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■30337 / inTopicNo.73)  日記
  
□投稿者/ pipit -(2023/04/19(Wed) 14:00:31)
    むむ!再度ページを開けたら、「カントの誤診」とタイトル名が!
    見落としてたなぁ  

    だけど、永井均先生の書いてることの前提が難しいから、その前提の上で書かれる文章も難しそうで、ちょっと読めない可能性も、、、
    (T . T)

    No30336に返信(pipitさんの記事)
    > 永井均先生が『純粋理性批判』を掘り崩すということで、読もうと思いましたが、
    >
    > https://haruaki.shunjusha.co.jp/posts/7138
    >
    > 長い、、、
    >
    > pipitの根気が続かず、読めてません _| ̄|○
引用返信/返信 削除キー/
■30336 / inTopicNo.74)  日記
□投稿者/ pipit -(2023/04/19(Wed) 13:50:23)
    永井均先生が『純粋理性批判』を掘り崩すということで、読もうと思いましたが、

    https://haruaki.shunjusha.co.jp/posts/7138

    長い、、、

    pipitの根気が続かず、読めてません _| ̄|○
引用返信/返信 削除キー/
■30331 / inTopicNo.75)  超越論的演繹・ B144
□投稿者/ pipit -(2023/04/19(Wed) 09:38:08)
    2023/04/19(Wed) 09:43:13 編集(投稿者)

    みなさまこんにちは!純粋理性批判B144です。

    (J. M. D. Meiklejohnさん英訳)
    @Now, as the categories have their origin in the understanding alone, independently of sensibility,

    AI must in my deduction make abstraction of the mode in which
    the manifold of an empirical intuition is given,

    Bin order to fix my attention exclusively on the unity which is brought by the understanding into the intuition by means of the category.

    (pipit的日訳)
    @さて、カテゴリーは感性とは独立して、知性のみに起源を持つので、


    Aこの(純粋悟性概念の)演繹では、経験的直観の多様性が与えられるモード(様式?)は、捨象せねばならない。

    B知性がカテゴリーによって直観にもたらす【統一】にのみ私の注意を向けるためにである。

    =========
    (pipit感想)

    感性的に知った対象像(&概念像)をとりまとめる機能としての「概念」である「カテゴリー」。

    人間の認識能力を、感性能力と知性能力に2分割するなら、カント的には、「カテゴリー」は知性能力にのみ立脚する機能。

    なので、直観の多様が与えられる有様はこの演繹論では無視して、ある対象がもう与えられたものとして、その対象がどのような流れを辿って認識となるのかを、知性面での動き方にのみ着目する、ということかな、と思いました。
引用返信/返信 削除キー/
■30330 / inTopicNo.76)  B144英訳&日記
□投稿者/ pipit -(2023/04/19(Wed) 08:52:46)
    みなさまおはようございます(*^▽^*)
    No30248の続きです。
    一文が長いです!

    Now, as the categories have their origin in the understanding alone, independently of sensibility, I must in my deduction make abstraction of the mode in which the manifold of an empirical intuition is given, in order to fix my attention exclusively on the unity which is brought by the understanding into the intuition by means of the category.

    ========
    困難は分割せよ!(デカルト大先輩)

    あとでpipit的読解にチャレンジします♪

    ========
    (pipit余談)
    ふと、フリー素材のイラストやさんで「デカルト」を検索。
    あった!
    「カント」
    もちろんあるよねーふふふは(*^ω^*)
    「ニーチェ」
    あら、おひげがかわゆい
    、、、「ヘーゲル」はないかな?
    あった!あのテイストだね♪
    すごいなぁ「ウィトゲンシュタイン」は?
    おぉ、あったー。
    いっぱいあるんだなー
    「哲学者」で検索
    やや、タレスまであるぅ
    おそるべし、イラストやさん...

引用返信/返信 削除キー/
■30277 / inTopicNo.77)  日記
□投稿者/ pipit -(2023/04/16(Sun) 23:11:22)
    一行だけでも読みたいと思ったけど、今日は寝まーす
    おやすみなさーい ☆彡

    休憩曲
    Avicii
    The Nights

    https://youtu.be/UtF6Jej8yb4
引用返信/返信 削除キー/
■30249 / inTopicNo.78)  Re[8]: 超越論的演繹論
□投稿者/ pipit -(2023/04/16(Sun) 08:23:35)
    No30248
    >カテゴリーがなぜ唯一かというと、カント的にはそれ以上遡れない最上位概念がカテゴリーだと考えてるからかな、と。<

    一般論理学での判断表は、内容を捨てて知性の論理形式だけを残しているけど、その形式に使われている概念は、知性が自ら生み出してる概念が使用されてると捉えてるのがカントかなとpipitは今のところ思ってます。
    だから人間にとっての対象性を作る最上位概念と捉えてるのかな?と。

    全然間違ってたらすみません!
引用返信/返信 削除キー/
■30248 / inTopicNo.79)  超越論的演繹論
□投稿者/ pipit -(2023/04/16(Sun) 07:39:46)
    2023/04/16(Sun) 07:43:33 編集(投稿者)

    みなさまおはようございます(o^^o)

    ただいま、J. M. D. Meiklejohnさんが英訳された、カントの「純粋理性批判」の【純粋悟性概念の超越論的演繹】の箇所を読んでいます。pipitが自分なりの、英訳からの日訳(意訳)を書き込んでいます。

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html
    Title: The Critique of Pure Reason
    Author: Immanuel Kant
    Translator: J. M. D. Meiklejohn

    No30225の続きは、
    In the above proposition, then, lies the beginning of a deduction of the pure conceptions of the understanding.
    (それゆえ上述の命題の中に、知性の純粋な概念(純粋悟性概念)の演繹の始まりがある。)

