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■36886 / inTopicNo.1)  「過去」の実在性について
  
□投稿者/ rest -(2024/03/23(Sat) 12:22:58)
    2024/03/26(Tue) 09:28:08 編集(投稿者)
    2024/03/23(Sat) 12:36:56 編集(投稿者)

     「過去自体は普通の意味では(すなわち牛乳が冷蔵庫に保存されているようには)まったく保存されていない。保存されているのはせいぜい「痕跡」である。一方で、痕跡に戻ろうというのではない。痕跡は戻らなくとも、今現在存在しております。そして他方、過去自体は一滴も保存されていないのですから、どうあがいてもそこへはトラベルできないはずです。」(中島義道 著『時間を哲学する』講談社現代新書pp94-95)
     カント哲学者の中島義道氏も当然認識されているとおりカントは唯一無二の三次元空間を前提に展開している。無数の空間が存在していると考えるB系列論者(相対論者)とは一線を画している。B系列論者は過去にタイムトラベルできるような「過去」が実在していると考えている。マクタガートもC系列しか認めていないので「過去」実在論者である。なぜ日常では時間が客観的に外に流れているようにみえるのか、ということに少し触れてみたい。
     『キリスト教の本質』(フォイエルバッハ著 岩波文庫)によれば「神」は類(共同体)の外に投影(疎外態)されたものであり、共同体の合わされた力の大きさや相互扶助の「愛」の精神が外に投影(疎外)されたものである。共同体の内側にある精神が外に疎外されたものである。疎外とは自分がつくりだしたものが自分を支配する構造をいう。共同体が作り出した「神」によって共同体が支配されること。民主主義において例えばロシアでは選挙によってプーチン大統領を選ぶがやがてプーチンが選んだ人民を支配するようになるという疎外現象。独裁者は民主主義から誕生するという矛盾。同じように共同体精神の疎外されたものとして「神」を理解する、というのがフォイエルバッハの考え方である。これは精神障碍者の幻聴にもあてはまる。幻聴は神の声としてきこえる場合が多い。本人の共同体意識(良心)の疎外されたものとして神となり、あるいは世間の噂となり、個性を支配しようとする。(参考文献 木村敏著『自覚の精神病理』紀伊国屋書店)
     「時間」も共同体の社会的約束事であるルールが「神」と同様にそとに投影(疎外)されたものではないか。唯一無二の三次元空間があたかも無数にあるような錯覚。そしてそれが決定論的運命論と結びつき人々の自由意志を奪ってしまうという疎外現象。
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■36871 / inTopicNo.2)  神々の解釈
□投稿者/ rest -(2024/03/20(Wed) 11:56:43)
    2024/03/20(Wed) 16:45:06 編集(投稿者)

    旧約聖書の創世記第1章26節より
    『神はおおせられた。「さあ人をつくろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのものを支配するように。」』
    この場合、「われわれ」という神が複数形になっているので、神は複数存在し、「神々」という多神教ではないのか。そのような疑問も成り立つ。キリスト教では神・聖霊・イエスの三位一体で説明しているが、旧約の時代はユダヤ教のみであり、三位一体は成立せず、ユダヤ教ではどのように解釈したのであろうか。やはり一神教が多神教から派生したとする名残だろうか。
    自然を神とする「汎神論」、スピノザがそうだがこれは人格神ではない。自然的事物の本質は「空」であるとする仏教。『般若心経』の「色相是空。空即是色」によれば「空」こそ万物をつくりだした根源ではないか、とも受け取れる。現象上の「色」はカントによれば構成主観によって構成されたものであり、この構成主観こそが「空」ではないのか。
     真理とは普遍的という狭義の真理と多様性を包摂した広義の真理というのがある。普遍性は共同性によって担保され、多様性は個性によって担保される。共同性は異質性を排除し、民族間の紛争にもつながる。多様性は類対立ゆえに共同体的秩序からはみ出す。つまり犯罪も増えるという難点をもつ。広義の真理は両者のバランスをはかる。強権的ではなく自律的に調整(correct)していく。その意味で多様性を包摂している広義の「真理」は大切ではないか。真理の基準として類推的結果を現実かどうかの個別的確認をするバランスが重要だろう。
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■36824 / inTopicNo.3)  Re[34]: 時間論の系譜
□投稿者/ rest -(2024/03/16(Sat) 12:20:57)
    2024/03/17(Sun) 19:48:35 編集(投稿者)
    2024/03/17(Sun) 19:14:16 編集(投稿者)

