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■17503 / inTopicNo.49)  Re[8]: 音楽と言語
  
□投稿者/ knowing itself -(2021/10/13(Wed) 06:04:21)
    > クラシックに限らず音楽はそれ自体、ある種の言語だと思う。抽象的な記号を身体で出力して、そこにうまれる人間や自然との共鳴が音楽の本質。言語は単なるコミニュケーションツールで、必要悪、言語性悪説といった、東洋思想の一部にある言語観と、クラシック音楽の言語観は、少し違うかな。

    そういえばウィトゲンシュタインの後期に「言語ゲーム」があった。彼の「語り得ないもの」は前期の論理についての研究にあるものではあるが、ウィトゲンシュタイン哲学を彼の思索人生全体をフォローせずに、「語り得ないもの」だけを東洋思想的な沈黙礼讃のように理解する傾向が、ないとはいえないと思う。
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■17471 / inTopicNo.50)  Re[8]: 音楽と言語
□投稿者/ knowing itself -(2021/10/12(Tue) 11:10:32)
    > クラシックに限らず音楽はそれ自体、ある種の言語だと思う。

    クラシック音楽と西洋哲学の理解、受容は似ているところがある。
    作者が構想した・書いたとおり、作者のアタマに現前したとおり、鑑賞者にはそのとおりに受容することを強く迫る。他の何かに置き換えたり、解説本を受け売りしたり、触りだけでわかっりでは、歪曲、低俗化、陳腐化の危険が強い。

    西洋哲学も、本来なら原文で読むのがベストでしょう。作者が書いたとおり、思考したとおりのテキストを追いかける。

    クラシック音楽はとっつきにくいというが、作者のアタマに響いたとおりに近いものを、交響曲なら長くても一時間半で追体験できるのが魅力。科学論文でも哲学書でも、そんな短時間ではムリ。文学書でも長い。もっともこの意味でなら、絵画などは最高といえるでしょう。

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■17460 / inTopicNo.51)  音楽と言語
□投稿者/ knowing itself -(2021/10/12(Tue) 06:45:16)
    クラシックに限らず音楽はそれ自体、ある種の言語だと思う。抽象的な記号を身体で出力して、そこにうまれる人間や自然との共鳴が音楽の本質。言語は単なるコミニュケーションツールで、必要悪、言語最悪説といった、東洋思想の一部にある言語観と、クラシック音楽の言語観は、少し違うかな。
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■17408 / inTopicNo.52)  天と地の一体化
□投稿者/ knowing itself -(2021/10/10(Sun) 14:18:30)
    > 「像」という喩えで誤解しがちだが、一枚の固定した静止画像ではありません。そういう理解だけは絶対にしてはいけない。全知ですべてを洞察し創造する無形の神がそこにもあるという意味の方が正確。「みことば」である子なる神。

    キリスト教というと現実や肉体無視の形而上学だとか天上だけありがたがるとか批判する向きもあるが、それは間違い。

    「みことば」が地上に降りてきて、天と地が一枚になり、そこで「みことば」が働いている。それをいってるのがキリスト教。

    > >>超越的な世界で父に対して像のような関係にある、その関係が地上でも再現されている。これが正しい理解。三位一体もそういうこと。
    >>
    >>キリストを信仰するというのは、不正確、ミスリーディング。下にあるものが上にあるものを見上げて憧れる、信じ込むというニュアンスになる。
    >>
    >>そうではなく、キリスト「の」信、キリスト「にある」信、キリスト「における」信。こういった信に参加することがキリスト教の信仰。三位一体の神の交わりとはそういうことです。

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■17343 / inTopicNo.53)  Re[15]: 三位一体の神との交わり
□投稿者/ knowing itself -(2021/10/09(Sat) 07:11:01)
    No17327に返信(knowing itselfさんの記事)
    > >>実は、神の像というのは、より本質的には、天地創造以前からある関係と考えるべき。もちろん天地創造以前には「像」など存在していないので、あくまで喩えです。「父」は寸分も違わない同一の自身の像=「子」をみた。像である子なる神をみることは、父なる神をみることであるとは、端的にはこのことです。人として受肉した子なる神キリストをみることは、本来不可視の子なる神をみることであり、それは同時に父なる神をみることになる。

    「像」という喩えで誤解しがちだが、一枚の固定した静止画像ではありません。そういう理解だけは絶対にしてはいけない。全知ですべてを洞察し創造する無形の神がそこにもあるという意味の方が正確。「みことば」である子なる神。

    >>超越的な世界で父に対して像のような関係にある、その関係が地上でも再現されている。これが正しい理解。三位一体もそういうこと。
    >
    > キリストを信仰するというのは、不正確、ミスリーディング。下にあるものが上にあるものを見上げて憧れる、信じ込むというニュアンスになる。
    >
    > そうではなく、キリスト「の」信、キリスト「にある」信、キリスト「における」信。こういった信に参加することがキリスト教の信仰。三位一体の神の交わりとはそういうことです。

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■17327 / inTopicNo.54)  三位一体の神との交わり
□投稿者/ knowing itself -(2021/10/08(Fri) 07:07:57)
    >>実は、神の像というのは、より本質的には、天地創造以前からある関係と考えるべき。もちろん天地創造以前には「像」など存在していないので、あくまで喩えです。「父」は寸分も違わない同一の自身の像=「子」をみた。像である子なる神をみることは、父なる神をみることであるとは、端的にはこのことです。人として受肉した子なる神キリストをみることは、本来不可視の子なる神をみることであり、それは同時に父なる神をみることになる。


