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■1673 / inTopicNo.73)  Re[18]: おくったがわさんへ
  
□投稿者/ おくったがわ -(2019/08/12(Mon) 15:02:31)
    No1629に返信(pipitさんの記事)
    > とりあえず、ここでは、引用したカントの文章の部分的解釈、という範囲内に小さく絞って、手元にある本を読んだりしながら、自分自身でも考えてみます。

    > 私見ですが、差異によって認識する、というよりは、
    > 【A】によって直観するが、【A】の形式が時間なので、直観するものは【A】の形式(時間)に則って、心に思い描かれる。
    > 【A】を通すから、形式としての時間に差異をもった直観となる。
    >
    > かんじかなー、と、今の時点では思いました。

    丁寧に考えてくださって、ありがとうございます。
    その部分の『この内的な感覚能力は、魂(ゼーレ)そのものを一つの客体として直観するものではない』
    とは、外の世界に関して物自体を直観することはできないというのと同じなのでしょうか。あるのだけれど、そのものの有様を人は知ることができない、と。

    > >『内的な規定に属するすべてのものは、この時間という形式との関係で心に思い描かれる』
    > この部分の中山元さん以外の和訳はお持ちですか? <
    >
    > 今手元にあるのは図書館で借りてきた、高峯一愚訳(河出出版)p65
    > 『したがって内部的規定に属するすべては時間関係において表象されるのである。』
    >
    > Kindleで購入した、天野貞祐訳(講談社学術文庫)p147
    > 『すなわちすべて内的限定に属するものは時間関係においてのみ表象せられるのである。』

    ありがとうございました。内的な規定というのが自分にはよく分からず、もしかして「心に思い描かれる」も含めて別な意味なのかな、と思ったのですが、「時間関係において表象される」なら三人とも同様な意味に捉えておられるのでしょうね。
    今後分かるようになれば…と思っています。

    > おくったがわさんは、大乗仏教とかにもお詳しいのかなー(私は全然詳しくないです)

    自分はまっタコ詳しくないです。
    興味はあるのですが、知識ではなく体験すべきものという刷り込みもあって勉強せずに来まして(他のことも勉強しないので、単に意欲がないだけか)
    せっかくパニチェさんや転法さんを知る機会があったのだから、もう少し質問等しておけばよかったと最近思ったり。
    このサイトのリンク集にある正法眼蔵の辨道話を最近読み終わり、面白かったです。その程度の知識です。
引用返信/返信 削除キー/
■1669 / inTopicNo.74)  第二部門 超越論的な論理学
□投稿者/ pipit -(2019/08/10(Sat) 00:19:35)
    SECOND PART. TRANSCENDENTAL LOGIC.(第二部門 超越論的な論理学)
    行ってみますか !
    とりあえず、日訳にチャレンジするつもりの英訳文の素材を、コピペしておきます。

    SECOND PART. TRANSCENDENTAL LOGIC.

    INTRODUCTION.
    Idea of a Transcendental Logic. (序・超越論的な論理学の理念)

    I. Of Logic in General.
    (第1節 一般的な論理学について)


    (略)

    We apply the term sensibility to the receptivity of the mind for impressions, in so far as it is in some way affected; and, on the other hand, we call the faculty of spontaneously producing representations, or the spontaneity of cognition, understanding.


    (略)



    いつか、カントの『永遠平和のために』を精読できたらいいな

    絵に描いた餅なのかな。。。

    ・・・・・・・・

    私事

    おっちょこちょいすぎていやになるよー

    なおるといいなー

    おちついた人間になりたいなー _| ̄|○


引用返信/返信 削除キー/
■1656 / inTopicNo.75)  算術問題で今の時点で考えていること
□投稿者/ pipit -(2019/08/05(Mon) 18:03:20)
    間違えてたらすみません、今の時点で考えてることです。