    田秋さん、パニチェさん 貴重な時間を割いてレスを書いていただいて深く感謝いたします。「ジャネーの法則」に関しては定説がないようなので多様な解釈が可能だと思います。ですからあまり独断的に断定はしないほうがいいかもしれませんね。気がついたことがあったらまた書きたいと思います。
     floraさんが「理想郷」について触れられていたので少しだけ触れたいと思います。旧約聖書によれば理想郷は「エデンの園」であり、そこでは「死」もなく、弱肉強食の世界もなく草食中心のおだやかな世界です。また神の支配する国ではありますが独裁者の支配とはイメージが180度違います。まず神の支配とは神の言葉による支配であり、神の言葉は真理であり、真理は人を自由にするのです。神の国は「自由の国」なのです。(独裁者の支配する国には自由はありません。)これがキリスト教の考える理想郷だと思います。仏教の理想郷はどうなっているでしょうか。涅槃の境地、悟りの境地、輪廻転生から解放された自由の境地、あるいは西方浄土ともいわれているようです。仮にこの地上にユートピア(理想郷)を実現するとしたら、どのような国になるでしょうか。
     かって社会主義が「平等」の理想をかかげ、それを実現するために権力を集中させ、自由を失っていったように、あるいは逆にアメリカのように「自由」を理想にすると、富の集中が進み、貧富の差がつまり不平等が拡大してしまいます。(宗教上の理想と現実の求められる理想とは必ずしも一致しません。)バランスをとるために「中間層」を拡大させるというのは至難のわざです。既得権益層が必ず妨害します。なぜならそれは分配率の問題だからです。賃上げ分を価格上昇に転嫁すればいい、という問題ではないのです。
     政治の役割が大きいと思いますがそこでもネックがあります。民度の高い民主主義が望ましいのですが、民度の高い状態とは定義によれば、経済的に不安がなく、文化的に高い水準、ということですから、いかに中間層を増やすかということと教育水準をいかに高めるかということがテーマになってきます。ネックになっているのは間接民主主義の議会制度があまり民意を反映しないシステムになっていることです。まえに指摘した「党議拘束」の矛盾もあります。さらに投票率が50%を割った場合、政権は民意を反映できるのかという疑問もあります。大手メディアに「バージョンアップした民主主義」とか「深化した民主主義」とか民主主義の方向性が載っていましたが今求められているのはそれだと思います。もっと直接民主主義の利点を反映したシステムにすべきだと思います。
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■36809 / inTopicNo.4)  Re[33]: 時間論の系譜
□投稿者/ パニチェ -(2024/03/15(Fri) 21:30:30)
    こんばんは、restさん。レスありがとうございます。

    No36769に返信(restさんの記事)

    > こむつかしい書き方をしているのでたぶん読まれないだろうな、と思っていましたが安心しました。

    restさんの投稿は、レスしてない時でも読ませてもらってますよ。^^

    > パニチェさんに紹介していただいた「分数仮説」ですが1年の長さを人生の経過した年数で割った数字はなぜ時間の速さを示しているのか疑問です。人生の経過年数における1年の割合が時間の速さというのは理解に苦しみます。それよりも私が書いた
    > > A、Bが並んで一定の速度で走っているとしよう。Bがスピードを上げるとAは段々と遅く走っているように見える。そしてBがスピードを落としていくとAは段々と速さを増していくように見える。Aを時計の針の変化、Bを意識の変化と考えれば同様のことがいえるのである。
    >  のほうが時間の速さを明確に示しているのでわかりやすいと思うのですが。

    同意します。
    分数仮説などと大そうなタイトルを付けてしまいましたが、私が独断でもってこんな要素もあるのかなぁ〜とボンヤリ考えていたことです。
    あくまで主観的なものですが生きてきた時間から1年を振り返れば歳を取るとともに相対的に短くなるみたいな感覚です。

    > > 鋭敏性仮説
    > >子どもの頃は初体験が多くそれぞれの出来事に対して感覚や感情が敏感に反応するが、歳をとるとともに経験が増え出来事に対しての目新しさがなくなり鈍感になる。一日の時間の流れでも印象的なエピソードが多ければ体験した時間は長く感じられるが少なければ早い。これに同じ。

    > 上記の「鋭敏性仮説」のほうが私の仮説と重なっているような気がします。ただ
    > 年をとると時間があっという間に過ぎるというのは個人差があるので、たとえば若くても新しい経験が少なくルーティン化していると時間がたつのが速く感じられるので必ずしも年齢によって決まるとは言えません。ジャネーの法則は傾向性とはいえても科学的法則とまではいえないと思います。ですから年とって時間が速くなったと感じたら、新しい経験を増やすとか、思考速度を速める訓練をすれば時間が経つのも遅くなるだろうと思います。

