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■3065 / inTopicNo.13)  Re[12]: 各個人が共有できるのは何故?
  
□投稿者/ ななし -(2020/06/07(Sun) 20:47:31)
    人間は必ず世の中に対してある構想を描き、こうなっているんじゃないかという仮説を立ててみる。科学全般がそういう原理で動いている。

    近代の人文科学の分野で仮説を立てて実験・検証というサイクルがうまく機能しなくなり、心理学、歴史学、社会学、民族学、言語学、芸術学といった分野で、共通了解が得られず異説の乱立と対立、という事があらわれてきた。

    フッサールはこれを「ヨーロッパ諸学の危機」と呼んだわけです。

    共通構造の取り出しが恣意的な観点に基づくと、「物語」や「イデオロギー」の対立になって、人文科学は科学としての本質を失って先に進めなくなってしまった。


    現象学の「本質観取」と異なり、構造主義やポストモダン思想、あるいはウィトゲンシュタインの言語ゲーム論などがもたらしたのは「それぞれのゲームがあるだけだ」という相対主義的な感覚だと思います。

    けれども、構造主義と現象学は、本来、対立する思想ではなく、仮説から検証を行う構造主義なら数学的な群論によって社会の構造を見出すことだったり、個々にパースペクティブを持った個人の意識から本質観取により共通認識を見出すという、どちらも共通の目的がある訳です。

    理想を言えば、構造主義の普遍性が現象学の思考によって検証され、確保されうる、と言うのがいいと思います。

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■3067 / inTopicNo.14)  ななしさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/06/07(Sun) 23:32:12)
    返信ありがとうございます!

    私は、物自体に触発されて直観を得る、というところに
    現象がそれぞれの主観でありながら、それでも客観に妥当するような経験として
    人間同士で共有できる仕組みになるイメージを持っています。

    物自体を設定せず、直観だけから始めると、なぜ人間同士で同じ現象を見るのか、
    説明し難いのではないか、という疑問を持っています。

    物自体エックス、をメガネで見ると現象が現れるという構図ではなく、
    単に共通のメガネを持っているから物自体に関係なく現象を見るんだ、という構図になると、
    そうなると、メガネ、が、物自体なのじゃないか、と、思っています。
    現象は見えるけど、メガネ自体は見えませんよね。

    ななしさんは、
    >人間は、言葉も持ち合わせているので、それによってお互いの意識を
    共有できるのだと思います。<
    と書いてくださいました。

    中島先生の文章の引用では、
    『「超越論的」とは「事実問題」(quid facti)ではなく「権利問題」(quid juris)であり、カントは地上の上の人間すべてが事実合意しても客観性は保証されない、と考える。
    客観性とは、こうした「相互主観性」を超えたところにあり、しかも単なる「目的」や「理念」ではないものとして了解されている。それは独自の要請である。』

    とあり、言葉で意識の合意をしても客観性が保証されたとはいえないのが超越論的、と、中島先生は考えてるということですよね。
    私は、物自体の触発により得られた直観、を、言葉で表すように処理するから、
    客観妥当性が確保されるのかな、と、今の段階では思っています。

    さらに私見を述べれば、
    物自体の触発、という設定を課すことにより、経験の共有という帰結を得ることができる。
    けど、それは、事実問題ではなく、権利問題。
    自らの生をどのような態度でのぞむのか、その欲求からなされた形而上学的設定、が、物自体からの触発という思考法、と、今の所イメージしています。
    けど、
    全然違うのかもしれませんね。

    明日の放送を楽しみにしています(o^^o)

    ななしさん、書き込みありがとうございます!




