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■1984 / inTopicNo.49)  対象性
  
□投稿者/ pipit -(2019/10/26(Sat) 00:18:27)
    かつて、Gプラウスさんという方が、

    現象は、
    規定された〈現象〉としては、感性に依存し、
    〈規定された〉現象としては、悟性に依存する、
    とまとめてみせたことがあるそうですが、

    御子柴善之先生は、

    この悟性が「規定する」という機能によって、現象に〈対象性〉が付与されるのである。

    とされてました。(『カント哲学の核心』p152)

    コペルニクス的転回で、認識に対象が従うと言っても、神様が光あれと言えば光が現れるような意味での、対象の産出ではなく、
    現象に対象性を付与して対象となるかんじかなー。

    認識に対象が従う、かぁ。


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■1991 / inTopicNo.50)  テレパシー
□投稿者/ pipit -(2019/10/26(Sat) 20:49:18)
    わ〜

    全然気にしてないです〜

    単語なんて、単語なんて、単語、、、って何?

    エフニさん、そういうことも詳しそうですね(o^^o)

    考えだすといろんなことがわからなくなりそうで

    土台が不安定になりそうで

    哲学ってなんなんかなー
引用返信/返信 削除キー/
■1994 / inTopicNo.51)  経験の類推
□投稿者/ pipit -(2019/10/27(Sun) 18:09:22)
    経験の類推とは、
    経験一般の現存在にかかわる力学的原則。経験の可能性の基礎となる原則。
    (御子柴善之先生の文章のpipit的理解。カント哲学の核心p143)

    で、経験とは、
    『すなわち知覚によって客体を規定する認識のことである。』(中山元先生訳文251)

    で、原則とは、
    『純粋な知性は、あるものが生起するための規則を定める能力であるだけでなく、それ自体が原則の源泉となる。この原則にしたがうことで、わたしたちにとって対象として現れることのできるすべてのものが、必然的に規則にしたがうようになる。』(中山訳文227)

    知覚によって客体を規定する認識(経験)の可能性の基礎となる原則(システム)、ですね。
    可能性、というのは、可能な範囲ですね。
    その原則によりどこまでが可能か。

    それで冒頭の文章に戻れば、

    経験の類推とは、
    経験一般の現存在にかかわる力学的原則。経験の可能性の基礎となる原則。

    知覚による客体の認識一般において、現存在にかかわる力学的原則。

    つまり、わたしたちにとって、客観的認識の中の力学的認識(knowledge)が出来上がる際に使われてるシステム。

    そういうことかあ、(な?)
引用返信/返信 削除キー/
■1995 / inTopicNo.52)  Re[35]: 経験の類推
□投稿者/ pipit -(2019/10/27(Sun) 18:11:01)
    わたしたちにとって、客観的認識の中の力学的認識(knowledge)が出来上がる際に使われてるシステム。

    それが、経験の類推という原則。

    という理解でとりあえず読み進めてみます。
引用返信/返信 削除キー/
■1996 / inTopicNo.53)  Re[24]: 3つの経験の類推
□投稿者/ pipit -(2019/10/27(Sun) 18:22:26)
    前にした投稿。

    客観に妥当する力学的認識(knowledge)を創り出すシステム。
    Aは、質量保存の法則
    Bは、慣性の法則
    Cは、作用反作用の法則
    を、経験の中につくりだす(?)ということ、かな ?
    勉強つづけなくちゃまだわからないね!