    同意です。
    鋭敏性仮説も分数仮説と同じくなんとなくこんな要素もあるかなぁ〜と考えていた戯言みないなものでして、失礼しました。^^:

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■36796 / inTopicNo.5)  Re[33]: 時間論の系譜
□投稿者/ 田秋 -(2024/03/14(Thu) 16:29:58)
    こんにちは、restさん

    お返事ありがとうございます。

    主観的時間経過はそれこそ主観に左右されることが多く、感じ方も人それぞれです。いずれ科学的に説明される日がくると思いますが、今は「へええ、そういう感じ方もあるんだ」くらいが良いのかも知れません。

    ボクの死生観と感覚的時間経過の考察も常にそう感じている訳でもなく、自分なりに理由をつけようとするとこうなのかな?という程度です。

    興味ある話題だったので自分の考えをまとめる意味もあり書いてみました。また参加できる話題のときに横レスしたいと思います。

    どうもありがとうございました。
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■36784 / inTopicNo.6)  Re[32]: 時間論の系譜
□投稿者/ rest -(2024/03/13(Wed) 09:42:57)
    2024/03/13(Wed) 20:31:52 編集(投稿者)
    2024/03/13(Wed) 20:30:04 編集(投稿者)

    田秋さん おはようございます。貴重なレスありがとうございます。こういう考え方もあるのだなあと新鮮な気持ちになっています。
    > 本当に歳と共に時間の流れが早くなることを感じます。そう感じるということは以前から聞いていたので、やはりそうだったと再度認識しなおしている次第です。

    >何故そう感じるのかはこれまであまり深く考えてきませんでしたが、最近、自分の死期が近づいてくるにも拘わらずやはりまだ死にたくないという気持ちが、時間の流れを早く感じさせているのかなと思っています。自分の死に向かって出来るだけ遅く歩みたいのに時間はおかまいなく進むので、相対的に早く進んでいるように感じるのかなと考えたりしています。

    おそらく病院にいって診察時間を待っている感覚と同じだと思います。9時に行って10時に始まるのと、11時に始まるのとでは待ち時間の感覚がちがいますよね。10時のほうが時間が速く感じられ、11時のほうが時間が遅く感じられます。診察開始時間を死期と置き換えれば、年をとると残る時間は短いので速く感じられ、少年の頃は残り時間は長いので時間は遅く感じられるということだと思います。ただこれは時計で測った時間、いわば客観的時間(残された時間)の多寡が基準になっていますから1時間あたりの速い、遅いという主観的感覚とは別のように思います。

    >一方、夢中になっている時は時間があっという間に過ぎ、退屈な時は時間の進みを遅く感じるということもあります。これも独特の感覚的時間経過です。

    Aがある作業をする時間が1時間とし、Bという人が同じ作業を夢中になってやると時間が10分かかるとするとBが時間が速いということになります。夢中ということは作業が速いということのようです。ほかのひとにくらべれば時間が速い。これは2人のランナーが100メートル走る時間を競って、時計の針がすすむのが少ないほうを時間が速いとするのと同じです。1時間あたりの速い、遅いという主観的感覚とは別のようです。くわしくはあとで。とりあえずここまでということで。
    研修があって中断しましたが続けましょう。退屈な時間は進みが遅く感じるのはなぜかいうことですが、これもAがある作業をするのに1時間かかりますが、Bが同じ作業をゆっくり、のんびりやると3時間かかりました。退屈な気分でゆっくり、のんびり作業をすると時間が長くかかり、Aに比べて時間が遅いということになります。これも2人のランナーが100メートルを競って客観的時間を測定するというのと似ています。
    これは同じ1時間でも速く感じたり、遅く感じたりする、主観的時間とはちがうような気がします。



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■36782 / inTopicNo.7)  Re[31]: 時間論の系譜
□投稿者/ 田秋 -(2024/03/12(Tue) 20:53:53)
    2024/03/12(Tue) 20:57:36 編集(投稿者)