    カントは、概念の設定により、
    7+5=12を総合判断だとした。

    7という概念は、固まりが7つのグループ ・・・・・・・
    5という概念は、固まりが5つのグループ ・・・・・

    7の概念、と、5の概念、を足しても、12という新たな概念は出てこない。
    概念から飛び出して、直観(空間かな?時間かな?)に依ることで、新たな概念を主語概念に付け加えてるのだと考えた。
    故に、7+5=12を、知識を拡張する総合判断とした。


    上記の思考の流れについて、疑問を呈するなら、
    最初の概念の設定が問題となると私は思いました。

    原始人がどのように数を定義していったか。

    1本ずつ足して、数を設定していったと考えるのが自然だと私は思います。

    2本を『に』と名付ける(概念化する)
    7本を『なな』と名付ける(概念化する)

    ばらばらに名付けていったと思われますか?


    私は、体系的に、『いち』『に』『さん』にしよう、と、順番に名付けていったと想像します。

    もし、そうなら、各・数の概念に、【足す】が含まれてると、私は思いました。

    7は、・+・+・+・+・+・+・
    5は、・+・+・+・+・

    7の概念、5の概念が上記の設定の場合

    7+5は、・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・

    ・を12、順に加えて数えていったものが12という概念設定だとすると、

    7+5=12は、主語に述語が含まれる、アプリオリ(経験に依らない)な分析判断となります。


    というわけで、数の概念をどのように定義付けるかで、総合判断となるか分析判断となるか
    、判断が分かれるのではないか、と、私は思いました。

    そして、まー、、、普通に考えたら、分析判断と考えるのが自然なのかな〜、と私は思いました。(^^;;

    いろいろ勘違いしてたらすみません。

引用返信/返信 削除キー/
■1654 / inTopicNo.76)  妄想日記(_ _).。o○原始人のさんすう
□投稿者/ pipit -(2019/08/05(Mon) 00:14:52)
    (妄想したこと)
    今、原始人のさんすうの始まりについて妄想してます。

    枝、一本、を、『いち』

    二本、を、『に』

    三本を、『さん』

    って言おう。ってしたら、

    このとき、二本、は、1+1

    三本、は、2(1+1)+1

    四本、は、3(1+1+1)+1

    と捉えて、ことばを作ってたなら、

    ことばは、1を単位として、ばらばらにできる。

    ばらばら、と、ばらばら、で、
    1から数え直すにしても
    途中から付け足すにしても、

    主語に、述語の結果は含まれてる。

    から、総合判断でなくて分析判断、になっちゃう。


    から、カントの文章の意味では、
    普通に考えると、
    アプリオリな総合判断とはならないかもだけど、

    ちょっとひっかかるのが、
    数が増える、に、時間が関わる、ということ、が、
    数学の根拠、と、屁理屈(??)言っちゃうと、
    どうなのかなー

    っていうか、全然わかってないけど、

    今の時点で思ったこと書いてみました。

    眠い〜

    おやすみなさい(( _ _ ))..zzzZZ






    ※参考記述
    wiki『算術の基礎』(フレーゲの著作)の項目からの抜粋引用
    引用開始
    『先行者の批判 編集

    心理主義批判

    フレーゲは数学のあらゆる心理的な記述に反対する(緒論V-X)。数学が純粋に客観的であるのに対し、心理的な記述は主観的なものに訴える。 数学は人間の思考から完全に独立している。 数学的実在にはそれらについて考えている人間に無関係に客観的な特性がある。数学的言明は人類の歴史と進化を通じて自然に進化した何かとして考えることはできない。

    カントの総合的アプリオリ

    分析的判断 - 述語の内容が主語の中に含まれている。例:「独身者は結婚していない」
    総合的判断 - 述語の内容が主語の外にある。論理だけでは証明不可能。例:「A君は結婚していない」。総合的判断が真と知られると我々の認識は拡張する。
    アプリオリ - 経験に依存しない。例:「三角形の内角の和は二直角である」
    アポステリオリ - 経験に依存する。例:「すべてのカラスが黒い」
    判断は「分析的アプリオリ」な判断か、「総合的アポステリオリ」な判断のどちらかと考えられる。 しかし、カントは、数学は「総合的アプリオリ」であるという。例として、「7+5=12」という命題では7+5という概念を分析しても12という概念は出てこない。したがって、この命題は総合的である(カントは、このことはもっと大きな数を使ってみればいっそうはっきりすると言う)。ところが、我々は経験によらず、感性による直観(5本の指のような)を援用して12という概念を手に入れることができる。つまり、これはアプリオリな判断である(§5)。

