(現在 過去ログ1 を表示中)

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 最新記事及び返信フォームをトピックトップへ ]

■3216 / inTopicNo.49)  Re[36]: ななしさんへ
  
□投稿者/ ななし -(2020/06/23(Tue) 13:00:48)
    見ました!とても噛み砕いていて、よかったです。
    ただ、西先生が伊集院さんの話に合わせ過ぎているかもと
    思いました。

    そこから、現象学までは、時間不足で出来なかったみたいです。

    今回の放送を見て、今更ですが、自分の欲に負けないように
    頑張って生きたいと思いました!
引用返信/返信 削除キー/
■3220 / inTopicNo.50)  ななしさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/06/23(Tue) 22:50:18)
    こんばんは
    私も最終回の放送を無事に見ることができました(^_^)v

    カント哲学の基本的な考え方をわかりやすく教えてもらえた気持ちで、
    見ていてとても心が楽しかったです。

    西先生はいかにも、やさしい先生、って感じですね。
    ヘーゲルの本も出版されてるようなので、
    現象学も絡めての講義を聞けるとまた楽しい発見もあったかもしれませんが、
    やっぱり時間が足りなさそうですよね(o^^o)

    あ、そういえば、カントも哲学の先生の1人だったんですもんね。

    やさしかったのかな?
    厳しかったのかな?

    1人の、同じ人間だったんですね(^O^)

    不思議じゃないのに、不思議な感じがするのが、不思議、です

    私もがんばってみようかな ☆彡

    おつかれさまです (^O^)/
引用返信/返信 削除キー/
■3257 / inTopicNo.51)  Re[33]: 黒崎政男先生の入門書の読解3
□投稿者/ pipit -(2020/06/25(Thu) 22:00:53)
    メビリンが終わった
    せつない
    でも読解続きがんばろう(ノ_<)*・゜゚
    以下からまた続けます

    ミンナ、モノガタリ、ココロデ、ツヅイテル ?
    ソレゾレガモトメルフウケイミルコトガデキタライイナ

    アリガトウ


    No3179に返信(pipitさんの記事)
    > こんばんは!
    > メビウスリング掲示板に投稿したものです ↓
    >
    > >ハイデッガーが《未知のもの》の表現で示した、カントによる《超越論的構想力》
    > これを主に、みていくみたいです。<
    >
    > p143からの内容
    >
    > 構想力、、、ドイツ語原語はEinbildungskraft
    > 黒崎先生は、英語のimaginationとほぼ同じと考えてよい、っておっしゃってます。つまり、普通に言えば〈想像力〉のことである、って。
    >
    > ※pipitの今の段階で言えば、カント用語の【構想力】って、創造力とか、仏教用語のサンカーラー(形成作用)のイメージを持つんですよね。
    > このイメージが合ってるか間違ってるか、今の段階では私にはわかりません。
    >
    > で、その【構想力】についての話題。
    >
    > p145〜
    > 小タイトルは、『二種類あったカントの「演繹論」』
    > 第一版と第二版の演繹論では内容が違う、という説明。
    >
    > 黒崎先生は、まず書き換え後の第二版の演繹論から説明されます。
    >
    > 第二版演繹論の基本方針
    > ★悟性の側の自発性である超越論的統覚が、結局は、感性の側まで貫き通すという形で、人間認識の最終的で最高の統一機能としての役割を担わせてる。
    > 「与えられた直観における多様なものもまた、必然的にカテゴリーに従う」
    > ことによって、認識の客観的妥当性を確立しようとしている。
    >
    > でも、、、これって、ほんとにいいの?
    > というのが黒崎先生の問いかけ。
    >
    > もともと純粋理性批判の大テーマとして、現象の成立には、感性と悟性の二つの契機が必要であり、この異質なものの合一によって客観的認識が成立する、という構想があったはず。
    > 黒崎先生曰く
    > 『カント以前のような、感性と悟性を峻別し、感性的認識と悟性的認識という二種類の認識を設ける思想とは、人間の認識の本質をとらえるにあたって、根本的にことなっているというのが『純粋理性批判』における初心だったはずだ。』
    > p146
    >
    > 黒崎先生は、初心は感性と悟性の合一こそが肝だったはずなのに、書き換え後の第二版の内容では、あまりに悟性側の力が強くなってないかい?と思われているよう。
    >
    > そして次に、書き換え前の、第一版の演繹論を見ていく、というようです。
    >
    > 今日はここで終わります。
    >
    > おつかれさまです !
引用返信/返信 削除キー/
■3258 / inTopicNo.52)  黒崎政男先生の入門書の読解4
□投稿者/ pipit -(2020/06/25(Thu) 22:40:35)
    えーと、p147からですね。
    黒崎先生は、ここからしばらく、第一版の流れにそって解説するとのこと。
    中心となるのは「構想力」

