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■1918 / inTopicNo.25)  wikiの引用
  
□投稿者/ pipit -(2019/10/03(Thu) 23:32:21)
    カントおたく以外には、あんまし参考になるのかならないのかわからないけど、一応関連しそうなwikiの文章も引用します。(^^;;
    いつもありがとうございます!ちゃんとわからなくてすみませんm(_ _)m

    先験的感性論
    時間および空間(以下時空)は直観の先天的形式である。外的現象に適用される空間は、外的印象を並列的に受け取る外的直観の先天的形式である。これに対し一切の現象に適用される時間は、内的状態を継時的に受け取る内的直観の先天的形式である。ここでいう時空は概念でなく直観である。すなわち個々の時空と唯一の時空とは、個別者と概念との関係でなく部分と全体との関係をもつ。時空の制約は物自体(それ自身は現象しない)には適用されない(先験的観念性(transzendentale idealitat) )。時空はそれによってのみ現象が可能となる主観的制約(経験的実在性 (empirische kealitat) )である。そのため、見出されるはずの一切の対象に妥当すると言いうる。
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■1925 / inTopicNo.26)  意識一般
□投稿者/ pipit -(2019/10/06(Sun) 23:04:16)
    今、カントの、原則の分析論・経験の類推の箇所を勉強しようとしてるのですけど、その過程で、

    意識一般

    というカントによる概念用語を初めて意識しました。(目は通してたけど頭にちゃんとは入ってきてませんでした)

    御子柴善之先生の文章の引用↓
    『(略)、私たちがすでに検討したように、知覚判断と経験判断がある。知覚判断は主観的であり、諸知覚を結合するものであり、認識主観の状態を判断するものに過ぎない。この判断が客観の経験に届くことはない。では経験判断は、何ができたときに成立するのだろうか。それをカントは「私が知覚を意識一般において結合するとき(Ak300、中公81、岩波103)と記している。結合されるものが知覚であっても、〈私の主観的意識〉ではなく「意識一般」においてそれが結合されるとき、経験が成立するというのである。意識一般とは、〈私の意識〉や〈君の意識〉を概念的に包み超えた意識である。そんな意識がどこかにあるだろうか。あるのは〈私の意識〉や〈君の意識〉だけなのではないか。いや、それでは自然科学が成立するはずはない。権利上、〈私の意識〉や〈君の意識〉に通底する「意識一般」の可能性が想定され、そこで諸知覚が結合されるとき、経験判断が成立するのである。こうして、カントは経験一般の分析を通して「意識一般」というキーワードを取りだした。』
    (『カント哲学の核心』御子柴善之先生、p128.129より引用)


    なにこれーーー

    意識一般、って、おもしろそうなキーワードじゃないですか〜!(◎_◎;)

    カント先生、そんなこと述べてられましたの〜?

    ルソーの一般意志のパクリ(×)
    、、、触発されて閃いたのかなぁ
    違うかなぁ?

    また機会があったら、一般意識についても調べてみたいな(^ ^)


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■1926 / inTopicNo.27)  Re[13]: 意識一般
□投稿者/ pipit -(2019/10/06(Sun) 23:09:29)
    >>1925

    >また機会があったら、一般意識についても調べてみたいな(^ ^)<

    あ、違う違う

    カント先生は、意識一般、でした m(_ _)m
    (原語調べてないですけど。。。)


    (´-`).。oO(パクリじゃないもーん)

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■1932 / inTopicNo.28)  原則の分析論・経験の類推 B第二類推!
□投稿者/ pipit -(2019/10/08(Tue) 21:55:53)
    今ちょうど読書籠り部屋にて勉強している、第二類推のことについて述べられてた文章をネットで見つけました。
    ありがたや〜、です !


    h
    ttp://philosophy-japan.org/wpdata/wp-content/uploads/2016/05/b0c506bdaa5854a7f66c074cbfee5018.pdf

    客観的世界を経験するとはどういうことか
    ー『純粋理性批判』第二類推についての考察ー

    岩井拓朗さん

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■1933 / inTopicNo.29)  原則の分析論・経験の類推
□投稿者/ pipit -(2019/10/09(Wed) 14:12:27)
    20分だけ、14:00まで、勉強します

    経験の類推の概略を、竹田青嗣先生の『カント『純粋理性批判』』p109〜126で理解を試みます。

    その原理
    経験は知覚の必然的結合の表象によってのみ可能である。

    竹田先生の解説
    (一つの経験的認識が成立するには、必ず個々の知覚をある"必然的な関係"として結びつける表象が必要である。)

