| 人間は必ず世の中に対してある構想を描き、こうなっているんじゃないかという仮説を立ててみる。科学全般がそういう原理で動いている。
近代の人文科学の分野で仮説を立てて実験・検証というサイクルがうまく機能しなくなり、心理学、歴史学、社会学、民族学、言語学、芸術学といった分野で、共通了解が得られず異説の乱立と対立、という事があらわれてきた。
フッサールはこれを「ヨーロッパ諸学の危機」と呼んだわけです。
共通構造の取り出しが恣意的な観点に基づくと、「物語」や「イデオロギー」の対立になって、人文科学は科学としての本質を失って先に進めなくなってしまった。
現象学の「本質観取」と異なり、構造主義やポストモダン思想、あるいはウィトゲンシュタインの言語ゲーム論などがもたらしたのは「それぞれのゲームがあるだけだ」という相対主義的な感覚だと思います。
けれども、構造主義と現象学は、本来、対立する思想ではなく、仮説から検証を行う構造主義なら数学的な群論によって社会の構造を見出すことだったり、個々にパースペクティブを持った個人の意識から本質観取により共通認識を見出すという、どちらも共通の目的がある訳です。
理想を言えば、構造主義の普遍性が現象学の思考によって検証され、確保されうる、と言うのがいいと思います。
|