| まず、100分de名著「純粋理性批判」を視聴して感じた事。
・自分の命は自分のモノなのか?
進化において、生命は何としても子孫を残し、命の数珠つなぎをしております。 この数珠繋ぎの命を炎に例えた場合、絶滅した種の炎は消えてしまいます。 生き遺った種の炎は、世代は変われど炎は輝き続け、一本の川のような流れとなります。 しかし、川の流れの様な炎の数珠繋ぎから、 果たして「自分だけの炎」を探し出だし、これが「自分の炎だ」と指を指す事は可能なのか?という点です。
・我々が確定していないのは未来だけ
生命は川の流れのような炎の数珠繋ぎをイメージした場合、確定していないのは、 未来だけになります。では、未来はどのように創造し、確保するのだろうか?
■ 私の現状の答え。
そもそも物心ついた頃に、お寺に行き、「仏像に手を合わせている事」に違和感がある。お寺には、仏像があり、この仏像は過去の誰かが作製し、私が死んでも仏像は遺っているはずだ。とてもじゃないが、過去や未来を相当理解しなければできない行為と感じる。自分の人生は、誰かの人生に、時を越えて、つながっているのではないか?と思います。そして、どんな人生を送るべきかという判断はいかにして決められるかが相当難しいと感じる。
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