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■3074 / inTopicNo.15)  物自体は存在するか
□投稿者/ pipit -(2020/06/08(Mon) 17:36:30)
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■3078 / inTopicNo.16)  Re[14]: 物自体は存在するか
□投稿者/ ななし -(2020/06/08(Mon) 20:24:45)
    pipitさん、こんばんは。

    そうですね。
    カントは、やはり難しいのかもと思います。
    まあ、書き込みは、時々したいと思っています。

    これからもよろしくお願いします。
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■3080 / inTopicNo.17)  100分 de 名著「純粋理性批判」2
□投稿者/ パニチェ -(2020/06/09(Tue) 17:46:40)
    録画した番組を見た感想というか、今回は少し批判や疑問を…。

    カントは分析的判断や経験的総合判断に対してアプリオリな総合判断としての共通規格をあげている。共通規格として公理や因果律があるとし、これらが自然科学や数学が万人に共通する土台つまり基礎づけるものとしているが、公理や因果律も経験によるものではないか?という疑問。

    共通規格というのは脳や五感(視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚)の構造、認識プロセスが人類共通であることに他ならず、仮に複眼でも1+1=2とする公理が成立する世界となるのか疑問。また因果律に関しても窓から入ってきた風によってロウソクの火が消えるというのは経験からくる知識であって、酸素がなくなることによって火が消えるという知識と同じである。そもそも一つの原因から一つの結果が生じているというのは人間の経験からくる想像であり、経験上最も多かったケースをもって原因と結果としているだけの後天的な思考傾向ではないか?

    ピストルを撃って相手が死ぬという事象も引き金を引たことが原因で相手が死んだという結果だけではなく、原因としてはピストルを手に入れる、ガンショップで購入したとすればガンショップを開業したこと、ピストルを作った人がいるなどなど無数に原因とすることが可能で、弾丸が到達する前に相手は心臓発作で死亡していたとも考えることができる。「ピストルを撃って相手が死ぬ」という因果律は、経験上あるいは自分がこれまで知り得た知識のうち、最も多かったケースをもって原因と結果としているだけの後天的な思考でるとも言える。

    但し、脳科学の知見がなかった時代、または現象学をはじめとしたその他の哲学の先駆けや踏み台としてカントの仕事は偉大であったことには揺るぎないとは思う。

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■3082 / inTopicNo.18)  パニチェさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/06/09(Tue) 19:11:37)
    こんばんは。
    私はカント哲学に詳しいわけではないので、自分勝手な感想を書きます。


    > カントは分析的判断や経験的総合判断に対してアプリオリな総合判断としての共通規格をあげている。共通規格として公理や因果律があるとし、これらが自然科学や数学が万人に共通する土台つまり基礎づけるものとしているが、公理や因果律も経験によるものではないか?という疑問。<

    カント哲学の解釈は様々に分かれており、番組は先生の深い理解の上で、わかりやすいように作られたものだと思います。
    カントが本当に、アプリオリに人間に備わっている(この言葉さえ、本当はややこしい問題を省いて表現しています。)のは、知性に関して言えば、ある共通の概念です。
    そして、公理が共通、というよりは、共通の概念でつくる公理であるゆえに、共有できうる、ということだと私は捉えています。

    かなり勝手な私見になりますが、本当は死んでいるほんの少し前の過去の情報をエピソード記憶として、現在の顕在意識下に生み出す時の組み立て方がカントの認識論のイメージを、私は持っています。これは自分勝手な私見です。


    > 共通規格というのは脳や五感(視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚)の構造、認識プロセスが人類共通であることに他ならず、<

    まずは、感受した直観が空間と時間のある位置に生じることと、ごく基幹的概念の純粋悟性概念だけが共通と想定してみてください。
    そして、そこから出すものは、その枠組みだけがみんなに共通で、その中身はみんなで議論しながら変化し得るものだと思います。
    そう私が思ってることを、下記のパニチェさんの疑問で伝えてみますね。

    >仮に複眼でも1+1=2とする公理が成立する世界となるのか疑問。<

    人間の直観に適合する、ということです。
    人間にはそう現れるから、そう合意できる、ということで、
    そう現れないと、お互いに話し合えるかは、お互いの知能レベルや想像力によるだろうな、と、思いました。人間すべてが同じじゃないかもだし、宇宙人とも?ですね。


    >また因果律に関しても窓から入ってきた風によってロウソクの火が消えるというのは経験からくる知識であって、酸素がなくなることによって火が消えるという知識と同じである。そもそも一つの原因から一つの結果が生じているというのは人間の経験からくる想像であり、経験上最も多かったケースをもって原因と結果としているだけの後天的な思考傾向ではないか?<

