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■1806 / inTopicNo.25)  読書籠り部屋B
  
□投稿者/ pipit -(2019/09/11(Wed) 13:49:06)
    読書籠り部屋B
    p259〜

    物自体(対象自体)から私たちの感覚能力が刺激を受けることで、見えたり聞こえたり、という状態(現象としての対象)が生じる。

    【(人間にとっては)感性だけが直観を与えてくれる。】

    【この直観】を、カントは2つに切り分ける。
    「素材」&「形式」、の2つに区別する。

    「素材」とは、さまざまなその時々の感覚。色を感じたり音を感じたり。
    これを、「経験的直観」と言う。

    「形式」とは、アプリオリに感性に組み込まれていて、仮に感覚が与えられることがなくてもあるもの。
    物自体からの刺激がなくても、感性に表現形式として先に組み込まれているもの。
    感覚とは関わりなく存在する直観ということで、「純粋直観」と言う。

    ただし、この純粋直観は、純粋直観単独で認識できるものではなく、私たちは「経験的直観」の現れ方として、「経験的直観」と共にしか直観できない、と、カントは言ってるかも?と思いました。
    カントは純粋理性批判の序論冒頭で、

    『わたしたちのすべての認識は経験とともに始まる。これは疑問の余地のないところだ。(略)。だからわたしたちのうちの認識において、時間的にみて、経験に先立つものは何もない。すべてが経験とともに始まるのである。

    このようにわたしたちのすべての認識が経験とともに始まるとしても、すべての認識が経験から生まれるわけではない。
    というのも経験によって生まれた認識というものですら、一つの合成物であると考えられるからである。(略)。

    ここで問いたいのは、経験から独立した認識というものが、すなわち何よりも感覚のすべての印象から独立した認識というものが、存在するかどうかということである。』
    (『純粋理性批判1』中山元訳、p15〜17)

    と述べています。

    つまり、純粋直観は、
    「諸対象がどのように私たちに認識されるか」としてしか認識されない、かな?

    ※※※※※※※※

    今、思いついたんだけど、
    お絵かきソフトがJPEG形式のファイルしか読み込んでくれない時、
    お絵かきソフトで開けたなら、そのファイルはJPEG形式で書き込まれてるってことでしょう?
    どの画像開いて内容は違えども、形式はJPEG方式。
    そういう感じで、私たちが、外的に、何を感じても(どんな経験的直観でも)、
    その現れ方は、空間上・時間上に現れる、というのが、感性の形式は空間と時間ということかな、と、思いました。


    ※※※※※※※※

    それで、三角形を、
    『ひたすら想像によって純粋直観において描き出す』場合、のことからだけど、、、

    疲れたな〜

    ここで一旦切ります。次は、p260から!

    ※※※※※※※※

    ここでちょっと休憩。

    カントの『認識』わかりにくいんですよね。

    普通、夢でも、認識って言えると思うけど、

    カント、多分、めっちゃ意味を狭くとってるかんじです。

    人間にとって共通し得る知識を認識って言ってる感じ。
    だから、どこかで、感情は認識じゃない、みたいなカントの文も読んだ気が(うろ覚えやけど、無責任やけど、引きこもり部屋気分やから、、、ええのん?)

    はじめ、英訳で、認識がknowledgってなってて、違和感あったけど、
    今は理解できる気がするなー

    ちなみに、上記で引用したカント文の
    『わたしたちのすべての【認識】は経験とともに始まる。これは疑問の余地のないところだ。』は、
    英訳では、
    『That all our 【knowledge】 begins with experience there can be no doubt.』
    です。

    疲れたー

    とりあえず一旦終わろう (ノ_<)
引用返信/返信 削除キー/
■1799 / inTopicNo.26)  読書籠り部屋A
□投稿者/ pipit -(2019/09/08(Sun) 15:50:58)
    読書籠り部屋A

    p252〜258

    カントによれば、アプリオリな総合判断を生み出すのは『形而上学』と『(純粋)数字』

    え?純粋自然科学の例も出してたよね?

    カントの考え方は・・・
    純粋自然科学という学には、
    「現象に応用された」かぎりでの『数字』と、
    自然を非経験的に考察する「純粋哲学」の部門(=自然に関する「形而上学」)
    が見出される。

    つまり、カントによれば、純粋自然科学は、ある種の『数字』とある種の『形而上学』からなるので、
    上記二つのアプリオリな総合判断の可能性が解明されれば、純粋自然科学の可能性についても基本的な事柄も解明されたことになる、と、考えてたみたいです。

    カントは『自然科学の形而上学的基礎』の中で、自然科学の純粋部門は、
    【形而上学的構成物と数学的構成物が互いに入り交じるのを常とする。】と言ってるそうです。

    ※※※※※※※※

    というわけで、まずは、カントが考えてた、数字に属するアプリオリな総合判断、そして、その総合判断を得るための方法である『概念の構成』とは何か?を、冨田先生は解説されるみたいです。

    ※※※※※※※※

    ここでは幾何学を例にとりあげられてます。
    まず、カント的な用語の説明がなされていって、
    その用語の意味が了解されたあと、「三角形の内角の和は二直角である」という命題を例に解説されています。

    ※※※※※※※※※

    用語説明
    まずは、『概念の構成』

    数学的認識は「概念の構成からの理性認識」by カント

    【構成】、カント自身が綴っていた単語は、【Construction】

    動詞は「konstruieren」コンストルイーレン、「構成する」。

    『概念を構成するとは、その概念に対応する直観をアプリオリに描き出すことである。(略)。私が三角形を構成するには、この概念に対応する表象を、ひたすら想像力によって純粋直観において描き出すか、また想像に従って紙の上に経験的直観において描き出すかであり、いずれの場合にも、まったくアプリオリで、そのための見本をなんらかの経験から借りてくることはない。描かれた個別の図形は経験的であるが、にもかかわらず、概念が持つ普遍性を損なうことなくその概念を表現するのに役立つ。(略)』byカント(B741.742)

    ☆冨田先生の解説☆
    どこに描くかというと、「想像」によって心の中に描く、というのがその一つです。
    カントが使っているのはドイツ語の「アインビルドゥング」(Einbildung)ですが、その中に含まれている「ビルト」(Bild)はまさしく「像」のことであり、「アインビルドゥング」は「心の中に像を作ること」、あるいはそのようにして作られた「心象」を意味します。


    ※※※※※※※※

    『構成』とは、『概念に対応する直観をアプリオリに描き出すこと』であり、
    その描き方の一つは、
    【ひたすら「想像」によって《純粋直観において》描き出す】

    この時の「想像」を上記でみたので、次は、《純粋直観において》の意味するところを考える。

    ※※※※※※※※
    p258まで終わります。
    次は、p259の、人間の認識の仕組みのうち感性部門についてのごく簡潔な復習からみたいです。

    ※※※※※※※※
引用返信/返信 削除キー/
■1797 / inTopicNo.27)  読書籠り部屋@
□投稿者/ pipit -(2019/09/07(Sat) 21:38:03)
    読書籠り部屋@☆目指せ【カント的アプリオリな総合判断】についての理解

    『カント入門講義 超越論的観念論のロジック』
    冨田恭彦先生著
    ちくま学芸文庫
    p249〜284
    第7章
    アプリオリな総合判断はいかにして可能か

    の箇所を読んでみます。
    今まで、見を通しただけで、意味は頭に入ってませんでした。

    がんばろう、自分 ! o(^▽^)o
    (自信なし)← 逃道確保

    p250〜251

    アプリオリな総合判断はいかにして可能か。

    これに答えるためにカントが準備したもの
    ☆ 私たちの二つの認識源泉である「感性」と「知性」に、
    それぞれ、最初から備わる仕掛けを明らかにすること。
    このアプリオリに備わった仕掛けを用いて、問いに答えようとする。

    ※※※※※※※※

    カント的には、アプリオリな総合判断は二種類ある、と考える。
    一つは、「純粋哲学」、言い換えれば、「形而上学」に属する〈アプリオリな総合判断〉
    一つは、「数字」に属する〈アプリオリな総合判断〉

    ※※※※※※※※

    カントの言葉
    『哲学的認識は概念からの理性認識であり、
    数字的認識は概念の構成からの理性認識である。』
    (A713/B741)

    ※※※※※※※※

    上記カント文に出てくる(理性認識)は、アプリオリな総合的認識、言い換えれば、
    経験に依存しないアプリオリな総合判断のことです。
    (by 冨田先生)

    ということで、言葉を置き換えてみる。

    哲学的認識は概念からの(アプリオリな総合判断)であり、
    数字的認識は概念の構成からの(アプリオリな総合判断)である。

    ※※※※※※※※

    概念、から・・・哲学的認識
    概念の構成、から・・・数字的認識

    ここのところ、今から、勉強するみたい

    ※※※※※※※※

    今日の籠り部屋終わります !

    みなさま、おやすみなさい (^_^)

引用返信/返信 削除キー/
■1795 / inTopicNo.28)  おくったがわさんへ
□投稿者/ pipit -(2019/09/07(Sat) 21:07:08)
    おくったがわさん、こんばんは!


    >知識ぬきで(論理だけでは)知識の拡張はできないと言ってしまうと簡単ながら、
    > カントはアプリオリな知識の拡張がある、と主張しているとのことなので
    > 経験抜きの知識の拡張(綜合)はあるとカントは考えるが、それは(カントにおいても)論理によって為されるのではなく、、
    > カントにおいても分析的(論理的)と綜合的の対立的区別は成立してることになるのかな。<

    ↑この箇所に対して返信したいと思ったのですが、
    今からしばらく、『カント入門講義』富田恭彦先生著、の、
    p249〜(第7章 アプリオリな総合判断はいかにして可能か)
    の内容を要約してみてから、返信にチャレンジしようと思いましたm(_ _)m

    自習勉強記事のタイトルは『読書籠り部屋』で投稿します。
    無事に読解できたら、おくったがわさんあてに返信すると思いますが、
    お忙しいと思うので、見てもらえなくても大丈夫ですからね(^^;;

    きっかけをいつもいただけるだけで、もう、大感謝してますm(_ _)m

    ありがとうございます !
引用返信/返信 削除キー/
■1791 / inTopicNo.29)  おくったがわさんへ
□投稿者/ pipit -(2019/09/05(Thu) 23:50:24)
    おくったがわさん、こんばんは〜(^O^)/

    >>さて、それ(超越論的分析論の内容)はただ知性の経験的使用の判断の基準とのみ、なるべきものでしかないのに、
    >>私たちがそれを、
    >>一般的かつ無制限な知性の働きの道具として使用しようとして、
    >>対象一般について、純粋知性(悟性)のみで総合的に判断し、主張し、規定しようとするとき、
    >>この種の論理は誤用される。
    >
    > 論理学は、経験の脈絡づけが正しい方法で為されているかどうかという判断基準(妥当な形式)を与える。
    > 一方、純粋知性のみで(経験抜きで)、総合(綜合)的な判断をするために用いられるなら誤用である。
    > みたいなことかと思うのですが、どうでしょうか。
    > もしもそうなら、現代の論理学と通じることを言っているように思われます。<


    カントは『純粋理性批判』では、論理学を、一般的な論理学と超越論的な論理学の二つに大別してます。
    だから、とりあえず、一般的な論理学の内容は、超越論的な論理学の内容とは土台を
    一緒にしては論じてないようです。

    だから、引用文は、一般的な論理学との対比としてではなく、
    超越論的論理学における記述内容のことのみについて語っているようです。

    冒頭に出てくる『それ(超越論的分析論の内容)』は、具体的には純粋悟性概念のことであるカテゴリーについての原理一般を指していると私は考えています。

    だから、おくったがわさんの
    >論理学は、経験の脈略づけが正しい方向で・・・
    の、冒頭を、論理学から『超越論的論理学の分析論でとりあげられるカテゴリーやその原理は』に
    置き換えたら、ばっちり文脈の意味捉えられてるんじゃないかと私には思えました。

    上記部分の中山元先生訳を引用します。
    『超越論的な分析論は[すでに指摘したように]ほんらい、
    知性の経験的な利用について判断を下す基準(カノン)にすぎない。
    だからこれを思考の道具(オルガノン)であるかのように、
    無制限に一般的に利用し、純粋な知性だけでもって、
    対象一般について総合的な判断を下し、主張し、
    決定しようとする場合には、これは[純粋な知性の]濫用と言うべきである。』
    (第1巻p38.39)

    私たちはカテゴリー使って経験を成り立たせてるけど、
    経験的な直観を欠いた対象に、カテゴリー使用したら、それは知性の濫用であり、仮像
    の原因となる、ってかんじかな、と思っています。




    > 経験抜きで(論理だけでは)知識の拡張はできないと言ってしまうと簡単ながら、
    > カントはアプリオリな知識の拡張がある、と主張しているとのことなので
    > 経験抜きの知識の拡張(綜合)はあるとカントは考えるが、それは(カントにおいても)論理によって為されるのではなく、、
    > カントにおいても分析的(論理的)と綜合的の対立的区別は成立してることになるのかな。<

    難問 !

    アプリオリな総合判断の媒体(?)の一つ(二つ?)は直観の形式としての空間と時間だと
    私は思ってるのですが、
    論理形式であるカテゴリーは媒体に関係するのかなー?
    批判されるのかな???
    そこらへんを意識して、解説本を読んでみます

    すみません、この部分、また宿題持ち帰りで、、、

    やっと少し涼しくなってきましたね

    おつかれさまです、おやすみなさい(^ ^) ☆彡
引用返信/返信 削除キー/
■1766 / inTopicNo.30)  論理学
□投稿者/ pipit -(2019/08/28(Wed) 22:40:00)
    前提を書きます。

    カントはまず論理学を、

    @伝統的な一般論理学と、

    Aカントがこれから打ち立てようとする超越論的論理学
    、に大別します。

    @伝統的な一般論理学は、純粋に思考一般の形式のみを取り扱う学であり(アリストテレスによる論理学が代表)、認識の内容については切り捨てられており、

    A超越論的論理学は、認識の内容を切り捨てない論理学であり、対象を認識する際の思考の形式を取り扱う、

    と言っているのかな、と読解しました。

    ネットのコトバンク【論理学】から文書を借用すれば、(@Aの記号はpipitによる追加記入です。)↓

    ※※※※※※※※

    ろんり‐がく【論理学】

    正しい思考過程を経て真の認識に達するために、思考の法則・形式を明らかにする学問。@伝統的なものはアリストテレスによって体系化され、スコラ学に受け継がれた形式論理学。現代においては記号と数学的演算を使用して思考をより厳密化しようとする記号論理学が成立。A一方、対象を客観的に認識する能力としての思考を取り扱うものにカントの先験的論理学がある。ヘーゲルはこれを弁証法的論理学に発展させた。
    ろんりがく【論理学】

    正しい思考の形式や法則を研究する学問。@思考の内容を捨象し推論の形式的法則のみを考究する形式論理学と、
    A対象把握を可能にする思考の形式や法則を考究する認識論的論理学がある。
    前者@は、アリストテレスより中世に至る伝統的論理学を母体とし、一九世紀後半にフレーゲによってなしとげられた新たな展開の中で記号論理学へと発展、現代論理学の主流をなす。
    後者Aは、カントの先験的論理学、ヘーゲル・マルクスの弁証法的論理学、あるいは現象学派の超越論的論理学などのように、存在論や認識論と深くかかわり、存在や認識の本質、認識の発展過程、真理の基準、カテゴリーなどの考察を伴う。なお、記号論理学における確率論やモデル理論の導入による帰納論理学や内包論理学の展開は、推理の種々相を形式的に扱う道を示し、哲学・言語学に新たな視点を提供するに至っている。
    ※※※※※※※※

    だそうです。
    ちなみに、【超越論的】を初心者用に軽い感じで解説してくださってる黒崎政男先生の記述を引用します。

    『カント『純粋理性批判』入門』黒崎政男先生、p98.99より引用開始
    『つまり、個々の具体的な認識が正しいかどうか、という具体的レベルに関わるのではなくて、そのメタのレベル、つまり、そもそも一般に、我々が対象を認識するとはどういうことなのか、それの根本的な条件や構造はどういったものなのか、という次元の議論のことを〈超越論的〉と呼ぼう、というわけである。これは具体的な経験に〈先立っている〉から、意味的に〈先験的〉とも訳されることになった。まあ、感じとして言えば、「あれやこれやの具体性を超えて、そもそもの本質は」、と問う感じ、つまり、〈そもそも性〉という感じで押さえておけばいいだろう。』
    引用終了

    カントの文書も黒崎先生の同じ本から引用きておきます。
    『私は、対象に関する認識ではなくて、むしろ我々が一般に対象を認識する仕方に関する認識を超越論的と名づける。(B25)』
    (同本p98より引用)

    というわけで、内容を切り捨てない思考の、そもそも性の規則などについての考察、が、超越論的論理学でなされるのかな、と、思いました。

    これが前提部分です(^^;;
    続きはまた明日以降に勉強してみる予定です。

    生命ならば、みんな、今日も一日おつかれさまでした
    心地よい明日になりますように

引用返信/返信 削除キー/
■1765 / inTopicNo.31)  おくったがわさんへ
□投稿者/ pipit -(2019/08/28(Wed) 22:37:57)
    いえいえ、私が、天使の意味を全然説明してませんもん

    こちらこそすみません ぺこ〜ぺこ

    結局、勉強したほうが、自分も嬉しい結果になるなぁと思ってるのです(o^^o)


    いつも、いい方向に導いてもらってるなー、と、感謝してます。
    ありがとうございます


    おくったがわさんも、返信とか全然無理しないでくださいね(^O^)/
引用返信/返信 削除キー/
■1764 / inTopicNo.32)  Re[32]: pipitさんへ
□投稿者/ おくったがわ -(2019/08/28(Wed) 21:33:32)
    No1763に返信(pipitさんの記事)
    さっきは、pipitさんが天使と書いた意味が分かってなくて、トンチンカンなレスをしました。そういう意味か…と後で気づきました(たぶん)。物分かりが悪くてすいません(ぺこぺこぺこ
    でも、いつでもスルー自由で、という点は同じです。ではでは。

引用返信/返信 削除キー/
■1763 / inTopicNo.33)  おくったがわさんへ
□投稿者/ pipit -(2019/08/28(Wed) 20:47:00)
    文字通り、天使 !


    飲茶さんのニーチェ解説の件、了解です(^ ^)

    私も安易に、パニチェさんの感想聞いてみたいな〜と言って
    すみませんでした(ぺこぺこ)


    おつかれさまです(^O^)/
引用返信/返信 削除キー/
■1762 / inTopicNo.34)  Re[30]: 超越論的論理学・序文
□投稿者/ 天使おくったがわ -(2019/08/28(Wed) 19:13:14)
    No1756に返信(pipitさんの記事)

    天使→悪魔 ってことですね? ですね

    面倒な投稿は迷わずスルーしてください。ほんっとに。

    あと、ニーチェ解説の音声本ですが、パニチェさんにも返信しましたが、聞くのに4時間以上かかるし、ニーチェ以外の話も多いものでした。安易にリンクしてすみませんでした(ペコペコ


引用返信/返信 削除キー/
■1756 / inTopicNo.35)  Re[29]: 超越論的論理学・序文
□投稿者/ pipit -(2019/08/27(Tue) 22:25:29)
    おくったがわさん、、、、

    私が、ややこしいから、ま、いっか、と手抜きした箇所を、話題にもってくるなんて、、、

    天使 かもぉ 〜〜〜


    誰にも読んでもらえてないかもだし、誰にもばれないだろうと、、、
    ややこしいから、飛ばそっ、と、理解を放棄して、しれっと(略)としたところを、、、


    勉強し直して返信書きます !

    天使ですぅ〜(^人^)

    というわけで、今日は、、、、おやすみなさい!!(寝るんか〜い)

    おつかれさまです ☆彡


    No1752に返信(おくったがわさんの記事)
    > ■No1733に返信(pipitさんの記事)
    > (拒否されるので英文引用は割愛します)
    >>さて、それ(超越論的分析論の内容)はただ知性の経験的使用の判断の基準とのみ、なるべきものでしかないのに、
    >>私たちがそれを、
    >>一般的かつ無制限な知性の働きの道具として使用しようとして、
    >>対象一般について、純粋知性(悟性)のみで総合的に判断し、主張し、規定しようとするとき、
    >>この種の論理は誤用される。
    >
    > 論理学は、経験の脈絡づけが正しい方法で為されているかどうかという判断基準(妥当な形式)を与える。
    > 一方、純粋知性のみで(経験抜きで)、総合(綜合)的な判断をするために用いられるなら誤用である。
    > みたいなことかと思うのですが、どうでしょうか。
    > もしもそうなら、現代の論理学と通じることを言っているように思われます。
    >
    > 経験抜きで(論理だけでは)知識の拡張はできないと言ってしまうと簡単ながら、
    > カントはアプリオリな知識の拡張がある、と主張しているとのことなので
    > 経験抜きの知識の拡張(綜合)はあるとカントは考えるが、それは(カントにおいても)論理によって為されるのではなく、、
    > カントにおいても分析的(論理的)と綜合的の対立的区別は成立してることになるのかな。
    >
引用返信/返信 削除キー/
■1755 / inTopicNo.36)  おくったがわさんへ
□投稿者/ pipit -(2019/08/27(Tue) 22:14:43)

    > すいません。知識量が非常に少ない人間と自認してるので、自分の知ってることは誰でも知ってると思ってしまいがちなのです。よく知られていることかどうかの判断ができない。<

    私、絶対、おくったがわさんより無知だと思います (ー ー;)



    > 宇宙論とか。無縁さんが紹介されてた本、面白そうですね。<

    カント好きの私にとってはめちゃめちゃめちゃ有用な本でした。(無縁さんに心より感謝!)
    ただカント好きでなかったら、あの分量のカント関連の記述はどう感じるのかなぁ。
    もしかしたらイヤかも??
    カント哲学に関しては、すごくわかりやすく解説されていました。
    実践理性についても、私にとっては感動的な解説でした。

    >>ちょ〜初心者用の、飲茶さん著の文庫
    >>『哲学的な何か、あと科学とか』とか
    >
    > 以前サイトを見てましたが、分かりやすくて面白いですね。
    > 今見たら
    > >『最強のニーチェ』飲茶最新刊が、
    > 今なら0円でオーディオブックとして聞けます!<
    > https://www.amazon.co.jp/gp/product/4864700915/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4864700915&linkCode=as2&tag=tetsugakute0c-22&linkId=b502d48e454c65eeaa4a3d62e148dbc6
    >
    > アマゾンで無料体験期間登録したら聞けるんでしょうね。<

    ニーチェかぁ

    パニチェさんの感想聞いてみたいですね (^ ^)

    飲茶さんのニーチェ本、読んでみたいけど、家に積ん読本がたまってるからな〜

    そういえば、この前、本屋さんでキティちゃんかなにかのサンリオキャラで、
    ニーチェ本出てた気がします

    パニチェさん、おこってるかも (^^;;


引用返信/返信 削除キー/

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