    フレーゲの分析的アプリオリ

    フレーゲはカントの仕事を大いに評価する。しかし、フレーゲは、幾何は「総合的アプリオリ」であると同意する(§13)一方で、算術は「分析的アプリオリ」であるとする。つまり、7+5の概念を分析するだけで12の概念が得られる。

    フレーゲは、135,664+37,863=173,527 という式の中のどの数に対しても何の直観も持てないが、それにもかかわらず我々はそれが真であると断言できると言う。彼はこのことをこの命題が分析的である証拠として提出する(§5)。

    そして、カントと異なり、分析的に得た帰結は我々の知識を拡張するとする。帰結は定義の中に種子の中の植物のように含まれている(§88)。』
    引用終了
引用返信/返信 削除キー/
■1650 / inTopicNo.77)  自分でも考えてみる、ということ
□投稿者/ pipit -(2019/08/04(Sun) 01:00:27)
    世界の大思想10カント〈上〉純粋理性批判
    河出書房
    p546、547

    枡田啓三郎さんの解説より引用

    『この講義についてボロフスキは次のように記している。「(略)・・・・『諸君はわたしのところで哲学を学ぶのではなくーーー哲学することを学ぶだろう、
    ただ口真似をするために思想を学ぶのではなく、思惟することを学ぶだろう』とカントは学生たちにいつも繰り返した。
    彼は一切の盲従を心から嫌った。
    カントほどしばしば、そして真剣に盲従をいましめた教師はめずらしいであろう。

    けれども、彼の意見を自分で吟味もせずに盲従する者が、カントには他の学生よりも数多くいた、むろんカントはそういう輩をもつことを欲しなかった。

    自分で考えるーーー自分で研究するーーー自分自身の足で立つーーーこれが、たえずカントの口から出る言葉であった。」

    カントは、できあがった哲学を学ばせるのではなく、哲学することを教え学ばせたのである。

    「ひとは哲学を学ぶことはできない、せいぜいただ哲学することを学びうるのみである」という『純粋理性批判』のなかの有名な言葉は、
    カントの教授活動におけるみずからの経験に発していたのである。』
    引用終わり


    反省かな 〜
    つい盲従しちゃいそうになるなー
    (それ以前に、言説、理解できてないから、話にならないかもだけど。。。泣!)

    仏典の『カーラーマ経』を思い起こすな

    がんばろっと♪

    あ、明日、否、今日、仕事になってしまったんだったー (号泣 !)

    おやすみなさい ☆彡
引用返信/返信 削除キー/
■1636 / inTopicNo.78)  おくったがわさんへ
□投稿者/ pipit -(2019/08/03(Sat) 00:29:03)
    No1613

    こんばんは
    暑いですね〜 (*_*)

    >。o0 時間という形式によって認識できるというと、音楽をイメージしました。 (歌は心ってそういうことか(違う)。<

    音楽、に、時間という要素は必須に、私も(?)思えます

    >。o0 降り注ぎ来る時間が浮き上らせる差分が心を成立させ、そして次に来る差分は確定しない以上、心も確定することは無い。<

    詩的ですね。私は直接お話ししたことないけど、おくったがわさんとお知り合いのつばめさんのことが頭に浮かびます。
    つばめさんをはじめ、いろんな方がニーチェクラブにトピを作ってくださったら、
    一つの街みたいで、楽しいな〜
    そうなったら嬉しいな〜