    上記の意見は、原因と結果、という枠組みでパニチェさんは判断していませんか?
    経験から出てる知識、だから、原因と結果という知識は後天的。
    の、枠組みが、純粋悟性概念の原因と結果という考え方してる。
    ちなみに、この概念は生まれつき、というより、知性から獲得する、と、カントはしてるみたいです。
    原因と結果、が形式で、中身はみんなで確かめていく。



    > ピストルを撃って相手が死ぬという事象も引き金を引たことが原因で相手が死んだという結果だけではなく、原因としてはピストルを手に入れる、ガンショップで購入したとすればガンショップを開業したこと、ピストルを作った人がいるなどなど無数に原因とすることが可能で、弾丸が到達する前に相手は心臓発作で死亡していたとも考えることができる。「ピストルを撃って相手が死ぬ」という因果律は、経験上あるいは自分がこれまで知り得た知識のうち、最も多かったケースをもって原因と結果としているだけの後天的な思考でるとも言える。
    >
    > 但し、脳科学の知見がなかった時代、または現象学をはじめとしたその他の哲学の先駆けや踏み台としてカントの仕事は偉大であったことには揺るぎないとは思う。<

    私はまだ全然カント哲学の勉強をしきれてないけど、今の所そのように思いました。

    私はカントが大好きだけど、

    仏教徒として悟ってみたい、と、思う私にとっては、

    もう勉強せんでもいいんかな、と、思うこともあります。
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■3084 / inTopicNo.19)  Re[17]: パニチェさんへ
□投稿者/ ななし -(2020/06/10(Wed) 08:03:22)
    pipitさん、お疲れ様です。

    今回の番組で構想力に触れていないことが、残念でなりません。

    これは、感性と悟性を結びづける図式によるものですが、ここから発展して
    シンボルや言葉への働きや性質なども関係してくるところなので
    重要だと思いますが、きっと、言葉まで含めると言語ゲームなどの
    現代思想にまで触れないとだめなので敢えて控えたのかなと思いました。
引用返信/返信 削除キー/
■3085 / inTopicNo.20)  Re[17]: ピピットさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2020/06/10(Wed) 08:45:18)
    こんにちは、レスありがとうございます。

    No3082に返信(pipitさんの記事)
    > カント哲学の解釈は様々に分かれており、番組は先生の深い理解の上で、わかりやすいように作られたものだと思います。
    > カントが本当に、アプリオリに人間に備わっている(この言葉さえ、本当はややこしい問題を省いて表現しています。)のは、知性に関して言えば、ある共通の概念です。
    > そして、公理が共通、というよりは、共通の概念でつくる公理であるゆえに、共有できうる、ということだと私は捉えています。
    > かなり勝手な私見になりますが、本当は死んでいるほんの少し前の過去の情報をエピソード記憶として、現在の顕在意識下に生み出す時の組み立て方がカントの認識論のイメージを、私は持っています。これは自分勝手な私見です。

    なるほど。以下のようなサイトがありました。参考までに。^^
    ttps://cbs.riken.jp/jp/public/tsunagaru/fujisawa/01/

    > まずは、感受した直観が空間と時間のある位置に生じることと、ごく基幹的概念の純粋悟性概念だけが共通と想定してみてください。
    > そして、そこから出すものは、その枠組みだけがみんなに共通で、その中身はみんなで議論しながら変化し得るものだと思います。
    > そう私が思ってることを、下記のパニチェさんの疑問で伝えてみますね。

    > >仮に複眼でも1+1=2とする公理が成立する世界となるのか疑問。<

    > 人間の直観に適合する、ということです。
    > 人間にはそう現れるから、そう合意できる、ということで、
    > そう現れないと、お互いに話し合えるかは、お互いの知能レベルや想像力によるだろうな、と、思いました。人間すべてが同じじゃないかもだし、宇宙人とも?ですね。

