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■1227 / inTopicNo.37)  近藤和敬 6月11日発売!
  
□投稿者/ 無縁仏三郎 RX -(2019/05/13(Mon) 23:49:22)
    〈内在の哲学〉へ
    -カヴァイエス・ドゥルーズ・スピノザ-
    青土社

    絶望と勇気! 現代思想の次なる航海
    『数学的経験の哲学』で颯爽と登場した哲学界の俊英がつぎに向かう先とは? スピノザという意外な補助線を引き、カヴァイエスとドゥルーズという一見して無関係に見える哲学者のあいだに「実在」をめぐる思考の共鳴を見いだす。〈内在の哲学〉の哲学的基盤を探る野心的な試み!


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■1226 / inTopicNo.38)  Re[13]: 仏教の縁起
□投稿者/ 無縁仏三郎 RX -(2019/05/12(Sun) 20:57:47)
    釈迦が否定したのは「常一主宰」の「実体我」であり「経験我」は否定していないとあります。この経験我が「認知のまとまり」としての「個体性」や無常・苦・無我を有す。輪廻というのは「業」による「現象の継起」であり特定の「我」が「転生」していくことではないと。

    涅槃においては「現象の継起」も「経験我」もないので精神的と物質的なプロセスの中にはない。これらの法則を理解すれば縁起の世界にいながらにして現法涅槃に至るとあります。そこへのステップは思考ではなく「直覚知」であり禅の実践者でない私にはわかりませんでした。

    著者は東大で西洋哲学、大学院で仏教学を学んだ後にミャンマーでテーラワーダの教理と実践を学んだようです。日本では研究者の仏教理解と実践者の仏教理解がかけ離れているというのが執筆の動機だそうです。
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■1225 / inTopicNo.39)  Re[12]: 仏教の縁起
□投稿者/ パニチェ -(2019/05/12(Sun) 17:07:16)
    No1222に返信(無縁仏三郎 RXさんの記事)
    > 『仏教思想のゼロポイント 「悟り」とは何か』(魚川祐司 著 新潮社)

    > 読み終えました。

    > ・無我ならば輪廻するのはなにか
    >
    > ・涅槃に縁起はあるか

    > その他私が思いつきそうな疑問にきちんと答えています。

    上記の二つの疑問にはどのように答えているのでしょうか。
    興味があります。気が向いたら教えて下さい。
    もちろん、スルーしてもらっても構いません。^^
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■1222 / inTopicNo.40)  Re[11]: 仏教の縁起
□投稿者/ 無縁仏三郎 RX -(2019/05/11(Sat) 23:11:17)
    『仏教思想のゼロポイント 「悟り」とは何か』(魚川祐司 著 新潮社)

    読み終えました。

    ・無我ならば輪廻するのはなにか

    ・涅槃に縁起はあるか

    その他私が思いつきそうな疑問にきちんと答えています。




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■1220 / inTopicNo.41)  Re[10]: 仏教の縁起
□投稿者/ パニチェ -(2019/05/10(Fri) 21:30:44)
    No1218に返信(無縁仏三郎 RXさんの記事)

    > または虫けらはすでに涅槃にいるのか?

    そうだと思います、多分。

    虫ケラに快・不快の反射はあっても、そこに苦楽なんて意味や価値づけはないし、過去・現在・未来とか、後悔とか不安とか、生死とか、そんな分別もない。

    仏智を伴う見性(菩提)ではないにしても、あるがままで苦がないってことは涅槃と言ってもいいような気がします。

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■1218 / inTopicNo.42)  仏教の縁起
□投稿者/ 無縁仏三郎 RX -(2019/05/09(Thu) 16:23:53)
    仏教においては「縁起」は公理に近い。
    「縁起」そのものを分析するのは西洋哲学で今のところヒュームの時代から
    大きく進歩してるわけではない。

    どちらにせよ虫けらや乳牛は涅槃に到達できない。

    人間は修行や瞑想で悟りを開けば涅槃に至ることも可能だから不公平。

    または虫けらはすでに涅槃にいるのか?
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■1202 / inTopicNo.43)  光円錐の謎
□投稿者/ 無縁仏三郎 RX -(2019/05/04(Sat) 23:18:32)
    特殊相対性理論に必ず出てくる光円錐。

    原点が観測者として、その過去と未来と現在を含む光円錐を見てるのは誰だ?

