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■32125 / inTopicNo.1)  Re[87]: es―「それ」
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/07/31(Mon) 19:43:02)
    わたし考えることはけっこう好きなんだけど、もういい加減、疲れた〜。

    【ニーチェ著『善悪の彼岸』1885-86/木場深定訳/発行者山口昭男/発行所岩波書店1970】の17のなかで、ニーチェが言ってる「それ(es)」、結局、わたしには、はっきりとしたことはわかんなかった。

    たぶん“そんなようなもの”だろう、っていうのは浮かんできてるんだけど、それを言葉ではっきり表現できない、っていうところかな。

    ニーチェの言う「それ(es)」についてはひとまずおしまいおしまい〜。
    ちょうど101になったかな。

引用返信/返信 削除キー/
■32124 / inTopicNo.2)  Re[86]: es―「それ」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/07/31(Mon) 19:41:34)
    ニーチェの言う「それes」ってどんなの?――に戻るね。

    【ニーチェ著『善悪の彼岸』1885-86/木場深定訳/発行者山口昭男/発行所岩波書店1970】を読んでて、わたしの印象に残ってるのが、「本能」とか「欲望」っていうの。

    部分的に書き出して見るね。

    3の一部(p14)
    *********
    十分に長い間、虱(しらみ)つぶしに監視してきた挙句、私は自分に言うのだが、意識的な思惟の大部分をなお本能活動のうちに数えなければならない。しかも哲学的な思惟の場合でさえもそうなのである。遺伝や「生得性」に関して学び直したように、ここでも再び学び直さなければならない。分娩の作用が遺伝の進行や継続の全過程において問題とならないように、「意識している」ということも何か決定的な意味で本能的なものと対立したものではない。――或る哲学者の大概の意識的な思惟は、その本能によって秘かに導かれ、一定の軌道を進むように強いられている。あらゆる論理とその運動の外見上の自主性の背後にも、評価が、もっと明瞭に言えば、或る一定の生の保存のための生理的な要求が存している。例えば、確定したものは不確定なものより以上の価値があり、仮象は「真理」より以下の価値をもつ。このような評価は、われわれにとってどれほど重要な規制力をもっていようとも、やはり単に前景的な評価にすぎないもので、われわれの如き生物の保持のためにこそ必要な一定の《愚かさ》でしかない。もっともこれは、格別に人間が「事物の尺度」なのではない、と仮定してのことであるが…‥…・
    *********

    36の一部(p63)
    *********
    実在的に「与えられて」いるのは、われわれの欲望と情熱の世界より他の何ものでもなく、従ってわれわれはまさにわれわれの衝動の実在性より以外の他の「実在性」へ下降することも上昇することもできないとすれば――思惟することはこれらの衝動が相互に関係し合うことにすぎないから――、この「与えられて」いるものがその同類のものから更にいわゆる機械的(または「物質的」)世界をも理解するに十分でないかどうかを、試みに問うことが許されるのではないか。・・・・・・・・・・・
    *********

    わたし勝手に見ちゃって、
    〈実存私に与えられているのは欲望。意識的な思惟もこの欲望という本能活動のうちに入ってる〉みたいな?
    もっと飛んじゃって、
    〈知りたい〉っていう欲望(人のもつ一つの本能活動)のうちで〈考えてる〉、みたいな?

引用返信/返信 削除キー/
■32055 / inTopicNo.3)  Re[85]: es―「それ」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/07/30(Sun) 19:31:11)
    【二コラオス・ルキデリス著『それが考える』ニーチェのアフォリズムをめぐる歴史哲学探究木本伸】のなかに、

    〔17番目の文章で批判される主語概念の実体化。それは魂の不滅を教義とするキリスト教の思想でもあった。この「数世紀にわたりヨーロッパの人の思想と感覚の世界を支配してきた魂概念(Seelenbegriff)の代わりに、Nにおいては身体が存在感を持って登場する」(72)。後期Nにとって身体の概念は非常に重要である。あらゆる文化現象をめぐる議論において、彼は身体を持ち出す(72)・・・・・・〕
    っていうところがある。

