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■1964 / inTopicNo.37)  日記
  
□投稿者/ pipit -(2019/10/22(Tue) 23:44:25)
    ぴっ
    ぴっ

    って、なんか鳴いてる

    どんな形した生き物なのかなー

    鳥なんか哺乳類なんか両生類なんかどんなものかわからないなー

    おやすみ〜

    おはよー ?

    わたしは、おやすみだよ〜 (-_-)zzz
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■1968 / inTopicNo.38)  つぶやき
□投稿者/ pipit -(2019/10/23(Wed) 08:59:34)
    おはようございます(o^^o)

    わ〜
    訂正するつもりとか全然考えてないです〜

    純粋悟性概念は、純粋悟性判断、と言っても
    、おかしくないんじゃないかなぁ、と私自身は思っています。

    実際のわたしたちの判断という行為から、使われてる概念を見つけ出してるかんじに、
    今のところ私は思ってます。

    日記的になってて、自分の思いの中にこもって文章書いてて、いろんなこと配慮せず、誤解与えるような文章になってたらすみません(>人<;)

    勉強がんばってみま〜す、いつもありがとうございます(^O^)/




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■1970 / inTopicNo.39)  経験の類推
□投稿者/ pipit -(2019/10/23(Wed) 23:33:36)
    怠けてしまって勉強進みません(ノ_<)
    今からちょっとだけでも進もう

    経験の類推の続き☆

    多様な知覚を時間的に「必然的なもの」として結びつける働きが、「経験の類推」と呼ばれる。
    その際の、対象についての認識としての時間規定は、三種類。
    1.実体性・・・持続性(常住不変性)
    2.原因結果性・・・前後関係(継起)
    3.同時性・・・並存性(同時的存在)


    ・構成的konstitutiv原理
    直観の公理や知覚の先取的認識についてのように、数学的な量として把握するためのアプリオリな原則を数学的原則と呼び、対象を数量化して構成的に捉えられるので、構成的原理と名付けようと思う。
    その構成的原理に対して、

    ・統整的regulativ原理
    経験の類推とは、現象から受けとられた対象がどのような存在であるか(存在様式)を認識するための原則である。
    つまり、対象の「存在の仕方」を見出す原則なので、経験の類推を「統整的regulativ原理」と呼びたい。
    ちなみに、類推(アナロジー)は哲学的には質的な相似性を意味する。

    もう一つ付け加えれば、知覚の多様を綜合して対象の現象存在を認識する経験の類推の原則は、他の原則と同様に、あくまで悟性の先験的使用ではなく、経験的使用としてだけ妥当性を持つ。
    私たちは物自体をアプリオリにも綜合的にも認識することはできず、だからこの原則はどこまでも、現象としての対象の認識にのみ適用される。




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■1972 / inTopicNo.40)  3つの経験の類推
□投稿者/ pipit -(2019/10/23(Wed) 23:48:43)
    経験の類推は、3種の枠組みにおいてなされる。

    先に三種の大枠を書きます。

    A 第一の類推 実体の常住不変性の原則
    《実体はつねに常住不変であり、自然における実体の量は増えもしなければ減りもしない》

    B 第二の類推 因果律に従う時間的継起の原則
    《一切の変化は原因と結果とを結合する法則に従って生起する》

    C 第三の類推 相互作用あるいは相互性の法則に従う同時的存在の原則
    《およそ一切の実体は空間において同時的に存在するものとして知覚される限り完全な相互作用をなしている》

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■1973 / inTopicNo.41)  中島義道先生の解説
□投稿者/ pipit -(2019/10/24(Thu) 18:48:23)
    『カントの時間論』中島義道先生
    p5〜7より抜粋引用

    『(略)
    すなわち、なぜ因果性のカテゴリーが時間にうまく適用されるのか、という問いに対するカントの答えは、時間がその内に因果的構造を内包するからなのである。
    (略)
    「感性論」から「原則論」まででは、時間が外的・内的世界を秩序づける能力をもつこと、すなわち経験的実在性をもつことが論証されている。
    だが、こうした外的・内的世界の秩序能力を有する時間が、それ自体としては存在せずに自我による構成によるかぎりで存在するという時間の超越論的観念性については「感性論」から「原則論」に至るまで主観的には考察されてはいない。カントは「弁証論」の「アンチノミー(二律背反)論」ではじめてこの問題を扱っている。

    カントは「第一アンチノミー」で、時間とは自我によって構成されるかぎりで存在することを、世界=時間の始まりに関するアンチノミーを通じて確認している。この論証はやや抽象的であり、あまり説得力が強いとは言えない、だが、カントはさらに具体的に「第三アンチノミー」で時間と自由との関係を問うている。物理学を可能にし、私の「こころ」をも位置づけることができる客観的時間でさえ、私の自由な行為をそのうちに位置づけることはできない。そのかぎり、それは観念的なのである。この結論は、つまるところ私の自由な行為こそが実在的(レアール)であることを語っている。

    すなわち、カントの時間論のすべてを支えるのは、私の自由な行為こそが実在的であるという前提である。いかに物理学を基礎づけ外的・内的世界を秩序づける能力をもとうとも(時間の経験的実在性)、時間は、実在的な私の自由な行為を秩序づけることができないゆえに、観念的であるにすぎない(時間の超越論的観念性)。』
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■1974 / inTopicNo.42)  Re[25]: 中島義道先生の解説
□投稿者/ pipit -(2019/10/24(Thu) 18:58:18)
    わたし、むかーし、
    仏教でいう解脱って、因果律からの解脱なんかな、って、ふと考えたことあるんですよね

    なんかそのこと思い出すな〜

    おもしろいなぁ

    カントは、
    自我による構成で時間という形式ができて
    その時間に因果律が内包されている
    って言ってるの?