    経験的認識とは、対象や事象が"どのようなものであるか"についての認識。
    つまり、知覚によって客観を規定するような認識。
    多様な知覚がある仕方で綜合されて、その対象の客観的な認識が可能となる。
    この知覚の綜合の必然性は、知覚そのものには属していない。

    多様な知覚の結びつの原理は、知覚ではなく、思考(悟性=概念の働き)にある、とカントは主張する。
    多様な知覚を時間的に「必然的なものとして」結びつける働きが、ここでは「経験の類推」と呼ばれる。

    時間の基本の様態(modus)の三つの枠組み
    ※常住不変性(持続)(変わらず持続するものとして)
    ※継起(ある状態から別の状態が現れてるという(時間的な)原因結果として)
    ※同時存在(互いに同時に別々に存在しているものとして)

    《pipitの私見》↓
    一刹那の知覚だけじゃ、時間は成立しない。
    ただ、一知覚が《在る》だけ。
    知覚の連続により、主体にとって、時間は生じる。
    時間という枠組み内で、主体が対象を捉える時、
    その対象を、
    変わらずあるもの
    変化しながらあるもの
    同時にあるもの
    の三枠の何かを使って捉える、ということかな。

    あっという間に14:10!

    おつかれさまです
    用事がんばろ♪

    私の大好きな養老孟司先生曰く
    二宮金次郎は、本読んでるんじゃねえんだよ、マキ運んでんだよ

    先生、本音言っていいすか、
    遊んで暮らしたいよぉ〜


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■1934 / inTopicNo.30)  Re[11]: pipitさんへ
□投稿者/ おくったがわ -(2019/10/09(Wed) 15:36:15)
    2019/10/09(Wed) 15:54:07 編集(投稿者)

    > おくったがわさん、こんばんは!
    > 読み取れてなくてすみませんでしたm(_ _)m>

    いえ、完全に自分が悪いです。書いてなかったから。

    > 自信なしですが、今の時点での私見では、
    > 、、、うーん、難しい。
    > 私としては、現象として生じてるミョウバンから、空間の特性を考えてみようと、空間に改めて自分の意志で△を新たに構成してる、かなぁ
    > 受動と能動かなあ
    > 感性は受動だとカントは言ってるのですけど、
    > ミョウバンは物自体から受動的に生じて
    > そこに△を見るときは、能動的に感性の形式である空間に△を書き込みしてるかんじかなぁ。

    ミョウバン以外の自然物で、かろうじて三角に見えるとか、今まで現実には見たことのない多角形を見出したりもできますし。どんな形が隠れているかと問われて初めて見つけるということもあり得るし。生じた現象に能動的に書きこむ、というのはしっくりきます。

    進化論で、特定の形とか模様に対する先天的な反応が何故あるか、という話があったと思うのですが、
    単位的なもの(線とか)からアプリオリ(分析か綜合かはおいて)に図形を拡張できるなら、実際の個々の(天敵とか)の形を予め取り込む必要はなく、説明が簡単になるかなと思いました。これは危険な話題ですよ^^

    > 難しくてはっきりわからなくてすみません!

    たとえば専門家の書いたものでも絶対的な答えとして読んでなく、考えるきっかけにするつもりで見てたりしますので、pipitさんの説明や参考資料の引用はとてもありがたいです。考えるヒントにさせていただいてます。
    いつもレスが遅いので、新しい話題の腰を折る形になっていてもうしわけないです。

    > その仕掛けである空間を使って、純粋な概念を描く、ということは、つまり、仕掛けとしての空間の特性を描き出していることでもあると思います。
    > 経験、は、空間の特性に従って現れる。
    > その特性に則して純粋数学の概念も構成される。
    > 経験も仕掛けの特性に則して現れたもの。
    > 数学の概念も仕掛けの特性に則して作られたも
    > の。
    > 同じ、純粋直観としての空間の特性に則して在るもの、という考え方を今のところしています。