    >。o0 即今は心の消去なのか… <

    そういう考え方、私は思いついたことありませんでした。
    おもしろいなぁ、大乗仏教にもそういう考え方あるかなー、って、全然知らないまま思いました。


    >考えてみると「心が自己を直観する」なので、これは一筋縄ではいかない話のような
    ↑今頃気づきました、すいません(3回くりかえし)<

    全く、すみませんではないです
    本当にありがとうございます(^ ^)(^ ^)(^ ^)
    おっしゃる通り、中島義道先生の解説読んでも、めちゃややこいです(^^;;
    ちゃんと理解していく道はおもしろそうといえばおもしろそうですけど。

    >以後のトピの流れを読んで、カントの「超越論的」の意味をはじめて分かりました(分かったように思ってます)。ありがとうございます。気になってたのに調べたことが無かったのでした。
    時間・空間はアプリオリか。アプリオリな総合判断はあるか、という話題も面白いです。パニチェさんとの「私」についての対話も。<

    おくったがわさんは、お気に入りの哲学者とかおられるのですか?
    またよかったら教えてくださいね(^ ^)

    それでは、はやく涼しくなってほしいですね、

    おやすみなさい (^O^)/
引用返信/返信 削除キー/
■1629 / inTopicNo.79)  おくったがわさんへ
□投稿者/ pipit -(2019/08/02(Fri) 01:02:59)
    No1613

    おくったがわさんへ

    こんばんは!

    おくったがわさんのおかげで、英文法にわずかでも向き合い、さらに、カントの原文を目にする気持ちになった。
    感謝しかないですよ〜 (^人^)

    >> 『また心は、内的な感覚能力を通じて自己を、あるいはみずからの内的な状態を直観する。
    >> ただしこの内的な感覚能力は、魂(ゼーレ)そのものを一つの客体として直観するものではない。
    >> しかし内的な感覚能力にはある特定の形式がそなわっていて、心の内的な状態を直観するのは、
    >> この形式によらねばならないのである。〔この形式とは時間であり〕その内的な規定に属するすべてのものは、この時間という形式との関係で心に思い描かれるのである。』
    >> (純粋理性批判1.p77.78より引用)<<

    >時間による変化・差分によって心というものを認識(それとも構築?)できるというようなことなのでしょうか?
    外の世界は空間という座標上の差異(関係)で存在や状態を捉え、内的世界は時間による差異で…。 いづれも時間・空間上の他との関係によって、その存在・態様を捉える…みたいなイメージを持ちましたが、合ってるでしょうか? 当然、人間の認識上に現れる差異関係ということなのでしょうけれど…。
    全くトンチンカンなことを言っていたら、びしっと否定してください。それもめんどうだったら敢然とスルーしてくださいませ^^<

    私は『純粋理性批判』の2パーセントくらいしか本文読めてない超初心者ですm(_ _)m
    誤解釈ありあり、ですので、超初心者の意見として読んでくださいねm(_ _)m

    (私見)
    おくったがわさんの考え方、おもしろい!と思いました。

    確かに、座標、って、差異、ですよね。

    考えてみれば(一般的な意味での)認識、とは、なんでも、差異が関わっているなぁ、と。
    慧眼だなぁと、感心しています!(◎_◎;)

    このことは考えると、哲学的探求に繋がって、とても深くなりそうな気がしますが、、、
    カント哲学の全体的な把握にもすごく関連してくるような気もしますが、、、

    とりあえず、ここでは、引用したカントの文章の部分的解釈、という範囲内に小さく絞って、手元にある本を読んだりしながら、自分自身でも考えてみます。

    ※※※※※※※※


    この文章に絞って理解するならば、おくったがわさんの書いている内容の是非までは、今ここでは判断できない、と、思いました。

    わかりやすくするために、【内的な感覚能力】を【A】と置き換えてみます。

    >> 『また心は、【A】を通じて自己を、あるいはみずからの内的な状態を直観する。<<

    【A】を通すと、心は、心を、あるいは心の内的な状態を、直観する。


    >> ただしこの【A】は、魂(ゼーレ)そのものを一つの客体として直観するものではない。<<

    【A】を通しても、魂そのものを客体として直観はできない。

    >> しかし【A】にはある特定の形式がそなわっていて、心の内的な状態を直観するのは、
    >> この形式によらねばならないのである。〔この形式とは時間であり〕その内的な規定に属するすべてのものは、この時間という形式との関係で心に思い描かれるのである。』
    >> (純粋理性批判1.p77.78より引用)<<