    以下のサイトも上記サイトと同様にカントが脳科学に先駆けて空間と時間を認識する能力(機能)が先見的に備わっていることを主張したとありますね。
    ttps://www.nikkyoko.net/comon/download/2014/medical2014.pdf

    > >また因果律に関しても窓から入ってきた風によってロウソクの火が消えるというのは経験からくる知識であって、酸素がなくなることによって火が消えるという知識と同じである。そもそも一つの原因から一つの結果が生じているというのは人間の経験からくる想像であり、経験上最も多かったケースをもって原因と結果としているだけの後天的な思考傾向ではないか?<

    > 上記の意見は、原因と結果、という枠組みでパニチェさんは判断していませんか?
    > 経験から出てる知識、だから、原因と結果という知識は後天的。
    > の、枠組みが、純粋悟性概念の原因と結果という考え方してる。
    > ちなみに、この概念は生まれつき、というより、知性から獲得する、と、カントはしてるみたいです。
    > 原因と結果、が形式で、中身はみんなで確かめていく。

    え〜っと。。。私自身は原因や結果は後天的な経験や学習からもたらされるラベリングだと考えています。
    原因は他の事象の結果でもあるし、結果はその後の事象の原因にもなる。そこにあるのは全体運動であって、その部分をとって原因とか結果とラベリングしているというような考え方です。

    >>ピストルを撃って相手が死ぬという事象も引き金を引たことが原因で相手が死んだという結果だけではなく、原因としてはピストルを手に入れる、ガンショップで購入したとすればガンショップを開業したこと、ピストルを作った人がいるなどなど無数に原因とすることが可能で、弾丸が到達する前に相手は心臓発作で死亡していたとも考えることができる。「ピストルを撃って相手が死ぬ」という因果律は、経験上あるいは自分がこれまで知り得た知識のうち、最も多かったケースをもって原因と結果としているだけの後天的な思考でるとも言える。
    >>但し、脳科学の知見がなかった時代、または現象学をはじめとしたその他の哲学の先駆けや踏み台としてカントの仕事は偉大であったことには揺るぎないとは思う。<

    > 私はまだ全然カント哲学の勉強をしきれてないけど、今の所そのように思いました。
    > 私はカントが大好きだけど、
    > 仏教徒として悟ってみたい、と、思う私にとっては、
    > もう勉強せんでもいいんかな、と、思うこともあります。

    私(パニチェ)のことを言えば、仏教、哲学、脳科学などなどの諸科学(一般教養レベル)は〈私〉を探究するための道具としてます。
    ピピットさんが目指す悟りが苦を滅した涅槃寂静の境地ということなら、その目的に沿った学習を優先されればいいと思いますが、カントがそれに適しているかどうかまで判断できるカントに関する知識が私にはありません。
    でも、考えてみたらニーチも自己探究の道具にもなっていますし、大袈裟に言えば仏教と並ぶ生の指針にもなってます。カントを学ぶことがピピットさんの生にとって有益なら、価値の遠近法によって判断されたらいいと思います。


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■3089 / inTopicNo.21)  ななしさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/06/10(Wed) 11:52:47)
    ななしさん、こんにちは!
    書き込み嬉しいです(o^^o)


    > 今回の番組で構想力に触れていないことが、残念でなりません。
    >
    > これは、感性と悟性を結びづける図式によるものですが、ここから発展して
    > シンボルや言葉への働きや性質なども関係してくるところなので
    > 重要だと思いますが、きっと、言葉まで含めると言語ゲームなどの
    > 現代思想にまで触れないとだめなので敢えて控えたのかなと思いました。<

    構想力のこともご存知なのですね!
    私はまだ未勉強と言っていい分野で、実は、メビウスリングという掲示板への投稿の流れで、その辺りを文章にしてみようと思いつつ、気が重くて(ややこしすぎで、繊細すぎですよね!)足踏み停滞している箇所です(^^;;(メビウス掲示板で、引用します、と、コメントして2か月くらいたった今もまだ引用してません。。。)

    図式もややこしいけど、おもしろそうですよね。
    数、の成り立ちも、アニメCGで説明されてる箇所に図式の考え方が提示されてるんだろうけど、それに関してのナレーションはありませんでしたね。

