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■23414 / inTopicNo.1)  Re[96]:   レヴィのわたしの
  
□投稿者/ みのり -(2022/05/22(Sun) 11:48:18)
    悪魔ちゃん、こんにちは。

    私、『野生の思考』の解説本を以前読んで、ニーチェクラブで投稿したんだった。
    思ってたより難しかったし、大部分なんと忘れてる気がする。。。

    科学的思考は、これまでの実験や考察から定説となっていることに積み上げるようにして、次に進んでいく。
    のに対して、原初的思考は、先入観を持たずにあらゆる可能性を考慮して進んでいく。
    こんなふうだったような記憶があります。
    ぜんぜん違うかもですが。。。

    ところで、現象学的な観方というのは。
    「山がある」というのを素朴実在論のように認識するのではなく、
    「私の意識に山が映っているのは確かである」のように認識するしかた、でいいんですよね?
    現象学的な観方と「野生の思考」的な観方の共通点があるって話なんですよね。
    それはどういうところになるんだろう?
    「山がある」と固定観念で決めてしまわず、「私にはそのように映っている」と認識するあたりなのかな。

引用返信/返信 削除キー/
■23412 / inTopicNo.2)  Re[95]: NO TITLE
□投稿者/ ギアッチョ -(2022/05/22(Sun) 10:45:22)
    No23409に返信(悪魔ちゃんさんの記事)

    > >要らない体験は要らないという事かな<
    > ん〜ん、違うかな?

    違う。

    おはようございます。
    ケプラーが好きなのです。

    悪魔ちゃんが言っている事は、ケプラー登場以前の世界の思考で
    ギアッチョはそんな的外れの世界に興味はないのです。
    ニーチェがいう『 神が死んだ 』に近いと思うけどね。わかんないけど。

    ケプラー登場以前は神が必要だった。
    ケプラー登場後は神は必要なくなる世界であるという事。
引用返信/返信 削除キー/
■23410 / inTopicNo.3)  Re[95]:   レヴィのわたしの
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/05/22(Sun) 10:16:13)
    人の思考には2種類ある、ってして見た。

    前に、現象学のわたしので、2種類の――統覚(統覚/統握)、直観(直感/直観)、想像(想像/創造)――をわたし見てるんだけど、人の思考にも2種類あるっていうことに、ね。
    2種類の思考っていうのは、「野生の思考」と「今科学的思考」っていうの。
    ここで言い方をかえて、前者を〈原初的思考(知性)〉、後者を〈科学的思考(知性)〉って言うことにして見ます。

    こういう見方で、
    No23332の〈1〉〜〈7〉は、こういうようになった。

               ・・・・・・・・・・・・・・
    〈原初的思考〉は〈科学的思考〉の発達の一時期、一段階として見るのではなく、また、まだ実現していない一つの全体の発端、冒険、下書き、ないし部分ではない。

    〈原初的思考〉はそれ自体で諸要素をまとめた一つの体系を構成しており、〈科学的思考〉とは別の体系として独立している。したがって、〈原初的思考〉と〈科学的思考〉を対立させるのではなくて、対(つい)として、この両者を人の認識の二様式として並置する。

    〈原初的思考〉は包括的かつ全面的な因果性を公準とし、知覚および想像力のレベルに狙いをつけ、感覚に直接与えられもの(感覚与件)のレベルでの体系化をする、一方、〈科学的思考〉はそれをはずしている。
    あらゆる科学の対象である必然的関係に到達する経路が、感覚的直観に近い道(原初的思考)とそれから離れた道(科学的思考)と二つあるかのごとくである。
              ・・・・・・・・・・・・・・・
    ほら、だいぶ短くなった。
    あと、
              ・・・・・・・・・・・・・・・
    出来事には偶然性が存在する。この偶然性を捨象し必然性だけを抽象する、これが〈科学的思考〉。一方〈原初的思考〉は偶然をも含めて包括的・全体的に出来事を見ている。

    一般に、〈原初的思考〉は、人の精神のアプリオリな思考の一種で、これを基盤として〈科学的思考〉は発展してきた。あと、〈原初的思考〉は、普遍(いつどこでだれにでもあてはまる)的なものとも見れる。だから、乳幼児でも、自称文明人でも、いわゆる未開人と呼ばれている人にも、存在している。
              ・・・・・・・・・・・・・・・・

    っていうのも浮かんでる。

    わたしの頭のなかに浮かんだ、現象学のもふくめて、あっちこっちにあったのがすこしまとめられたかな?

