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■14484 / inTopicNo.1)  哲学の雑談 14
  
□投稿者/ パニチェ -(2021/06/27(Sun) 16:31:15)
    トピ主:knowing itselfさん

    引き続きよろしくお願いします。
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■14573 / inTopicNo.2)  Re[1]: 哲学の雑談 14
□投稿者/ knowing itself -(2021/06/30(Wed) 18:53:40)
    毎回の更新、ありがとうございます。
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■14575 / inTopicNo.3)  Re[2]: 哲学の雑談 14
□投稿者/ 愛満開 -(2021/06/30(Wed) 20:08:40)
    knowing itselfさんこんばんは

    >燭台も光も、自分の身体の内側にあるというのが、パンを食べることの含意だと思います。食べることで内側に入る。

    なるほど、そこに関係して来るのですね。
    イエス様が蠟人形のように輝いているのではなくパンを食べることで自分の中に入ってこられる。そういう事なのですね。

    >この身体をもっている自分や隣人の身体の内側でこそキリストという光は輝く。外側に光を仰ぎ見るしかないのなら、自分の肉を食べろということもなかったと思います。

    そうですね。
    私の肉を食べ血を飲みなさいとイエス様は仰っていたのですから。
    そこで、神が自分の中に入られることの喜びで自分の身体全体も輝くということでしょうか。
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■14614 / inTopicNo.4)  Re[3]: 哲学の雑談 14
□投稿者/ 愛満開 -(2021/07/01(Thu) 19:40:58)
    knowing itselfさんこんばんは

    中国共産党創建100年の記念日のようですが、共産主義には、良いイメージがありません。特に、キリスト教に対する弾圧にはついていけません。

    マルクスは、25歳の時の論文「ヘーゲル法哲学批判・序説」のなかで、宗教には人間に即効性のある幻想的な解答を与える危険性があると考えていたようです。

    〈宗教上の不幸は、一つには実際の不幸のあらわれであり、一つには実際の不幸にたいする抗議である。宗教は、なやんでいる者のため息であり、また心のない世界の心情であるとともに精神のない状態の精神である。それは、民衆のアヘンである〉

    そして、マルクスは、

    〈幻想のなかで民衆の幸福をあたえる宗教を廃棄することは、現実のうちに民衆の幸福を要求することである。自分の状態についての幻想をすてろと要求することは、幻想を必要とするような状態をすてろと要求することである。だから宗教の批判は、いずれは、宗教を後光にいただく苦しいこの世の批判にならずにはいられないものである〉

    と指摘。宗教は幻影に過ぎないのだから、この幻影を作り出している社会を批判しなくてはならないとマルクスは考えたようです。

    こうした共産主義国の人々にも三位一体の恩寵は与えられるのでしょうか。
    そもそも、信仰が国によって出来なくさせられているのに、かなり難しいように思います。
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■14635 / inTopicNo.5)  Re[4]: 哲学の雑談 14
□投稿者/ knowing itself -(2021/07/02(Fri) 18:59:52)
    愛満開さん こんばんは

    > マルクスは、25歳の時の論文「ヘーゲル法哲学批判・序説」のなかで、宗教には人間に即効性のある幻想的な解答を与える危険性があると考えていたようです。
    >
    > 〈宗教上の不幸は、一つには実際の不幸のあらわれであり、一つには実際の不幸にたいする抗議である。宗教は、なやんでいる者のため息であり、また心のない世界の心情であるとともに精神のない状態の精神である。それは、民衆のアヘンである〉
    >
    > そして、マルクスは、
    >
    > 〈幻想のなかで民衆の幸福をあたえる宗教を廃棄することは、現実のうちに民衆の幸福を要求することである。自分の状態についての幻想をすてろと要求することは、幻想を必要とするような状態をすてろと要求することである。だから宗教の批判は、いずれは、宗教を後光にいただく苦しいこの世の批判にならずにはいられないものである〉


