| >あるレビュアーが、「ラッセルやラムジーが理解できなかったのに、自分が理解できるわけがない」と書いてあるのが目に入りました。それをいっちゃおしまいですが。
私なりに考えるに、これは彼らが優秀な人間だからというだけじゃない。
ラッセルやラムジーというのは、ウィトゲンシュタインと口頭で哲学対話をやりまくっていたわけだ。ウィトゲンシュタイン哲学が誕生する生々しい思索の現場に立ち会っていたのがラッセルとラムジーだと。
もちろん、彼らの口頭の直接対話という一次資料は残っていない。当時のテクノロジーからいってやむをえない。ウィトゲンシュタインの残されている文字テキストは凝縮されすぎていて難解。やはりプラトンじゃないが、哲学にはリアルな口頭の対話が遥かに重要であって、文字は影にすぎないというのは、西洋哲学には根強いだろうね。
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