    第一版の演繹論は、三段階の「綜合」によって論が進められる。

    ※綜合のカント的意味は、
    さまざまな諸表象をたがいに加えあわせて、それらの多様性を一つの認識として包括する働きのこと。(A77=B103参照)
    あるいは、
    多様がある種の方法で貫通され、受容され、そして結合され、一つの認識がつくられる、その働きのこと。(A77=B102参照)

    この【綜合】の機能を担うのはなにか、
    言い換えれば、多様を一つの認識にしあげる機能を何が担っているのか

    第一版(つまり第二版では削除された部分、、、)
    のカント曰く、
    『総じて、綜合というのは、盲目ではあるが、心の欠くべからざる機能である
    構想力の働きによるのである。
    構想力なしではそもそもいかなる認識をも所有することはできないが、
    しかし我々はこのことに気づくことはめったにない。』
    (A78=B103)

    ん?Bも書いてますやん、どうなってるの?

    今、B(第二版)の訳文みたけど、上記の内容書いてありますね。
    んー、でも、ちょっとややこしそうだな。
    ここまでは一緒なんだけど、その構想力の位置づけの違いになってくるのかな。

    今日はここまでにします。
    次はp149頭から。

    おやすみなさい ☆彡
引用返信/返信 削除キー/
■3268 / inTopicNo.53)  黒崎政男先生の入門書の読解5
□投稿者/ pipit -(2020/06/26(Fri) 23:42:45)
    こんばんは。

    A(第一版)でも、B(第二版)でも、綜合を行うのは構想力、
    ここまではどちらにも書いてあるけど、

    B(第二版)では、
    構想力による綜合までではまだ認識は生まれない、と。(B104参照)
    何が必要か?
    この構想力による純粋な綜合に統一性を与える諸概念(純粋悟性概念)。
    何が与えるのか?
    知性が与える。

    黒崎先生本p149〜

    黒崎先生の意見としては、
    A(第一版)では、綜合は構想力の働き。
    B(第二版)では、綜合は悟性の機能。
    と、カントはしてる、と。

    話は次に、
    第一版での『構想力』についての説明に、進む。
    次はp150から。

引用返信/返信 削除キー/
■3272 / inTopicNo.54)  黒崎政男先生の入門書の読解6
□投稿者/ pipit -(2020/06/27(Sat) 17:49:08)
    いろんなみなさまこんにちは。
    違うかもだけど、今の感想書きます。

    綜合は構想力の働きによる。構想力なしには我々にはいかなる認識も所有できない。

    ここまでは、AB同じ。
    そのあとの論が、2パターン

    A(第一版)パターン:
    綜合は構想力の働きによる。構想力なしには我々にはいかなる認識も所有できない。→
    構想力はアプリオリな綜合の能力であり、そのため我われはそれに【生産的構想力】と名付ける。
    生産的構想力の超越論的機能を介してのみ、経験自身も初めて可能ということ。
    『それゆえ、すべての認識の根底にアプリオリに存在している人間の心の根本能力として、我われは純粋構想力を持っている。
    この構想力を介して我われは、
    一方にある直観の多様と、
    他方にある純粋統覚の必然的統一の条件とを、
    一つに結合する。』
    (A124)