    (pipit感想)
    上述の命題とは、中山元先生は、『前項の命題において』とカント原文から訳されているので、
    『All Sensuous Intuitions are subject to the Categories, as Conditions under which alone the manifold Content of them can be united in one Consciousness § 16』』
    のことかな?
    中山元先生のカント原語からの訳は
    『すべての感覚的な直観はカテゴリーにしたがう。
     カテゴリーは、多様なものそのものが意識のうちにまとまることができるための唯一の条件である』
    (『純粋理性批判2』光文社古典新訳文庫、p134)

    この命題から、純粋悟性概念の演繹(根拠づけ、正当性の証明?)は始まってるんだよ、ってカントは言ってるのかなと思いました。
    カテゴリーがなぜ唯一かというと、カント的にはそれ以上遡れない最上位概念がカテゴリーだと考えてるからかな、と。全ての表象(意識)が、吸い上げられる(可能)ところが、カテゴリーなので、意識の集約もカテゴリーとともに生じるということかなと。でも、違うかもです。m(__)m

    休憩曲
    Avicii
    Wake Me Up
    https://youtu.be/n86qySlV-MQ
引用返信/返信 削除キー/
■30227 / inTopicNo.80)  日記
□投稿者/ pipit -(2023/04/14(Fri) 19:48:11)
    日記です。

    No30225
    >直観の中に与えられた多様の経験的意識が、
    純粋な自己意識に従うことを。<

    純粋な自己意識を、アプリオリに設定されたプログラムと読めば、
    アンドロイドの行動のための認識作成になぞらえることも可能かな??

    カメラにより与えられた多様の経験的情報が、
    純粋(=経験より前、アプリオリ)な自己意識プログラムに従うことを、
    カテゴリー(アンドロイドの認識手法)は示している。

    アンドロイドちゃん→「リンゴが一つテーブルの上にあります。」
    ということは、色の多様を一つの文章に統合したね!みたいな。
    直観に与えられた多様から、対象性を持つ「対象」を作り上げ、認識とするようなイメージを今は思いました。
引用返信/返信 削除キー/
■30225 / inTopicNo.81)  根性のB144
□投稿者/ pipit -(2023/04/14(Fri) 15:05:15)
    みなさまこんにちは!
    No30173 B144の続きです。

    (pipit的読解)
    The category indicates accordingly that
    カテゴリーは示す。

    the empirical consciousness of a given manifold in an intuition
    is subject to
    a pure self-consciousness a priori,
    直観の中に与えられた多様の経験的意識が、
    純粋な自己意識に従うことを。

    in the same manner as
    an empirical intuition
    is subject to
    a pure sensuous intuition, which is also a priori.
    それは、
    経験的な直観が、
    純粋な感性的直観(形式)に従うのと同様に。

    ※※※※※※※※
    (pipit感想)

    なんで、カテゴリーが示す言うん?
    ちょっと一つ前の箇所を再読してみよう。
    ※※※※※※※※

    No30050
    B143ですが、、、章題が長!
    『All Sensuous Intuitions are subject to the Categories, as Conditions under which alone the manifold Content of them can be united in one Consciousness § 16』
    です(・・;)

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap45

    DeepL日訳は、
    『すべての感覚的直観は、その多様な内容が一つの意識に統合される条件として、カテゴリーに従う§16。』

    一つの意識へ多様が統合される条件がカテゴリー、、、かぁ。
    なんで統合(統一)の条件がカテゴリー(概念)かというと、
    pipitの理解では、個別(特殊?)を普遍に統合するのが[概念]だからじゃないかな?と。

    いろんなワンちゃんを[犬]と一括りにするとき、個別・個別・個別、、を[犬]に統合している。
    概念を使用するということは、統合(統一)作用が発生するということなのではないかなと、今の時点では思いました。

    ※※※※※※※※
    (再びpipit感想)

    ふむー。
    カテゴリーの働き方を観察すると、直観の多様のような経験的な意識が、一つの意識に統合されるのが見て取れる,という意味で
    『カテゴリーは示す。直観の中に与えられた多様の経験的意識が、純粋な自己意識に従うことを。』
    と言うんかな。

    その構造は、
    『経験的な直観が、
    純粋な感性的直観(形式)に従うのと同様』だと。

    経験的な直観は、感性の側面からすれば、純粋時間、純粋空間を通じて表れる(人間感性の形式)のと同様の構造で、
    経験的な直観は、意識の側面からすれば、純粋統覚を通じて表れる(人間思考の形式)と言ってるのかな、と今のところ思いました。

    次もB144かな( i _ i )


引用返信/返信 削除キー/
■30215 / inTopicNo.82)  YouTubeショート日記
□投稿者/ pipit -(2023/04/12(Wed) 13:43:59)
引用返信/返信 削除キー/
■30214 / inTopicNo.83)  富士山ライブカメラ日記
□投稿者/ pipit -(2023/04/12(Wed) 11:48:56)
    富士山ライブカメラ
    https://lake-yamanakako.com/zekkei

    一分ごとに送信してる感じ?

    悪魔ちゃんとの会話で、ingを知ることできないのでは?ということに関連して、
    ライブカメラの仕組みをふと思い浮かべました。

    「知る」もそうだけど、いざ考えてみる(知るってなあに?)と、難しいですね。




引用返信/返信 削除キー/
■30173 / inTopicNo.84)  Re[4]: B144
□投稿者/ pipit -(2023/04/06(Thu) 19:59:43)
    No30172の続きです。

    (pipitの感想)

    沼(T . T)
    知性の働きに則した直観の多様の現れ方がある、ということかな?
    違うかもだけど、眠いので、これで....

    次は、、、次も144 ( ;∀;)
引用返信/返信 削除キー/

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