引用返信/返信 削除キー/
■23409 / inTopicNo.4)  Re[94]: NO TITLE
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/05/22(Sun) 10:12:05)
    ■23392、
    あら、マジモンさん、見ててくれてるのね、ありがと。

    >要らない体験は要らないという事かな<
    ん〜ん、違うかな?

    『野生の思考』っていう本は、

    メルロー=ポンティの思い出に

    っていう本だから、
    メルポンの現象学を見たことないと、わたしがどの位置から何を見ようとしてるのかはわかりにくいのかな〜。
    わたし人の意識を見てるのね。
    それにわたしまだ「野生の思考」の思考の途中で〜す。

    でも、つぎのを見てもらえればひょっとしたら分かってもらえるかも。

引用返信/返信 削除キー/
■23392 / inTopicNo.5)  NO TITLE
□投稿者/ ギアッチョ -(2022/05/22(Sun) 00:36:27)
    はい、こんばんわ、悪魔ちゃん

    悪魔ちゃんの投稿は10回くらい読まないと理解できない。
    10回読んだら、理解できた。

    【 体験には属さず、あらゆる出来事の外にそれとは無関係なもののように存在する 】

    @ イレギュラーは含ませたくない。経験もしたくない。
    A 手術をしないで、内科で診断し薬のみ治療したい。
    B ケプラーさんが好き。
      https://www.youtube.com/watch?v=OL8dumn2lCk
      動画 1:00〜7:10あたり

    こんなもんかと…。
    要らない体験は要らないという事かな。
引用返信/返信 削除キー/
■23385 / inTopicNo.6)  Re[92]:  レヴィのわたしの
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/05/21(Sat) 18:43:18)
    No23332のつづき

    〈8〉「今科学的思考」はその全体が偶然と必然の区別の上に成立した。
    科学がその誕生に際して科学性として要求した性質は、体験には属さず、あらゆる出来事の外にそれとは無関係なもののように存在する性質であった。

    これ、なんか分かる気がする〜。

    わたし、「出来事」には〈偶然〉っていうのがあると思う。

    No23146の「穀物倉が崩れ落ちてその人が死んでしまった」場合をもういちど見て見ると、
    〈その時、その場所に、その人がいた〉、これってわたし偶然って思うんだけど、これを今科学ではどう説明されるのかしら?
    野生の思考では、この因果性を説明するのに、〈その時、その場所に、その人がいるようにさせたのが妖術〉って、妖術というものをもちだして、その偶然がなぜ起きたのかをも説明しようとしているんじゃないかしら?
    〈4〉「野生の思考」は包括的かつ全面的な因果性を公準とする。ってあった。

    今科学は、実際に起こるさまざまな出来事のなかから、偶然と必然を見分け、偶然性にはかかわらないように(捨象)し、必然性だけをとり出そうとする(抽象する)。それをどんどん追求していくうちに、それが思考の極として沈殿してゆく。だから、そういう科学は、その出来事”そのもの”からだんだん遠いものとなっていくのかも。

    今科学的思考から導き出されたものは、確かに普遍性・必然性なものなのかもしれないけど、でもそこから“だけ”で、実存の私の出来事を見ようとすることには、ちょっとね。

    わたしの生活世界で起こるさまざまな実際の出来事に対して、今科学的思考がわたしにとってよそよそしく感じるのは、今科学的思考のこの性質のせいかもしれない。

    もっともわたしが今科学にたずさわってないこともあるし、今科学的思考ができない(だから、科学者がなに言ってるのか、わたしには理解できないのかも)からかもね。

    あ、だからといって、わたし今科学がダメって言ってるんじゃないからね。わたし今科学技術のおかげでわたしの生活が“便利”になってるって思ってる。ただここではレヴィのから、今科学の性質を見ようとしているだけ。

    ――抽象されたものを概念って呼んでるんとしたら、今科学は概念によって思考されているって見ることもできる。でも、抽象は捨象と対(つい)になっているよね。現象学では「捨象エポケー」って、すなわち捨象を括弧に入れ、それをも含めて見ようとすることをしているんじゃないかな、って――必然性だけを求めていくうちにそれが思考の極となって、いつのまにか【体験には属さず、あらゆる出来事の外にそれとは無関係なもののように存在する】ようになっていくのかもしれない。

引用返信/返信 削除キー/
■23332 / inTopicNo.7)  Re[91]:  レヴィの人類学
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/05/19(Thu) 19:27:11)
    まだ、わたしの頭の中、レヴィの人類学つづいてる。
    『野生の思考』を読んでて、いまわたしの頭の中では、いろんなのが浮かんでる。現象学のと絡めて、まだそれらがいろんなところにあって、上手に結びづけられないでいる、っていう感じ〜。

    ここで、ここまでの、『野生の思考』のを、わたしなりに考えていってみまし。

    No23042
    【われわれが未開思考と呼ぶものの根底には、このような秩序づけの要求が存在する。ただしそれは、まったく同じ程度にあらゆる思考の根底をなすものである。私がこのように言うのは、共通性という角度から接近すれば、われわれにとって異質と思われる思考形態を理解することがより容易になるからである。】
    から、
    〈近代西洋の知のあり方、分類・秩序・体系化の仕方〉から見て、異質と思われる諸社会を理解するのに、レヴィは「異質」からではなく、「共通性」という角度から接近しようとしている。

    レヴィは、「野生の思考」を【具体の科学】とか【原始的科学というより「第一」科学】って言ってたり、【呪術は科学の隠喩的表現とでもいうべきもの】とも言ってる。「野生の思考」も人における一種の「科学的思考」って見てるのだと見てる。

    こういうなかで、

    では、レヴィにおいて、「野生の思考」と「科学的思考」とはどのようなところが違うのか、を見ていって見よと思います。これまで抜粋したところからつぎのところを抜き出して見ました。

                 ********

    (1)呪術を技術や科学の発達の一時期、一段階にしてしまうと、呪術的思考を理解する手段をすべて放擲することになる。

    (2)呪術的思考は、まだ実現していない一つの全体の発端、冒険、下書き、ないし部分ではない。それ自体で諸要素をまとめた一つの体系を構成しており、したがって、科学という別の体系とは独立している。

    (3)呪術と科学を対立させるのではなくて、この両者を認識の二様式として並置する方がよいだろう。

    (4)呪術が包括的かつ全面的な因果性を公準とするのに対し、

    (5)科学の方は、まずいろいろなレベルを区別した上で、そのうちの若干に限ってのみ因果性のなにがしらの形式が成り立つことを認めるが、ほかに同じ形式が通用しないレベルもあるとするのである。

    (6)呪術的思考や儀礼が厳格で緻密なのは、科学的現象の存在様式としての因果性の真実を無意識的に把握していることのあらわれであり、したがって、因果性を認識しそれを尊重するより前に、包括的にそれに感づき、かつそれを演技しているのではないだろうか?そうなれば、呪術の儀礼や信仰はそのまま、やがて生まれ来るべき科学に対する信頼の表言表現ということになるであろう。人間は、感覚に直接与えられもの(感覚与件)のレベルでの体系化というもっとも困難な問題にまずとり組んだ

    (7)科学的思考は二つの様式が区別される。それらは人間精神の発達段階の違いに対応するものではなくて、科学的認識が自然を攻略する際の作戦上のレベルの違いに応ずるもので、一方はおおよそのところ知覚および想像力のレベルに狙いをつけ、他方はそれをはずしているのである。それはあたかも、新石器時代の科学であれ近代の科学であれ、あらゆる科学の対象である必然的関係に到達する経路が、感覚的直観に近い道とそれから離れた道と二つあるかのごとくである。

    (8)科学はその全体が偶然と必然の区別の上に成立した。その区別は出来事と構造との区別でもある。科学がその誕生に際して科学性として要求した性質は、体験には属さず、あらゆる出来事の外にそれとは無関係なもののように存在する性質であった。
                *******

    「呪術的思考」を「野生の思考」ってして見て、
    あと、
    レヴィは「野生の思考」も科学的って見ているようなんだけど、「呪術」ってわたし科学的とは思えない。で、私がイメージするような科学を、ひとまずここでは「今科学的思考」って呼ぶことにして、「野生の思考」(「第一」科学)と区別しとく。

    で、(1)〜(8)をわたしので見て見ると、

    〈1〉「野生の思考」を「今科学的思考」の発達の一時期、一段階にしてしまうと、「野生の思考」を理解する手段をすべて捨ててかえりみないことになる。

    〈2「野生の思考」は、まだ実現していない一つの全体の発端、冒険、下書き、ないし部分ではない。それ自体で諸要素をまとめた一つの体系を構成しており、したがって、「今科学的思考」という別の体系とは独立している。

    〈3〉「野生の思考」と「今科学的思考」を対立させるのではなくて、この両者を認識の二様式として並置する方がよいだろう。

    〈4〉「野生の思考」は包括的かつ全面的な因果性を公準とする。

    〈5〉「今科学的思考」は、まずいろいろなレベルを区別した上で、そのうちの若干に限ってのみ因果性のなにがしらの形式が成り立つことを認めるが、ほかに同じ形式が通用しないレベルもあるとするのである。

    〈6〉「野生の思考」は、科学的現象の存在様式としての因果性の真実を、包括的にそれに感づき、無意識的に把握している。人間は、感覚に直接与えられもの(感覚与件)のレベルでの体系化というもっとも困難な問題にまずとり組んだ。

    〈7〉科学的思考は二つの様式――「野生の思考」と「今科学的思考」という二つの様式――が区別される。
    それらは人間精神の発達段階の違いに対応するものではなくて、科学的認識が自然を攻略する際の作戦上のレベルの違いに応ずるもので、
    「野生の思考」はおおよそのところ知覚および想像力のレベルに狙いをつけ、
    「今科学的思考」はそれをはずしているのである。
    それはあたかも、新石器時代の科学であれ近代の科学であれ、あらゆる科学の対象である必然的関係に到達する経路が、感覚的直観に近い道(野生の思考)とそれから離れた道(今科学的思考)と二つあるかのごとくである。

    〈8〉「今科学的思考」はその全体が偶然と必然の区別の上に成立した。
    科学がその誕生に際して科学性として要求した性質は、体験には属さず、あらゆる出来事の外にそれとは無関係なもののように存在する性質であった。

    これをもとに考えていって見ま〜す。

引用返信/返信 削除キー/
■23331 / inTopicNo.8)  Re[90]:  知ることを欲する
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/05/19(Thu) 19:07:33)
    ■23315 、マジモンさん、

    >ヒト、特に男性は、分類・体系化・安全性かつ数値的に理解しようするのは、本当だと思う。<
    ってすると〜、そういうふうにしか理解できないのが特に男性、っていうことになるのかな?
    マジモンさんてさ〜、人-間の分類の仕方を「男性・女性」っていう仕方に家畜化されちゃってるじゃない?でないとしても、その分類の仕方と<それ>がどう関係づけられるのか、そこんとこ語ってもらわないと、わたしとしては、ちょっとね〜。

    アインシュタイン、ニールス・ボーア、ペレルマン?
    わたし知らないその人たち。ネットで調べたんだけど、物理学?数学?そういう科学、わたしには何言ってるのかゼンゼンわかんない。

    ん〜ん、科学で言えば、「ヒト」っていうんだったら少しは話しできるかもだけど。
引用返信/返信 削除キー/
■23315 / inTopicNo.9)  Re[89]:  知ることを欲する
□投稿者/ ギアッチョ -(2022/05/18(Wed) 21:10:28)
    2022/05/18(Wed) 22:46:01 編集(投稿者)

    No23313に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > 「すべての人は、生まれつき、知ることを欲する。」
    >
    > そして、
    >
    > 「人は、世界を、〈分類・秩序・体系化〉という仕方によって理解しようとしている。」
    >
    > わたし、これ、本当のこと、って思ってる。

    はい、こんばんわ。

    ヒト、特に男性は、分類・体系化・安全性かつ数値的に理解しようするのは、本当だと思う。


    【追記】

    上記に関しては、普遍ではないよ。

    アインシュタインは理解できても、
    ニールス・ボーアやペレルマンは理解できない人は山ほどいる。
引用返信/返信 削除キー/
■23313 / inTopicNo.10)  Re[88]:  知ることを欲する
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/05/18(Wed) 19:11:40)
    「すべての人は、生まれつき、知ることを欲する。」

    そして、

    「人は、世界を、〈分類・秩序・体系化〉という仕方によって理解しようとしている。」

    わたし、これ、本当のこと、って思ってる。



引用返信/返信 削除キー/
■23263 / inTopicNo.11)  Re[87]:   『人類学的思考の歴史』
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/05/15(Sun) 11:23:41)
    『人類学的思考の歴史』の、
    第一章 進化論人類学――近代人類学の出発点
    1近代人類学誕生の前夜

    のなかにこんなことが書いてあります。全部はむりだから、一部ね。

                  *******
    ‥‥
    エドワードもプリチャードも本業は医師であり、「人種」とも「民族」とも訳すことのできるraceの語を中心に研究を進めた。かれらの主たる関心は、「パリ民族学協会」の規約が明示していたように、「身体組織、知的・論理的性格、言語、歴史的伝統」によって規定される人間の諸集団(race)を分類し、その起源を明らかにすることにあった(Dais1991:20)〈3〉。ここではraceの語が、身体組織から言語、歴史までをカバーする幅広い意味内容をもって用いられていることに注意したい。それは今日の語感でいうと、「人種」より「民族」に近いことばであり、それだからこそかれらは「民族学協会」と名乗っていたのである〈4〉。このとき、これらの協会に属した研究者や社会活動家の多くは敬虔なキリスト教徒であり、かれらの主たる関心は、聖書の伝える神による人間の創造(=人間の単一性)と、観察から引き出される人間の多様性をどう調停するかという点にあったのである(stocking Jr.1987:44,Blanckaert1988)。

    これらの民族学者が19世紀前半の知的配置図のなかでいかなる地位を占めていたかは、同時代の知的主流としての博物学と比較することで明らかになる。18世紀から19世紀前半にかけては「探検博物学の時代」(西村1999)と呼ばれる時代であり、多くの科学者が地球上の各地に散って、さまざまな動植物を収集し、人間の慣行や制度についても多くの情報を獲得していた。西洋の影響圏の拡大にともなって得られた、人間を含めた動植物に関する増加しつつある知識を整理し秩序づけることこそ、この時代の科学者たちがみずからに引き受けた課題であり、そこでのキーワードはミシェル・フーコーが明らかにしたように「分類」にあった(フーコー1966(1974)〈5〉)。このとき「分類」とは、18世紀なかばに『自然の体系』を著したカール・リンネが、生殖器官の形状をもとに植物学を分類しことに示されるように、形態上の特徴に沿ってつくられた階層的カテゴリーのなかに諸存在を組み込むことにあった。人間もまた、もっとも目につく差異として肌の色によって分類され、それに人体的特徴や精神的特徴が結びつけられた。たとえば、時代を代表する博物学者リンネによる人間集団の分類はつぎのようなものであったという。

    白いヨーロッパ人――創意的性に富む、発明の才に富む…白い、多血質…。法律にもとづいて統治されている。赤いアメリカ人――自己の運命に満足し、自由を愛している…。赤銅色、短気…、習慣に従って自らを統治している。蒼いアジア人――高慢、貧食‥‥黄色っぽい、憂鬱‥‥。世論によって統治されている。黒いアフリカ人――狡猾、なまけもの、ぞんざい‥‥黒い、無気力‥‥。自分の主人の恣意的な意志に基づいて統治されている。(ポリアコフ1985:214に引用)

    白、赤、蒼、黒という肌の色が、そのまま体質の違いや知的能力や統治能力の差に結びつくとする知的怠慢には驚く他ない。18世紀に全盛をきわめたリンネ博物学がこうした粗野な知識で満足していたのと比べると、そのやく一世紀後に活躍したエドワールやブリチャードの理解は、格段に進んだものであった。かれらはみずからさまざまな人びとを観察し計画し、世界各地の多様な集団についてのデータを集め、かれらの専門である解剖学や生理学に加え、動物学、歴史学、言語学、考古学、文献学といった当時の最新諸科学を総動員することで、総合の学としての「民族学」の確立に尽力していた(Dias 1991,Stocking Jr.1987.Stocking Jr. ed.1988)。かれらの民族学は、自然科学から人文科学までを包括する総合の学として規定されていたからこそ、博物学に対抗して独自の学であることを主張しえたのであり〈6〉、それゆえにかれらのつくった協会は、著名な生物学者であるトマス・ハクスレーやタイラー、考古学者のジョン・ラボックなど、時代を代表する一流の研究者を擁しえたのである(Stocking Jr.1971:381)。

    注〈3〉
    プリチャードも、民族学の目的をつぎのように規定していた。「われわれの探究がたどれるかぎり遠くの時代まで、人間の部族や人種の歴史をあとづけ、それらの相互の関係を発見し、確実であれ推測によるものであれ、起源の親縁性や多様性に関する結論に達すること」(Stocking Jr. 1987:52に引用)。
    ‥‥

    注〈4〉
    パリ民族学協会の活動方針は、つぎのようにもいっている。「個々のraceにおいて、その広がりと発展の諸段階を決定する秘密を同定することが重要である。法、慣習、制度などはこの秘密にぞくしており、それらは社会の形態学を構成している」(Blanckaert 1988:43に引用)。このようにこの時代のraceとは、法、慣習、制度などと関係する概念であり、その意味では「民族」と訳すべき概念なのである。しかしその後、大脳半球の機能分化の発見者であり、解剖学者であったポール・ブロカに率いられた形質人類学が優越し、その影響がフランスのみならずヨーロッパ中に広まるにつれて、raceは形質人類学の基礎概念として、今日でいう「人種」の意味に限定されるようになっていった。(竹沢2001,2005)。

    注〈5〉
    博物学者である西村三郎は、この時代の博物学の位置についてつぎのようにいっている。「ヨーロッパ18世紀、すくなくともその前半期においては、‥‥博物学は時代の要請する新しい学問であり、わけても、そのなかの分類学――自然物の種類を正しく見分け、一定の秩序のもとに整然と配列する学問――は、他のすべての学問分野のうえに君臨する最高の学問‥‥と考えられていた」(西村 1989:17)。

    注〈6〉
    プリチャードは、1846年にイギリス学術振興連盟が、民族学を動物学や植物学からなる第4セッションに加えたことに抗議して、民族学は「自然科学より歴史学に近い」とする文書を送ったほどである(Stocking Jr. 1987:52)。

                  *******

    ひとまず書き写しておきます。

    人類(人-間)――諸集団――の分類の仕方を問題としてるのかな。

    わたし人-間の多様性と普遍性についても考えてる。わたしのばあいどちらかって言うと普遍性の方に興味あるかな。

引用返信/返信 削除キー/
■23260 / inTopicNo.12)  Re[86]: 人類学
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/05/15(Sun) 09:05:33)
    おはようございま〜す、

    ■23257、
    >今期、《総合人類学としてのヒト学》と《フィールドワークと民族史》という講義を取っています。<
    あら、田秋さん、偶然〜、
    もっともわたしのは『野生の思考』クロード・レヴィ=ストロース著1962、『人類学的思考の歴史』竹沢尚一朗著2007からの、で、孤独学だけど、

    「人類学」といってもいろんなのがあるみたい。
    わたしが基本としている人類学の分類は、『野生の思考』からの、
    a.フィールドワークに基づく人間集団の個別的な観察記述であるethenographieを「民族誌」
    b.その成果を比較研究し一般的モデルを適用するethnoligieを「民族学」
    c.人間の普遍性全体性の探究であるanthropologieを「人類学」あるいは「人間学」
    で〜す。

    『人類学的思考の歴史』での「人類学」は文化人類学・社会人類学みたいだけど、他にもっと細分化されて、政治人類学、経済人類学、親族人類学、宗教人類学、歴史人類学、認識人類学、解釈人類学、生態人類学等々、っていうのもあるみたい。この本での分け方は、進化論人類学、機能主義人類学、構造主義人類学、象徴人類学、文化人類学、ってなってる。
    あと、〔日本では形質人類学をさすのが一般的である。(「日本人類学会」は形質人類学の学会であり、『人類学雑誌』(現在はAnthropological Science)はこの学会が発行する機関誌である)〕とも書いてあった。

    《総合人類学としてのヒト学》、《フィールドワークと民族史》っていうのはどこらへんに位置してるのかしら?

    あと、「人類」のほかに「人種」って呼ぶのもあるみたい。ネットに、
    〔人種は人間の身体的特徴を基準にした人間範疇設定の試みであるのに対し、民族は基本的に、文化的特徴を指標にした人間範疇であるとして区別されるが、民族観念も人種観念も、いずれも人間による人間自身の分類行為の一つであり、それ自体が文化の所産にほかならないということを忘れてはならない。〕ってあった。

    「人種」は〈身体的特徴〉を基準にしてるわけだから、生物学的に見て、ともとれるし、生物学では「人」じゃなくて「ヒト」って表記してるのかも。
    あと、〔人間自身の分類行為〕だから、「人類(人間)」の分類の仕方よね。わたしこれを問題としてるのかも。
    「民族」「国民」「人種」っていうのも〈人間の分類の仕方〉だし、「男性・女性」っていうのも一つの人間の分類の仕方になるよね?

    〔メルロー=ポンティはレヴィ=ストロースの人類学の哲学的意味をもっとも早く理解し、〕ってあった。
    わたし〈哲学的意味をもった人類学〉に興味あって、人間の“原初的なところ”から見ようとするのを、レヴィの人類学から見ようとしてるのかも。

    近代人類学の誕生については『人類学的思考の歴史』のなかに書いてあるので、後で書き写して見ようかな。

    長くなっちゃって、ごめん、だけど、おかげでレヴィの人類学からわたしがなにを見ようとしているのかがわかってきたかも、ありがと。

    >多様性をそのまま受け入れる<
    わたし人間の多様性と普遍性についても考えてるんだけど、これも長くなりそうだからここではやめときます。

    「スイカ」の起源、わたし知らなかったです。
    わたしが日本であまいスイカが食べられるのは科学技術のおかげね。

    ところで、現代の「人類学」っていうのはどういうのかしら?
    またその講義の、気が向いたら教えてください。

引用返信/返信 削除キー/

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