    > 経験の類推は、3種の枠組みにおいてなされる。
    >
    > 先に三種の大枠を書きます。
    >
    > A 第一の類推 実体の常住不変性の原則
    > 《実体はつねに常住不変であり、自然における実体の量は増えもしなければ減りもしない》
    >
    > B 第二の類推 因果律に従う時間的継起の原則
    > 《一切の変化は原因と結果とを結合する法則に従って生起する》
    >
    > C 第三の類推 相互作用あるいは相互性の法則に従う同時的存在の原則
    > 《およそ一切の実体は空間において同時的に存在するものとして知覚される限り完全な相互作用をなしている》
    >
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■1998 / inTopicNo.54)  哲学における類推(アナロジー)
□投稿者/ pipit -(2019/10/27(Sun) 18:39:39)
    『カント入門』石川文康先生、p126より引用開始
    『(略)、今の場合、異質なもの同士の等しい関係をあらわす。したがって、これらの原則は、他の原則とちがって、いずれも二項の関係(「A対B」の関係)をあらわす。そしておよそ二項関係は、「恒常性(通時性)」、「継起(前後関係)」、「同時存在」という時間の三つの様態に対応して、三種類あることから、類推も今あげた三つに還元される。』
    引用終了。

    知覚、と、知覚、の、二項だね、多分。
    ある知覚とある知覚の関係を定めるシステム。

    スチール写真をバシバシ撮って(というか、写真という在り方がスチールstillという形態になるんだろうけど)、その写真と写真の関係を定めるシステム、って考えてもとりあえずはいいかな??
引用返信/返信 削除キー/
■1999 / inTopicNo.55)  Re[26]: 哲学における類推(アナロジー)
□投稿者/ pipit -(2019/10/27(Sun) 18:54:53)
    >今の場合、異質なもの同士の等しい関係をあらわす<

    ある対象、についての規定だから、等しい関係、と表現するのかな ?

    アナロジーかぁ


    数学とは違う使い方、っていっても、数学もほんと全然知らないからな〜(^^;;

    お恥ずかしいなぁ
引用返信/返信 削除キー/
■2000 / inTopicNo.56)  Re[13]: pipitさんへ
□投稿者/ おくったがわ -(2019/10/27(Sun) 19:41:00)
    No1936に返信(pipitさんの記事)

    > >たとえば専門家の書いたものでも絶対的な答えとして読んでなく、考えるきっかけにするつもりで見てたりしますので、pipitさんの説明や参考資料の引用はとてもありがたいです。考えるヒントにさせていただいてます。<
    >
    > 私も、目標としては、おくったがわさんのような気概でありたい、と、思っています。
    > でも、私は、感情に引っ張られて冷静に判断できないことも多いです(^_^;)

    なんかエエかっこ書いてますね自分。
    たぶん、自分は全体を理解しようする根気も能力もないため脈絡なく読んでるから、そういうことになるので、気概では全くないです。
    pipitさんはカントの考えたこと・全体像を理解するという目的をもって臨んでいるから。

    > >いつもレスが遅いので、新しい話題の腰を折る形になっていてもうしわけないです。<
    >
    > 感謝しかないですよぉm(_ _)m♪
    >
    > いろいろなご縁があって、それがそれぞれの日常にほんの少しでも良い作用になってたらステキだな、って思います。

    そうですね。ほんとに。
    と言いながら、またもや時間空いてしまってます。
    今回はもう少し早くレスできたのに、ルータの故障でつなげなかったりもして、なおさら。今日取り替えましたけど。
引用返信/返信 削除キー/
■2001 / inTopicNo.57)  Re[18]: 第二類推、因果関係
□投稿者/ おくったがわ -(2019/10/27(Sun) 19:45:49)
    No1956に返信(pipitさんの記事)
    因果関係、自分も考えてみました。基本的なことしか書けません。

    人が火を触った後・火傷が発生する という組合せが何度も起こり、
     逆に、火を触っても火傷にならない事例は稀なとき
    1. 火が火傷の原因だ と考えるようになる
    これがヒュームの言う「因果関係は習慣から作られる」だと思われます。
    --しかし、分かるのは(常に)セットで起きるということだけであり、原因と結果というものを想定すべき根拠はない(とたぶんヒューム)
    2. それとは別に(?)、帰納法の問題があり、
    今まで常に同じことが起きたから、今後も同じことが起きる と結論する。
    人が火を触ると火傷が生じる というセットが、観察された限り常に起きていたから、明日からも人が火を触れば火傷が生じる と結論する。(しかし、実はその結論は真とは限らない、明日突然火傷しなくなるかもしれない −とこれもヒュームだったかな…別人かな?)