    そいつはどこからこの図を眺めてるのだろうか。

    人間は過去現在未来を同時に静的に見るなんて芸当はできないはず。

    なにかのおとぎ話か?
791×651 => 600×493

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■1201 / inTopicNo.44)  ローレンツ変換はなぜ一次式と仮定するか
□投稿者/ 無縁仏三郎 RX -(2019/05/04(Sat) 22:54:36)
    「これは数学的に厳密な証明にはなっていません.きちんと証明するには,線形代数の知識が必要になりま す.実際,「直線を直線に写し,原点を原点に移す,可逆な変換」は線形変換に限られることが証明できます.」

    ミンコフスキー幾何 - 海城中学高等学校 PDF

    物理学者の書き飛ばす特殊相対性理論の入門書で最初につまずくのが
    なぜローレンツ変換は一次式と仮定するのか。2次以上にすると問題が起きるなど
    という猫だましで終わるパターンがほとんど。よくて偏微分方程式がどうたら
    とくる。そんなこと聞いてるんじゃねえのよ。線形変換なら導けるじゃなくて
    線形変換に限ることまで言ってほしい。

    日本評論社の日評ベーシック・シリーズ「ベクトル空間」の
    第18章の問18.4〜問18.6 に証明がある。

    テキムから引きずってきた問題の一つが片付いた。

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■1195 / inTopicNo.45)  Re[6]: 無我の嘘
□投稿者/ 無縁仏三郎 RX -(2019/05/03(Fri) 14:09:48)
    無我にみえるもの2種類を釈迦は否定していますね。

    ・非想非非想処
    ・無所有処

    涅槃へのジャンプ台にはなりそうですが。

    西洋哲学は存在に迫り仏教は涅槃に迫るということで方向が逆。
    神学でも存在は非存在に勝るとされます。

    数学の場合すべては空集合から生成されますが空集合を
    定義するにはその性質を述べる記号が必要です。この空集合なるものは、
    一般的な集合を観察して要素を持たない集合として定義されます。
    空集合も文脈的にはあらかじめできあがった世界を前提としてそこから
    記号操作ででてくる。だから数学というのは壮大な「無明」の塊として
    あり真理というより特殊なルールで生成された精神構築物でしょう。

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■1191 / inTopicNo.46)  無我の嘘
□投稿者/ パニチェ -(2019/05/03(Fri) 08:47:43)
    夢をみている時にも夢をみている主体者は存在する。エフニさんが例えとして一時期によく持ち出されていた映画マトリックスの世界においても全てのリアルがバーチャルであったとしても、それを体験している主体は世界には属さなくともどこかに存在している。

    言語によって創出された物心がついた「私」や他者から見て他人と区別されるところの「私」は本質的な“私”ではないという意味で無我と主張しているなら、分からなにでもないですが、全てをひっくるめて無我と主張している覚者がいるとすれば、それはある脳の状態で体験したことに固執している病的状態か、もしくは〈私〉や自己に関する洞察や探究が不徹底ではないかと(今のところ)考えています。

    無我なら悟り到達した、あるいは仏智を体得した我もないわけで、そもそも無我を断言できる根拠もないことになる。夢の中では夢であることに気付かなくとも、夢から目覚めれば夢を見ていたことが分かる。それは夢を見ていた〈私〉が存在しているからであり、禅定による三昧から脱した後も無我と言うなら、そもそもその覚者は哲学的ゾンビだと思います。
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■1185 / inTopicNo.47)  真理と言葉
□投稿者/ 無縁仏三郎 RX -(2019/05/02(Thu) 23:28:10)
    「真理」というのも言葉転がしの特別な性質を持つなにかでしょう。
    たいていの「真理」が言葉や記号で表現されます。
    仏教の「悟り」の場合も感覚転がしの一種と思いますがそれを
    他人に伝えたり悟るための方法(瞑想、座禅、修行)の説明に言葉を使用します。

    釈迦が到達した真理は一切皆苦と涅槃だと思いますが涅槃の場合は自分が
    完全に消滅しているために涅槃の渦中ではそれを真理であると自覚できない。
    涅槃が真理であると知るには涅槃の外側にいる必要があります。
    外側-内側図式など涅槃にはないんでしょうけど涅槃の内部に言葉はない。
    もしくは感覚も言語も記号もなにもない状態が真理。

    よって宇宙は本質的に反真理であり数学的真理や哲学的真理のようなものは
    疑似真理ではないかなと。
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■1153 / inTopicNo.48)  Re[3]: 小説と数学
□投稿者/ パニチェ -(2019/04/28(Sun) 08:30:03)
    数学的宇宙仮説や数学を真理とするのはプラトニズムの一種ですね。

    何を真理とするかはともかく、こんなで出鱈目で理不尽、かつ出たとこ勝負みたいな世界に真理があるなんて考える奴はやっぱ頼りない根性なしではないか?

    か弱い自分の反対物を信仰しようとするルサンチマンの発現。

    そ〜ゆ〜意味では創造論もセントラルドグマを信じて疑わないネオダーウィニストも同じ。

    自分が世界の中心で意味や価値や相対的真理を付与しているとニーチェ的転回をすれば、世界に真理なんてものを求めなくともよい。
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