    ニーチェが重要なものとして身体を見ていた、っていうのは意外だった〜。
    あ、これは感想までね。

引用返信/返信 削除キー/
■32054 / inTopicNo.4)  Re[84]: es―「それ」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/07/30(Sun) 18:28:23)
    ちょっと横道にそれるかも、だけど。

    「コトバンク」の「フロイト」について、を見てたなかに、
    ・・・・・・・・・・・・・
    日本大百科全書
    H〔前期の場所論では、心という装置は意識、前意識、無意識に分けられるが、この根底をなしている考え方は、意識をもとにして人間を理解しようとする意識心理学の立場を捨てて、意識は無意識から理解されるべきものであることを主張しようとするものである。これは同時代の哲学者フッサールの現象学と軌を一にするものである。〕
    ・・・・・・・・・・・・・・・
    っていうのがあった。
    で、現象学の、想い出したところを書いとく。

    【「現象学事典」弘文堂2014】
    受動的総合/能動的総合 [(独)passive Synthesis/aktive Synthesis]のなかに、
    〔能動的総合はとくに自我的な作用であるに対して、受動的総合は自我の関与なしにおのずから生じる。その点で、無意識の働きにも比せられる。能動的総合はすべて受動的総合を土台にして行われる。〕

    【モーリス・メルロ=ポンティ著 『知覚の現象学』1945中島盛夫訳法政大学出版局2009】のなかに、
    「現象学は、完全な哲学的自覚に到達する以前から、手法あるいは様式として、すでに実行され、認められ、動きとして現存し
    キルケゴールはもちろん、マルクス、ニーチェ、フロイトにもまた、現象学を見出すのである。」(p2)

    メルポンが言うよな「ニーチェにもまた現象学を見出すのである」っていうの、どこがどのように見出されるのかはわたしにはさっぱりだけどね。

引用返信/返信 削除キー/
■32052 / inTopicNo.5)  Re[83]: es―「それ」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/07/30(Sun) 16:43:29)
    きょうはもうちょっと。

    【二コラオス・ルキデリス著『それが考える』ニーチェのアフォリズムをめぐる歴史哲学探究木本伸】のなかにあったんだけど、
    「Ich denke」「Es denke」、これを日本語に訳して、「私は考える」「それは考える」ってするのと、「私が考える」「それが考える」ってするのではなんかニュアンス的に異なってくる感じがしてる。後者のように訳してみると、「私が考える」のではなく、「それが考えてる」、って言ってもヘンじゃないよね?
    ――ん?「考える」っていう運動それ自身を「それ」って呼んでる?

    ふと。

引用返信/返信 削除キー/
■32038 / inTopicNo.6)  Re[82]: es―「それ」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/07/30(Sun) 08:42:18)
    No32007のつづき、

    「es」をネットで調べたんだけど、「エス」で調べたらあった。それから「id」、「フロイト」も調べて見た。
    「コトバクン」のなかから、わたしが抽出したのを書いて見ます。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    「エス Es 」について、
    日本大百科全書
    @〔フロイトの精神分析の用語で心的装置の一つの審級(場所)のこと。イドidともいう。〕
    A〔Esは英語のitにあたる〕
    B〔外国語の非人称代名詞は、しばしば自然を支配する非人格な力を表すものであるが(たとえばit rains)、これと同じような意味で、人間の心理も、意識的に統制することのできない未知の力によって規定されていることを表すために、エスという用語が使われる。その意味では、生得的な衝動のようなものである。〕
    C〔エスは、おおむね無意識に対応するものとみなすことができる。〕
    D〔生物学的、発生的に、まずエスが仮定され、そこから自我や超自我が分化してくるものと考えられるようになっている。〕
    世界大百科事典
    E〔エスは生まれたばかりの新生児の未組織の心の状態であり,時空間を知らぬ本能のるつぼであり,快楽原則によって支配されている。〕

    「イドid」について、
    百科事典マイペディア
    F〔エスともいう。フロイトによって提唱された精神分析的人格構造論を構成する主要概念。自我,超自我と並ぶ重要な要素である。その特徴は,本能衝動の種々の心的表象からなり,緊張解放のみを目的とする快楽原則に従い,その過程が意識されない点にある。この本能衝動は基本的に性衝動(リビドー)をさしている。フロイトは性衝動のほかに攻撃衝動をもイドに属するものとみなしたが,この考えは彼の後進者たちに必ずしも受け入れられていない。〕

