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■42760 / inTopicNo.1)  ウィトゲンシュタインとディラック
  
□投稿者/ knowingitself -(2025/04/25(Fri) 16:16:36)
    ウィトゲンシュタインは哲学におけるランボーのような天才として遇されてきたのか。

    若くして「論考」一冊で哲学おわらせた、哲学にはやるべきことは何もないと豪語して。

    莫大な遺産によってヨーロッパ有数の大富豪になったのに、全額放棄し、大学のポストを捨て、小学校教師になる。

    そこでは激しく挫折して、カトリックの修道僧になろうとするが断られる。

    そしてケンブリッジに復帰することになるが、

    反対する人物からも、「ウィトゲンシュタインに哲学教授の椅子を与えることを拒否することは、

    アインシュタインに物理学教授の椅子を与えることを拒否するようなものだ」と評されるほどに、

    哲学者としての名声は不動になっていた。「論考」一冊で。

    あと、ケンブリッジで同僚だった量子力学のディラックの回想が面白い。

    ウィトゲンシュタインは「沈黙をまもる」どころか、喋りまくる人で、ディラック相手に量子力学の説法を繰り返して辟易させたと(笑)。ディラックはウィトゲンシュタインを嫌っていたようだ。
引用返信/返信 削除キー/
■42269 / inTopicNo.2)  東洋思想とウィトゲンシュタイン
□投稿者/ knowingitself -(2025/04/17(Thu) 07:28:21)
    わたし個人の考えをいえば、

    ウィトゲンシュタインに仏教や不二一元を読み込むのは、ちょっと違うかなと。

    日本人は仏教文化圏なので、どうしてもそっちに引き寄せたがるし、

    西欧でも東洋にシンパシーをもつ層は、その可能性を発掘したがる。

    わたしも仏教や不二一元ならウィトゲンシュタインより理解している絶対の自信はあるけど(笑)、やはりそれは読み込みすぎといいたい。

    やはり西洋哲学の人だと思う、ウィトゲンシュタインは。
引用返信/返信 削除キー/
■42263 / inTopicNo.3)  Re[13]: またしても「スクリーンと映画」
□投稿者/ knowingitself -(2025/04/17(Thu) 06:58:09)
    「スクリーンと映画」モデルは釈迦の仏教にも適用できるかと。

    釈迦は心を止めるだけでいいんだ、心を止めることが人生苦の処方箋なんだと。

    スクリーンが涅槃で、映画が輪廻です。映画に執着する限り、映画が消えることはない、いつまでも強制的に見せられる。


    ラマナマハルシ的な世界観は仏教ともふつうに互換性があると思う。



    No42117に返信(knowingitselfさんの記事)
    > 「スクリーンとその上の映画」というのは、
    >
    > 広い人間世界のどこか狭い場所で、スクリーンに写っている映画を観るというイメージでは全然ダメです(笑)
    >
    > そうではなく、
    >
    > 全体の宇宙がどれだけ巨大で、多宇宙であろうと、宇宙のさらに外に何があろうと、
    >
    > そこには、うすーーーーーい、厚みのまったくない、一枚の空っぽのスクリーンしかない!
    >
    > このイメージでなきゃいけません。
    >
    > この「スクリーンとその上の映画」の喩えは、
    >
    > 個人的には、人類の生み出した史上最強の喩え候補の一つかと思っている。
    >
    >
    >
引用返信/返信 削除キー/
■42135 / inTopicNo.4)  Re[15]: 通りがかりのもの
□投稿者/ タンチョウ -(2025/04/15(Tue) 07:40:03)
    『失われた時を求めて』第1篇「スワン家のほうへ」マルセル・プルースト/吉川一義訳

    語りえぬものについても、沈黙したくない・・検索されてはいかがかと?

    人間は見える者だけで生きている訳ではありません・・

    私も礼儀は面倒な人には楽でございまして無礼をお許し願います<m(__)m>
引用返信/返信 削除キー/
■42125 / inTopicNo.5)  Re[14]: 通りがかりのもの
□投稿者/ タンチョウ -(2025/04/15(Tue) 04:22:56)
    満月大潮なのに・・何故か元気・・

    月と太陽の位置によって地球の引力が変化します・・

    感じる力も変化します・・目も耳も無くてもみんな生きているんです・・

    生きている実感・生きている確信・・ヤスパースさん実存主義(伝統形而上学)
引用返信/返信 削除キー/
■42124 / inTopicNo.6)  Re[13]: 目も耳もふさいだ世界で・・
□投稿者/ タンチョウ -(2025/04/15(Tue) 04:13:28)
    目と耳をふさいで地球にアース・・地球が動いているのが解ります・・