    そこで、pipitさんが「赤ちゃんが火に触ったら火傷する」と考えるとき、その理由はなにか、と。

    あと、
    現代人が「花火を触ったら火傷する」と考えるとき、科学的知識も関わってくるので上の1,2のように単純ではないかもしれませんが、
    その科学も根本的には「AとBはセットで起きる」で成り立っていて、原因-結果という表現は便宜的なもの。(たぶん)

    (間違いあり得ますので、そこおかしいと思われましたら指摘お願いします)

    > カントの因果についての考え方はどんなのなのかな、理解してみたいな、と思いました。

    先日の岩井拓朗さんという人の論文は、因果性のカテゴリーで現象について原因-結果を認識した後〜 の話で、因果性のカテゴリーそのものや、どうやって原因-結果と把握するのかについては、無かったですね。たしか。

引用返信/返信 削除キー/
■2003 / inTopicNo.58)  おくったがわさんへ
□投稿者/ pipit -(2019/10/27(Sun) 23:46:08)
    おくったがわさん、こんばんは!
    書き込みありがとうございます(^_^)

    > 因果関係、自分も考えてみました。基本的なことしか書けません。
    >
    > 人が火を触った後・火傷が発生する という組合せが何度も起こり、
    >  逆に、火を触っても火傷にならない事例は稀なとき
    > 1. 火が火傷の原因だ と考えるようになる
    > これがヒュームの言う「因果関係は習慣から作られる」だと思われます。
    > --しかし、分かるのは(常に)セットで起きるということだけであり、原因と結果というものを想定すべき根拠はない(とたぶんヒューム)
    > 2. それとは別に(?)、帰納法の問題があり、
    > 今まで常に同じことが起きたから、今後も同じことが起きる と結論する。
    > 人が火を触ると火傷が生じる というセットが、観察された限り常に起きていたから、明日からも人が火を触れば火傷が生じる と結論する。(しかし、実はその結論は真とは限らない、明日突然火傷しなくなるかもしれない −とこれもヒュームだったかな…別人かな?)
    >
    > そこで、pipitさんが「赤ちゃんが火に触ったら火傷する」と考えるとき、その理由はなにか、と。<

    うーん、やっぱり私の個人的な実感としては、自分の【経験】からですね。
    (赤ちゃんが火を触ったら火傷する)と私が言うとき、わたしの子供が小さいとき、線香花火の燃えてる玉を掴んで火傷した経験が私の脳裏に刻まれています。(ダメ親です。次男くん本当にごめんね)

    ここで、カントの考え方かな?と思うことを書きます。まだ勉強途中なので間違えてたらすみません。

    線香花火を子供が持ってる知覚

    子供がジジジと小さな光る玉を掴む知覚

    子供の指が黒く傷つき泣き叫ぶ知覚

    子供の手を掴みバケツへつける知覚

    これらの知覚を、原因と結果という考え方(思考)の元に包摂して、はじめて、「花火(火)を触ると火傷する」という経験をする。

    知覚は、物自体から感性が受動的に得たもの。
    得たもの、を、このカテゴリーに包摂するとき、(包摂する条件があります。そこらへんが多分岩井拓さんの記述でなされてると思います。)、わたしたちは、その経験が客観に妥当する認識だと理解する。(もちろん、その理解が全て正しいわけではなく、その正誤を他人と同じ土台で議論できる用意ができたということ)

    カントにとっては、原因と結果の経験、が、因果関係という枠組みがないと成り立たない、
    ということなのかなーと今のところ思いました。

    火を触る、火傷する、という人間にとってのバラバラな知覚を、客観に妥当する認識(火傷の原因は火を触ったこと)に変化させたのが、経験の類推という原則であり、その原則に沿うための条件に、受動的な感受による表象の現れ方が適っていた、というイメージを持ちました。


    > あと、
    > 現代人が「花火を触ったら火傷する」と考えるとき、科学的知識も関わってくるので上の1,2のように単純ではないかもしれませんが、
    > その科学も根本的には「AとBはセットで起きる」で成り立っていて、原因-結果という表現は便宜的なもの。(たぶん)<