    感性と悟性を一つに結合するのは、純粋構想力、だと。

    綜合を行うのが構想力のチカラ。

    『〈統覚〉の超越論的統一は、〈構想力〉の純粋綜合に関係している。
    この構想力の純粋綜合は、認識における多様なもののすべての結合を可能ならしめるア・プリオリな条件である。
    …したがって、〈構想力〉の純粋(生産的)綜合の必然的統一の原理は、
    〈統覚〉に先行して、すべての認識、特に、経験の可能性の根拠である。』
    (A118)

    なんですとー!
    統覚に先行して、、、
    統覚でさえも、構想力の原理に沿って行使される、ということかな

    あ、違うのか、
    なんで違うのかも見ていくみたい。
    とりあえず、p151までにしますか。


    B(第二版)パターン:
    綜合は構想力の働きによる。構想力なしには我々にはいかなる認識も所有できない。→
    『すべての結合は我々がそれに気づこうと気づくまいと、悟性の機能なのであって、我々はこの働きに綜合という一般的な名称を与えるであろう。』
    (B130)
    『だから、構想力の超越論的綜合は、感性に対しておこなう悟性の作用の一つなのであり、また我々に可能な直観の諸対象への、悟性の最初の適用なのである。』
    (B152)

    あらゆる結合は悟性の機能だから、
    綜合を行う構想力も、
    悟性の機能上に働いてる、ということかなと思いました。

    わからんでもないけどなー
    普通、特に概念的な領域での、ある対象とある対象の結合や、結合の上で成り立つ綜合は、
    私やったら思考の領域と思っちゃうもんなー

    A(第一版)の構想力、何者なんやろ、読んで行こう。

    投稿します。
    おつかれさまです!


引用返信/返信 削除キー/
■3273 / inTopicNo.55)  スピンオフ
□投稿者/ pipit -(2020/06/27(Sat) 18:01:46)
    サンカーラー→パッチェーヤ→ビンニャーナ

    ビンニャーナ→パッチェーヤ→ナーマ・ルーパン

    A版

    形成作用 ・衝動 ・ポテンシャル(純粋構想力)→ 識(純粋統覚?)

    識 (純粋統覚?)→ 悟性(名)・感性(色)


引用返信/返信 削除キー/
■3276 / inTopicNo.56)  Re[38]: スピンオフ
□投稿者/ pipit -(2020/06/28(Sun) 08:32:00)
    ビンニャーナを、
    そして、
    ナーマルーパを、
    アプリオリな純粋性能と考えて、

    接触・パッサ以降を
    アポステリオに顕在意識に現れる現象、

    と考えたら、

    なんて、

    妄想〜〜〜

    でも、妄想に囚われたら絶対あかん!
    妄想でるのは仕方ないけど、自覚して、
    なるべくきちんと文章の意味をとってみたい>_<
    大体十二因縁自体がまったくわたしに理解されてへんねんから。
    、、、あかんな。

    カントせんせ、がんばれ、言うてくれる?
    女性蔑視してそうやし、言うてくれなさそう

    ええもん、とりあえず、わたしが言ってあげる

    がんばれ、じぶん ! o(^_^)o

引用返信/返信 削除キー/
■3277 / inTopicNo.57)  なぜ世界は存在しないのか?
□投稿者/ ななし -(2020/06/28(Sun) 11:03:42)
    pipitさん、こんにちは。

    今日は、ぐずついた空模様の日曜日となりました。

    カントが終わってしまい。ロス感が否めませんが、そういえば
    マルクス・ガブリエルの『なぜ世界は存在しないのか』に
    つながるような気がしました。

    @形而上学 プラトン、アリストテレスなど自分から関係なく存在するもの
    A構築主義 自分に現れてくる現象のみ対象でカントやフッサール、ニーチェなど
    B新実在論 ガブリエルは、@+Aをどちらもある