    上述のように、【A】を通すと心の内的な状態が直観できるのだが、その際、特定の形式が【A】にあるため、【A】を通して直観するものは、形式(時間)との関係で心に描かれる。

    私見ですが、差異によって認識する、というよりは、
    【A】によって直観するが、【A】の形式が時間なので、直観するものは【A】の形式(時間)に則って、心に思い描かれる。
    【A】を通すから、形式としての時間に差異をもった直観となる。

    かんじかなー、と、今の時点では思いました。
    これは、あくまで、引用文章に限定したものなので、全体的に見るとおくったがわさんの考えてることは、とても重要なことになってくるのかもしれませんね。
    これから、勉強していきますね(^ ^)

    今日はもうすぐ寝ますので、こちらを一足先に↓

    >『内的な規定に属するすべてのものは、この時間という形式との関係で心に思い描かれる』
    この部分の中山元さん以外の和訳はお持ちですか? <

    今手元にあるのは図書館で借りてきた、高峯一愚訳(河出出版)p65
    『したがって内部的規定に属するすべては時間関係において表象されるのである。』

    Kindleで購入した、天野貞祐訳(講談社学術文庫)p147
    『すなわちすべて内的限定に属するものは時間関係においてのみ表象せられるのである。』

    おくったがわさんは、大乗仏教とかにもお詳しいのかなー(私は全然詳しくないです)
    すごくおもしろそうなこと書いてられるかんじだけど、今日は遅いのでもう寝ますね。

    毎日暑くて大変ですね、おつかれさまです
    おやすみなさい ☆
引用返信/返信 削除キー/
■1613 / inTopicNo.80)  Re[16]: 心が自己を直観
□投稿者/ おくったがわ -(2019/07/30(Tue) 15:04:27)
    自分が枝葉末節な投稿をしたために、色々調べて頂いて、貴重な時間を使わせてしまってすいませんでした。ごめんなさいごめんなさい(5回以上繰り返したい)

    しかしフローラさんご指摘の、ドイツ語では関係詞の前に必ずカンマを打つというのは、面白かったです。
    元は同じだろうに、なんで違ってきたのかなーと  
    ドイツ語と英語の関係をネットで調べると面白いことが書かれてましたが、この話はここで終わります。

    > 議題(?)になってる、ドイツ語原文の英訳をコピペしますね。

    (投稿が拒否されるので英訳の引用は省略します by おくったがわ)

    > ちなみに同箇所ドイツ語原文の中山元先生の日訳を引用します
    > 『また心は、内的な感覚能力を通じて自己を、あるいはみずからの内的な状態を直観する。
    > ただしこの内的な感覚能力は、魂(ゼーレ)そのものを一つの客体として直観するものではない。
    > しかし内的な感覚能力にはある特定の形式がそなわっていて、心の内的な状態を直観するのは、
    > この形式によらねばならないのである。〔この形式とは時間であり〕その内的な規定に属するすべてのものは、この時間という形式との関係で心に思い描かれるのである。』
    > (純粋理性批判1.p77.78より引用)

    時間による変化・差分によって心というものを認識(それとも構築?)できるというようなことなのでしょうか?
    外の世界は空間という座標上の差異(関係)で存在や状態を捉え、内的世界は時間による差異で…。 いづれも時間・空間上の他との関係によって、その存在・態様を捉える…みたいなイメージを持ちましたが、合ってるでしょうか? 当然、人間の認識上に現れる差異関係ということなのでしょうけれど…。
    全くトンチンカンなことを言っていたら、びしっと否定してください。それもめんどうだったら敢然とスルーしてくださいませ^^