    よく言われることですが、マルクス思想はユダヤキリスト教文明以外からは生まれようがなかった、マルクス思想自体がキリスト教の変種だという批判。ある程度は正鵠を射ていると思います。聖書的世界観は、幻想を追求するものではなく、この世的な次元でも解放を追求するものだというのが、現代では通説ですね。聖書の神は生きて働く神である。社会的現実を覆い隠す幻想やイデオロギーとしての宗教という考え方は、ユダヤ教やキリスト教には当てはまらないと思います。

    もちろん、中国の共産主義は私にとって理解不能ですが。

    > こうした共産主義国の人々にも三位一体の恩寵は与えられるのでしょうか。
    > そもそも、信仰が国によって出来なくさせられているのに、かなり難しいように思います。

    天の三位一体が地にも反映されるなら、それは人間の間で不当な差別や権力的支配のない社会が実現するはずです。ユートピア的な平等と友愛の実現を目指すことそのものは、三位一体と親和性があると思います。
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■14636 / inTopicNo.6)  キリスト教とマルクス主義
□投稿者/ knowing itself -(2021/07/02(Fri) 19:09:14)
    博覧強記の読書家として知られる佐藤優氏は、プロテスタントのクリスチャンですが、彼によると近代日本の思想家で最も評価するのは、宇野弘蔵、廣松渉、柄谷行人といったマルクス系の人たち。神を立てないことを除けば、キリスト教とマルクス思想は相通じるものがあるとも言えそう。カトリックについていえば、教皇フランシスコは反対者からマルクス主義だと強く批判されることが少なくないです。
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■14639 / inTopicNo.7)  三位一体に依怙贔屓や差別なし
□投稿者/ knowing itself -(2021/07/02(Fri) 19:30:49)
    三位一体の関係性を身体的な次元で実現しようとしたら、人間関係のかなりラジカルな組み替えが必要。どの三人の間にも、独占や差別がない状態。
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■14640 / inTopicNo.8)  Re[6]: キリスト教とマルクス主義
□投稿者/ 愛満開 -(2021/07/02(Fri) 19:46:36)
    knowing itselfさんこんばんは。
    レスありがとうございます。

    > 博覧強記の読書家として知られる佐藤優氏は、プロテスタントのクリスチャンですが、彼によると近代日本の思想家で最も評価するのは、宇野弘蔵、廣松渉、柄谷行人といったマルクス系の人たち。神を立てないことを除けば、キリスト教とマルクス思想は相通じるものがあるとも言えそう。カトリックについていえば、教皇フランシスコは反対者からマルクス主義だと強く批判されることが少なくないです。

    何ということでしょう。たった今、佐藤優さんの「キリスト教神学で読みとく共産主義」 (光文社新書) 新書を読んでいるところでした。

    これは、私とknowing itselfさんとの神談義をまるでイエス様も御覧になっていらっしゃるかのようですね。
    とても不思議な縁を感じます。

    https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334039691
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■14644 / inTopicNo.9)  Re[5]: 哲学の雑談 14
□投稿者/ 愛満開 -(2021/07/02(Fri) 21:06:14)
    knowing itselfさん大変興味深い内容です。

    > よく言われることですが、マルクス思想はユダヤキリスト教文明以外からは生まれようがなかった、マルクス思想自体がキリスト教の変種だという批判。ある程度は正鵠を射ていると思います。聖書的世界観は、幻想を追求するものではなく、この世的な次元でも解放を追求するものだというのが、現代では通説ですね。聖書の神は生きて働く神である。社会的現実を覆い隠す幻想やイデオロギーとしての宗教という考え方は、ユダヤ教やキリスト教には当てはまらないと思います。

    仰る通りです。
    燭台の上のイエス様は、世界へ愛の光を放たれています。
    そして、新たに来る人にも光で照らされている。
    でも、多くの人は、その光に気が付きません。
    何を目指そうとして見ているのか、結局、自分の目が悪いからです。