    こんばんは、restさん。横レス失礼します。

    本当に歳と共に時間の流れが早くなることを感じます。そう感じるということは以前から聞いていたので、やはりそうだったと再度認識しなおしている次第です。

    何故そう感じるのかはこれまであまり深く考えてきませんでしたが、最近、自分の死期が近づいてくるにも拘わらずやはりまだ死にたくないという気持ちが、時間の流れを早く感じさせているのかなと思っています。自分の死に向かって出来るだけ遅く歩みたいのに時間はおかまいなく進むので、相対的に早く進んでいるように感じるのかなと考えたりしています。

    これはパニチェさんが書かれた分数仮説に通ずるところがあります。分数仮説では今まで生きた年月を分母にしていますが、この考えは残りの人生の時間を分母にしています。人生の長さを線分で表すと、例えば若い時の1年は残りの人生全体に占める比率は少ないですが、70歳の時の1年は残りの人生の長さに対して大きな部分を占めます。
    仮に人生80年とすると、10歳の時の1年は残りの1/70ですが、70歳の時の1年は1/10になります。同じ1年で1/70経過するのと1/10経過するのとでは1/10経過した方が時間の進み方が早いと感じるのではないかという仮説です(この仮定では分数仮説とは異なり値が大きいほど感覚的な時間進行が早いことになります)。自分の人生が何年なのかはわかりませんが、歳をとるほど残り時間が少なくなることは確かです。

    そもそも子どもの頃は感覚的時間経過の進み方について遅いとか早いとかは考えることもなかったように思います。それは老年期を経験していないので比較の対象がなかったことも一因としてあるでしょう。また自分の死はまだ真剣に思考すべきことでもないので、とりあえずは永遠の生の中の1年のように感じていたのかも知れません。

    このように考えてくると、(自分には経験がないのでわかりませんが)悟りの境地を得、生死から自由になると時間経過の遅早も感じなくなるのかもしれません。

    自分の人生を振り返ると小学校6年間が一番長く感じます。幼稚園やそれ以前のことは記憶量もそれほど多くありません。このことから死生観とは別に記憶量の多寡が時間経過の遅早(おそはや)に関係しているかもしれません。

    一方、夢中になっている時は時間があっという間に過ぎ、退屈な時は時間の進みを遅く感じるということもあります。これも独特の感覚的時間経過です。

    最後に時間の進み具合を最も切実に感じた事例を紹介します。
    まだ学生の頃、エキストラでベルリオーズの幻想交響曲を演奏した事があります。この曲は50分ほどかかる大曲です。本番前日、激辛のカレーを食べたためか、おなかの調子がよくなく、始まってすぐに便意が襲ってきました。幻想の1楽章の冒頭部分のイントロダクションはテンポが遅く、ああ、これは最後まで持たない・・・という絶望的な気持ちでした。
    詳しくは書きませんが、曲のテンポの速い部分では光明が見え、遅い部分ではどうやって舞台から引っ込むか?だけを考えていました。特にテンポの遅い3楽章、冒頭のコールアングレののんびりした田舎の情景部分はまさに時間が止まっているかのようで地獄でした。4楽章の断頭台へ行進が始まった時はひょっとしたらセーフかもしれないと一縷の望みがみえたことを覚えています(結果的に持ち堪えました)。

    人間の感覚とは不思議なものです。

    長々と失礼しました m(_ _)m

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■36769 / inTopicNo.8)  Re[32]: 時間論の系譜
□投稿者/ rest -(2024/03/10(Sun) 20:32:36)
    2024/03/11(Mon) 09:02:22 編集(投稿者)

     パニチェさん こんばんは。丁重な返信ありがとうございました。こむつかしい書き方をしているのでたぶん読まれないだろうな、と思っていましたが安心しました。
    パニチェさんに紹介していただいた「分数仮説」ですが1年の長さを人生の経過した年数で割った数字はなぜ時間の速さを示しているのか疑問です。人生の経過年数における1年の割合が時間の速さというのは理解に苦しみます。それよりも私が書いた
    > A、Bが並んで一定の速度で走っているとしよう。Bがスピードを上げるとAは段々と遅く走っているように見える。そしてBがスピードを落としていくとAは段々と速さを増していくように見える。Aを時計の針の変化、Bを意識の変化と考えれば同様のことがいえるのである。
     のほうが時間の速さを明確に示しているのでわかりやすいと思うのですが。
    > 鋭敏性仮説
    >子どもの頃は初体験が多くそれぞれの出来事に対して感覚や感情が敏感に反応するが、歳をとるとともに経験が増え出来事に対しての目新しさがなくなり鈍感になる。一日の時間の流れでも印象的なエピソードが多ければ体験した時間は長く感じられるが少なければ早い。これに同じ。