    数学で何故世界が説明できているのか? という疑問はけっこう多くの人が持つみたいですが(自分もです)、同じ仕掛けでできあがっているから、かも。

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■1935 / inTopicNo.31)  Re原則の分析論・経験の類推 B第二類推
□投稿者/ おくったがわ -(2019/10/09(Wed) 15:49:16)
    No1932に返信(pipitさんの記事)
    > 今ちょうど読書籠り部屋にて勉強している、第二類推のことについて述べられてた文章をネットで見つけました。
    > ありがたや〜、です !
    >
    >
    > h
    > ttp://philosophy-japan.org/wpdata/wp-content/uploads/2016/05/b0c506bdaa5854a7f66c074cbfee5018.pdf
    >
    > 客観的世界を経験するとはどういうことか
    > ー『純粋理性批判』第二類推についての考察ー
    >
    > 岩井拓朗さん

    面白かったです。
    しかしカントて、分かりやすく書こうと全く思ってないですね。今さらですけど。
    他の哲学者の文章の引用部分と比べてカントの文章は△#?%◎:&@□!

引用返信/返信 削除キー/
■1936 / inTopicNo.32)  おくったがわさんへ
□投稿者/ pipit -(2019/10/10(Thu) 20:03:07)
    おくったがわさん、こんばんは

    >これは危険な話題ですよ^^ <

    私もそう思います (^ ^)
    wikiからの引用の、
    『ここでいう時空は概念でなく直観である。すなわち個々の時空と唯一の時空とは、個別者と概念との関係でなく部分と全体との関係をもつ。』
    この該当部分なんかも、掘り下げて読解していけば、けっこう危うい話題になりそうな気もしてます(o^^o)

    >たとえば専門家の書いたものでも絶対的な答えとして読んでなく、考えるきっかけにするつもりで見てたりしますので、pipitさんの説明や参考資料の引用はとてもありがたいです。考えるヒントにさせていただいてます。<

    私も、目標としては、おくったがわさんのような気概でありたい、と、思っています。
    でも、私は、感情に引っ張られて冷静に判断できないことも多いです(^_^;)

    >いつもレスが遅いので、新しい話題の腰を折る形になっていてもうしわけないです。<

    感謝しかないですよぉm(_ _)m♪

    いろいろなご縁があって、それがそれぞれの日常にほんの少しでも良い作用になってたらステキだな、って思います。

    論文(?)読んでいただいたのですね!
    おもしろいな〜と私も思ってたので、嬉しいです。
    カントの文章は時に(?)悪文が過ぎる気がしますよね(^_^;)
    本人は天然的にああいう文章書いてるのかなーとも思うのですけど。
    いまだに、あーかも、こーかも、とたくさんの方が、なんとかカントの文意を汲み取ろうと努力されてますよね、
    カント先生は幸せものだな〜と思っています。

    それでは、台風も来るし、寒くもなるしで
    おくったがわさんもどうぞご自愛くださいね

    ありがとうございます(o^^o)





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■1955 / inTopicNo.33)  不定の背進
□投稿者/ pipit -(2019/10/18(Fri) 23:23:05)
    第二類推勉強したいけど、全然できてへんよぅ、

    けど、ちょっと横道それて、、、

    『カント 信じるための哲学 「わたし」から「世界」を考える』
    石川輝吉先生の本を再読してるけど、わかりやすくておもしろいです。

    いろいろおもしろいけど、不定の背進という概念もおもしろく思いました。

    石川輝吉先生の文章を引用します。
    『ここでカントは、「あたかも〜のように」という表現を使う。これは、認識の対象ではないけれど、あたかも世界の限界や最小単位といった理念があるように考えることだ。そして、そう考えることで、わたしたちの推論の意味も変わってくる。
    わたしたちの推論は、原因へ原因へ、理由へ理由へと根拠をたどるように進む。反対命題はこの推論は無限に進むとした。だが、理性の統制的原理のもとでは、この推論は無限ではない。
    まず、あたかも世界の限界や最小単位といった理念があるように考える。それを見つけるために、根拠をたどる推論は進む。カントはこの推論の進み方を「不定の背進」と呼ぶ。不定とは、簡単に言えば、できるかぎり、という意味だ。
    (略)
    世界の限界や最小単位といったものは、絶対的に認識できるというわけではない。だが、自然科学はそうしたものを理念としてめざす。そうしたものをそのつど確定するために、根拠をたどる推論は進む。
    この推論は無限に進むわけではなく、そのつど納得できる場面で止まる(おそらく、この納得の場面で重要となるのが、実験と観察、つまり、カントの枠組みで言えば、感性に与えられるものとなるだろう)。』

    不定(決まっていない)かぁ、おもしろい考え方だなあと思いました。
引用返信/返信 削除キー/
■1956 / inTopicNo.34)  第二類推、因果関係
□投稿者/ pipit -(2019/10/18(Fri) 23:42:16)
    まだちゃんと勉強してないから、勝手な感想だけ書きます。

    ヒュームは因果関係は習慣から作られるもの、ってかんじのこと言ってるのかなーと思うんだけど、
    花火触ったら火傷する、って、赤ちゃんは知らないから、赤ちゃんの中には花火と火傷の因果関係は概念としてはないけど、
    触ったら火傷するでしょう?