    哲学の哲ちゃん先生が&#12314;現実的に見えなくなり聞こえなくなる死のうかと思う世界
    に意識の根・想像の世界がある&#12315;らしいと・・
引用返信/返信 削除キー/
■42117 / inTopicNo.7)  またしても「スクリーンと映画」
□投稿者/ knowingitself -(2025/04/14(Mon) 20:38:17)
    「スクリーンとその上の映画」というのは、

    広い人間世界のどこか狭い場所で、スクリーンに写っている映画を観るというイメージでは全然ダメです(笑)

    そうではなく、

    全体の宇宙がどれだけ巨大で、多宇宙であろうと、宇宙のさらに外に何があろうと、

    そこには、うすーーーーーい、厚みのまったくない、一枚の空っぽのスクリーンしかない!

    このイメージでなきゃいけません。

    この「スクリーンとその上の映画」の喩えは、

    個人的には、人類の生み出した史上最強の喩え候補の一つかと思っている。



引用返信/返信 削除キー/
■41992 / inTopicNo.8)  あらゆる光の現象
□投稿者/ knowingitself -(2025/04/10(Thu) 09:03:54)
    下の書き込みの「音」は「光情報」に置き換えても通じます


    No41095に返信(knowingitselfさんの記事)
    >>>生涯で鳴らした音はすべて現実世界で、リアルに出力された、音として生まれた。そのすべての音を正確に記憶できることはないと思うが、少なくとも音を鳴らしたときは、音として認知していたのではないか。
    >>
    >>全世界の音を鳴らす人のすべての音は、それと認知しうる。認知されうるものとして鳴らされる。
    >>
    >>神の全知とはそういうことではないか。
    >
    > どの楽器でも、例えばピアノなら、
    >
    > 世界中で数えきれないほどピアノを弾く人はいるわけだ。
    >
    > そこで鳴らされた音は、すべて、認知され、識別され、理解される音として生まれる。
    >
    > ありえない架空の想定だが、常に傍らに天才的に耳の良い教師やリスナーがいて集中力を研ぎ澄ませているなら、その認知や識別、理解からまぬかれることはできない。生涯で鳴らすすべての音が対象になる。
    >
    > これはピアノに限らず、あらゆる楽器であてはまるだろう。
    >
    > これは聴覚の話しだが、実はあらゆる感覚情報についてもいえないか。楽器は人間の身体のメタファーでもある。
    >
    > なぜこういうことをいうかというと、
    >
    > これが「すべてを知る」神のイメージになりうるかと思うからだ。
    >
    > 感覚的にインプットされる現象は、認知されうる、理解されうるものとして生みださせる。
    >
    >
    > 生み出されることと認知される理解されることは同時といっていいかもしれない。
    >
    > もちろん、個人でも集団としての人間でも、認知や理解に追いついていけない、漏らしてしまうのが当然だが。
    >
    > しかし原理的にはすべてが認知可能理解可能なものとして、現象は生まれ消えていく。
    >
    > その認知や理解の主体が「すべてを知る」神ということになろうか。
    >
    > このとき、現象の創造主体であることと、「すべてを知る」ことは同一に帰するというか、区別することはできないようにも思う。同時の過程だから。
    >
    >
    >
    >
引用返信/返信 削除キー/
■41832 / inTopicNo.9)  聖書の真理と科学の真理
□投稿者/ knowingitself -(2025/04/06(Sun) 16:00:55)
    「聖書と自然はともに神の言葉から生じたもので、前者は聖霊が述べたものであり、後者は神の命令の忠実な執行者である。二つの真理が対立しあうことはありえない。したがって、必然的な証明によってわれわれが確信した自然科学的結論と一致するように、聖書の章句の真の意味を見いだすことは注釈書の任務である」

    by ガリレオガリレイ

    ここで、聖書は聖霊が述べた神の言葉であるとの意味。

    三位一体とは、「愛するもの(父なる神)、愛されるもの(子なる神)、両者に分かち合われる愛(聖霊なる神)が同一である」と説かれることがあるが、これをさらに言い換えで喩えで示すと、

    「唯一の神(父)が自分の像(子)をみて、愛のため息(聖霊)をもらした」。三位一体から三者とも同じ神。

    この三位一体の枠組みでガリレオの表現をおきかえると、「聖書は神の愛によって伝達される神のことばである」

    神のことばそれ自体と、神のことばによって創造された自然は、それぞれ妥当する真理の意味がちがう。

    後者で人間が発見していく自然科学的真理と、神のことばの真理、両者は対立するものではないと。


引用返信/返信 削除キー/
■41778 / inTopicNo.10)  スマナサーラ長老の仏教
□投稿者/ knowingitself -(2025/04/05(Sat) 15:34:40)
    仏教を先人ゴータマシッダルタの「言う教え」に限定するのが、最近日本で人気のある仏教学者の傾向だとみているが、

