| === 記憶しておくがよい。君を侮辱するのは、君のことを口汚く罵る者や君を殴る者などではなく、彼らが君を侮辱していると見なす、君の考え方なのである。 誰かが君を怒らせるならば、その時は君自身の判断こそが君を怒らせたのだと知るがよい。 だからこそ、まず何よりも心像によって拉致されないように努めよ。 というのも、一度でよいから自分で考えてみる時間と余裕とを得るならば、君自身に打ち勝つのは簡単なことだろうから。
(『提要』20) === 『奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業 この生きづらい世の中で「よく生きる」ために』荻野弘之 著 p93より引用
同著p94に、著者荻野さんの文章で、 === エピクテトスは、こうした感情の手前には「判断(ヒュポレープシス)」があるという。 === とあります。
たしかに、何かいいことや嬉しい出来事があった日に逆に少し嫌な出来事が起きてもさほど苦痛とは感じなくって、 体調や気分が優れない日に嫌な出来事が起きると、それは例えるなら泣きっ面に蜂みたいに堪えるものになる。 同じことを言われても、相手との関係性や状況次第で不快だったりそうでもなく感じたりの違いもある。
物事に対する自分の中での瞬時の判断によって受け止め方は決まってくる。
そこで。 >自分で考えてみる時間と余裕とを得るならば、君自身に打ち勝つのは簡単なことだろうから。<
せっかちに判断をしてしまわず、時間と余裕をもって判断をする、一時の感情に流されない大切さをエピクテトスは説いているのだと思う。
物事をどう解釈するか、その解釈・価値判断次第によって、ある物に対しての観方や考え方は変化するし、それは自分次第なのだということについての言葉はいくつかあるようです。
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