    「フロイト」について、
    世界大百科事典
    G【自我本能 Ichtriebe[ドイツ]】
    〔S.フロイトの用語。従来〈自我本能〉と訳されてきたが,Trieb(英語ではdrive)の原義からいって〈自我衝動〉ないし〈自我欲動〉とするのが正確である。フロイトは正常人の知覚や学習の現象を研究していた彼以前の心理学者と異なり,臨床医だったので,神経症を問題にした。神経症を説明するためには,葛藤の概念が不可欠であり,葛藤の起源を考えなければならなかった。そこで彼は生物学から個体保存本能と種族保存本能の概念を借用し,前者を〈自我本能〉,後者を〈性本能(性衝動,性欲動)〉と呼び,両者の対立が神経症の病因的葛藤であると考えた。〕
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    どうやら、一般的に「es」というと、フロイトの精神分析の用語のこと、になってるみたい。

    【二コラオス・ルキデリス著『それが考える』ニーチェのアフォリズムをめぐる歴史哲学探究木本伸】に、
    〔このアフォリズムを研究対象とする理由。それは著者によれば、この文章の「哲学史ないし精神史および体系的重要性」にある。その一例として、NLはフロイトのエス概念をあげる。実際のところ、フロイトのエス概念の成立にNの思想がどれだけかかわったのかはわからない。しかしエス概念の成立をめぐる議論では、ほぼ必ずNの上記の文章が引用されてきた。〕
    (〔上記の文章〕っていうのはニーチェの17のこと)
    ってある。
    〔フロイトのエス概念の成立にNの思想がどれだけかかわったのかはわからない〕けど〔NLはフロイトのエス概念をあげる〕。なぜなら〔エス概念の成立をめぐる議論では、ほぼ必ずNの上記に文章が引用されてきた〕から。って見れる。

    ニーチェの「それ(es)」を受けてフロイトの「それ(es)」になった、って見られる。

    フロイトの場合、「es」は「id」とも呼ばれ、フロイトの言う「それ」は「性衝動(リビドー)」のこと、ってわたし見た。
    でもいまわたしが見ようとしているのは、ニーチェの「それ(es)」。
    ニーチェの言う「それ(es)」は、フロイトの言う「それ(es)」=「性衝動(リビドー)」とはなんか違う感じがしてる。

    フロイトの、の、わたしのイメージは、ギリシャ神話からくるエディップスコンプレックスっていうの気に入っちゃたみたいで、“すべて”を性から見ようとした、みたいな?だからEにあるような、〔エスは生まれたばかりの新生児の未組織の心の状態〕っていうのはわたしそうなんだと思うけど、〔本能のるつぼであり,快楽原則によって支配されている。〕っていうのはどうかな〜?ってわたし思ってる。

    ひとまず、フロイトの言うような〈「それ(es)」とは「性衝動(リビドー)」のこと〉っていうのは横に置いとくことにする。
    でも、Dは気になるところね。

    な〜んか、朝からごちゃごちゃかいちゃってるけど、でもこういうのはNo31913のを読んだときから調べて考えて整理してきたことをいま書き写してるてるだけ。

引用返信/返信 削除キー/
■32007 / inTopicNo.7)  Re[81]: es―「それ」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/07/29(Sat) 15:09:35)
    うましかさんが提示してくれた、
    No31913だっけ?
    二コラオス・ルキデリス著『それが考える』――ニーチェのアフォリズムをめぐる歴史哲学探究――木本伸
    読んでみたよ。

    NのNLの木田さんの、っていうことになるのかな?