    どうしても様々な制約下での説明になるので、構想力について触れるのは、選択から外されたのかもしれませんね。

    でも、あんなにわかりやすく全体の流れを貫いて説明するのはすごいなぁ
    学校で教わるっていいなあ、と、思いました。

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■3090 / inTopicNo.22)  Re[19]: ななしさんへ
□投稿者/ ななし -(2020/06/10(Wed) 12:36:49)
    構想力の図式論は、内在的な言語形式で言語の場なので番組でも取り上げてもらいたかったんですけどね。それでは、また。
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■3091 / inTopicNo.23)  パニチェさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/06/10(Wed) 17:11:41)
    パニチェさん、こんにちは
    ご紹介の記事、私は科学音痴ながら、とても面白かったです!
    感謝です(^○^)

    https://cbs.riken.jp/jp/public/tsunagaru/fujisawa/01/

    ttps://www.nikkyoko.net/comon/download/2014/medical2014.pdf


    >え〜っと。。。私自身は原因や結果は後天的な経験や学習からもたらされるラベリングだと考えています。
    原因は他の事象の結果でもあるし、結果はその後の事象の原因にもなる。そこにあるのは全体運動であって、その部分をとって原因とか結果とラベリングしているというような考え方です。<

    ありがとうございます。
    後天的概念の可能性ももちろん大いにありますよね。

    私の子供がゼロ歳児の時、寝転んで手を上にあげて、ヒラヒラさせてるのを、じーっと見てた風景を、思い出しました。
    あれは手の裏と表が変わるのが面白くて見てたと思うんですけど、その時、手をヒラヒラさせる筋肉の動きへの指令的な思いと、ヒラヒラの視界の切り替わりを、赤ちゃんである息子はどんなふうにとらえてたのかな、って。

    赤ちゃんって、欲望と、その欲望がかなうかかなわないか、経験していって、因果関係という概念を獲得していくって道筋も、もちろん自然的な考え方ですよね。

    私見ですが、カントの考え方は、AIロボットを作るにはどうすればいいか、という思考法と近似してる部分があるように感じています。

    対象の認識、対象の認識、対象の認識、をー瞬間ずつ記憶に納める、として、その一瞬間ずつの認識を、今度、関連付けるイメージです。
    ロボットの場合、(経験に先んじて)因果関係として関連付ける回路も作っておかなくては、学習ってできないんじゃないかな、と、私は思っています。

    赤信号を渡って事故る。
    赤信号を渡って事故る。
    赤信号を渡って事故る。
    で、学習して、
    赤信号では止まる、というお利口ロボットになる時、
    赤信号と事故るを、原因と結果という結びつけの関係で考察する捉え方を実現する回路を作っておかないと、ロボットは学習できないのではないかと。

    でも人間とロボットは違いますからね。

    とりあえずここまでを投稿します(o^^o)

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■3092 / inTopicNo.24)  パニチェさんへ 2
□投稿者/ pipit -(2020/06/10(Wed) 17:27:22)

    >私(パニチェ)のことを言えば、仏教、哲学、脳科学などなどの諸科学(一般教養レベル)は〈私〉を探究するための道具としてます。
    ピピットさんが目指す悟りが苦を滅した涅槃寂静の境地ということなら、その目的に沿った学習を優先されればいいと思いますが、カントがそれに適しているかどうかまで判断できるカントに関する知識が私にはありません。
    でも、考えてみたらニーチも自己探究の道具にもなっていますし、大袈裟に言えば仏教と並ぶ生の指針にもなってます。カントを学ぶことがピピットさんの生にとって有益なら、価値の遠近法によって判断されたらいいと思います。<

    パニチェさん、知識の道を自らの意志で選択して進まれてるでしょう?

    カント哲学は、私にとっての、私の目標への知識の道となるものだと、思ってるんです。(正否は不明です(^^;;)

    でも、私にはめちゃめちゃややこしくて、、、理解するのにすごく時間もかかって。。。

    パニチェさんは、何故、知識の道を選択されたのか、お聞きしたいんです。。。
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