| パニチェさま、横やり失礼しました。 わたしも「私」について考えているので、ここはちょっと気になっているところです。
ここに来るのを控えるようにしますから、失礼ついでに、わたしが思ったことを書いて見ます。「説明」ではないです。
>今のあんたが水槽脳でないことを説明してみ< について。
まず、「バーチャル・リアリティ」と「水槽脳」というのがよくわかりませんので、ネットのウィキを調べて見ました。一部抜粋して見ます。
1.「バーチャル・リアリティ」について 〔バーチャル・リアリティは、コンピュータによって作り出された世界である人工環境・サイバースペースを現実として知覚させる技術である。時空を超える環境技術であり、人類の認知を拡張する。〕
2.「水槽脳」について 〔水槽の脳(すいそうののう、brain in a vat)とは、「あなたが体験しているこの世界は、実は水槽に浮かんだ脳が見ている夢なのではないか」、という仮説。哲学の世界で多用される懐疑主義的な思考実験で、1982年哲学者ヒラリー・パトナムによって定式化された。正しい知識とは何か、意識とはいったい何なのか、といった問題、そして言葉の意味や事物の実在性といった問題を議論する際に使用される。水槽の中の脳、培養槽に浮かぶ脳、桶(おけ)の中の脳、水槽脳仮説などと訳される。 ある科学者が人から脳を取り出し、脳が死なないような特殊な成分の培養液で満たした水槽に入れる。脳の神経細胞を、電極を通して脳波を操作できる非常に高性能なコンピュータにつなぐ。意識は脳の活動によって生じるから、水槽の脳はコンピュータの操作で通常の人と同じような意識が生じよう。実は、現実に存在すると思っている世界は、このような水槽の中の脳が見ている幻覚ではなかろうか?〕
このようなもののことを言っている、として、このようなものと「私」との関係について、わたしが思ったことを書いて見ます。わたしはバーチャル・リアリティというものを体験したことがありませんので、上記の意味だけからとなります。
わたしのいまのところの結びを最初に書いておきます。 「わたしはわたしがわたしの体を触わってみると、感じられるものがある。」 ということです。
もしこの感覚がバーチャル・リアリティの世界になかったら、わたしはわたしが見ているものに疑いが生じてくると思います。わたしが見ている世界がバーチャル・リアリティであるかどうかを判定する術をわたしは持ち合わせてはいない、とは言いきれないと思います。
1で、〔現実として知覚させる〕ってあります。わたしは「知覚」を、視・聴・嗅・味・体性感覚などの異種感覚情報の統合、としています。バーチャル・リアリティの世界で、“わたしの意向”によって、視覚以外の感覚でわたしが見ている世界を確かめようとするとき、もしここに見ているものと違う事態が発生するとき、わたしが見ているものに対して、わたしは、ん?って思うのだと思います。 たとえば、わたしの目の前に美味しそうな食べ物があります。わたしは「あ〜おいしそう、たべたいな〜」って思って、それを食べようとします。でもバーチャル・リアリティーの世界では、わたしそれを食べることはできないと思います。
2について、 〔意識は脳の活動によって生じる〕っていうのはわたしもそう思っていますし、脳は身体の一部ともしてます。 〔科学者が〕ということですので。科学者的な身体の分け方「神経系」の内で見て見ます。神経系は中枢神経系と末梢神経系に分けられ、さらに中枢神経系は脳と脊髄神経に分けているようです。 このような分け方のうちで、身体ののうちから脳だけを取り出し、それとコンピュータを結びつけてみて見た、ということだと思います。 でもここには身体の一部(脳)のことしか話題にさせていません。 この方法で「私」を見てゆこうとするのはどうなのかな、って思います。わたしは、「私」は脳だけではないし、意識だけではないと思っています。
身体の脳だけを取り出してみたところで、生の身体を捉えることはできないと思っていますし、生の私を描き出すことは見えてこないと思います。
私のリアルな身体は、“バーチャル・リアリティであるかどうかを判定する術”を自ずともっているのはないか、ってわたしは思っています。
このようにわたしに思われているから、 「今のわたしが水槽脳でない」とわたしが言えるのは「わたしはわたしがわたしの体を触わってみると、感じられるものがある」から、ってなって、「あんたの手であんたの体、触ってみて」ってなりました。
わたしは、わたしの意識の志向性とわたしの身体の脳以外の体をなきものとして「私」を見ようとすることは現象学的じゃないと思っています。
ふだん言葉で書かないように気つけてみたけど、ちょっとつかれた。
パニチェさま、この記述には返さないで下さいね。あなた規定的で怖いから。
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