    理系的な自然科学の知識のみ世界すべてを説明はできない。
    例えば、芸術や小説、映画などのようなフィクションも意味の世界であり
    科学知識だけでは意味が説明できない。

    単一的な世界像、特に唯物論、物理学などですべての説明ができることを批判しています。

    科学だけで世界、すべての物事を説明できるとするのは傲慢だというのです。

    『「私」は脳ではない 21世紀のための精神の哲学』
    心脳問題も批判するためです。

    科学絶対主義に陥りがちな現代において、主体性を取り戻してくれる一冊。
    脳については脳神経学的なアプローチが盛んになり、意識が物理的に還元できるもののような印象を与えられているが、人それぞれの意識はそういった科学的手法においては「可視化」することができないものもあります。
    また、「自由意志など存在しない」という主張に対しても著者は批判を行う。
    人間存在は自然法則だけから成り立っているのではないのだと。

    科学だけでなく文学、美術、芸術、倫理道徳など、まさにカントが問題とした内容がよみがえる感じがします。




引用返信/返信 削除キー/
■3284 / inTopicNo.58)  構想力(想像力)と判断力
□投稿者/ ななし -(2020/06/28(Sun) 16:35:28)
    構想力は、所謂、想像力であり、空想、連想、過去のことを想起する能力、未来のことを表象する先見能力といえるものです。

    確かに、第一版においては、構想力は、感性の「直観の多様性」と悟性の「統覚の統一」とをひとつに結合するものという役割を与えられていることが分かります。

    それが、第二版では、構想力は、まずは感性であり、次いで感性と悟性の両方に関わるとしつつも、最終的には完全に悟性の能力のひとつになってしまう。

    これは大幅な書き換えと言うべきものです。

    構想力は消去されて、悟性一元論になってしまったと黒崎先生もまとめているようです。

    第一版でカントは感性と悟性を繋ぐものとして構想力の概念を提起したが、
    第二版では結局構想力の役割を減じてしまったということに過ぎないと思います。

    そして、判断力は、趣味判断、美的(直観的)合目的性の批判は構想力の上に基礎付けられるものであり、趣味は、直観または構想力を、概念の能力(悟性)のもとにまとめるもので、それは自由に働く構想力が合法則性を有する悟性と調和する限りにおいてあり得るものです。

    構想力は、感性-構想力-悟性という関係で判断力が、悟性-判断力-理性という順に位置付けられ、判断力は構想力が成立して、そののちに機能し得るものです。



引用返信/返信 削除キー/
■3286 / inTopicNo.59)  Re[41]: 構想力(想像力)と判断力
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/06/28(Sun) 17:24:59)
    「構想力」と「想像力」、どこがどのように「である」ってしてるのかしら?
    ななしさん。
    「統覚の統一」ってうのもなんかヘン。


引用返信/返信 削除キー/
■3291 / inTopicNo.60)  みなさまこんばんは!!
□投稿者/ pipit -(2020/06/28(Sun) 19:01:57)
    悪魔ちゃんさん、チャレンジャーやね〜

    純理トピは悪魔ちゃんさん大歓迎!!
    いつでも好きなように書き込んでくださいね〜*\(^o^)/*

    ななしさん、いつもありがとうございます!!
    家事とか落ち着いたらゆっくり読んで勉強させてもらいますね!!
    書き込み感謝ですm(_ _)m

    みなみなさま、こんばんは 〜 (^_^)v ♪♪
    どなたさまでも、この純理トピ、好きに使ってくださいね!
    どのようなテーマでも、あなたの認識から、生まれた書き込み
    すべてが現象についてのお勉強?になるとわたしは思ってます!!

    ん?子供達、今リモート授業でラクできると思ったら、
    宿題・山盛りで
    てんてこ舞いなんだって!
    世界はいつも想定外?それとも?

    全ての生命さま、おつかれさまです ☆彡

引用返信/返信 削除キー/

<前の12件 | 次の12件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 >>

[このトピックに返信]
Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -