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■2012 / inTopicNo.61)  思ったこと
  
□投稿者/ pipit -(2019/11/01(Fri) 19:35:43)
    カントの文脈では、アプリオリ、とは、経験によらない、という意味だと思います。


    『三角形の内角の和、は、180度である。』を、
    カントの文脈において、アプリオリな分析判断、と言った時には、
    三角形の内角の和、に、180度という概念が先に含まれているということを意味してると思います。

    では、その述語概念(180度)はどうやって、主語概念(三角形の内角の和)に含まれますか?

    経験から、ですか?

    もし経験からなら、カントの言葉の文脈から言えば、
    『三角形の内角の和は、180度』は、
    【アポステリオリな総合判断】になります。

    その場合、先の命題を、アプリオリな分析判断、というのは仮面の言葉だ、と、今の段階の私は思いました。

    そして、経験から総合判断されてる、ということは、
    時間空間から総合判断されてる、と、同義でしょう?

    カントは、その時間空間はアプリオリなものだから、
    三角形の内角の和、は、180度。というのを、アプリオリな総合判断、と述べ、

    時間空間は人間にとってアポステリオリなもの、と、思う人が、
    三角形の内角の和、は、180度。というのを、アポステリオリな総合判断、と述べてるのだと思いました。

    アプリオリな分析判断、と、言う時、
    では、その主語概念にどのような手段で問題となる概念が含まれたのか、という視点は、考えてもいい事柄なんじゃないかと思いました。

    例え、三角形の内角の和は180度。という命題であっても、
    経験からの総合判断、つまり、アポステリオリな総合判断であると考えるのが常識的ですよね。

    カントは変人なのかなぁ?☆彡


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■2013 / inTopicNo.62)  概念人間?
□投稿者/ pipit -(2019/11/01(Fri) 19:43:42)
    三角形の内角の和。という言葉を、
    カント的に分析すると、
    3つの角がある形の、内側にできる角度を、足したもの。
    となるかと私は思いました。
    そして、カント先生にとっては、上記の素朴なものしか単語に含意しないということなのではないかと。

    なんかカント先生は、概念で思考する概念人間なのかなぁと
    そのような感想を持ちますが、
    外れてるかなぁ?

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■2018 / inTopicNo.63)  針金工作
□投稿者/ pipit -(2019/11/01(Fri) 21:51:25)
    180度の真っ直ぐの直線。


    その直線で四角形作ったら?

    不思議ですねー、

    一直線で囲んでるのに、内角の和が360度になっちゃった ?
引用返信/返信 削除キー/
■2020 / inTopicNo.64)  アプリオリ
□投稿者/ pipit -(2019/11/01(Fri) 22:18:06)
    カントの文脈で言えば、
    アプリオリとは、
    経験によらず、しかもその源泉は人間の能力にある、ということだと思っています。

    石川文康先生は、カントの文脈でのアプリオリとは、根源的獲得のことだと記されてます。
    (『カント入門』p112〜)
    私の理解で言えば、
    空間時間は、人間の感性能力から獲得されたものであり、
    純粋悟性概念は、人間の知性能力から獲得されたもの、ということかと思いました。

    ロックは、『獲得的』という言葉で、経験からの獲得という意味で、アポステリオリを意味したのかな?(違ったらすみません)
    それに対抗して(?)カントは、《根源的》を追加して、『根源的獲得』という言葉で、アプリオリを意味させたのかな、と思いました。

    カントのアプリオリの定義が数学では認められない、というなら、
    数学の定義の中で、カントが思案したことを考えてみればいいのでは?と、思いました。

    そして、数学の定義の中でカントの思案したことが否定されるなら、
    それは、空間時間がアポステリオリなもの、人間ではなく人間の外側にあるもの、という判断がなされたということなのかな、と、思いました。

    アプリオリな総合判断は存在しない、というのは、
    人間は経験からしか知識を作れない、と、同義であり、
    それは、常識的に正常に思える判断だと私には思えます。

    だから、カントが変人なだけなんじゃないですかねー



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■2021 / inTopicNo.65)  空間の性質
□投稿者/ pipit -(2019/11/01(Fri) 22:32:15)
    カントの定義で言えば、
    直線、は、まっすぐな線。です。

    それしか含意しないんです。

    それをどのような条件で折るか、の結果で、内角の和を導いてるのなら、
    カントにとっては総合判断なんだと思います。

    それを常識的な人は、経験してる空間の性質による総合判断、と言い、
    変人のカントは、経験を成り立たせてる人間特有の能力の性質による総合判断、と言ってるのだと思ってます。

    だから、カントが正しいとは言ってません。

    現代数学では、『直線、から、三角形の和が180度』が分析判断というのですか?
    もし、そうなら、
    『直線』にいろいろ概念含ませた犯人は、人間のアポステリオリな経験、ということでしょう?
    カントは、犯人は、アプリオリな人間の能力、と言ってるんでしょう?

    数学界にとって、アプリオリな総合判断は存在しない、なら、存在しないでいいんじゃないんですかね。



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■2022 / inTopicNo.66)  Re[21]: 空間の性質
□投稿者/ pipit -(2019/11/01(Fri) 22:39:20)

    > 現代数学では、『直線、から、三角形の和が180度』が分析判断というのですか?
    > もし、そうなら、
    > 『直線』にいろいろ概念含ませた犯人は、人間のアポステリオリな経験、ということでしょう?<

    あ、違うかな、

    人間の外側にある空間の性質、が、犯人。

    ということは、どういうことになるのかな?

    物自体としての空間の性質、が犯人、ということになるのかな?

引用返信/返信 削除キー/
■2023 / inTopicNo.67)  Re[22]: 空間の性質
□投稿者/ pipit -(2019/11/01(Fri) 22:43:43)

    >>現代数学では、『直線、から、三角形の和が180度』が分析判断というのですか?
    >>もし、そうなら、
    >>『直線』にいろいろ概念含ませた犯人は、人間のアポステリオリな経験、ということでしょう?<
    >
    > あ、違うかな、
    >
    > 人間の外側にある空間の性質、が、犯人。
    >
    > ということは、どういうことになるのかな?
    >
    > 物自体としての空間の性質、が犯人、ということになるのかな?<

    そして、わたしたちは、物自体をそのまま認識してる、という考え方になるのかな、と、思いました。

引用返信/返信 削除キー/
■2026 / inTopicNo.68)  Re[23]: 空間の性質
□投稿者/ pipit -(2019/11/02(Sat) 01:04:44)
    現代数学においてのアプリオリな分析判断とは、三角形の性質(直線の性質?)(の設定?)から分析判断により答えが出る、ということでしょう?

    カントは、その三角形の性質が、人間の感性能力に規定されたもの、と言ってるのでしょう?
    言葉変えれば、感性能力からの分析判断と言ってもいいんじゃないかなぁと私は思いました。
    それは能力からの分析判断だから、アプリオリな分析判断と言ってもいいんじゃないかなぁと次に思いました。

    難しい論証を理解しても、カントの言論の否定になるのかなぁ?

    いろいろ言葉の定義も違うみたいだし。
    現代数学の定義で、カントの言葉を言い換えたらどうなるかな?
    少なくとも、カントは自分の概念に『アプリオリ』という言葉は使えないでしょう?
    現代数学のアプリオリと定義が違うんだから。

    それなのに、カントの言葉に込められたカントの意図を捨てて、カントは、数学はアプリオリな総合判断、と言った、として批判する。
    というように、今の私には思えてしまいます。

    とは言っても、
    とりあえず、、、んー、中学の幾何学からかなぁ、
    せめてそれくらいは、がんばって勉強してみますぅ

    ありがとうございますm(_ _)m




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■2032 / inTopicNo.69)  アプリオリな総合判断
□投稿者/ pipit -(2019/11/02(Sat) 18:58:16)
    アプリオリな総合判断が成り立つのか?
    をカントが問題にしたのは、形而上学が成り立つのか?という問いが根底にあるからと思います。

    形而上学は、経験に頼らない。
    経験に頼らないのに、知識を拡大できるのか?
    それがカントの問いだと思います。

    アプリオリな総合判断が成り立つならば、
    経験に頼らない知識の拡大が可能となる、
    という目論見が、
    『アプリオリな総合判断は可能か?』という問いの根底にあると思います。

    かくして、アプリオリな総合判断は可能か?という探求が始まるのですが、
    『純粋理性批判』におけるこの探求の答えは、
    【アプリオリな総合判断は可能であるが、それは、人間の経験を可能にする原理としてのみ可能である。】だと、私は思います。(後で関連箇所を引用します。)

    人間にとっての経験を可能にしてるのは、感性と悟性(知性)であり、感性と悟性の働き方の過程でのみ、アプリオリな総合判断は可能、ということだと私は思いました。

    アプリオリな総合判断、が、感性と悟性の働きの中で可能となるとき、
    アプリオリな総合判断として出された【意味を付与された概念】は、全て、感性と悟性の働きを経たものということだと思いました。

    それは、感性と悟性の働き、からの、分析判断、ということでしょう?
    『感性能力の分析判断』という言葉は、カントの文脈での言葉では決してありません。
    現代数学で使われる(?)『アプリオリな分析判断』という言葉の使い方に合わせて、
    私が述べた言葉です。

    図形の性質から機械的に分析判断で『三角形の内角の和は180度』という命題が成立するというとき、且つそれは、アプリオリな分析判断だ、と言う時、
    図形の性質に幾何学の全てが含まれてる、ということかと思います。

    カントは、その図形の性質が感性能力により成り立つ。
    つまり、図形の性質は、全て、感性の能力を経て生まれている、という主張をしてるとするなら、現代数学の言葉で言えば、カントの言ってることは、
    幾何学の全ては、感性の能力の分析判断だ、と、同意味ではないかと私は思いました。

    直線は180度の性質から、三角形の内角の和は180度、ってどうやってわかるの?と、息子に聞くと、カントが『アプリオリな総合判断の例』として提示していた解き方と一緒っぽいものを教えてくれました。ちなみに、その解き方は私も知ってました。
    同じ解き方を、
    現代数学は、アプリオリな分析判断と言い、
    カントは、アプリオリな総合判断と言った。

    現代数学では、ある一定条件内における図形の性質からの分析判断と考え、
    カントは、感性のアプリオリな性質からの総合判断と考えた。

    アプリオリな総合判断は現代数学では成り立たない、で、オーケーです。

    (ユークリッド幾何学?では)直線、は、2点間の最短距離、は、現代数学ではアプリオリな分析判断で、
    カント哲学では、アプリオリな総合判断。

    カントの考え方は、現代数学では通用しない、ということを了解しました。




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■2033 / inTopicNo.70)  引用
□投稿者/ pipit -(2019/11/02(Sat) 19:18:06)
    >かくして、アプリオリな総合判断は可能か?という探求が始まるのですが、
    『純粋理性批判』におけるこの探求の答えは、
    【アプリオリな総合判断は可能であるが、それは、人間の経験を可能にする原理としてのみ可能である。】だと、私は思います。(後で関連箇所を引用します。)<

    ということで、
    『カント哲学の核心』御子柴善之先生著の、p155〜157あたりを抜粋引用しようと思いますが、その中にでてくるカントの文章だけ、先にピックアップして引用して、後で御子柴先生の引用も合わせて投稿します。

    カントの文章は、『プロレゴーメナ』からの引用です。

    ↓カントの言葉の引用
    ※※※※※※※※


    さて、以上のことから、これまで探求してきたことすべてについて、以下のことが帰結する。
    「すべてのア・プリオリな総合的原則は可能な経験の原理に他ならない」、また、決して物それ自体に関係づけられることはできず、経験の対象としての諸現象にしか関係づけられ得ない。(Ak313、中公100、岩波131)



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■2037 / inTopicNo.71)  引用
□投稿者/ pipit -(2019/11/03(Sun) 23:21:39)
    こんばんは☆

    後で引用しますと言っていた箇所を引用します。
    『カント哲学の核心』御子柴善之先生著、p156.157からの引用です。
    冒頭二文がカントの言葉。後が御子柴先生の解説です。

    『 さて、以上のことから、これまで探求してきたことすべてについて、以下のことが帰結する。「すべてのア・プリオリな総合的原則は可能な経験の原理に他ならない」、また、決して物それ自体に関係づけられることはできず、経験の対象としての諸現象にしか関係づけられ得ない。(Ak313、中公100、岩波131)

    カントもここに明記しているように、これは「いかにしてア・プリオリな総合判断は可能か」という問いに導かれてきた、これまでの探求すべての結論である。すなわち、純粋自然科学を可能にする純粋悟性の諸原則はたしかにア・プリオリな総合的原則であり、ア・プリオリな総合的命題として表現される。しかし、それは可能な経験の原理に他ならないのである。縮めて言えば、ア・プリオリな総合的判断は経験を可能にする原理としてのみ可能なのである。したがって、それは経験の諸対象の領域である現象界(感性界)を超え出ることができない。ア・プリオリな総合的判断を含む、純粋数学も純粋自然科学も現象界を超え出ることはできないのである。これはもう、従来型の独断論的形而上学の不可能宣言に他ならない。』
    引用終了

    おつかれさまです、おやすみなさい ☆彡


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■2039 / inTopicNo.72)  プリンキピア
□投稿者/ pipit -(2019/11/03(Sun) 23:34:59)
    プリンキピアの原書(第二版くらいかな?)ガラスケース越しにたまたま見たことあります。

    プリンキピアの意味も知らんけど〜〜〜

    原理とかかな?
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