    > もちろん、中国の共産主義は私にとって理解不能ですが。

    私も同じです。

    >>こうした共産主義国の人々にも三位一体の恩寵は与えられるのでしょうか。
    >>そもそも、信仰が国によって出来なくさせられているのに、かなり難しいように思います。
    >
    > 天の三位一体が地にも反映されるなら、それは人間の間で不当な差別や権力的支配のない社会が実現するはずです。ユートピア的な平等と友愛の実現を目指すことそのものは、三位一体と親和性があると思います。

    その通りだと思います。
    イエス様の光を取り込み、神に愛されていることが分かれば、心身は、明るくなりますね。

    https://www.youtube.com/watch?v=HReKbUH3IEM&t=25s
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■14646 / inTopicNo.10)  Re[6]: 哲学の雑談 14
□投稿者/ 愛満開 -(2021/07/02(Fri) 21:25:16)
    佐藤優『マルクス・エンゲルス』トークショーというサイトの中に次のような予定説の話がありました。

    「エンゲルスはカルヴァン派のクリスチャンだった。

    それで教会を離れてもカルヴァン派的な予定説の“選び”の発想だったと思う。

    彼が成功してるのは神様によって選ばれているんだけれども、その選ばれている自分の持っている富は神様から貰ったものだから、それは神様にお返しする。

    しかし神様に直接お返しすることは出来ないから隣人に返す、隣人愛を説いてる。

    神様っていうのはなくなって、キリスト教っていうのはなくなったんだけれども、
    エンゲルスのモラルはマルクスをサポートし、周辺の人々をサポートし、共産主義運動を作ろうとした、その考え方は非常にカルヴァン主義的であると思う。」

    なるほど、エンゲルスは予定説のカルヴァン派のクリスチャンだったのですね。

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■14663 / inTopicNo.11)  Re[7]: 哲学の雑談 14
□投稿者/ 愛満開 -(2021/07/03(Sat) 16:13:31)
    個人的な疑問は、エンゲルスはカルヴァン派のクリスチャンだつたために、予定説から自由になろうとしていた様子が伺えますが、どうして、キリスト教を棄てたのか、ということです。

    カルヴァンによれば、神の救済にあずかる者と滅びに至る者が予め決められているとする(二重予定説)。

    神の絶対性と全能性による決定論に反発したようです。

    エンゲルスは、「予定説的な決定論に対して聖書そのものを典拠として反駁し、『人間は自由に生まれついている、人間は自由だ』という提題を掲げるに至っていた。
    (佐藤 優. キリスト教神学で読みとく共産主義 光文社新書)

    二重予定説に反対しても神を棄てることがはたして出来るのでしようか。

    とても不思議な気がします。

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■14667 / inTopicNo.12)  Re[8]: 哲学の雑談 14
□投稿者/ 愛満開 -(2021/07/03(Sat) 18:51:37)
    先程、映画「マルクス・エンゲルス」を観ました。

    よく分かっていなかったのですが、社会主義は「国家が貧困や格差の問題を解決する」という考え方なのだそうです。

    つまり、今の中国のような強権的な国家が強制的に貧困や格差を解消するというものなのでしょうか。
    https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/WV5PLY8R43/episode/te/Q2NL7JNV12/

    対するマルクスは国家に頼っていては、貧困、格差、差別の問題、何の問題も解決できないという立場だったそうです。

    この映画はそこも押さえてマルクスとエンゲルスが考えたことに即した内容にしたとのことでした。

    映画では、マンチェスターの大工場主の息子であるエンゲルスもマルクスも生活自体は、とてもプロレタリアートじゃない。マルクスはボルドーのワインが大好きでエンゲルスに「ボルドーのワインを送れ」という手紙が結構残っているらしい。

    なので、むしろ、プチブルジョアです。そういった生活水準で、なにか思想自体が嘘っぽく感じてしまいました。

    やはり、マルクスは、エンゲルスの工場からの収益に頼っていたわけで、資本主義を基本にしないと経済は回らない。けど、その格差を解消するには、何かの強権力が必要なのかもしれないけど、まず、しっかり、自分の仕事で収益を上げない限り、なにも社会的な活動などできないという事かなと思いました。




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