    > 超越的な世界で父に対して像のような関係にある、その関係が地上でも再現されている。これが正しい理解。三位一体もそういうこと。

    キリストを信仰するというのは、不正確、ミスリーディング。下にあるものが上にあるものを見上げて憧れる、信じ込むというニュアンスになる。

    そうではなく、キリスト「の」信、キリスト「にある」信、キリスト「における」信。こういった信に参加することがキリスト教の信仰。三位一体の神の交わりとはそういうことです。



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■17308 / inTopicNo.55)  Re[13]: 人間神と人格神
□投稿者/ knowing itself -(2021/10/07(Thu) 18:50:04)
    > 地上で生きた歴史的なイエスと神の関係として、上記を理解することは、多分ほとんどの人の想定内でしょう。
    >
    > 実は、神の像というのは、より本質的には、天地創造以前からある関係と考えるべき。もちろん天地創造以前には「像」など存在していないので、あくまで喩えです。「父」は寸分も違わない同一の自身の像=「子」をみた。像である子なる神をみることは、父なる神をみることであるとは、端的にはこのことです。人として受肉した子なる神キリストをみることは、本来不可視の子なる神をみることであり、それは同時に父なる神をみることになる。
    >
    > 神の「像」もこのような二重性で理解すべきでしょう。

    超越的な存在に対して、地上的な存在がその像になっているというのは、正しくない。

    超越的な世界で父に対して像のような関係にある、その関係が地上でも再現されている。これが正しい理解。三位一体もそういうこと。
    ただこの場合、地上で生きるキリストは超越的な子なる神に対して従属するとか、劣化するとか、劣化するということは一切ない。完全にイコール、同等である。
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■17262 / inTopicNo.56)  Re[12]: 人間神と人格神
□投稿者/ knowing itself -(2021/10/06(Wed) 16:39:24)
    自己レスです。興味のある方は読んでください。書き込みもどうぞ。

    > 神の像とか形とか訳されるギリシャ語はアイコーンですね。キリストというアイコーンをみるものは父をみる。可視的な人間としてのキリストをみることは不可視の神をみること。
    >

    地上で生きた歴史的なイエスと神の関係として、上記を理解することは、多分ほとんどの人の想定内でしょう。

    実は、神の像というのは、より本質的には、天地創造以前からある関係と考えるべき。もちろん天地創造以前には「像」など存在していないので、あくまで喩えです。「父」は寸分も違わない同一の自身の像=「子」をみた。像である子なる神をみることは、父なる神をみることであるとは、端的にはこのことです。人として受肉した子なる神キリストをみることは、本来不可視の子なる神をみることであり、それは同時に父なる神をみることになる。

    神の「像」もこのような二重性で理解すべきでしょう。




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■17259 / inTopicNo.57)  Re[15]: 人間神と人格神
□投稿者/ knowing itself -(2021/10/06(Wed) 16:17:38)
    ザビビのふくろうさん レスありがとうございます。

    > なので、このあたりにしておきます。
    >
    > 宗教についてまともに議論できる人はめったにいませんので、つい訊ねてみたくなりました。
    > お付き合いいただきありがとうございました。

    こちらこそありがとうございます。掲示板は議論や対話もさることながら、書き込みを通じて自分が何かを発見することの方が遥かに重要だと考えています。何か面白いことがありましたら書き込んでください。
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■17195 / inTopicNo.58)  Re[14]: 人間神と人格神
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2021/10/05(Tue) 12:30:51)
    >キリスト教教義を根本法則とする神の世界という表現は聞いたことがありません。神であるキリストは、神の世界内部の存在ではなく、神それ自体です。

    なるほど。

    ひょっとすると「キリスト教教義を根本法則とする神の世界」という表現がまずいのかな?
    「神の世界」より、シンプルにに「信仰世界」くらいがよかったのかも。
    つまり、キリスト信仰における世界(教義を公理として観られた世界)では、歴史上の人物イエスは同時にキリスト=神である。
    というような。それでもだめかもしれませんが(笑)

    まあ、いずれにしても、私はキリスト教の教義についてあまりに知識が不足していますので、
    神学的内容にまで立ち入った議論を詰めるには無理があると思います。
    なので、このあたりにしておきます。

    宗教についてまともに議論できる人はめったにいませんので、つい訊ねてみたくなりました。
    お付き合いいただきありがとうございました。
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■17194 / inTopicNo.59)  三位一体の神
□投稿者/ knowing itself -(2021/10/05(Tue) 12:29:33)
    三位一体の神は、コミュニティとしてある神だという表現がなされることがあります。これは神という内部空間に三つの神が存在するという意味ではない。一つの同じ神が三つの位格の対面関係のようにしてあるということ。三つの別主体なら三神論になるので認められない。
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■17192 / inTopicNo.60)  Re[13]: 人間神と人格神
□投稿者/ knowing itself -(2021/10/05(Tue) 11:53:30)
    > 神としてのキリストは、いわばキリスト教教義(公理)を根本法則とする神の世界(神の国?)内の存在である
    >
    > というふうに解釈するということです。

    そういう解釈はないと思います。キリスト教教義を根本法則とする神の世界という表現は聞いたことがありません。神であるキリストは、神の世界内部の存在ではなく、神それ自体です。

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