    スマナサーラ長老は大乗仏教否定に近いことをいうが、大乗仏教とは別の意味で、ゴータマシッダルタを宇宙の究極真理の体現者とみているのではないか。わたしかみると、絶対的な究極真理のブッダ言説時空を信じているようにみえる(笑)

    まあ、大乗仏教にもいろいろあるが、輪廻転生懐疑や否定の大乗仏教は近代日本の産物のような気がする。

    スマナサーラ長老が輪廻転生に懐疑の目を向けるなど、想像もつかない。

    この点、龍樹研究の石飛先生も輪廻転生を前提にしていた。スマナサーラ長老とは仏教観が違うが。


    No41611に返信(knowingitselfさんの記事)
    > ■No41487に返信(knowingitselfさんの記事)
    >>>人生のすべての1分1秒は一回限りであり、再生できないことを理解していますか?
    >>人生はCDプレーヤーとは違います。今この瞬間を再びやり直すことはできません。今のこの人生は二度とこないのです。
    >>
    >>>ーー「有意義な生き方」アルボムッレスマナサーサ
    >>
    >>人生における、CDプレーヤー的にリピートできないこの瞬間において何をやるかというと、スマナサーラ長老なら、
    >>
    >>ナーマとルーパをヴィパッサナーすることがもっとも意味のあることになるかな。
    >>
    >>ナーマとルーパは曖昧な形で漠然と流れていくものではなく、確実に特定識別できるのだという仏教的な世界観にスマナサーラ長老が立っていることはいうまでもありません。、
    >>
    >>もちろん長老は全知全能の神など認めるはずはない、長老はことあるごとにそういうものを否定している。
    >>
    >>しかしわたしからみると、長老は全知全能の神をたてる世界観とそれほど距離があるものではない。
    >
    >
    > スマナサーラ長老などは、釈迦の「神格化」の典型かとわたしは考えている。
    >
    > 批判の意味はまったくない。いまの日本で長老ほど自由自在に核心ついた説法ができる仏教の僧侶はどのくらいいるのだろうと思っている。
引用返信/返信 削除キー/
■41740 / inTopicNo.11)  永遠の菩薩道
□投稿者/ knowingitself -(2025/04/04(Fri) 16:23:55)
    >異民族や異教徒、自分の共同体の外なる世界。外なる世界とは全人類。こういったところにキリストの場所があると。

    >神とは、自分の共同体を守護し、外なる共同体と戦って勝利するようなものではまったくない、ありえないと。

    >民族神や国家神ではありえない。

    >サマリア人が父なる神で、助けられた人がキリストで、キリストのもとに集まる人が俗にいうキリスト教徒。これは潜在的には全人類

    ここに大乗仏教と同じ構造をみることができると思う。ほぼ同型?

    サマリア人に助けられた人は衆生を表し、サマリア人は菩薩か。

    仏教は全知全能の愛の神などたてないので、サマリア人に神をみることはないが。

    いずれにせよ、話しができすぎ、美しすぎかもしれない(笑)

    これがキリスト教なら、「ケリギュマのキリスト」、仏教ならある種の「神格化」?

    史的イエスや史的釈迦を実証的に文献解読することに小さくこだわっても、宗教的にはあまり面白くないと思うので、

    わたしは「神格化」になんら抵抗感はない。
引用返信/返信 削除キー/
■41739 / inTopicNo.12)  Re[22]: 神と全人類は同一の階梯に置かれる
□投稿者/ knowingitself -(2025/04/04(Fri) 15:50:31)
    >キリストのそのポジションから逃げずに分かち合うことが、天国だ、永遠のいのちだ。

    >逃げずにというのは、相手と戦うこと、報復することことではまったくない。その正反対。


    >それが神への愛と隣人愛なんだと。

    異民族や異教徒、自分の共同体の外なる世界。外なる世界とは全人類。こういったところにキリストの場所があると。

    神とは、自分の共同体を守護し、外なる共同体と戦って勝利するようなものではまったくない、ありえないと。

    民族神や国家神ではありえない。

    サマリア人が父なる神で、助けられた人がキリストで、キリストのもとに集まる人が俗にいうキリスト教徒。これは潜在的には全人類。
引用返信/返信 削除キー/

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