    わたしの感想からいうと、「よくわかんなかった」、で〜す。

    NLさんはわたし知らないけど、取り上げてるのが『善悪の彼岸』17だから、ちょっと関心があって。
    わたし持ってる訳本は、
    【ニーチェ著『善悪の彼岸』1885-86/木場深定訳/発行者山口昭男/発行所岩波書店1970】ね。
    第一章哲学者たちの先入見について――17。
    前はあまり注目しなかったんだけど、あらためて見て見ることにした。

    17のところ、わたしが持ってる本の訳を書き写して見ると、
    *****************
    論理学者たちの迷信に関して言えば、私はこれらの迷信家たちが承認したがらない一つの小さな簡短な事実を幾度となく繰り返して倦(う)まないつもりだ。――すなわち、一つの思想というものは、「それ」が欲するときにやって来るもので、「われ」が欲するときにやって来るのではない。従って、主語「われ」が述語の「思う」の条件である、というのは事態の一つの偽造である、と。それは思う、と言っても、しかしこの「それ」こそはまさにあの古く有名な「われ」にほかならないとするのは、穏当な言い方をしても、単に一つの仮説、一つの主張に過ぎず、いわんや「直接的確実性」などではないのだ。結局のところ、この「それは思う」と言うのさえすでに言い過ぎである。この「それ」がすでに事の成り行きの解釈を含んでおり、この成り行きそのものには属しない。ここでは文法上の習慣に従って「思うとは一つの活動であり、あらゆる活動には活動している者が属する、従って――」という風に推論されるのである。ほぼ同様の図式に従って、更に昔の原子論は、作用する「力」に対してなおあの微粒子的物質、そのうちに力が存し、そこから力が作用する物質、つまり原子(アトーム)を求めた。より厳密な頭脳の持ち主たちがついにこの「地球の残渣」なしにやってくることを知った。そして恐らくいくつかはこれに慣れるであろうし、また論理学者たちの側でもあの小さな「それ」(あの名誉ある古い「われ」の揮発であるところの)なしにやって行けるようになるであろう。
    *****************

    これと、木本さんの訳?のと比較しながら17について考えて見た。

    木場さんのは「われ」、木本さんのは「私」、どうやら「ich」をこのようにそれぞれ訳しているみたい。「es」は両者とも「それ」。
    わたし「それ」が「es」の訳だと知らなかった。ここでは、「ich」を「私」、「es」を「それ」ってするね。

    わたしの問題は、
    (1)「es」(それ)と「ich」(私)の違いは?
    (2)ニーチェの言う「es」ってどういうの?
    もう一つ、
    (木場さん訳)
    『この「それ」がすでに事の成り行きの解釈を含んでおり、この成り行きそのものには属しない。』
    (木本さん訳?)
    『この「それ」が事象の解釈をふくんでおり、事象自体の内容ではない。』
    っていうところ、な〜んか気になるんだけど、これについては書けないと思う。
    これからのわたしの喋りのメインは、(2)。

    つづく。


    パニさん、なんか言いたそう〜?

引用返信/返信 削除キー/
■32004 / inTopicNo.8)  Re[80]: 言葉のざわめきの下
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/07/29(Sat) 14:00:58)
    生後6〜18ヵ月を区切りとして、〈体自〉ちゃんで、そのうちで想像して見て、わたしに思われたものを書いてきたんだけど、
    (あ、「わたしに思われたもの」っていうの、正確には「間(相互)主観的にわたしに思われたもの」っていうことになるかな)

    「私の発生」についてはこれまで見てきたような感じのにしとく。

    あと、
    No31867のように、〈自〉は分化にともなってなくなっちゃうっていうんじゃなくて、自分の深〜いところに存在してる、って見てる。こんな感じの、現象学の言い方をまねして〈自分の原初固有の領分〉ってわたししてる。


    超簡単な私絵ができたんで添付します。名づけて「超悦論的私絵」、なんてね。


710×394 => 600×332

60.jpg
/41KB
引用返信/返信 削除キー/
■31901 / inTopicNo.9)  Re[79]: 言葉のざわめきの下
□投稿者/ マジカルモンキー -(2023/07/25(Tue) 08:24:10)
    No31892に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > ■31889 、
    > マジモンさん、
    > >『 主 』と『 自 』の違いって何ですか?<
    > わたしのばあい、同じに使ってる。
    > でも違いがあるとすると、
    > 〈自〉は分化して自分になるんだけど、分化の過程で自と他が区別されるようになって、だから、〈自〉のなかには〈主〉だけじゃなくて〈客〉もいる、っていうことになるから、そこんところが違うところかな。
    >
    > あ、あと、「脳」の別名を〈自〉ともしてる。だって、「私の脳」だから。

