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■23451 / inTopicNo.97)  悪魔ちゃんが気になった部分
  
□投稿者/ 田秋 -(2022/05/23(Mon) 09:11:49)
    おはようございます、悪魔ちゃん

    田総研掲載の悪魔ちゃん注目の箇所は外交の変容を述べた部分です。レポート提出のつもりでこの部分を要約してみます。悪魔ちゃん先生、宜しくお願いします!

    ナポレオン戦争後ウィーンで会議が開かれ(1814〜5年)そこで国家間のバランスを維持し戦争の勃発を防ぐことが話合われました(ウィーン会議)。戦争になる前に話し合おうということで(ウィーン体制)、この時代の外交を「古典外交」と呼び、同質性、貴族性、自立性という特徴で表すことができます。

    同質性というのは、同じ欧州内の国ということ(欧州文化というものを共有する)、貴族性というのは、外交上の言葉はフランス語で作法は貴族社会のもの(貴族の外交官も多かった)、自立性というのは、他を圧倒する国が存在せず各国が自立して勢力均衡を保っていたことを指します。

    その後政治体制は近代的な官僚制となり国民の地位は向上し(国民国家)貴族性は失われていきます。アメリカや日本の台頭により同質性も失われ、また第1次世界大戦に向かって欧州内の2極化が進み各国の自立性が失われて行きました。このように第1次世界大戦の時にはいわゆる「古典外交」は既に終焉を迎えていました。

    悪魔ちゃんの素晴らしい所
    1.素朴に疑問を持つ
    2.謙虚に研鑽する

    ガンバロー!
引用返信/返信 削除キー/
■23449 / inTopicNo.98)  Re[3]:   レヴィのわたしの
□投稿者/ ギアッチョ -(2022/05/23(Mon) 06:32:32)
    はい、おはようございます、悪魔ちゃん

    野性的思考は必要だと思いました。
    野性的思考はダメだと決めつけた、ギアッチョに自惚れ部分があると感じたよ。
    どうも、ギアッチョ、思考が偏っている。

    人は会話をしなければいけない。
    アスペルガーが生き辛い理由がなんとなく理解できた。
引用返信/返信 削除キー/
■23442 / inTopicNo.99)  Re[2]:   レヴィのわたしの
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/05/22(Sun) 19:40:21)
    ■23414、みのりさん、こんばんは。

    >私、『野生の思考』の解説本を以前読んで、ニーチェクラブで投稿したんだった<
    あら、そうだったの!
    みのりさまも、野生は、粗野で教養がなく、不作法で粗暴なんじゃなくて、ちゃんとそこにも科学的思考っていうのがあるって“うすうす”感じてた? わたしと同じように。

    きょうは、ちょっと気合い入れて書いちゃう。

    >科学的思考は、これまでの実験や考察から定説となっていることに積み上げるようにして、次に進んでいく。のに対して、原初的思考は、先入観を持たずにあらゆる可能性を考慮して進んでいく。<
    わたしもそんな感じ。原初的思考は“素直”なんだと思う。世界をそのまま受け入れる、っていうのかな〜?
    でも、それって後から“考えると”間違いだった〜、っていうの気づくことあるよね。でもね、それが“間違いだった”っていうことはどういうことなのかしら?ともわたし思うのね。

    >ところで、現象学的な観方というのは。「山がある」というのを素朴実在論のように認識するのではなく、「私の意識に山が映っているのは確かである」のように認識するしかた、でいいんですよね?<
    ん〜ん、こう聞かれてもなんかわたしわかんない。
    ここらへんのは、メルポンの『知覚の現象学』にこんなことが書いてあるので書き写して見ます。

                *******
    このように記述されている知覚がどんなに考えがたいものであろうとも、その困難はわれわれの甘受すべきものであり、事実そのようにしてわれわれは知覚し、われわれの意識も物のなかで暮らしているのである。
    したがって、ある因果的作用によって、宇宙そのものとは別個な〈表象〉をわれわれの内部に産出するような〈〔実在的〕宇宙〉という観念ほど、知覚にとって無縁なものはない。カント的言い方をするならば、素朴的意識の実在論は、〈経験的実在論〉――つまり、「意識の諸状態」の外に立ち出でて、固体的対象に到達しているということを、少しも疑わない〈外的経験の確信〉――なんであって、固体的対象を、唯一の与件である「表象」の不可知な〈原因〉として定立することを哲学的主張とするような〈超越論的実在論〉ではないのである(3)。

    (3)訳注:カントにとっては、〈空間〉と〈時間〉とは人間精神の主観的構造に属するものであり、感性(=対象受容の能力)が働く場合の基本形式である。したがって、それらは認識主観を離れた〈物自体〉の性質や関係ではない。そこで空間、時間は、われわれに〈経験〉されるいっさいのもの(=現象)に関しては客観的であり、空間、時間のなかに存在しないような対象は、経験のなかにないことになる。その意味で、それらは〈経験的実在性〉を持つと言われる。が、他方、それらがわれわれの感性を離れて実在するものではないとすれば、経験を超えた実在性は持たないわけであり、そのことが空間・時間の〈超越論的観念性〉と言われるのである。そこでカントは、自分の立場が観念論ではあるにしても、それはあくまでも〈超越論的〉観念論であって、〈経験的〉観念論ではない、と主張している。メルロ=ポンティは、カントの用語をかりて、素朴的意識の実在論は、〈経験的〉実在論であって、〈超越論的〉実在論ではない、というわけである。
                *********

    わたし、ここなんど読み返してわたしの実体験にあてはめて考えてるんだけど、まだ入ってないのね。
    【知覚がどんなに考えがたいものであろうとも】っていうところ、いまのところ、「知覚の世界」は「思考」とは別の世界にあって、「考える」っていう領域からは“考えがたい”領域にあるっていってるんじゃないかしら?っていまのところ見てる。

    「思考」って呼んでるもの、これってどういうもの?ってふと思って、「思考」には二種類あるんじゃないかって思ったのがNo23410だったの。

    現前の「これ」は「山」、これが知覚の世界(素朴的意識)だとわたし思ってる。そして「私の意識に山が映っているのは確かである」は思考の世界。でも、思考の世界は「これ」は「山」であるのか?っていう「省察」に入っていくのが哲学的思考なのかとも思って。言いかえると、「これは山である」っていう「判断」は確か(疑いの余地のないこと)なのか?っていう方向に、ね。
    ほら、マジモンさんが言ってたケプラー、実際に観察された事実を基に、思考と計算によって、天動説と地動説の両方を説明することを示したように。

    >現象学的な観方と「野生の思考」的な観方の共通点があるって話なんですよね<
    これについては後で書いて見ます。

    わたし「ものぐるほしけれ(狂ったような気持ちになる)」になってるかな〜?

    「心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば(心の中に浮かんでは消えていくとりとめもないことを、あてもなく書きつけて)」
    でした。

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■23441 / inTopicNo.100)  Re[1]: つれづれなるままに 2
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/05/22(Sun) 19:24:33)
    パニさん、ありがと。

    >引き続きよろしくお願いします<

    こちらこそ、よろしくお願いしちゃいま〜す。




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■23336 / inTopicNo.101)  つれづれなるままに 2
□投稿者/ パニチェ -(2022/05/19(Thu) 19:52:56)
    トピ主:悪魔ちゃん


    引き続きよろしくお願いします。
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