| 次に、カントにおける「演繹」についての、御子柴善之先生の解説文を引用します。 ちなみに、下記で御子柴先生が「ア・プリオリに事物の結合を考える」概念、としてるのは、純粋悟性概念(カテゴリー)のことだと思います。
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御子柴先生の文章 『(略)この「演繹」という言葉については後で説明するが、ここでは、 「ア・プリオリに事物の結合を考える」概念の数を、 判断という原理に基づいて確定し、 それが純粋悟性から生じたものであることを確認しつつ、 そうした概念の客観的妥当性を論証することを意味している。 (略) ここで「鋭敏な先駆者」とはヒュームのことである。彼のような問題意識をもつ人だけが、ア・プリオリな(経験に依存しない)概念の演繹という課題を見いだすことができるはずだが、彼にはそれが不可能なことに見えた。彼がもっぱら経験論の流れに属する哲学者だったからである。 経験を基盤とする経験論の側から、経験に依存しない概念をどうやって正当化できるか、という問いを立てることは容易ではない。 カントの自負はこの演繹(正当化)という課題に取り組んだところにある。 (略)』 』 『カント哲学の核心』御子柴善之先生p37〜40
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