    おはようございます。
    なるほど、上述は、ちょっと私にとっては衝撃的な内容。
    勉強になったわ。

    『 自 』らしき事柄から主・客ができあがるのは、事実その通りだと思う。
    脳が『 宇宙のような広がり 』ってのも理解できた。

    後は、『 自 』の方向性だけ。
    やはり、自分だと言えるのは、自分の楔(トラウマ)だけかな。

引用返信/返信 削除キー/
■31892 / inTopicNo.10)  Re[78]: 言葉のざわめきの下
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/07/24(Mon) 18:18:41)
    ■31889 、
    マジモンさん、
    >『 主 』と『 自 』の違いって何ですか?<
    わたしのばあい、同じに使ってる。
    でも違いがあるとすると、
    〈自〉は分化して自分になるんだけど、分化の過程で自と他が区別されるようになって、だから、〈自〉のなかには〈主〉だけじゃなくて〈客〉もいる、っていうことになるから、そこんところが違うところかな。

    あ、あと、「脳」の別名を〈自〉ともしてる。だって、「私の脳」だから。

引用返信/返信 削除キー/
■31889 / inTopicNo.11)  Re[77]: 言葉のざわめきの下
□投稿者/ マジカルモンキー -(2023/07/24(Mon) 07:09:24)
    No31883に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > No31875
    > え!?マジモンさん、
    > >脳の中の『自』ってのが…、やはり、解せん< ?
    >
    > ほら〜、
    > おなかすいた〜、とか、きょうは暑いよ〜〜、とか今日は疲れた〜、とか・・・・そういうのいろいろあるじゃん。
    > そういうのよ。ん〜ん、そういうのって主観っていうの?
    > そいううのと。知りたい、っていうのもそれと同じ〜でしょ?
    > こういうんで解してみらえたかな?
    >
    > あ、べつに、わたしの解してもらわなくていいのよ。
    > たぶん、わたしの、役に立たない。ん〜ん、プラグマティズム?の人たちからしたら、論外ね。べつにわたしからしたら彼らの思想、論外だけどね。
    >
    > わたしが解すればいいんであって、他の人に解してもらわなくても、わたしとしては、どうでもいいのよ。
    >
    > >脳の中が、まるで宇宙船の操縦コントロールのような部屋で<
    > みたいにマジモンさん見てるのね。
    > ん〜ん、こういう見方でわたしのを書くと〜、
    > 脳が宇宙そのもの、みたな感じになるのかな?
    >

    ま〜、俺は脳の中に脳はなしと思っていますから、
    脳に自はないと思います。

    『 主 』と『 自 』の違いって何ですか?
引用返信/返信 削除キー/
■31883 / inTopicNo.12)  Re[76]: 言葉のざわめきの下
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/07/23(Sun) 17:32:26)
    No31875
    え!?マジモンさん、
    >脳の中の『自』ってのが…、やはり、解せん< ?

    ほら〜、
    おなかすいた〜、とか、きょうは暑いよ〜〜、とか今日は疲れた〜、とか・・・・そういうのいろいろあるじゃん。
    そういうのよ。ん〜ん、そういうのって主観っていうの?
    そいううのと。知りたい、っていうのもそれと同じ〜でしょ?
    こういうんで解してみらえたかな?

    あ、べつに、わたしの解してもらわなくていいのよ。
    たぶん、わたしの、役に立たない。ん〜ん、プラグマティズム?の人たちからしたら、論外ね。べつにわたしからしたら彼らの思想、論外だけどね。

    わたしが解すればいいんであって、他の人に解してもらわなくても、わたしとしては、どうでもいいのよ。

    >脳の中が、まるで宇宙船の操縦コントロールのような部屋で<
    みたいにマジモンさん見てるのね。
    ん〜ん、こういう見方でわたしのを書くと〜、
    脳が宇宙そのもの、みたな感じになるのかな?






引用返信/返信 削除キー/

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