    上記の「鋭敏性仮説」のほうが私の仮説と重なっているような気がします。ただ
    年をとると時間があっという間に過ぎるというのは個人差があるので、たとえば若くても新しい経験が少なくルーティン化していると時間がたつのが速く感じられるので必ずしも年齢によって決まるとは言えません。ジャネーの法則は傾向性とはいえても科学的法則とまではいえないと思います。ですから年とって時間が速くなったと感じたら、新しい経験を増やすとか、思考速度を速める訓練をすれば時間が経つのも遅くなるだろうと思います。

引用返信/返信 削除キー/
■36762 / inTopicNo.9)  Re[31]: 時間論の系譜
□投稿者/ パニチェ -(2024/03/10(Sun) 10:00:50)
    おはようございます、restさん。横レス失礼します。

    No36751に返信(restさんの記事)

    > 子供のころは、意識の変化が激しいので一時間でも遅く感じられ、老年になると意識の変化がなく単調であるから一時間が速く感じられる。以上が「ジャネーの法則」の説明である。

    同意ですというか、私も全く同じことを考えていました。

    あと類似しますが別の仮説として。。。

    分数仮説
    生きてきた年月が分母で1年が分子とすれば分母が大きくなればなるほど値は小さくなる。

    鋭敏性仮説
    子どもの頃は初体験が多くそれぞれの出来事に対して感覚や感情が敏感に反応するが、歳をとるとともに経験が増え出来事に対しての目新しさがなくなり鈍感になる。一日の時間の流れでも印象的なエピソードが多ければ体験した時間は長く感じられるが少なければ早い。これに同じ。

    なんてことも考えています。。。
引用返信/返信 削除キー/
■36751 / inTopicNo.10)  Re[30]: 時間論の系譜
□投稿者/ rest -(2024/03/09(Sat) 10:54:48)
    2024/03/09(Sat) 10:59:29 編集(投稿者)

    >追記7.「すなわち未来も過去も存在せず、また三つの時間すなわち過去、現在、未来が存在するということもまた正しくない。それよりはむしろ、三つの時間、すなわち過去のものの現在、現在のものの現在、未来のものの現在が存在するというほうがおそらく正しいであろう。じっさいこれらのものは心のうちにいわば三つのものとして存在し、心以外にわたしはそれらのものを認めないのである。すなわち過去のものの現在は記憶であり、現在のものの現在は直覚であり、未来のものの現在は期待である。」(アウグスティヌス著『告白』下p123 岩波文庫)

    > 時間の起源は日時計から始まり、太陽の日周運動を利用して太陽の時角の推移から時刻を定め、影を利用して視太陽時を計測する装置を発明した。そしてエジプト文明においてナイル川の増水や種まき、収穫の時期を予測するため、太陽の年周運動から1年を365日とする太陽暦が作り出された。
    >時間は人類のはるかな祖先が作り出した概念であり、社会的約束事でありルールだということは間違いない。B系列のような実体はない。

    追記8.「ジャネーの法則」というのがある。少年の日は長く、老年の日はあっという間に暮れるという経験則をいう。これを考察してみたい。
     基本的に大事なことはあまり観念論に走らずにしっかりとした現実的土台の上で考えるという姿勢である。現実世界を構成しているのは明確に三次元空間である。その単一の空間内で、すべての事物は変化している。変化には二種類あって、位置変化と状態変化に分けられる。時間は位置変化の規則性を基に造られたものである。具体的には太陽や月そして星の位置変化を基準にしている。たとえば太陽が東から昇るときから、真上にきた時を約六時間とし、同様に西へ沈むまでを約六時間とする。すると太陽の軌道を十二等分すれば、一時間あたりの位置変化がわかることになる。とりあえず太陽の位置変化を基準にそれを測定するものとして日時計というものが発明され、やがて今日のものまで発展してきた。
     つぎに速さの概念について考えたみたい。太陽の位置変化を基に時計が発明されてきたわけであるが、その針の位置変化を速さの測定に使うことができる。すなわちAとBが百メートルを競争して、Aがゴールに達するのに、十秒の位置変化があり、Bがゴールに達するには十二秒の位置変化があったとする。するとAのほうがBより二秒だけ速かったということになり、速さの概念がこのように測定対象の位置変化と時計の針の位置変化の相対比較によって形成されていることがわかる。
     時計の側からみた客観速度というのはこのように測定されるが、逆の場合、時計変化が速いか遅いかの主観的速度というのも存在するようである。これは主観内の意識変化と時計の針の変化の相対比較によって形成される。主観内の意識の変化が激しいと時間は遅く感じられ、意識の変化がゆるやかだと時間が速く感じられる。なにかしていると時間が経つのが遅いが、ボウとしていると時間はあっという間に過ぎてしまう。これは二台の車が走っている場合と同じである。A、Bが並んで一定の速度で走っているとしよう。Bがスピードを上げるとAは段々と遅く走っているように見える。そしてBがスピードを落としていくとAは段々と速さを増していくように見える。Aを時計の針の変化、Bを意識の変化と考えれば同様のことがいえるのである。
     子供のころは、意識の変化が激しいので一時間でも遅く感じられ、老年になると意識の変化がなく単調であるから一時間が速く感じられる。以上が「ジャネーの法則」の説明である。

