味は
    >(2)感じやすい心情。心の奥に秘められた,感動し共鳴する微妙な心情。

    そして
    >触れられたくないこと,不快な話題に触れる意で使うのは誤り。「× 私の一言が彼の琴線に触れたのか,急に怒り出した」


    この二つのどちらの意味なのかが自分の中で曖昧だったのです。


    > 平成19年度の「国語に関する世論調査」で,「琴線に触れる」の意味を尋ねました。結果は次のとおりです。(下線を付したものが本来の意味。)
    >
    > (ア) 怒りを買ってしまうこと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・35.6%
    > (イ) 感動や共鳴を与えること・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・37.8%


    正解と間違いが拮抗してるのですね。
    「逆鱗に触れる」との混同なのかな。自分もそうだったのかも。


    今回のツバメさんの文章が正解の方の意味であることを切に祈ります。

    > なんとなくおくたがわさんの投稿や言葉は私の琴線に触れることが多いという印象です。
    > 理由については一つぐらいあたりをつけています。(はずれの可能性大ですが。)

    教えてください。あたりかはずれか、ちゃんと答えますから。ペコリ↓
474×919 => 309×600

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■9983 / inTopicNo.11)  Re[23]: おくったがわさんへ♪
□投稿者/ つばめ -(2020/12/12(Sat) 19:04:47)
    >そうなると、存在とは何か ってことにもなって・・
    けれども・・ここだけの話ですが・・・ 。oそういう類のことを考えて人生を過ごしてはいけない というのがお釈迦様の教えだったりするかも(無責任な爆弾)

    無責任な爆弾・・・OK〜♪

    そういう場所っていつでも必要な気がする。

    意味(因果)を考え始めると意味(因果)に囚われる気がします。

    そして因果は個人に帰着する。

    ・・・個人に帰着って変な言い方かなぁ。

    ええと、個人の世界(個人が考えるああだ、こうだ。)を出ない。

    そして、

    例え個人の世界を出られたとしても

    「現象」(みんなの世界)に行きつくしかない。

    みんなの世界は個人の世界の集大成みたいなものだと思うから

    そこに答えがあるのか?ときかれると、どうなのだろう。

    みんなの答えがあるだけ?みたいな。

    ・・・意味を考え始めたら「みんなの答え」に行きつくことになるような気がする。

    つまりさ、

    意味を考える人は

    みんなの答えに行きつきたいんじゃないか、なんて思う日もあるんだよね。




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■9982 / inTopicNo.12)  Re[22]: 無題 気の向くままに
□投稿者/ つばめ -(2020/12/12(Sat) 18:44:41)
    そうね

    私に野心がないと言ったら嘘になるかも

    だけど
    小さい野心
    ささやかすぎて
    笑っちゃう

    表現と誰もが言うけれど
    表現ってなに?

    成功しなくてもいいんだ
    ただ
    表現したい

    つまり
    趣味ね

    私の趣味
    水草と魚

    しかも
    たまたまアクリル絵の具の地の上に
    牛乳で誰にもわからない花を描いた (笑)
    状況主義的展開

    そのワトソン紙がもったいなかったから。

    ああ
    でもね
    わたし、世界を作るかな

    ベタをそこにおこう

    赤って闘う色だよね


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