    なんで、大人の、習慣から作った概念と、
    概念持たない赤ちゃんの現実が、一致するのかな。
    と思いました。


    カントの因果についての考え方はどんなのなのかな、理解してみたいな、と思いました。

    雨、降りすぎやなぁ>_<

    いろんなところで、
    被害これ以上大きくなりませんように

引用返信/返信 削除キー/
■1962 / inTopicNo.35)  準備運動
□投稿者/ pipit -(2019/10/22(Tue) 22:50:09)
    経験の類推の箇所、理解したいよ〜

    その前に準備運動 ! o(^_^)o
    カテゴリーについての基本的な理解

    『カント 信じるための哲学』石川輝吉先生の本から引用します。

    引用開始
    『この一二のカテゴリーで、カントが考えていたのは次のことだろう。
    経験は言葉のかたちで言いあらわされる(カントによればこれが「判断」ということになる)。わたしたちがそれを言いあらわしている以上、なにか共通の概念(言葉)の枠組みのようなものがだれにもあるはずだ。これがカテゴリーになる。
    (略)
    ようするに、「量」「質」「関係」のカテゴリーは事物の把握にかかわるが、「様相」のカテゴリーは、そうした事物の把握がどれだけ適切か(いかに存在するか)を考えるような概念を意味する。
    (略)
    空間と時間のもとにあらわれた事物は、数や性質として把握され(量と質のカテゴリー)、そのあと物体という把握が生まれ、ほかの物体との因果関係が考えられ、事物の運動という把握も生まれる(関係のカテゴリー)。そして、そうした運動が、可能かどうか、現実的かどうか、必然的かどうかが判断される(様相のカテゴリー)

    (略)
    『おそらく、空間・時間と一二のカテゴリーのすべてにこれと同じことが言える。
    原理的にはわたしたちは主観の場所でしか、ものを考えることができない。それに、わたしたちのうちの〈普遍的なもの〉と思われるものは、絶対的な真理や物自体を写すものであるかどうかはわからない。
    にもかかわらず、わたしたちのうちには、他者と「共有できる」「同じ」「共通の」ものだと確信できるものが確かにある。

    ようするにこうだ。カントの「超越論的哲学」の試み、主観のなかから〈普遍性〉を取りだす試みは、けっして絶対的真理をめざす試みではない。
    それは、どれだけ多くの他者と共有できる言葉を自分のなかから取りだすことができるか、という努力だと言える。カントは『純粋理性批判』ではそれを自然科学が成立するための〈普遍的なもの〉とはなにか、という方向で探っていったと考えればいいだろう。』


    p127.128、130より抜粋引用終了
引用返信/返信 削除キー/
■1963 / inTopicNo.36)  カテゴリー
□投稿者/ pipit -(2019/10/22(Tue) 23:11:25)
    純粋理性批判におけるカテゴリーの別名は、純粋悟性概念。

    ☆ 日記 ☆

    わたしは前にixtlanさんとちょっとだけ対話してもらってたとき、
    不思議に思ってたよ。

    目の前にある、コップ、が、なぜ、一つのものとして、わたしは認識できるのか。

    乱雑においてあるえんぴつをなぜ瞬時に一本ずつとして認識でいるのか。

    なぜ、かたまりとかたまりとして区別するのか。

    カテゴリーは、そこらへんにもかかわってくるかな

    生命はすごい認知力だよね。

    あー、その原因は、意志という考え方もおもしろいね。
    ショーペンハウエルやった?ちがったかな?
    仏教でもそういう考え方もありそうかなー
    ないかなー

    色をキャッチしてからの、世界の作り方がすごいね

    ※※※※※※※※

    それがローカとすると、
    ローカを
    捨てていく道かぁ
    出世間 ~(・・?))

    いつかウペッカーでやさしくなれたらすてきにおもうなー




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