| knowing itselfさんこんばんは
>燭台も光も、自分の身体の内側にあるというのが、パンを食べることの含意だと思います。食べることで内側に入る。
なるほど、そこに関係して来るのですね。 イエス様が蠟人形のように輝いているのではなくパンを食べることで自分の中に入ってこられる。そういう事なのですね。
>この身体をもっている自分や隣人の身体の内側でこそキリストという光は輝く。外側に光を仰ぎ見るしかないのなら、自分の肉を食べろということもなかったと思います。
そうですね。 私の肉を食べ血を飲みなさいとイエス様は仰っていたのですから。 そこで、神が自分の中に入られることの喜びで自分の身体全体も輝くということでしょうか。
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