    そうですね、私も実感としては、原因と結果という表現は便宜的、とも思えますが、、、目を開けたら空間の中に物が配置されているように見えるように、どうしても原因と結果という思考の枠組みで現象を捉える場合があるということかなぁ。
    ちょっとまだちゃんとわからないですm(_ _)m


    >>カントの因果についての考え方はどんなのなのかな、理解してみたいな、と思いました。
    >
    > 先日の岩井拓朗さんという人の論文は、因果性のカテゴリーで現象について原因-結果を認識した後〜 の話で、因果性のカテゴリーそのものや、どうやって原因-結果と把握するのかについては、無かったですね。たしか。<

    大分簡潔に記述されてましたもんね。
    岩井さんの論文も参考にさせていただいて、カントの文章や他先生の解説を読んで、ちょっとずつでも理解していけたらな、と、思っています。
    それにしても、、、カントの文章はある意味苦行ですよね!

    おくったがわさん、ありがとうございます、おやすみなさ〜い(^O^)/


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■2004 / inTopicNo.59)  わたしのせいてん
□投稿者/ pipit -(2019/10/28(Mon) 22:38:14)
    カントばっかり、こんつめてると、疲れちゃうね

    きょうてんうらないしよっと。

    テーリーガーター

    目をつむって、指差すと、

    199、シースパチャーラー尼様の詩偈の途中でした。

    二偈だけ続きで抜粋します。中村元先生の訳です。

    『199 繰り返し、一つの生存から他の生存へと、己が身を尊重し、生死のうちをへめぐりながら、己が身を超えることができない。

    200 全世界は燃え立っている。全世界は焼かれている。全世界は焦がされている。全世界は揺らいでいる。』

    2500年前くらいに生きていた女性が唱えたとされる言葉。



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■2008 / inTopicNo.60)  思ったこと
□投稿者/ pipit -(2019/10/30(Wed) 16:05:10)
    >経験とは、
    『すなわち知覚によって客体を規定する認識のことである。』(中山元先生訳文251)<

    知覚によって客体を規定するためにカテゴリーが原則に沿って使用される。

    感官の対象の知覚、が、受動的であり、
    その知覚を使って客観的妥当性を持つ『対象』を規定する。

    まず、知る、の窓口は、感官の対象。
    (今で言えば、この意味が規定されていない一部がオレンジ色とかに映る眼識)

    その対象を、カテゴリー・純粋悟性概念使って、客体としての対象、を、作る。
    (オレンジ色の塊3つの実体という対象)

    さらに、カテゴリーや他の概念も使って、オレンジ色の塊をミカンと言い、3つのうち一つは店で買ったもの、残り二つは職場先でいただいたもの(オレンジ色の度合いで区別する)と、、、規定する。

    これらの規定は、最初に受け取った、受動的眼識には含まれておらず、
    受け取った、わたし、が、能動的に思考作業により、意味を付加した。

    この一連の作用は、エピソード記憶を作る作用、って言ってもいいかも?と思いました。

    それで思ったことは、認知症の方は、この思考作用部分が壊れてると言えないかな、と思いました。
    知覚から、客観的に妥当する客体を規定できない、と表現できるんじゃないかな、と。

    最初に起こる眼識は受動です。
    その受動的な眼識、を、能動的に(客観に妥当するように)考えるのが悟性(知性)ですが、
    カテゴリーの適用が壊れてたり、記憶再生能力が壊れてたり(規定には少なくとも複数の記憶が必要だと思います)、カテゴリー自体が壊れてたり、
    様々な症状はあると思いますが、

    客観的に妥当する『ストーリー』や『エピソード』がつくれなくなってるのが、認知症といえないかな、と、考えました。

    カントは最期は認知症みたいになったそうです。

    わたしもなるかも。
    なりたくはないけど、わかりませんもんね。
    あんまりまわりに迷惑かけなきゃいいけどなぁ。

    カント先生は認知症(?)になっても可愛いかったっぽいですけど(o^^o)

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