| マジモン様 初めまして
時々 新着記事で マジモン様の投稿が後になる事があったので 幾つか読んでいました 先日の「 七つの大罪 」 の1つについて ふと思い出した考察がありました
ーーー抜粋始めーーー
太宰治の “ 人間の弱さばかり書いていた作家のどこに共感しているか ” への考察
人が太宰に共感するのは、 皆が持っている己の恥部をこれでもかと 晒し出すところにでしょうね。 まるで「痒いところに手の届く」爽快感みたいで中毒になりますものね。
しかしやがて「その恥部晒し」もドウドウ巡りで埒が明かない・・・ つき合いきれないわと、太宰から離れていくのでしょうね。
太宰の事だから、人に恥部をさらけ出す事で 「自分はこれだけ自己の弱さ、醜さに気がつく人間なんだ」と言う優越感みたいなものが その心の底の底に在ることには気がついて居たでしょうけれども、 それを止めることは出来なかった。 そして自嘲的・自虐的にそれをやり続けることで どこかで「これだけ自責をやっているのだから、許して貰えるだろう」と いう心があったのではないかと思います。
自分の弱さや醜悪さをを「これでもか」と 「見えます!こんなに私はよく見えます!」と自分を責め立てたり 自嘲したり、露出したりする「行為」は 謂わば “ 己を罰して助かりたい ” という心なんだろうと思います。
つまり、自分はこんなに己の罪深さを よく観ることが出来るのだと言うところからの 「自責の念」に酔う「自己憐憫」と成ってしまっているという事です。
とことん自分を責め、自嘲的なもの言いをして それで人は “ 助かろう ”としてしまうのです。
こんなに自分は「己の心がよく見え、罪深さを知っているぞ」と 自嘲的に己を責める行為が、それが一種の罰となり 罪から逃れられると思ってしまうのですね。
ーーー抜粋終わりーーー
↑ これは内村鑑三のいう 「自分が何をやっているか分からない品性堕落の刑」 というのだそうです 「 品性堕落の刑 」・・・調べても出てこなかったので 読んで字の如くなのでしょうね 参考になるかどうか判りませんが お知らせしたく思い記してみました
パニーチェ様が提案されているような事に共感します 突き抜けるというのも方法の一つかなと、、 マジモン様は 既に “ エンターテイメント ”ですから 「 自分らしくない言動を演技する 」は やり易いかもしれませんね
返信はお気遣いなく^^
※ 上記の抜粋の出所は忘れましたが 法に触れる心配はない事を明記しておきます
|