    。o0 時間という形式によって認識できるというと、音楽をイメージしました。 (歌は心ってそういうことか(違う)。
    。o0 降り注ぎ来る時間が浮き上らせる差分が心を成立させ、そして次に来る差分は確定しない以上、心も確定することは無い。
    。o0 即今は心の消去なのか… 

    考えてみると「心が自己を直観する」なので、これは一筋縄ではいかない話のような
    ↑今頃気づきました、すいません(3回くりかえし)
    『内的な規定に属するすべてのものは、この時間という形式との関係で心に思い描かれる』
    この部分の中山元さん以外の和訳はお持ちですか? 

    以後のトピの流れを読んで、カントの「超越論的」の意味をはじめて分かりました(分かったように思ってます)。ありがとうございます。気になってたのに調べたことが無かったのでした。
    時間・空間はアプリオリか。アプリオリな総合判断はあるか、という話題も面白いです。パニチェさんとの「私」についての対話も。


引用返信/返信 削除キー/
■1593 / inTopicNo.81)  英文法・関係代名詞の制限用法と非制限用法
□投稿者/ pipit -(2019/07/27(Sat) 18:43:29)
    No1500-1506

    おくったがわさん、フローラさん、みなさん、こんにちは!

    おくったがわさんのコメント↓
    >で、制限用法と継続用法には形だけでなく意味の違いもあって
    He has a daughter who is studying music.
    音楽を勉強している娘が一人いる → 他に音楽を勉強していない娘がいる可能性はある (「音楽を勉強中の娘」に限定して一人いると述べるので、制限用法というのかな)
    He has a daughter, who is studying music. 
    娘が一人いて、彼女は音楽を勉強している。→ 娘は一人しかいない (あらかじめ焦点を当てた一人娘について、継続して説明)
    といったことをネットで復習して気づいたのですが、
    今回のカントの文で、カンマをその意味で使っているとしたら、
    もしカンマが無い場合(制限的)
    「心が心自身あるいは心の内的な状態を観るのに用いるところの内的な感性は、客体としての魂の直観を与えない」
    → それ以外の種類の内的な感性もあって、それが客体としての魂の直観を与える可能性もある。(1)
    しかし、カンマがあるので、
    内的な感性というものは、(〜〜なのだが)客体としての魂の直観を与えない。
    全般的な否定になると思われます。<



    家にあった、『徹底例解 ロイヤル英文法』という、ほぼ誰も読んでない(哀)参考書を開いてみました。p637に、関係代名詞の非制限用法の機能、の説明があり、その中で、反対・譲歩を表す、という項目もありました。
    そんな使い方もあるんだなー、と、新鮮でした。

    おくったがわさんの、制限用法(限定用法)と非制限用法(継続用法)のご説明、すごくわかりやすいです。(誤解してたらすみません)
    参考書でも、制限用法ではコンマを置かない、非制限用法はコンマを置くとありました(p635)

    それで、議題の文章は、カンマが置かれているので、非制限用法かなーってことかな?という意見に
    フローラさんが、

    フローラさんのコメント↓
    >英語の文法を基準として、関係詞の制限的用法と非制限的用法を展開なされておられるようですが、ドイツ語の場合、関係詞にはすべてコンマを使用するようで、コンマの有無で制限的/非制限的用法を区別出来ないようです。
    カントの時代のドイツ語の文法はちょっと調べられませんが、気がついたものですから。<

    とレスしてくださったんですよね。
    レス、めっちゃ嬉しいです。ありがとうございます。

    原文を調べてみたら、原文もコンマは使われてたけど、ドイツ語でコンマの意味が大きいのかどうかはわからないのですね。

    英文法での、コンマの意味の大きさ、
    ドイツ語での、コンマの意味の大きさ、
    それぞれ差があるかもしれない、と、いうことも含め、
    おくったがわさん、フローラさんから今回とても有意義なことを教えていただきました。

    わたしの英語力は本当に中学レベルですが、また気づいたことあれば、教えていただければとてもありがたいです。

    お二人のおかげで、カントの原文を目にすることもできました。(目にしようとも考えてなかったので・汗)

    いろんなことが縁になりますね

    感謝です!!

引用返信/返信 削除キー/
■1585 / inTopicNo.82)  ドイツ語原文
□投稿者/ pipit -(2019/07/25(Thu) 21:42:41)
    ヨロヨロ〜

    日本語wikiの『純粋理性批判』内にあったリンクから、ドイツ語原文の同箇所
    探してきましたよ〜ろよろ

    多分、ここかと思われます↓

    Der innere Sinn, vermittelst dessen das Gem&#252;t sich selbst, oder seinen inneren Zustand anschaut, gibt zwar keine Anschauung von der Seele selbst, als einem Objekt; allein es ist doch eine bestimmte Form, unter der die Anschauung ihres inneren Zustandes allein m&#246;glich ist, so da&#223; alles, was zu den inneren Bestimmungen geh&#246;rt, in Verh&#228;ltnissen der Zeit vorgestellt wird.

    カント先生の原文なのかなあ?多分そうですよね。wiki『純粋理性批判』の『(第2版原文)』のリンクから入りました。
    『Der innere Sinn, vermittelst dessen das Gem&#252;t sich selbst, oder seinen inneren Zustand anschaut, gibt zwar keine Anschauung von der Seele selbst, als einem Objekt; 』

    ケンブリッジエディションの英訳文は、
    『Inner sense, by means of which the mind intuits itself, or its inner state, gives, to be sure , no intuition of the soul itself, as an object:』


    J.M. D. Meiklejohnさん英訳文
    『The internal sense, by means of which the mind contemplates itself or its internal state, gives, indeed, no intuition of the soul as an object; 』

    中山元先生日訳
    『また心は、内的な感覚能力を通じて自己を、あるいはみずからの内的な状態を直観する。
    ただしこの内的な感覚能力は、魂(ゼーレ)そのものを一つの客体として直観するものではない。』

    いろいろ誤情報あったらすみません。


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引用返信/返信 削除キー/
■1577 / inTopicNo.83)  Re[17]: 英語の勉強 !
□投稿者/ pipit -(2019/07/25(Thu) 01:00:21)
    ケンブリッジエディションの英訳文は、

    Inner sense, by means of which the mind intuits itself, or its inner state, gives, to be sure , no intuition of the soul itself, as an object:


    スコットランド出身のJ. M. D. Meiklejohnさんが、20歳前に訳したっぽい英訳文は、(wiki情報)

    The internal sense, by means of which the mind contemplates itself or its internal state, gives, indeed, no intuition of the soul as an object;

    中山元先生訳は、

    また心は、内的な感覚能力を通じて自己を、あるいはみずからの内的な状態を直観する。
    ただしこの内的な感覚能力は、魂(ゼーレ)そのものを一つの客体として直観するものではない。


    おやすみなさい (( _ _ ))..zzzZZ ☆彡



引用返信/返信 削除キー/
■1576 / inTopicNo.84)  Re[16]: 英語の勉強 !
□投稿者/ pipit -(2019/07/25(Thu) 00:44:27)
    前にフローラさんから教えていただいた、ケンブリッジエディションの英訳

    文のコピペできなかったので、手入力しましたけど、写し間違えてたらすみません

    Inner sense, by means of which the mind intuits itself, or its inner state, gives, to be sure , no intuition of the soul itself, as an object:

    また勉強の続きは後ほど (^^;;
    (アリの歩みペース〜 、、、あ、そういえば、小指の爪の小ささくらいのミニミニカエル見ました!というか遅刻しそうだったので、ゆっくり見れなかったけど(T . T))

    引用箇所ページのスクリーンショットつけてみます
640×1136 => 338×600

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