    自我がなくなると。。。因果律が内包されている時間もあらわれないのかな?

    ここらへんは経験しやんなわからへんと思ってるけど、

    考え方として考えてみても、おもしろいなぁ



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■1975 / inTopicNo.43)  第一類推 実体と付随性
□投稿者/ pipit -(2019/10/24(Thu) 22:54:10)
    A 第一の類推


    どんな現象(経験)も、必ず時間の枠組みの中で、
    ある場合は時間的に継起きてゆくものとして、
    あるいは同時的な存在として現れる。

    多分こうなのかな?と、pipitが今考えてるのは、
    太陽が東から昇り、西へ沈む、は、継起的な現象(経験)で、
    机の上にコップがあり本もある、は、同時的な存在としての現象(経験)、
    かな?

    継起と同時、って、不変な枠組みがないと、そういう表現はできないのであり、その不変の枠組みを、「基体」としての不変の時間と呼ぼう、って、カントは言ってるみたいです。
    それで、人間には時間はそのもので知覚されるものではなくて、基体としての時間の代わりになるものが必要だが、それがつまり事物の「実体性」であると言おう、ということみたいです。

    変化を認識するためには、変わらないものという基準が必要になる、ということかなと思いました。

    変化は、実体そのものが変化してるのではなく(自然における実体の量は増えもしなければ減りもしない)、実体の属性や様態、状態が変化してる、と、私たちは現象を考えている、という考え方かな。

    卵がプリンに変わった、と、言う時も、
    実体は不変であり、その状態が変わってる、と、私たちは考えるということかな。
    卵とプリンが別物、なら、変化は生じない。
    不変の実体という概念がないとき、変化もない。

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■1976 / inTopicNo.44)  Re[27]: 第一類推 実体と付随性
□投稿者/ pipit -(2019/10/24(Thu) 22:58:06)
    頭の中で不変の実体としてつなげてないと、

    変化も無いんだなー

    おもしろいなー
引用返信/返信 削除キー/
■1977 / inTopicNo.45)  Re[28]: 第一類推 実体と付随性
□投稿者/ pipit -(2019/10/24(Thu) 23:01:56)
    次は第二類推、因果性。

    第二類推において問題なのは、事象の時間的な継起をわれわれがどう認識するかという問題だそうです。

    今日はあとは好きなもの読んで寝よう〜と

    おやすみなさい (o^^o)
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■1980 / inTopicNo.46)  経験の類比
□投稿者/ pipit -(2019/10/25(Fri) 18:35:56)
    今更ながら、勉強該当部分のカント自身による文章をはじめて(?)読んでます。
    (といっても、一行二行レベル・泣)

    んー、やっぱりおもしろそう。。。

    読んでもわからんやろ、と、他先生の解説から勉強してたけど、訳者の中山先生の力なのか、もしかしたらわかるかもやからやっぱり読んだ方がいいかも、と、思わせてくれます。


    まあ、超難しいのは難しいけど(T_T)

    カントによると、
    『すでに指摘したように経験とは、知覚によって客体を認識することである。』
    だそうです。

    『経験とは、経験的な認識のこと、すなわち知覚によって客体を規定する認識のことである。だから経験とは知覚の総合であるが、この総合は知覚そのもののうちに含まれているものではなく、知覚された多様なものの総合的な統一を、一つの意識のうちに含んでいるのである。この総合的な統一が、感覚能力による客体の認識の本質であり、(たんに直観や感覚能力による感覚ではなく)経験の本質である。』(中山元先生訳文251)

    知覚から対象が現れるでしょう?
    どこで線引きするかが問題だなぁ。
    今の所の私見だけど、
    感じたものを考えることによって私たちにとっての対象があらわれるということかなぁと。
    それで、知覚、から、対象、に至るまでの間に、《総合》がなされてるのかと。
    その《総合》を成してる働きが、【原則】かなぁ、と、私見を書いてるとき、
    原則についてのカントの記述見つけました。

    『純粋な知性は、あるものが生起するための規則を定める能力であるだけでなく、それ自体が原則の源泉となる。この原則にしたがうことで、わたしたちにとって対象として現れることのできるすべてのものが、必然的に規則にしたがうようになる。』(中山訳文227)

    んー。

    とりあえず、知覚、から、対象へ至る道程、ということをイメージしておきます。




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■1982 / inTopicNo.47)  Re[30]: 経験の類比
□投稿者/ pipit -(2019/10/25(Fri) 18:54:57)
    『だから経験の類比とは、知覚から経験の統一を生じさせるための一つの規則であり、経験的な直観一般として、知覚そのものを生じさせる規則ではないのである。そして対象に(現象に)適用される原則として構成的に妥当するものではなく、統制的に妥当するだけなのである。』(中山訳文256)

    素材がないのに、好き勝手に知覚を作るわけじゃないんだね。
    素材、を、料理する、料理の仕方が、原則だね。


    それから、経験の類比の原則は、直観的な明証性を備えたものではないんですって。
    因果は直観的には見えないからかな。
    論証的明証性、なのかな。
    直観的明証性を備えた原則もあるみたいやけど、見る(読む)気力起こらないわ〜

    それにしてもいろいろややこしいな o(`ω´ )o
引用返信/返信 削除キー/
■1983 / inTopicNo.48)  ひゅ〜む
□投稿者/ pipit -(2019/10/25(Fri) 18:59:34)
    ヒュームにすごくショック受けさせられたから、

    ヒュームのこと、意識に上がるんだろうね
引用返信/返信 削除キー/

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