引用返信/返信 削除キー/
■36728 / inTopicNo.11)  Re[33]: 余談。党議拘束への疑問
□投稿者/ rest -(2024/03/06(Wed) 09:18:39)
    2024/03/06(Wed) 09:30:13 編集(投稿者)
    2024/03/06(Wed) 09:19:53 編集(投稿者)

    > 追記2。世界の非民主主義国が119か国、民主主義国が60か国。趨勢が非民主主義国の流れになっている。この傾向は憂うばかりだ。
    > 冷戦後のロシアの混乱は民主主義になれていないという民度の低さに起因すると思われるが、それに乗じてプーチンが独裁的権力を掌握したということのようだ。
    >民度の低い民主主義は容易に独裁者誕生の口実を与える。
    > アメリカも大統領選挙の年をむかえているが、トランプのようなポピュリストが万が一選ばれたりしたら民度の低さを疑われる。トランプのように一国主義を強めると他国も又一国主義に走り、その結果世界全体が経済が停滞して気の合う国同士の軍事ブロック化が進む。このことは20世紀の第二次世界大戦で経験したことではないか。ポピュリストはさらに民度を低め、国民を危険な方向へと導く。

    追記7.世論調査ではバイデン氏が支持率45%、トランプ氏の支持率が47%と拮抗している。共和党候補では少数派のヘイリー氏が大統領選のキャスティングボートを握っている。最終段階でヘイリー氏が党議拘束を離れ、支持者に大統領選で棄権を呼びかけるか、バイデン氏へ投票するように呼び掛けると少数派であっても大きな影響力をもつことになる。拮抗している場合は少数派の動向が大統領選を左右するのは明らかだ。共和党におけるヘイリー氏の支持者の民度が高く、ポピュリスト・トランプの危険性を認識しているならその良識に従って投票すべきだろう。
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■36684 / inTopicNo.12)  Re[29]: 時間論の系譜
□投稿者/ rest -(2024/03/02(Sat) 09:21:27)
    2024/03/02(Sat) 09:32:09 編集(投稿者)
    2024/03/02(Sat) 09:29:56 編集(投稿者)


    > 追記6.「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」(親鸞)
    >諸行無常。明日でもいい、という思いから今ある機会を逃がしてしまうことの教訓。未来も、過去も大切だけれども最も大切なのは「今」ということのようだ。実在しているのはこの「今」という現在のみだ。しかも自由意志は現在にしか存在していない。相対論のようなB系列の時間は映像フィルムのように過去も未来も実在するという立場だから自由意志はなく運命論に支配されてしまう。自由意志を尊重するカント的な時間論の方が親鸞の教えと相性がいいように思える。

    追記7.「すなわち未来も過去も存在せず、また三つの時間すなわち過去、現在、未来が存在するということもまた正しくない。それよりはむしろ、三つの時間、すなわち過去のものの現在、現在のものの現在、未来のものの現在が存在するというほうがおそらく正しいであろう。じっさいこれらのものは心のうちにいわば三つのものとして存在し、心以外にわたしはそれらのものを認めないのである。すなわち過去のものの現在は記憶であり、現在のものの現在は直覚であり、未来のものの現在は期待である。」(アウグスティヌス著『告白』下p123 岩波文庫)

     時間の起源は日時計から始まり、太陽の日周運動を利用して太陽の時角の推移から時刻を定め、影を利用して視太陽時を計測する装置を発明した。そしてエジプト文明においてナイル川の増水や種まき、収穫の時期を予測するため、太陽の年周運動から1年を365日とする太陽暦が作り出された。
     時間は人類のはるかな祖先が作り出した概念であり、社会的約束事でありルールだということは間違いない。B系列のような実体はない。

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